勝野洋さん(俳優) 食べ物の大切さ 農で実感

勝野洋さん

 自衛官だった親の転勤のため、子どもの頃は熊本県小国町の杖立温泉で旅館をやっていた祖母に育てられました。筑後川の源流で泳ぐ時は、ジャガイモかトウモロコシを持って行きました。タオルでくるんで蒸気が吹き出る地獄温泉に入れておくんですよ。20分くらい泳いでくると、蒸し上がっていて、何も付けずに食べられるんですね。すごくおいしかったです。

 あの地域は水がきれいなので川魚が名物なんですけど、僕は苦手だった。でも祖母が厳しく、残すとたたかれましたからね。無理やりのみ込んでいました。いまだに川魚は嫌いですね。
 

旅で驚きの連続


 小学校4年の時に、北海道の恵庭に親に会いに行きました。祖母と姉と一緒に。

 まず日田に行き、列車に乗ったんです。僕にとってそれが生まれて初めての列車でした。そこで買った駅弁に感動しました。豪華なものではないですよ。一番近いのは、崎陽軒のシウマイ弁当からシューマイを取ったような感じ。煮付けたタケノコと魚が入っていて、ご飯は俵型になっていました。

 東京まで行き親戚の家に1泊したんですけど、そこで出た鉄火巻きにもショックを受けました。なんておいしいんだろうと。

 夜行列車で青森まで行って、青函連絡船で函館に行きました。その後、札幌に向かう列車の中で、食堂車に入ったんです。そこでエビフライを食べたんですけど、これがまたおいしくて。

 一つの旅で3回、ショックを受けるほどの食べ物に出合ったわけです。その3食は、今でも好きですよ。駅弁は、一番近いシウマイ弁当と決めています。今日、家内(キャシー中島さん)が大阪に行っているので、帰りに買ってきてくれと頼んでおきました。
 

無類のご飯好き


 中学は熊本市で下宿して通いました。市内には中学生から大学生まで預かる下宿があったんです。そこではご飯は丼1杯しか出ない。お代わりをさせてもらえないんです。僕は3杯は食べたいのに。熊本大の体操部の方が2人いて、かわいそうに思ったんでしょうね。それぞれご飯を半分ずつ分けてくれました。忘れられませんね、そのご飯のおいしさは。

 大学は東京で、寮に入りました。上下関係が厳しくて、先輩と同じ時間だとご飯を何杯も食べられません。そこで「遅食」という方法を使いました。用事があるので遅い時間の食事にしてほしいと頼むんです。一人でおひつを抱えてご飯をいただきました。

 ご飯が大好きなんですよ。おかずよりもご飯をいっぱい食べたいと思っていました。酒を飲む時に、ご飯を食べながらということも多いです。鉄火巻きをつまみながらとか。さすがに今はもう食欲が落ちてやりませんが、ご飯に生卵を掛けてそれをつまみに飲んだこともあるくらいです。

 祖母からは、ご飯は残してはいけないと厳しくしつけられました。ご飯粒が落ちても食べました。それは今でも変わりません。

 御殿場に家を建てて、100坪ほどの土地を耕して野菜を作った時期があります。いかに大変か、よく分かりました。若くて体力には自信がありましたが、別の筋肉を使うので……。でも野菜に愛情を感じるんですよね。「もうちょっと、もうちょっと」と言っているうちに日が暮れるまで頑張ってしまったり。それだけに、できた時の喜びは大きい。祖母が食べ物を粗末にしてはいけないと言っていた意味が、よく分かりました。(聞き手=菊地武顕)

 かつの・ひろし 1949年、熊本県生まれ。青山学院大学在学中からモデル活動を開始。その後俳優に転じ、74年にドラマ「太陽にほえろ!」のテキサス刑事役で一躍人気者に。「軍師官兵衛」など10本にも及ぶNHK大河や「鬼平犯科帳」など時代劇での活躍も顕著。趣味は乗馬、スキー、サーフィン、そば打ち。

おすすめ記事

食の履歴書の新着記事

検索

e農サーチ e農サーチとは