「なつぞら」 北の酪農ヒストリー 第15回「北海道興農公社 秘話」~統合話を受け入れた森永社長

NHK連続テレビ小説「なつぞら」場面写真 (C)NHK
「なつぞら」牧場篇の1955(昭和30)年、柴田泰樹(草刈正雄)が高校生だったなつ(広瀬すず)の演劇を見て感動し、懸案となっていた生乳の出荷先を乳業メーカー直接搬入から農協経由に変更するという場面がありました。序盤のハイライトの一つで記憶に残る視聴者の方も多いでしょう。
この背景には、メーカーと生産者の間にしばしば生じた取引条件をめぐる対立があります。
1923(大正12)年から、酪農が盛んになり始めた北海道へ本州から練乳会社が進出を始めました。目的は菓子の原料や赤ちゃん哺育用ミルクの確保です。しかし、同じ年に発生した関東大震災の救援物資として、海外から大量の練乳や粉ミルクが無税で入ってきたため、経営が苦しくなった練乳会社は生乳の買い入れを制限して、生産者を苦しめました。
この時、北海道酪農の父といわれる宇都宮仙太郎らが、メーカーの都合で生産者が悪影響を受けないよう、農協組織としてバター製造に特化した北海道製酪販売組合連合会(酪連)を立ち上げたのは、すでにこの欄で紹介した通りです。
酪連は生産者から一括して生乳を買い上げ、メーカーに販売する「一元集荷多元販売」の体制を整え、生産者の負担を軽減しました。このような経過の中で、農協組織と乳業メーカーが相対する関係が生まれ、その後も続いたのです。
1941(昭和16)年、戦時下の北海道でも穀物飼料の不足などが生じ、酪連もメーカーも思うように原料乳が確保できず、各地で競合が激しくなりました。その状況を心配した北海道酪農の先駆者で江別市の町村農場の創業者・町村敬貴は、酪連を主体とした道内乳業メーカーの統合について、北海道長官(今の知事)・戸塚九一郎に相談を持ちかけ、賛同を得るのです。
課題はメーカー側の理解でした。当時、練乳会社の明治も森永も、北海道での事業量が過半を占めていました。話に乗れば事業の大半を失うことになります。
ところが、町村が最初に会って話をした森永煉乳・松崎半三郎社長は「この時局において循環農業としてのあるべき酪農実践につながるなら賛成する」との意向を示し、町村を驚かせました。松崎半三郎は、現・首相夫人・安倍昭恵氏の曽祖父に当たります。
これをきっかけに明治社も承諾し、統合された巨大農業振興事業組織・北海道興農公社が誕生します。その背景には、北海道の酪農業の健全な発展を願う乳業メーカーの思いがあったのです。公社は生乳の加工だけではなく、種苗事業や牛皮革の加工、土壌改良資材製造などの事業にも併せて取り組みました。
練乳会社の工場14か所を吸収して酪連の基盤を主体に発足した公社は、非常時の北海道農業の振興に一定の役割を果たしました。しかし、戦後はその大きさからGHQ(連合国軍総司令部)の指令に基づく過度集中排除法の指定を受け、会社は分割されます。
その際に練乳会社に返還されたのは、明治に今金工場、森永に遠軽工場の二つだけでした。分割された公社は雪印乳業と改称し、昭和33年には生乳加工部門を再統合し、改めて北海道への進出を図る明治、森永としのぎを削ることになるのです。
1957(昭和32)年から、道庁の指導により北海道全域で牛乳出荷共販体制として一元集荷多元販売が計画され、各地の単協によって進められたとの記録があります。
上京したなつがアニメーターとして活躍を始めた頃は、各地で発足した農協が、酪連に代わって一元集荷多元販売を担いました。
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この背景には、メーカーと生産者の間にしばしば生じた取引条件をめぐる対立があります。
