[未来人材] 27歳。タマネギ新技術を積極的に導入 農業を魅力的“3K”に 吉村諄郎さん 北海道湧別町
2019年09月22日

タマネギの直播栽培に挑戦する吉村さん(北海道湧別町で)
北海道湧別町の吉村諄郎さん(27)は、農業の新たな3Kを提唱する。「きつい」「汚い」「危険」などといった従来のマイナスイメージを「かっこいい」「金持ち」「簡略化」といったプラスイメージに転換し、魅力的な職業にしようと日々奮闘する。所得アップや省力化を目指し、タマネギの直播(ちょくは)栽培など、新たな技術に挑戦する。
道内の農業大学校を卒業した後、畑作を営む実家に就農し6年目。実家ではタマネギ10ヘクタールや小麦、テンサイ、ブロッコリーなど計17ヘクタールを手掛け、経営者の父と、母と共に管理する。現在は農作業全般を担いながら、日々ノウハウを学ぶ。
幼い頃から農作業を手伝ってきた吉村さん。今では楽しさや魅力を感じるが、就農前は仕事のきつさや地味なことが目に付いた。
タマネギを保管する鉄コンテナの組み立てでは、1枚20キロほどの鉄枠を持ち上げ、多い時には1日数十個を作成。収穫したタマネギの選別作業は立ちっ放しだった。吉村さんは「体力、集中力とも今ほどなく、単純作業の繰り返しを辛く感じ、農業はきつい産業と思うことがあった」と振り返る。
転機は農大校時代。道内各地の後継者と共に学び、さまざまな経営スタイルを知った。「畑作の後継者同士で、どんな品目構成がもうかるか話して盛り上がった。畑作業も機械が中心で、あまりきつさを感じなくなった」と心境の変化を語る。
就農後は、町青年団体協議会の活動にも参加し、同年代の異業種の仲間もできた。そこで感じたのは農業は他の産業にない魅力があるということだった。「毎日乗るトラクターは1台何千万円もする。自動車で例えれば高級車と同じくらい」と指摘する。さらに「計画を立て、天気や生育状況を見ながら作業を見極め、トラブルがあれば柔軟に対応する。そして確実に利益を上げて結果を出す」と、農業への魅力も感じるようになった。
“新たな3K”を体現しようと、栽培方法も模索する。収益性向上と省力化に向け、排水性改善やタマネギの直播を実践。育苗を省力化できる直播は地元の上湧別4Hクラブに入り、情報交換しながら進める。
吉村さんは「どんな3Kでもいい。今の農業はかっこいいということを広めたい」と強調した。(川崎勇)
道内の農業大学校を卒業した後、畑作を営む実家に就農し6年目。実家ではタマネギ10ヘクタールや小麦、テンサイ、ブロッコリーなど計17ヘクタールを手掛け、経営者の父と、母と共に管理する。現在は農作業全般を担いながら、日々ノウハウを学ぶ。
幼い頃から農作業を手伝ってきた吉村さん。今では楽しさや魅力を感じるが、就農前は仕事のきつさや地味なことが目に付いた。
タマネギを保管する鉄コンテナの組み立てでは、1枚20キロほどの鉄枠を持ち上げ、多い時には1日数十個を作成。収穫したタマネギの選別作業は立ちっ放しだった。吉村さんは「体力、集中力とも今ほどなく、単純作業の繰り返しを辛く感じ、農業はきつい産業と思うことがあった」と振り返る。
転機は農大校時代。道内各地の後継者と共に学び、さまざまな経営スタイルを知った。「畑作の後継者同士で、どんな品目構成がもうかるか話して盛り上がった。畑作業も機械が中心で、あまりきつさを感じなくなった」と心境の変化を語る。
就農後は、町青年団体協議会の活動にも参加し、同年代の異業種の仲間もできた。そこで感じたのは農業は他の産業にない魅力があるということだった。「毎日乗るトラクターは1台何千万円もする。自動車で例えれば高級車と同じくらい」と指摘する。さらに「計画を立て、天気や生育状況を見ながら作業を見極め、トラブルがあれば柔軟に対応する。そして確実に利益を上げて結果を出す」と、農業への魅力も感じるようになった。
“新たな3K”を体現しようと、栽培方法も模索する。収益性向上と省力化に向け、排水性改善やタマネギの直播を実践。育苗を省力化できる直播は地元の上湧別4Hクラブに入り、情報交換しながら進める。
