米騒動100年目の真実 “震源地”穏便に解決 物言えぬ今だから映画化 富山県魚津市「百年の蔵」

 1918(大正7)年に富山県魚津町(現魚津市)を“震源地”に全国に波及したとされる「米騒動」から今年で100年。史実を後世に伝えようと、同市では米騒動を題材にしたドキュメンタリー映画「百年の蔵」(同制作委員会など主催)の撮影が順調に進む。当時、漁師の妻らが押し掛けたという米店の子孫も撮影に協力する他、JAうおづも後援するなど、映画の完成を陰から支える。

 漁師の妻ら20人余りが集結したという同市の浜多米穀店には、今も1918年当時の「白米小売価格」が残る。米が投機対象となったことなどを背景に、同年1月22日の1升(1・5キロ)は24銭5厘だったが、騒動発生2日前の7月21日に33銭に。10月12日には46銭となり、10カ月余りで倍近くに跳ね上がった。

 現店主の浜多弘之さん(85)は「当時、漁師が1晩でイカを100匹釣り、全部売れても50銭ぐらい。漁師は貧しい上に子だくさんの大家族。米価の値上がりは相当苦しかったと思う」と話す。

 浜多さんの母きくさんは100年前、押し寄せた妻らの様子を店の2階から見ていた。その時、嘆願する妻らをなだめたのは祖父の与兵衛さんだった。魚津での米騒動は激しい暴動のように伝えられているが、浜多さんによると、祖父が「米はいくらでも貸すし、どんだけでも持って行かっしゃい。ちゃんといいようにするから」と話すと、妻らは「頼んますちゃ」と言い、立ち去ったという。

 浜多さんは「魚津では穏便な話し合いで解決できたと聞いている。米騒動の発端は魚津であっても、騒動はなかったというのがわれわれの見解」と語気を強める。

 「米騒動はマイナスイメージもあり、地域の人たちは積極的に伝えてこなかった。後世に残すにはこの節目は大きなチャンス」。こう語るのは、騒動の歴史を語り継ぐ同市のNPO法人「米蔵の会」理事長の慶野達二さん(73)。同会の催しに集まる顔ぶれは会員が中心で毎回ほぼ一緒。この現状に危機感を抱き、幅広い世代が関心を持つ有効な手段はないか──と思案し、行き着いた答えが映像化だった。

 同会が白羽の矢を立てたのが、東京都在住の映像作家の神央さん(43)。同市に親友が住んでおり、20年以上通い続ける大の“魚津ファン”だ。

 映画は地元高校生の視点で描かれる。内容は生徒らが米騒動発生の地とされる旧十二銀行魚津支店の米蔵や、ゆかりのある米穀店関係者らを尋ねて魚津であった米騒動の史実を知るドキュメンタリー。上映は7月23日を予定する。

 参加する桜井高校2年生で同市在住の藤井湯津香さん(17)は「米騒動はぶち壊しや暴動と学んできた。知られていない魚津の米騒動の歴史を、後世に伝えたい」と話す。

 米騒動を機に寺内正毅内閣が倒れ、平民出身で初の原敬内閣が誕生。普選運動が活発化するなど、民主化への大きなうねりとなった。

 神さんは「閉塞(へいそく)感が漂う今、なかなか物を言えず、声を上げても無理だと感じる市民は多い。100年前のお母さんたちの勇気ある行動が日本の転換期を生んだ。魚津での米騒動から見えるのは、今の日本人に向けたメッセージだ」と強調する。
 

怒りの米粉麺 地元高校商品開発


 米騒動100年の節目を盛り上げようと、JAうおづの米粉を使った「つけめん」を、地元の新川高校コミュニティビジネス部が開発した。商品名は「魚津の米騒動つけめん母ちゃんの怒り味」だ。

 味は“漁師町魚津”を連想させるため、魚介しょうゆ味とし、蜂起した漁師の妻らを思い起こさせようと、トウガラシを添えた。部長の渡邉健斗さん(16)は「魚津に興味を持つきっかけにしたい」と力を込める。JA営農部は「魚津の米粉をPRし、米の消費拡大につなげたい」と話す。価格は580円。(前田大介) 

<ことば> 米騒動

 1918年7月23日、米の価格高騰に苦しむ漁師の妻たちが、魚津港に寄航する輸送船に米を積み込み移出されるのを阻止。地元の米穀店に妻たちが集結し、米の移出をやめ安く売るよう嘆願した。魚津の出来事は瞬く間に全国に波及。騒動の参加者は70万~100万人とされ、うち2万以上の検挙者を出すまでに発展。時の寺内内閣は総辞職に追い込まれた。

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