1923(大正12)年から、酪農が盛んになり始めた北海道へ本州から練乳会社が進出を始めました。目的は菓子の原料や赤ちゃん哺育用ミルクの確保です。しかし、同じ年に発生した関東大震災の救援物資として、海外から大量の練乳や粉ミルクが無税で入ってきたため、経営が苦しくなった練乳会社は生乳の買い入れを制限して、生産者を苦しめました。
この時、北海道酪農の父といわれる宇都宮仙太郎らが、メーカーの都合で生産者が悪影響を受けないよう、農協組織としてバター製造に特化した北海道製酪販売組合連合会(酪連)を立ち上げたのは、すでにこの欄で紹介した通りです。
酪連は生産者から一括して生乳を買い上げ、メーカーに販売する「一元集荷多元販売」の体制を整え、生産者の負担を軽減しました。このような経過の中で、農協組織と乳業メーカーが相対する関係が生まれ、その後も続いたのです。
1941(昭和16)年、戦時下の北海道でも穀物飼料の不足などが生じ、酪連もメーカーも思うように原料乳が確保できず、各地で競合が激しくなりました。その状況を心配した北海道酪農の先駆者で江別市の町村農場の創業者・町村敬貴は、酪連を主体とした道内乳業メーカーの統合について、北海道長官(今の知事)・戸塚九一郎に相談を持ちかけ、賛同を得るのです。
課題はメーカー側の理解でした。当時、練乳会社の明治も森永も、北海道での事業量が過半を占めていました。話に乗れば事業の大半を失うことになります。
ところが、町村が最初に会って話をした森永煉乳・松崎半三郎社長は「この時局において循環農業としてのあるべき酪農実践につながるなら賛成する」との意向を示し、町村を驚かせました。松崎半三郎は、現・首相夫人・安倍昭恵氏の曽祖父に当たります。
これをきっかけに明治社も承諾し、統合された巨大農業振興事業組織・北海道興農公社が誕生します。その背景には、北海道の酪農業の健全な発展を願う乳業メーカーの思いがあったのです。公社は生乳の加工だけではなく、種苗事業や牛皮革の加工、土壌改良資材製造などの事業にも併せて取り組みました。
練乳会社の工場14か所を吸収して酪連の基盤を主体に発足した公社は、非常時の北海道農業の振興に一定の役割を果たしました。しかし、戦後はその大きさからGHQ(連合国軍総司令部)の指令に基づく過度集中排除法の指定を受け、会社は分割されます。
その際に練乳会社に返還されたのは、明治に今金工場、森永に遠軽工場の二つだけでした。分割された公社は雪印乳業と改称し、昭和33年には生乳加工部門を再統合し、改めて北海道への進出を図る明治、森永としのぎを削ることになるのです。
1957(昭和32)年から、道庁の指導により北海道全域で牛乳出荷共販体制として一元集荷多元販売が計画され、各地の単協によって進められたとの記録があります。
上京したなつがアニメーターとして活躍を始めた頃は、各地で発足した農協が、酪連に代わって一元集荷多元販売を担いました。
(東北森永乳業常務取締役・百木薫)
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機能性食品 有機JAS… 日本規格を世界へ新たに推進プラン GFVC官民協
農水省やJA全農、食品関連企業で構成するグローバル・フードバリューチェーン(GFVC)推進官民協議会は、食品産業の海外展開を加速させる新たな推進プランを策定した。2020年度から5年間の計画で、機能性食品や有機JASなど日本独自の食品認証の仕組みを海外に普及させることが柱。日本の食品企業が現地で販売しやすくし、日本産の食品や農林水産物の輸出拡大につなげる。
14~19年度の推進プランでは、海外市場の調査などを盛り込んでいた。今回の新プランでは、9の国・地域別に実践する具体的な取り組みを示した。協議会に参画する企業の海外進出数を現状の1・6倍(200社)に拡大する目標も掲げた。
新プランによると、企業進出数が多いタイやフィリピンなどでは、現地で高まる消費者の健康志向への対応を強める。現地に進出した日本企業が、日本と同基準の機能性食品を流通しやすくするため、輸出先国へ、日本に準ずる基準の整備などを働き掛ける。ベトナムなどでは、農業生産工程管理(GAP)や有機JASなど日本型の規格や制度を普及して、日本食品の高付加価値化を進める。