吉村さんは「どんな3Kでもいい。今の農業はかっこいいということを広めたい」と強調した。(川崎勇)
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畜酪対策で重点要請 家族経営支援を 全中
JA全中は4日、2020年度の畜産・酪農対策に関する重点要請事項を決めた。中小規模の家族経営を含む、多様な生産者の生産基盤の強化などが柱。ICT(情報通信技術)による労働負担の軽減などに支援を求める。……
2019年12月05日
街を歩けば、掲示板の何と多いことか
街を歩けば、掲示板の何と多いことか。標識、標語、宣伝。つい見てしまうのが、お寺の掲示板である▼近くの寺は、ほぼ毎月、更新する。「自分が変われば相手も変わっていく」「実践こそ現状を変える」。説教臭くもあるが、妙にしみる時もある。気になる存在だと思っていたら、なんと「輝け!お寺の掲示板大賞」なるものがあった▼仕掛け人は、仏教伝道協会の江田智昭さん。聞けば、昨年7月、お寺の掲示板の写真の投稿を呼び掛けたのが始まり。4カ月で約700作品が集まった。2018年の大賞は「おまえも死ぬぞ」。お釈迦(しゃか)様こと釈尊の教えだとされる。生と死の本質に迫り、インパクトは絶大。これで認知度が高まった▼掲示板の言葉は、仏の教えから人生訓、著名人の名言までさまざま。寺の個性がにじみ出る。「掲示板はお寺と一般の人の境目にあり、双方をつなぐ存在」と江田さん。今年は925作品が寄せられた。5日に発表された大賞は「衆生は不安よな。阿弥陀動きます」。松本人志さんの「後輩芸人たちは不安よな。松本動きます」をもじったもの。全ての生き物の身を案じた阿弥陀仏の教えを伝えた▼衝撃を受けたのは、大分の寺に掲げてあった一言。「ばれているぜ」。深くて怖い。官邸前に張り出したい。
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2019年12月06日

[岡山・JA岡山西移動編集局] 豪雨被災から1年5カ月 営農再開へ一歩 果樹産地の総社市
2018年7月の西日本豪雨でブドウ園などの農地や農業用施設に甚大な被害を受けた果樹産地・JA岡山西管内の岡山県総社市福谷地区。6日で1年5カ月となる中、営農再開の動きが始まった。県と市の連携で氾濫した高梁川の堤防を整備し、浸水被害を受けた約3ヘクタールの園地をかさ上げする。100年続く農業に向け、地域の話し合いが進み、近く工事が始まる。JAは営農や融資相談で復興を後押しする。異常気象のリスクが高まる中、災害に強い地域農業のモデルとして注目が集まる。(鈴木薫子)
次代に継に向け 堤防整備、園地かさ上げ
同地区は県内有数のブドウの早期加温栽培産地。しかし、園地には、ビニールが剥がれ、骨組みがあらわのハウスや、川から流れてきた大きな岩が目立つ。堤防の決壊で農地の浸水や施設が倒壊。今も園地は豪雨被害発生時のままだ。
県は同地区で約2キロにわたる高梁川の堤防整備に乗り出した。道路から1、2メートル上げる計画で下流側から用地取得を進めている。同地区の他、高梁川に隣接する4地区で計約5キロの堤防を整備。近く工事に着手し、22年度内の完了を目指す。
園地整備は同市が担当する。堤防から下の園地を3、4メートルかさ上げし、堤防と同じ高さにする方針。整備範囲は上流約600メートルで園地は約3ヘクタール。河川などの残土で埋め立て、栽培用に上層60センチはきれいな土で埋め立てを計画する。復旧には、JA担当者も営農再開に向け密に情報交換をする。
ブドウや桃の生産者22人でつくる福谷果樹組合は、被災した18年産売上高は前年産比2割減の6500万円。19年産は上向いたが、被災前水準には達していない。
