「なつぞら」 北の酪農ヒストリー 第7回「牧童」像から63年~「乳と蜜」の流れる郷に

NHK連続テレビ小説「なつぞら」場面写真 (C)NHK

 1956(昭和31)年5月31日、札幌大通公園(大通西3丁目)で北海道の生乳生産100万石突破を記念した酪農感謝の像「牧童」の除幕式が行われました。
酪農関係者が札幌大通公園に建てた「牧童」像
酪農関係者が札幌大通公園に建てた「牧童」像
「牧童」像の説明版
「牧童」像の説明版


 道内の生乳生産量は前年の55年、100万石(約18万トン)を上回る20万トンに到達しました。つまり20万トンが、ドラマで農高生のなつが牛の世話に明け暮れていたころの北海道酪農の実力です。現在では、生産量は390万トンと約20倍に増加しました。一戸当たりの乳牛頭数も、当時の2頭から75頭へと著しく拡大しました。なつを引き取って育てた柴田牧場は当時、トップクラスの大型牧場だったでしょう。

 「牧童」像は大通公園に建てられた最初の碑です。少年がクローバの花輪をかざし、子牛の肩に手をかけた姿が何とも愛らしい。台座には「牧童」と「乳と蜜の流れる郷に」という文字がそれぞれ、黒澤酉蔵と深澤吉平によって揮毫(きごう)されています。

 北海道酪農協会会長の塩野谷平蔵が記念式典委委員長として、次のようにあいさつしました。

 「今の北海道酪農は、乳牛に例えるとまだ子牛で人は少年(牧童)である。ひたすら伸び行く希望を表す牧童像を建立し、日本の明るい平和な理想郷を建設する願いを込めて、『乳と蜜の流れる郷に』と文字を刻んだ」

 平蔵は、札幌農学校を卒業後渡米し、ウィスコンシン大学で酪農を学びました。帰国後十勝で兄辰造の酪農経営に参加しますが、再び渡米。優秀なホルスタイン乳牛を大量に買い付け、札幌で新しい牧場を開設します。酪農組織の代表として北海道酪農の発展に貢献し、「乳牛の使徒」とも呼ばれました。現在は3代目、幸一さんが洞爺湖町でレークヒル牧場を経営しています。草づくり国内屈指の牧場からおいしいアイスクリームやチーズが作られ、毎年15万人の観光客が訪れます。

 平蔵の札幌農学校入学や渡米を援助した辰造は1898(明治31)年、十勝の清水町に入植、翌年乳牛を導入しました。これが十勝清水の酪農の始まりで、今年120年。酪農王国と呼ばれる十勝で清水町はトップを走っています。

 あれから63年、牧童は老人となりましたが、北海道、十勝の酪農は青年の勢いがあります。「乳と蜜の流れる郷に」の文字は、北海道を酪農の理想郷にするとの決意の表れでしょう。改めて、酪農民の先見と志に感動します。

 揮毫した黒澤酉蔵と深澤吉平は、酪農界を代表して国会議員(衆議院)を務めたことがあります。また、同年代の町村敬貴は貴族院議員と参議院議員になりました。当時の酪農界のリーダーは、風格があり、人間愛にあふれていました。(酪農学園大学名誉教授・安宅一夫)

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