オーストラリアでは、日本と季節が逆転する地理的条件を生かし、日本で栽培されているアスパラガスやメロンなど青果物の生産を拡大。アジア圏など第三国への農産物の通年供給を推進する。
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2019年12月11日

花の水揚げ正確に 絵文字17種配送ラベルに印字 オークネット・アグリビジネスが開発
インターネットによる花き取引事業を展開するオークネット・アグリビジネスは、切り花の特性に適した水揚げ方法を示すピクトグラム(絵文字)を開発した。同社によると、花き業界では初の試み。商品の配送ラベルに印字し、ひと目で理解できるようにする。知識や経験を問わず、小売店の従業員が誰でも正しい水揚げができるようにし、消費者への長持ちする花の提供につなげる。
切り花に水を吸わせる水揚げは、品質維持に欠かせない工程。水や湯を使う、茎を割る・たたく・焼くなど、さまざまな方法がある。品目や品種、スプレイ咲きかスタンダード咲きかなど、商品ごとに方法も異なる。
同社は、衣服の洗濯表示マークに着想を得て、絵文字開発に着手。尾崎進社長は「正しい方法を分かりやすく伝えれば、誤った方法による商品ロスや、店員の教育負担も減る」と、ニーズを語る。
ひと目で方法を連想できる絵文字を、17種類作った。同社が扱う約140商品を対象とし、商品配送ラベルに印字する。同じく印字した2次元コード(QRコード)を読み取れば、湯揚げにかける時間、水揚げ後の水管理など、より詳しい情報を得られる。
千葉県の生花店「U・BIG花倶楽部(くらぶ)」は、絵文字を参考にブバルディアで水揚げを実験。従来は空切りしていたが、茎を焼いた上で湯に漬ける方法に変えた。「水の含み具合に差が出たためか、葉に張りが出た」と効果を実感する。
開発に当たり、札幌市で生花店「フルーロン花佳」を経営し、各地で品質管理の講習を開く薄木建友氏が監修を務めた。薄木氏は「農家も小売り側の水揚げの仕方が分かれば、出荷時の管理の参考になる」と、産地にも有益な情報となることを期待する。
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2019年12月13日
笑顔がはじけた
笑顔がはじけた。そして誇らしい。きのうの〈桜の戦士〉凱旋(がいせん)パレードは、多くの人の祝福と共にあった▼まず印象的だったのは、〈ぐーくん〉こと韓国出身の具智元選手の全身から伝わる喜び。大仕事を終えた充実感だろう。巨漢を生かしスクラムの最前線で戦い、強豪チームを相手に一歩も引かない。日本代表は外国人が半分近い。日韓関係が最悪の中で、具選手への温かな拍手と声援に、スポーツを通した友好復活の芽を見た▼ラグビーは体の大きさもさまざま。多様性こそこの競技の素晴らしさの一つ。小柄なだけに逆に目立ったのが、スクラムハーフを担った田中史朗と流大の2選手。攻守逆転を何度も演じ、ベスト8につながる。共に166センチと一般人と変わらない体格だが、パスの達人で敬称の〈小さな巨人〉に納得する▼感極まったのは、やはりリーチ・マイケル主将の勇姿である。ピンチを何度も救った切れ味鋭いタックルに多くの勇気をもらう。高速ウイングで〈ダブル・フェラーリ〉の異名を持つ福岡堅樹と松島幸太朗の両選手は華やかそのもの。俊足は“チータ”に例えられる▼合言葉はワンチーム。先日の会見で中家徹JA全中会長も連帯や多様性など「協同組合にも通じるものがある」と。〈桜の戦士〉よ、感動をありがとう。
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2019年12月12日
世界の都市農業事情 経済より共感と協働 農業ジャーナリスト 小谷あゆみ氏