ブドウ「マスカット・オブ・アレキサンドリア」などを栽培する同組合の温室ブドウ部会の仮谷昌典部会長は、経営面積の半分の10アールでハウス3棟が倒壊。被害を免れたハウスとの距離は30メートル。半分の土地で収益を高めようと栽培に励む。54歳の仮谷部会長は「80代まで農業を続けたい。今が踏ん張り時。復旧に時間がかかるのは覚悟の上で、次世代のために災害に強い農業を復活させたい」と強調する。
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2019年12月03日
規制会議 スマート普及が重点
政府の規制改革推進会議は2日、当面審議する重点事項を決めた。農業分野は、スマート農業の普及に向けた環境整備などを盛り込んだ。これまで規制改革を求めてきた事項で、今後も進捗(しんちょく)状況を重点フォローする事項も決定。農協改革は、信用事業の健全な持続性確保へ代理店方式の活用推進を挙げ、農林中央金庫や信連、全共連の株式会社化は記述から外れた。……
2019年12月03日
日米協定参院委可決 牛肉SG、追加交渉分野 懸念拭えぬまま
日米貿易協定の承認案を巡る参院外交防衛委員会の審議が3日、終了したが牛肉セーフガード(緊急輸入制限措置=SG)の発動基準数量の引き上げや、追加交渉での農産品の扱いなど、同協定が抱える多くの懸念事項は払拭(ふっしょく)されなかった。野党側が追及するも政府側は従来の答弁に終始。国会での議論は消化不良のまま、協定の発効へ最終局面に入る。
農産品で議論になったのは、SGの発動基準の見直しだ。協定の補足文書では、発動した場合、基準を一層高いものに調整する協議に入ることを明記。初年度の基準が2018年度の輸入実績よりも低くSGが発動しやすい半面、協議による基準引き上げの動向が焦点になっている。
立憲民主、国民民主など野党でつくる共同会派の舟山康江氏は「(日本側が)相当不利な書きぶりだ」、共産党の井上哲士氏も「極めて特例的な規定だ」と批判。協定発効後はSGが発動しても税率は発効前の38・5%にしか上がらないことを踏まえ、輸入抑制効果を疑問視した。
茂木敏充外相は、SGの発動について、輸入業者が発動基準をにらんで年度末に輸入量を調整すると見通し、「毎年そういう(発動する)ことが起きるとは想定していない」との認識を示した。内閣官房の渋谷和久政策調整統括官は「協議することは同意したが、先は予断していない」と従来の答弁を繰り返した。
日米が発効後4カ月以内に予備協議し、追加交渉の分野を決めるという規定も論点になった。政府は交渉でまとまらなかった自動車・同部品の関税撤廃期間を追加交渉で扱うと説明してきた。
舟山氏は「自動車の関税撤廃を獲得する時は、何も譲らないと約束すべきだ」とし、農産品などの一層の市場開放をしないよう強く求めた。
渋谷氏は「協定を誠実に履行することが米国にとって望ましい」と協定の基本的な在り方を述べるにとどまり、具体的な対象分野への言及は避けた。
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2019年12月04日
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[未来人材] 33歳。茶の店継承し生産も。闘茶会全国3位に 信用磨き若年層狙う 前野裕蔵さん 大津市
大津市で69年続く前野園茶舗を経営する前野裕蔵さん(33)は、「近江の茶を世間に広めたい」という思いを形にしようと、茶と向き合う。まず目指すのは、茶を鑑定でき信用される存在になること。甲賀市の農事組合法人スタッフとして働く生産者として、今年の茶審査技術大会(闘茶会)では全国3位に入った。一層の技術向上に意欲を燃やしている。
祖父母が営んでいた店を継承したのは24歳。土木作業、工場勤務、専門学校を経て就職し、地元百貨店で服を売っていた。祖父が高齢になる中で、愛着ある店の存廃の話が転機だった。「やめておけ。茶は厳しい」と、父や親戚の茶農家は大反対だった。
継いだ当初、茶業青年団に刺激を受けて、県外で近江の茶を扱う店へ飛び込みで営業した。「自分は後先考えないところがある。自分らしい営業ができればいい」。そう思い、その店で扱っていたものと同じ品を用意し、値を少し下げて納めた。
