釜本邦茂さん(元サッカー選手) 子ども時代の苦労 海外遠征にプラス
うちはきょうだいが5人。ご飯の時は、今みたいに各自のお皿に盛られるんじゃなくて、ポーンと大皿に出されて勝手に取って食べるんです。僕は上から4番目ですからね。早く食べないと、全部兄貴たちに食べられちゃう。だからどうしても食べるのが速いんです。
その当時の癖が今も残っていて、家内からはゆっくり食べるよう言われます。
でも、子どもの頃に食事に恵まれなかったことは、サッカーでの海外遠征については良かったかもしれないですね。
最近の遠征では日本からコックも連れて行って、専用コックが作った料理を食べるんですけど、われわれの時代は現地調達でした。
メキシコでのオリンピックは良かったんですよ。選手村で過ごしたんですけど、食堂の料理が充実していました。和食はありませんでしたが、肉、魚、野菜がズラーッと並んだバイキングでした。何も不自由することはなかったですねえ。
苦労したのは、アジアでの遠征です。アジア大会は3回出場しましたが、2回がバンコク、1回はテヘランで行われました。
東南アジアの食事では、においに困りました。例えばヤシの油を使った料理とかは、においがきついんですよね。肉料理を食べて軟らかくておいしかったので店の人にそう伝えたら、「これはカエルです」と言われてびっくりしたこともあったり。
僕は鶏肉の料理が好きです。バンコクでは鶏肉を焼いた料理がよくありました。待ってましたとばかりに食べたんですが、めちゃくちゃ辛かったんです。お湯で洗って辛味を消さないと食べられない。それでも食べました。食べないと力が出ない。頑張れないですよね。東南アジアでも中東でも、日中は40度くらいまで気温が上がります。その中で戦うわけですから、ちゃんと食べないともたない。
あまりに大変だった時には、鶏がらのスープをもらって、その中にご飯を入れて食べていました。あとバナナを食べました。バナナはどの国でもありましたし、どこで食べても一緒ですから。
もう一つ思い出したのが、遠征中の水です。最初はとても気になりましたよ。バンコクに行ってすぐ、ちょっと便が軟らかくなって、あれおかしいなということもありました。でもその後で、別段何もなかったんです。免疫がついたというのかねえ。慣れてしまえば大丈夫でした。
おかしかったのは、バンコクのホテル。水のタンクが置いてあったんです。これを飲め、と。でもタンクを見たら、ボウフラが浮いていました。ホテルの人に文句を言ったら、「ボウフラは生きてる。水が悪ければ死んでいる」と言うんです。しょうがないから、僕は気にせず飲みましたよ。
僕らの時代は、試合中に水を飲めませんでした。いったんグラウンドに出たら、45分間1滴も飲むことなく戦わなくてはいけません。1試合やったら体から水分が抜け体重は3キロくらい落ちました。
その何日か後には次の試合があるんです。だからボウフラの浮いてる水だろうが飲んで、口に合わなくてもちゃんと食べて。それで体を悪くしたら、負けっちゅうことやからね。しっかり食べて大会を乗り切りました。(聞き手=菊地武顕)
かまもと・くにしげ 1944年、京都府生まれ。64年に日本代表に初選出。以後、日本のエースとして君臨。68年のメキシコ五輪では7得点と大会得点王に輝く活躍で、銅メダル獲得の立役者になった。国際Aマッチ75得点は、日本男子代表の最多記録。84年の引退後は指導者として活躍。95年には参院選に出馬し、政治家としても活動した。