ニューヨーク、ロンドン、ソウル、ジャカルタ、トロントの5都市が参加した「世界都市農業サミット」が、東京・練馬区で開かれ、先進事例から都市農業の未来までが熱く語られました。
ニューヨーク市では、550のコミュニティ農園(40ヘクタール)に2万人のボランティアが関わり、低所得者層の多い公営住宅では、農園管理を若者の職業訓練につなげて成果を上げています。屋上菜園も盛んで、NY産野菜はブランドになっています。
ロンドンでは、2012オリンピックを前に2012の市民農園が作られ、今では3000を超えています。ジャカルタでは、路地を活用した垂直農業で、人口密集地の食を支えていました。
どの都市にも共通していたのは、「コミュニティ農園」という切り口です。住民が生産と消費の両方に関わることで、絆や意欲が強まり、貧困、心身の不健康、教育、雇用など、あらゆる格差の解消につなげています。行政やNPOも大きく関わっていました。
参加して感じたのは、なぜ世界中の都市はこんなにも「農」を求めるのか、という驚きと、もしかしたら今の「農業の多面的機能」という認識では表現しきれないのではないか、という農の可能性です。
練馬区は、練馬方式と呼ばれる体験農園や、大根引っこ抜き大会、農の学校や農のサポーターで、住民が農業を支えています。中でも、子ども食堂の野菜を体験農園と連携して作る仕組みは包括的で、全国展開を期待したいものでした。
各国でCSA(地域コミュニティの買い支え)が見直されている通り、近隣住民は、野菜を買う客であるだけでなく、一緒に考え、農地を活用する仲間なのです。
2015年に都市農業振興基本法が制定されましたが、世界の事例と比べると、国内の都市農業は、その使い道を、農家の判断に任せてきたように思えます。今こそ、JAが本領を発揮するときです。行政とも力を合わせ、都市の農地を街の資産として運用すれば、シビックプライド(街への愛着)も築けます。
作る人と買う人という経済の関係から、次の段階にあるのは、地域にある農業を、自分のこととして育んでいく「共感」と「協働」ではないでしょうか。
都市における農を教育の場、理解や心を養う場と考えれば、それは本格農業や農的な暮らしへの玄関口、出発点になります。都市に農があってよかったと、地方にも歓迎される発信拠点になれるはずです。
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2019年12月10日

食ロス減 買って貢献 都市住民向け全農マルシェ
JA全農は14日、規格外品や直売所の売れ残りなどの食品ロス削減へ、東京都江東区のマンションでマルシェを開いた。会場となったマンションでは3回目の取り組み。農産物は福島県郡山市にあるJA全農福島の直売所「愛情館」から運び、エントランスにはオープン前から住民らが列を作った。
マルシェに協力する三井不動産レジデンシャルのマンションで行った。当日はハクサイ、シイタケなど農産物10品を箱に並べた。「傷があるなどで、選別規格外」「大きさが不ぞろい」など、「訳あり」の理由をPOP(店内広告)で紹介。リンゴを購入した居住者は「試食させてもらったら、訳ありとは思えないほどおいしかった」と話した。
全農は、余剰食品を販売し食品ロス削減を目指す通販サイト「tabeloop(たべるーぷ)」などを運営するバリュードライバーズと連携し、都内で同様のマルシェを開いている。
バリュードライバーズの山本和真副社長は「マルシェでは、どんな人がどういう思いで作っているかなどのストーリーも届けたい」と話す。
全農営業開発部青果営業課の結城誠課長代理は「物流費など課題はあるが、市場に出せなくても実はおいしいものなどを少しでも多く食べてほしい」と取り組みの広がりに期待する。
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2019年12月15日