ポストコロナ社会 ヒントは農村にあり 民俗研究家 結城登美雄

結城登美雄氏

 2011年3月11日。東日本大震災のすさまじい大被害。頻発する台風や洪水などの自然災害。そして、このたびの新型コロナウイルスの世界的流行と長期化。世界の感染者数は既に3000万人を超え、死者も100万人に達した。

 私たちの社会と世界はどうなってしまうのか? 誰もが大きな不安を抱えたまま、その呪縛から脱け出せずに悩み苦しんでいる。例えば医療最前線での苦闘の日々。企業・経済活動の制約と停滞。休業要請を受ける商工業。外出自粛や「3密」への配慮。長期休校や授業制限を受ける教育現場。イベント、文化活動の中止や制限。そしてあちこちから日々聞こえてくる倒産、廃業、解雇、失業を嘆く声。こんな状況に対し、私たちは何ができるのだろうか。
 

都市住民の不安


 私の身近で見聞する印象では、企業社会を生きてきた人々、とりわけ、都市居住者の苦しみが大きいと感じている。皆、異口同音に「これからもここで暮らしていけるだろうか」と、都市で生きていく不安を口にする。私はそうした人々に対し「都市だけが人間の生きる場所ではない。日本の農山漁村をあなたの第二の人生の場、新しい生活の場として考えられないか」と問い掛けている。

 すると、多くの人は「農山漁村は過疎地でしょ、この頃は『限界集落』などといわれてますよね」と否定的な答えが返ってくる。しかし、私はこう反論するのだ。

 確かに、農山漁村は人口減少を背景に、限界集落だ、集落消滅だと負の言葉で塗りつぶされてきた。しかし、私は言いたい。そこはお金があまりなくても充実した人生が送れる所だ。そこでは暮らしに必要なものは「買う」のではなく自分で「作る」ことが基本。生きていく上で最も重要な食は、「買う」のではなく自給するのである。それゆえ、移住の条件は、生活に必要なものを自分で作れる力を身に付けること。そして、不足するものは、村人や隣人と分かち合うことである、と。
 

暮らしの 「原型」


 今から150年前の明治の初め、日本の人口は約3000万人で、そのうち90%は村単位で暮らしていた。村の平均規模は戸数60~70戸、人口370人前後。そんな村が1888(明治21)年に7万1314もあった。いわば、近代日本は小さな村の集まりから始まった。

 それが明治、昭和、平成の行政合併で1700余りの市町村に統合されたが、それはうわべのことであり、原型としての村は戸数、人口ともに減少したとはいえ、その95%が生き残っている。約130年を経て、なお持続可能な村とは何か。村を村たらしめた力とは何か。それを問わずして、人間が生きる暮らしの「器」としての集落や地域を判断してはならない。

 何百年も人間の生活と人生の場だった原型としての村と人に学べ。そこに、ポストコロナ社会にとって大切なヒントが眠っている。もう一度、村から学ぶ時代がやって来つつある。

 ゆうき・とみお 1945年山形県生まれ。山形大学卒業後、広告デザイン業界に入る。東北の農山村を訪ね歩いて、住民が主体になった地域づくり手法「地元学」を提唱。2004年度芸術選奨文部科学大臣賞受賞。
 

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