取引は数回で打ち切られた。長年の取引先との関係もあっただろうが「技術(信用)がない。何も分かってないと思われた」と人づてに聞いた。茶を学び、再び取引をすることが目標になった。「(鑑定技術で)納得できる結果を残したら挑戦しよう」と誓った。
「滋賀の茶はうまいよ。通好みの味だね」。茶を見て実際に飲み、品種を当てて点数を競う闘茶会で聞いた、静岡の人の言葉が印象的だった。長崎の生産者からも「問屋の見る目がないから茶業界が傾いている」と言われ、はっとした。
2018年からは、生産から販売まで一貫して行う法人で働きながら、茶について学んでいる。店の経営と一人二役。「近江の茶を広めるには、自分がどれだけ動けるのだろうか」と考える。
前野さんは若い頃、大阪や名古屋のクラブに遠征して遊んだ。「青春だった頃とは違うが、憧れは今もある」という。
若者が集うクラブで試したいことがある。「茶を使って、健全に格好よく楽しめること。企画を店に持ち込み、あっと言わせたい」。茶と若者を近づける。具体策を明かすにはまだ早いが、構想は固まっている。(加藤峻司)
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2019年12月01日

[未来人材] 25歳。 ブドウ農園借り就農、SNSで活発に情報発信 直売PR 数々の工夫 原田勇さん 愛知県みよし市
「みよし市のブドウといえば『いさむ農園』と言ってもらえるようになりたい」と語るのは愛知県みよし市の原田勇さん(25)。情報発信に力を入れ、インターネットを駆使。さまざまな方法で農園をPRしている。周辺では離農する農家が増える中、市内のブドウ農家のホープだ。
高校を卒業した後、コンピューターの専門学校に2年通い、就職先の幅を広げるため大学の商学部に編入した。転機となったのは、水稲の兼業農家だった父親がサラリーマンを辞めて、白ネギ栽培を始めたことだった。
父は趣味程度だったものの「勉強して真剣に農業をやれば専業でできるのではないか」と感じたという。栽培品目を検討している時に、離農するブドウ農園を知り、約30アールの園地や農機具倉庫などを借りられたことが就農を後押しした。
大学卒業後、1年間は農業大学校に通いながらブドウ農家で研修を受け、自園の管理をする日々を過ごした。その中で「食べる人の顔を見て販売したい」という思いが膨らんだ。2018年5月に自身の名前から取った「いさむ農園」を開園。直売を実現するため、力を入れているのが情報発信だ。「知ってもらわなければ来てもらえない」と、農園を紹介するホームページ(HP)を自作し、ロゴマークもオリジナルだ。
日々の作業風景や販売情報はインターネット交流サイト(SNS)の「インスタグラム」を使い、随時更新する。17年から始め、フォロワーは4400人超。近隣住民が来てくれるよう、投稿には必ず周辺市のキーワードを入れるなど工夫する。農機具倉庫に併設した直売所には、投稿を見て来る人が増えた。
今年は初めてインスタグラムを通じて農作業ボランティアを募集。近隣に住む20~40代の男女4人が集まり、「見ず知らずの人が来てくれ、思いも寄らなかった」と驚いたという。来年は自らデザインした包装袋で販売する。透明な包装袋が多い中、裏面を茶色にし、ロゴとHPなどにつながる2次元コード(QRコード)を入れた。
地域の担い手が減り、園地を任せてくれる人も現れた。園地が90アールに広がる中、自分らしい経営を追い求める。
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2019年11月24日

[未来人材] 38歳。酪農経営4年半、県内外で新規就農呼び掛け 後継者不足打開探る 相場博之さん 栃木県那須町
