[戦後75年] 被害者の会 相次ぐ解散 広島・原爆の日 悲劇 語り継ぐ使命 2世ら新団体 若者も

最後の慰霊祭が中止となり、慰霊碑に1人で祈りをささげる玉川さん(広島県安芸高田市で)

 広島は6日、被爆から75年の「原爆の日」を迎える。県内では「原爆被害者の会」の解散が相次ぎ、被爆体験の継承が課題だ。1986年に73あった団体数は2019年に31に減少。節目となる今年、解散する例もある。地元では被爆2世らによる新たな団体の立ち上げや語り部の育成など、核兵器廃絶の願いを受け継ぐ活動が進む。
 

「命ある限り」


 安芸高田市の向原原爆被害者の会は2年前、20年8月6日に解散すると決めた。JA広島北部の正組合員で、会長を務める玉川祐光さん(86)は「みんな年を取り、会員のうち、自力で歩ける人は10人もいない。もう会を運営できなくなった」と苦渋の決断を振り返る。

 会は1970年代に、被爆者手帳を持つ人たちが集まり結成。玉川さんは6代目会長として2012年に就任した。町には原爆で亡くなった百数十人の慰霊碑があり、毎年8月6日前後に慰霊祭を開いていた。

 今も130人が会員名簿に名を連ねるが、多くは介護施設などに入り、会の運営ができるのは玉川さんら6人。後継者も探したが「若い世代は町外に出て働き、無理には頼めない」と諦めた。最後の慰霊祭も企画したがコロナ禍で中止。寂しい解散となった。

 75年前。広島市内の中学校に通っていた玉川さんは、たまたま鉄道が遅れて、爆心地から離れた広島駅にいて生き延びた。原爆で同窓生のほとんどが亡くなった。「戦争は本当に愚かだ。命ある限り、講演や小・中学校の平和学習で体験を伝えていく」と決意を語る。
 

市が養成事業


 広島県坂町では被爆2世が中心となり「坂町原爆被害者友の会」が19年9月に発足。今年、初の慰霊祭を行う。町には18年まで原爆被害者の会があり、役員の高齢化などで解散していた。

 「友の会」は被爆2世の池田節男さん(71)が会長を務め、被爆者らに参加を呼び掛けた。「町内の小学校や大学など若い世代と連携して、被爆体験を語り継いでいきたい」と、意欲を見せる。

 会員の中東ヨシコさん(91)は、当時、広島市内の女学校に通っていたが、休みで助かった。原爆投下の翌日、知人を捜しに市内へ行き、焼け跡を見た。「(原爆の恐ろしさは)見た者でないと分からない」と語る。

 被爆体験の継承へ、広島市では「語り部」の養成事業に取り組む。3年間の研修で被爆体験を1対1で引き継ぎ、伝える技術を身に付ける。20年7月時点で150人が活動中。197人が研修を受ける。市の平和記念資料館も被爆体験の証言ビデオの収録を続け、今年も10人の収録を行う。

 広島県原爆被害者団体協議会の前田耕一郎事務局長は「核兵器をなくすという被爆者の願いの継承、発信が一層必要になる」と話す。(鈴木健太郎)


■この記事の「英字版」はこちらをクリックしてください。

おすすめ記事

地域の新着記事

検索

e農サーチ e農サーチとは