「なつぞら」 北の酪農ヒストリー 第5回「ベニヤ板絵と新田牧場」~開拓を誘った「学問のすすめ」

NHK朝の連続テレビ小説「なつぞら」場面写真(C)NHK

 「なつぞら」に登場する山田天陽のモデルとされる開拓農民・神田日勝の絵は、ベニヤ板に描く独特の画法です。演劇『白蛇伝説』の背景に用いられた天陽の大きな絵も迫力がありました。

 ベニヤ板を日本で最初に製造したのは十勝の新田ベニヤです。創業者は新田長次郎。
十勝の産業と酪農の発展に貢献した新田長次郎(ニッタ株式会社提供)
十勝の産業と酪農の発展に貢献した新田長次郎(ニッタ株式会社提供)
長次郎は、1857(安政4)年に愛媛県で生まれ、88(明冶21)年に大阪で日本初の工業用革ベルトを開発して財を成します。革をなめすにはタンニンが必要であるため、北海道十勝に良質のタンニンを含む柏の樹林が多いことに着目し、1912(明治45)年に日本初のタンニン製造工場を十勝に建設しました。

 さらに18(大正7)年には、樹皮からタンニンを採取した残りの幹の部分を利用し、日本で初めてベニヤ合板の製造に成功します。またこの年、柏の伐採後の広大な土地を活用して、本格的な酪農経営にも乗り出しました。これらの事業は5男の愛祐に任せます。

 ベニヤは建築、家具、飛行機、汽車、電車、汽船などさまざまな分野に用いられ、同社で日本産の9割を占め、海外にも輸出されました。したがって、神田日勝やドラマで天陽が使ったベニヤは新田ベニヤのものと推察されます。

 新田牧場では、真駒内種畜場や米国からホルスタイン種の乳牛を導入し、これを基礎牛として増殖し、規模・内容で北海道における3大牧場の一つになりました。近隣農家の牛乳も受け入れ、十勝にバターと煉乳工場を、釧路にも煉乳工場を建設。これらの乳製品を国内はもとより海外にも輸出し、一時は業界トップクラスの地位を占めます。だが、36(昭和11)年、使命を終えて十勝工場を極東煉乳(後の明治乳業)に、釧路工場は北海道製酪販売連合会(同雪印乳業)にそれぞれ譲渡しました。

 新田長次郎は、近代産業の発展の立役者として活躍し、十勝の開発に貢献しました。経済的に恵まれない子どもたちのため、大阪有隣尋常小学校を開校し、故郷に松山高等商学校(後の松山大学)を設置、その創設費と運営費を負担するなど、学校教育にも力を注ぎました。

 司馬遼太郎の『坂の上の雲』の主人公の一人、秋山好古陸軍大将は長次郎の刎頚(ふんけい)の友です。好古は晩年に新田牧場を毎年訪問し、北海道酪農の発展を予言し、アドバイスしました。

 好古は陸軍退役後、北予中学校校長として次のような興味ある講話を行っています。「私が従事してきた牧畜業は、年々発達し、牛馬羊豚なども大変よく発育して、国内における牧畜業は、北海道が最高位に達しようとする状態である。牛乳を原料とするバター、チーズ、コンデンスミルクなどは、将来北海道において多く生産されるようになるだろう。もし北海道がデンマークのごとく発達するならば、数十億円の輸出をなし得るだろうと推察する」

 刎頚の友との出会いは、福澤諭吉の『学問のすすめ』です。北海道酪農のフロンティアは福澤諭吉の影響が大きいといえます。宇都宮仙太郎、依田勉三も然り。彼らは、諭吉の唱えた「農たらば大農となれ」を実行しました。

 幕別町開基100年を記念して、幕別町に新田の森記念館が建設され、創立者新田長次郎や新田牧場関係の資料が展示されています。(酪農学園大学名誉教授・安宅一夫)

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