栃木県那須町の相場博之さん(38)は、県内でも数少ない酪農の新規就農者だ。2015年から町内で畜舎を借りて営む。当初の飼養頭数は乳牛30頭だったが、4年半がたつ今年11月には約90頭に増やすなど、経営規模を拡大。県内外のイベントで酪農の魅力を発信し、活動の幅を広げている。
相場さんは、東京都足立区出身。子どもの頃から興味があったのが「走る姿やシルエットの美しさに魅せられた」という馬だ。将来は厩務(きゅうむ)員になろうと、北里大学動物資源科学科に進学した。
卒業後は動物に関わる仕事として、群馬県や福島県の大規模農場で働き、和牛の肥育や酪農に従事。その頃に「自らの責任で牛を育てたい」と思うようになり、牧場経営を目指したという。
さらに、栃木県茂木町と那須塩原市の牧場で約4年間働いた後、廃業して使われなくなった牛舎を借りられることになり、15年5月に那須町で「相場牧場」を始めた。
現在、相場さんは町内に住み、妻と妻の両親、子ども2人の6人で暮らす。だが朝から晩までほとんど家には戻らず、約3キロ離れた牧場で過ごす。「牛には1頭ずつ個性がある。餌の食いつきやちょっとしたしぐさなどからも、体調の変化を見抜く必要がある。何かあってはいけないから」と表情を引き締める。
相場さんは、栃木県酪農業協同組合が東京で開く酪農就農応援セミナーに参加し、酪農の魅力を発信する活動にも取り組んでいる。後継者不足から周囲でも酪農をやめる人がいて、使われなくなった牛舎が出ていることから、地域の損失になると危機感を抱いているからだ。
「自分たちが酪農で生活できている実情を伝えることで、酪農に携わりたいという人が一人でも現れてほしい。仲間ができれば楽しくなる」と相場さんは訴える。
今後の経営については「当面、頭数は増やさない」方針だという。理由は「牛にストレスを与えない、寝転がれるスペースのある現状を維持したいから」で、牛の飼養環境を大切にした酪農を重視する考えを強調する。(中村元則)
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2019年11月17日

[未来人材] 33歳。仲間と切磋琢磨する削蹄師 めざすゴール日本一 東海林優さん 北海道江別市
北海道江別市の東海林優さん(33)は、牛の健康を保つためにひづめを削って形を整える削蹄(さくてい)師だ。「牛を飼う以外で、牛と関われる仕事があるんだ」と興味を持ち、10年ほど前に削蹄の世界に飛び込んだ。牛の足を持ち上げて削る作業は体力的につらいが、牛に合わせて削り方を変えることに難しさとやりがいを感じている。
士別市の出身。興部町の酪農家で働いていた時に、初めて削蹄師を見て、格好良いと感じたという。牛が好きだった東海林さんは、開業に多くの資金がかかる酪農家に比べて「削蹄師は借金を背負わないで牛に関われる仕事」だと考えた。
「やるなら日本一になりたい」との思いで、江別市で70年の歴史を持つ久津間装蹄所の門をたたいた。同所3代目の久津間正登専務は、牛削蹄の全国大会で日本一に輝いた経歴を持つ。東海林さんは電話で「削蹄師になりたい」と思いを伝えた。
牛の削蹄は、年に2回程度が一般的。ひづめが伸び過ぎると足や関節を痛め、乳量や肉質の低下など健康に悪影響が及ぶ。伝統的な削蹄の手順は、まず牛の足を地面に着けたまま専用のなたとつちで外側を切り落とす。次に牛の足を1本ずつ抱え、中心部をへこませるようにひづめの裏側を削っていく。
「飼い方や牛の状態によって切り方を変えることが、すごく難しい」と東海林さんは話す。床が硬いコンクリートの牛舎や、牛が自由に動き回れるフリーストール牛舎では、自然に削れる分を考えて長めに切るという。また、人間と同じようにひづめの生え方は一頭ずつ違うため、それぞれに適した削り方が求められる。
東海林さんにとって、同所で共に働く新知幸さん(30)は仲間であり、良きライバルだ。「相手の良いところ、悪いところを見て、自分のやり方を直す」と話す。日本一になるという同じ志を持ち日々、切磋琢磨(せっさたくま)して仕事に励んでいる。
