秋吉久美子さん(女優) 「旬をおいしく」日本の文化

秋吉久美子さん

 私は、母の故郷である静岡県の白糸村(現富士宮市)で生まれました。その後父の転勤のため、一家で四国に行き、6歳の時から福島県のいわき市で育ったんです。

 里帰りとして母に連れられて、よく富士宮に行きました。実家は農家で、トウモロコシ畑があって。祖父はすごく寡黙な人でしたが、いつもニコニコしていたんです。3時のおやつの時間になると、朝に取れたトウモロコシをバケツいっぱいにゆでてくれました。それがおいしくって。おかげで今でもトウモロコシは好物です。

 白糸の滝周辺は、昔はお米が取れる限界地だったそうです。そこよりも高地では米が取れず、代わりにトウモロコシを作っていたそうです。実家の周辺でもトウモロコシ作りが盛んで、その粉を練って団子にして、いろりで焼いて食べたことを思い出します。
 

幼少の好み今も


 米国でもロサンゼルスやサンフランシスコではメキシコ料理が普及しています。そちらに行ったら、私は朝昼晩とタコス(トウモロコシの粉で作ったパンにさまざまな具を挟んだもの)を食べ続けます。それほど好きなのは、子どもの頃の影響でしょう。

 6歳から過ごしたのは、いわき市の小名浜というエリアで漁港の街です。大きなトラックの荷台いっぱいに、取れたてのサンマを積んで運んでいました。

 昔は道が舗装されていなくてボコボコしていました。トラックは急カーブを曲がる時に、荷台のサンマを落としていったんですよ。そうすると主婦たちが、バケツを持って拾いに行く。良い“漁場”でした(笑)。そのサンマがわが家の夕飯になりました。

 今でこそイワシやサンマの握りを生で出すすし屋がありますが、昔は青魚は足が早いから、酢で締めたものしかありませんでしたよね。でも小名浜では当時から、サンマを生で食べていました。母は、うちから200メートルほどの“漁場”で拾ったサンマをさばいてお刺し身にしてくれました。
 

青魚が大好きに


 こうして青魚が大好きになった私は、今でもおすし屋さんに行ったら必ず青魚をいただきます。

 もちろん高級なレストランも大好きですよ。そのような料理は、まさに味覚・視覚の芸術として食べるもの。それとは別に、全国各地で取れた旬の食材の良さを引き出した素朴な料理にも魅かれます。白糸の親戚が作ってくれたワラビのぬか漬けやフキのきゃらぶきを食べた時、こんなにおいしいものがあるのかと思っちゃいました。こういう料理は別格ですよね。

 大学院に通っていた時、仲間に川崎の地主がいたんですよ。それで早稲田都市農地研究会というのを作って、その土地でジャガイモを育てました。私、くわを使って畝を作るのがめちゃくちゃうまかったんです。体力がないからこつをつかむまで大変でしたが、切り込んで、持ち上げて、畝の上に載せるというリズムをつかんでからは上手にできるようになり、皆から感心されました。

 ジャガイモは好きな食材です。カレーやシチューを作る時は、「男爵薯」と「メークイン」の両方を入れます。「男爵薯」は崩れてルーにだしを加えてくれます。「メークイン」は形として残し、具としていただきます。

 もう一つ、「インカのめざめ」も大好き。こちらはそのままゆでて、ほくほくの味わいを楽しみます。

 各地で作られた食材を、一番おいしい方法でいただく。これこそ、自然豊かな日本の食文化だと感じています。(聞き手=菊地武顕)

 あきよし・くみこ 1954年静岡県生まれ。72年に「旅の重さ」でデビュー。74年、「赤ちょうちん」「妹」「バージンブルース」でゴールデンアロー映画新人賞。他に代表作として「あにいもうと」「深い河」など。自身の出演作について、樋口尚文氏と語った『秋吉久美子 調書』(筑摩書房)が18日刊行。
 

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