[新型コロナ禍 農と食] 「不便」があったかい 見直される街の青果店

買い物中の母親を店の外で待つ幼児2人に、「お利口だね」と声を掛けて見守る関沢さん(東京都狛江市で、栗田慎一写す)

 東京都狛江市の小田急和泉多摩川駅前の商店街にある青果店「丸新青果」店主、関沢元茂さん(78)は3月末、休業の危機に見舞われた。

 新型コロナウイルス禍の影響ではない。力仕事を引き受けていた店員がヘルニアの手術で入院し、仕入れた箱詰めの青果物を抱え運べる人がいなくなった。関沢さんは長年の重労働がたたり腰が曲がっている。店を手伝う姉は80歳だ。

 「もはやこれまでか」。4月初旬の朝、空を仰いだ関沢さんに「運ぶよ」と手を差し伸べたり、「買いに来るから」と励ましたりしたのは青果市場や青果店の仲間、地域の人だった。

 高齢化と後継者難を背景に街の青果店、いわゆる「街の八百屋」が姿を消している。一方で、コロナ禍を機に青果店を見直す人もいる。「八百屋の醍醐味は、農家が育てた良い品を『おいしいよ』と客に手渡せること。何げないけれど、とても大切なこと」。青果業歴60年の関沢さんの誇りだ。
 

減少の一途


 青果店と農家は同じ困難に直面している。

 経済産業省によると、1991年に全国4万6700店あった青果店は、25年後の2016年最新調査で1万8397店と6割も減った。農水省によると、同期間の農業就業人口も463万人から192万人とほぼ同じ減少率だ。一方、スーパーは同期間、1万6200店から2万1000店と3割増えた。

 関沢さんの半生は青果店の盛衰史と共にある。戦時中、長野・信州の農家に5人きょうだいの末っ子として生まれ、中学卒業後に集団就職で上京。18歳からオート三輪やトラックで青果物を売り歩く「引き売りの八百屋」を40年続けた。

 この間、東京の地場産が大半だった野菜は高度成長期に高速道路の整備で地方産が増え、市場はにぎわった。1970年代以降、農業技術の発展やハウス普及で西洋野菜や通年で食べられる品種が登場、季節感がなくなった半面、青果店は繁盛した。しかし、大規模店の出店緩和とマイカー普及で、スーパーに青果店は客を奪われていった。

 60歳が迫り、引き売りに限界を感じた20年前、初めて構えた店は渋谷で廃業した青果店を引き継いだ。2年前に区画整理で立ち退きとなり、現在の店も廃業した青果店。いずれも後継者がいなかった。
 

応援励みに


 緊急事態宣言が全面解除された5月最後の週末、丸新青果はにぎわっていた。腰の治療を終えた店員も戻ってきた。

 幼児の手を引く30代の母親は「スーパーは混雑して不安」と言う。40代の母親は「最近ここで買ったら小学生の娘が『新鮮でおいしい』って」とほほ笑んだ。乳児を抱いた20代の母親は「野菜の食べ方や産地のことを教えてもらった」とうれしそうだ。青果店という「不便」がコロナ禍を境に見直されている。

 夫と2人で開店準備を手伝うのはシンガー・ソングライターの千鶴伽(ちづか)さん(52)。「雨の日に関沢さんが荷下ろしする姿を見ちゃったし、常連客だし」と笑う。経営する府中の青果店を1カ月休んで手伝った杉本昭三さん(78)は「昔、関沢さんから八百屋のイロハを教わった。困った時はお互い様」。

 関沢さんはそんな思いを知った夜、一人暮らしの自宅で泣いた。「僕一人やめて誰が困ると思ったけど、思い上がりだった。体が動く限り八百屋でいよう」

 「キャベツがお薦めよ~ナスがお薦めよ~キュウリがお薦めよ~」。にぎわいが戻りつつある商店街に関沢さんの甲高い声が響く。店の前で自転車を止めた小学生男子が「全部お薦めじゃん」と周囲を笑わせた。(栗田慎一)

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