2人は7日に開かれた全国大会に出場した。最優秀賞で日本一に輝いたのは新さん。東海林さんは優秀賞を獲得した。大会前、「日本一に手が届くところまで来ているので頑張りたい」と話した東海林さん。今後も日本一を目指し一頭一頭、丁寧にひづめを削っていく思いだ。(洲見菜種)
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2019年11月10日

[未来人材] 32歳。地区のJAミニトマト部会で改革けん引 規格統一やPR成果 谷口悠悟さん 長崎県諫早市
長崎県諫早市のミニトマト農家、谷口悠悟さんは、32歳という若さで、所属するJA生産部会を部会長として引っ張る。就任後わずか数年で、出荷規格の統一、販売促進に使うポスターやジャンパーの制作を相次ぎ実現した。「やってみたいことは何でもやる」が信条。自らの栽培技術も惜しみなく仲間と共有し部会の「自己改革」で成果を挙げている。
谷口さんはJAながさき県央南部地区ミニトマト部会に所属する。長崎県立農業大学校で学んだが、当時の専攻は花き。縁がなかったミニトマト栽培に乗り出したのは、今でも「農業の師匠」と仰ぐ、農事組合法人アグリポート森山の水頭貞次組合長の勧めだった。「周辺は干拓地でミニトマトの栽培に最適だ」。その言葉に納得し、水頭組合長の下で3年間学んだ。
26歳で独立するとすぐ部会に入った。驚いたのは部員たち。谷口さんが入会3年目に10アール収量で13・5トンという、部会一番の結果を出したからだ。部会平均を3割以上上回る好成績。水頭組合長から学んだ液肥の葉面散布が効果を発揮した。当時は一般的な手法でなかったため、周囲は効果に半信半疑。だが、翌年も収量を伸ばす谷口さんを見て、技術を聞きに来るようになった。谷口さんは惜しみなく部員にノウハウを伝えた。
入会から3年後、仲間からの信頼を集めた谷口さんは部会長に就任。全体の評価を高めるため、出荷規格の見直しに着手した。それまで出荷サイズや1パック 個数もばらばらだったためだ。PR活動にも力を入れた。部会員で意見を出し合い、ポスターやブランドロゴ入りのジャンパーを作成した。
活動の成果で部会に対する市場側の評価は上昇。JA南部営農センターの木下信幸係長も「期待の部会長。まとめる力があり、将来性十分」と認める。部会には谷口さんの親世代の人も在籍するが、その中でも巧みにリーダーシップを発揮。活発な活動に誘われ、今年度は部会に就農者が2人加わる予定だ。
仲間と共に課題を乗り越えてきた谷口さん。地元産ミニトマトの評価を高めるため「若くてもこれだけできるのだと知ってもらいたい」と意欲を燃やし続ける。(木村隼人)
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2019年11月03日

[未来人材] 37歳。Iターン就農、肥料抑えたイチゴ好評 規格外品もPR材料 山中歩さん 山口県岩国市
山口県岩国市の山中歩さん(37)は、肥料を極力使わない栽培方法でイチゴの味にこだわる。2009年に夫婦でIターン就農し、20アールでイチゴ農園を経営。口コミで顧客を増やし、地元の牧場や養蜂家と協力してジェラートも開発した。就農して10年の今年、夫婦で家族経営協定を締結。地域の女性農業者のモデルとして期待がかかる。
農家の出身ではないが、梨農家の祖父母の影響などで「将来は農業をやりたい」と考えていた。
筑波大学大学院で植物病理学を学び、卒業後は東京の農薬メーカーに就職。結婚を機に、IT企業に勤めていた夫の健生さん(39)と相談し、夫婦で就農を決めた。
山口県の就農支援制度を使い、2年間の農業研修を受けた後、健生さんの出身地、岩国市由宇町でイチゴの栽培を始めた。「イチゴ本来のおいしさを味わってほしい」と、栽培では肥料をできるだけ使わない。就農当初は苗の3分の1が枯れたり、電照の調整を誤って花芽が付かなかったりと失敗を重ねた。
