稲作を基盤とした日本人には、川の氾濫を防ぐことが生きる条件だった

 稲作を基盤とした日本人には、川の氾濫を防ぐことが生きる条件だった▼戦国時代の武将武田信玄は、「信玄堤」を築いて、甲府盆地(山梨県)を流れる釜無川の氾濫を和らげた。堤を巧妙に組み合わせて水流を弱め、決壊を防ぐ。自然のエネルギーに逆らわない精巧な「氾濫防止法」である。樋口清之著『梅干と日本刀』(祥伝社)で紹介している▼信玄の少し後に、肥後熊本では、加藤清正が世に知られた治水で善政を敷いた。河川の合流地点や水当たりの激しい部分に造った河道内遊水装置「轡塘(くつわども)」を用いた独特の手法で、洪水の被害を少なくした。遊水池内には肥沃(ひよく)な土壌が流れ込むため、平常時には生産力の高い水田として利用されたという。猛将で鳴らしながら、知将でもあった▼昔からの知恵をも上回る、集中豪雨である。各地を襲った豪雨は、河川の氾濫や決壊、土砂崩れをもたらし、多くの尊い人命を奪った。想像を絶する濁流が、あっという間に人家や道路、田畑をのみ込む。熊本県芦北町の水稲農家溝上秀明さんは、「どうしていいか分からない」と本紙記者に語った。線状降水帯は、経験則が通用しない猛烈な雨をもたらし、新型コロナ禍下を襲う▼瑞穂の国を潤す慈雨も、過ぎれば鬼雨に一変。自然の脅威は、人智(じんち)を超える。

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