[戦後75年] 恐怖伝える無言の証人

空襲で地面がえぐられてできた「爆弾池」。水面にはトンボが小さな波紋を作っていた(大分県宇佐市で)

 大分県宇佐市川部地区の水田地帯に「爆弾池」と呼ばれる空襲の痕跡が今も残る。戦後75年の歳月で形や大きさは変わったが、元々は南北10・7メートル、東西9・6メートルで、深さが1・2メートルだったとされる。戦争の恐ろしさを忘れないように農家らが残し、平和の尊さを伝え続けている。

 爆弾池は宇佐海軍航空隊の飛行場があった場所にある。1945年4月21日午前、米軍のB―29爆撃機が11分間に500発もの爆弾を投下。建物を焼き、地面をえぐった。

 当時を知る農家の真内清司さん(79)は「空に銀色の機体が光り、その後に耳が聞こえなくなるくらいのごう音が続いた」と振り返る。

 飛行場の跡地は終戦後に、地元農家がカボチャやスイカの畑、水田として活用してきた。爆弾で開いた多くの穴は、この池を除いて埋め戻された。現在は市の指定史跡となっており、今年2月に周辺が整備された。

 真内さんは「池を見ると爆弾の威力が分かる。これを人に向けるのが戦争の怖さだ」と話す。
 

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