イチゴの販売は主に、ハウス横の事務所兼選果所で行う。正規品は1パック 300グラムで500円だが、小さいものを規格外品として1パック 200円で売ったところ「おいしいイチゴが安い」と口コミが広がった。正規品のリピーターにつなげ、昨年の売り上げは750万円に伸びた。「イチゴが営業してくれる」と手応えを感じる。
栽培11年目の今年は、農閑期の6~11月の収入確保のため、加工品としてジェラートを開発した。「地産地消」をテーマに、市内の酪農家、養蜂家と協力。イチゴ、牛乳、蜂蜜のジェラートを3層構造にして三つの味がそれぞれ楽しめるように工夫し、道の駅などで売り出した。
経営の参考にしようと、県主催のセミナーなど、女性農業者の集まりに積極的に参加し、ネットワークを広げる。県岩国農林水産事務所は「仕事にひたむきで生活設計もしっかりしている。地域の女性農業者のモデルになる存在だ」と評価する。
10月15日に県の勧めで家族経営協定を結んだ。「夫婦で認識を合わせ、今年は売り上げ1200万円を目指す」と、着実に歩みを進める。(鈴木健太郎)
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2019年10月27日

[未来人材] 30歳、28歳。養鶏場継ぎ経営二人三脚 父築いた白鳳卵発展 阪本雅さん、未優さん 奈良県五條市
奈良県五條市の阪本雅さん(30)、未優さん(28)姉妹は「さかもと養鶏場」を経営する。実家の養鶏場を担っていた父親の死を乗り越え、20代半ばで家業を継いだ。小まめな管理や飼料にこだわり、父親から継いだ独自ブランドの「白鳳卵」を生産。「臭みがなく、甘味がある」と県内外から消費者らが買いに訪れるほどの人気だ。「女性が経営する養鶏場のモデルになりたい」と力を込める。
2016年に養鶏場を継いだ。大学、短大を卒業して県外で働いていた2人に転機が訪れたのは14年12月。「お父さんにがんが見つかり余命1年と宣告された」。母親からの突然の電話だった。悩んだ末、両親の側にいるべきだと考え、15年春に姉妹で実家に戻った。
「子どもの頃手伝いをしたことはあったが、養鶏のことは右も左も分からなかった」と未優さん。父親の闘病中は、家族総出で養鶏場を回した。しかし、同年6月に父親が亡くなった。続くように9月には母親にも病気が見つかった。実家の養鶏をどうするか岐路に立たされた。
実家は50年以上前から養鶏を続けており、長年、卵を買い続ける常連客がいた。廃業にかかる費用なども心配だった。「続ける努力をしないで廃業してしまっていいのか」。家族で話し合いの末、続けていくことを決断。法人化し、社長に未優さん、専務に雅さんが就いた。管理方法などは地元の養鶏農家らの協力も得て学んでいった。
現在は採卵鶏1万1000羽を飼養。年間約200トンの卵を出荷する。現場は未優さんが担当し、毎日の見回りなど小まめな管理を徹底する。「鶏も人と一緒で快適な環境がいいはず」と、鶏舎の温度変化に気を使う。餌はチキンミールを配合した独自の飼料を与える。「臭みがなく、おいしい卵になる」という。
雅さんは、事務や経理などを担当。美術系の大学を卒業し広告会社で働いていた経験を生かして、商品のラベルも手掛けた。ピンクを基調にし「姉妹で生産していることが分かるよう、女性らしいデザインに仕上げた」(雅さん)。自社直売所の装飾も手掛け、自らペンキ塗りなどをした。
2人は「今後は、総菜や加工品にも挑戦し、五條市に人を呼び込めるような取り組みをしたい」と話す。(藤田一樹)
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2019年10月20日

[未来人材] 37歳。郷土料理「鶏ちゃん」の店開き地元産こだわる 愛する味多くの人に 高橋良子さん 岐阜市
岐阜県奥美濃地方を中心に、廃鶏を活用しようと味を付けて食べたことから始まり、郷土料理として定着した「鶏ちゃん」。下呂市出身の高橋良子さん(37)は岐阜市内でこの鶏肉料理の専門店を開いた。
経営の経験はなかったが、大好きな「鶏ちゃん」の専門店を持ちたいと思い続け、警察官から転身した。提供する食材や酒は岐阜産にこだわり、米は農家から直接仕入れる。観光客へのアピールにも力を入れ、郷土料理を通じて地域を盛り上げようと奮闘する。
テレビドラマの刑事に憧れて岐阜県警の警察官になった。やりがいは感じていたが、仕事で経験を重ねるうちに「もっと自分のやりたいことをしたい」と思うようになった。思い浮かんだのは、子どもの時から食べ親しんできた「鶏ちゃん」。20代から「いつかは専門店を開きたいと言い続けてきた」と高橋さん。
後押ししたのはキャリアアップのため通い始めたビジネススクールだった。休日を利用して経営学修士(MBA)の基礎スキルなどを2年かけて学んだ。ビジネススクールでの学びや仲間に刺激を受け、自由な世界を感じ、決心した。約17年半勤めた警察を退職し、2018年11月に岐阜市内で「けいちゃん ほそ江」をオープンした。
「鶏ちゃん」は、鶏肉と野菜をみそやしょうゆなどで味付けして炒めて食べるが、その味付けは地域や家庭により千差万別だという。高橋さんの「鶏ちゃん」への愛は強く、「岐阜の名物として世界で知られるほど有名にしたい」と夢を描く。
観光で岐阜を訪れても交通の便が良くなく、土地の名産が食べにくい。そこで、岐阜市内に店を構え「ここで岐阜料理を味わってほしい」と思いを込める。例えば、米は地元の下呂市の農家から購入する。焼酎や日本酒も酒蔵まで出向いて仕入れる。作り手の思いを店頭で客に伝えたいと、今年の春には田植え前の田んぼにも出向いた。
「鶏ちゃん」を求めて土・日曜日は店内は観光客でにぎわう。高橋さんは「鶏ちゃんを通じて県外の人にも岐阜に来てもらい、地元の米や酒、農産物の魅力を知ってほしい」と話す。(木村薫)
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2019年10月14日

[未来人材] 39歳 “果実の宝庫”をPR シードル造りで 地域盛り上げ奮闘 入倉浩平さん 長野県伊那市
長野県伊那市でシードル(リンゴの発泡酒)造りに打ち込むのは、入倉浩平さん(39)だ。異業種から参入し農業経験はなかったが、周囲の農家のアドバイスを基にリンゴ栽培に成功。地元の農家から買い入れたものと併せて、自家栽培の果実も原料に使う。2019年には、国際的なコンテストで最高位の賞に輝き、シードル造りを通して地域を盛り上げようと奮闘する。
東京で生まれ育った入倉さん。シードル造りの原点は、同市出身の祖母との思い出だ。「リンゴもよく東京に送ってくれた。そのおいしさが忘れられなかった」と振り返る。
転機は11年。勤務していた介護事務所が東日本大震災をきっかけに、事業の多角化に乗り出し、農業分野に挑戦することになった。具体的にどの分野に挑戦するかと考えた時、祖母との思い出からリンゴが思い浮かんだ。入倉さんは「加工品はジュースやアップルパイぐらいしかない。もっと可能性があるのではないかと考え、好きだったシードル造りに挑戦することにした」と話す。
12年から3年間、醸造技術などを学ぶ都内の専門学校に通い、15年には長野県山形村のワイナリーで修行。16年、介護事務所が伊那市内にカモシカシードル醸造所を開設し、入倉さんが所長を務めている。
シードル造りでは、周辺の農家から、傷が付くなどして生食用の出荷が難しいリンゴを受け入れる。「おいしいシードルを造りたい」という一心で、約1ヘクタールでシードルに向く酸味が強い15品種の栽培も手掛ける。
だが、農業の知識がゼロだった入倉さんにとって農作業は未知の世界だった。右も左も分からない、そんなときに力を貸してくれたのが、周囲でリンゴを作る農家だった。入倉さんは「天敵のカミキリムシへの対処法や、栽培方法などを助言してくれて助かった」と感謝する。
今後は、カルバドス(リンゴの蒸留酒)造りにも挑戦する予定。さらに、地域で収穫できるブルーベリーやカシスなどを使った酒を造れないかと夢を描く。入倉さんは「長野は果実の宝庫。地元の素材をさらに生かして農業もPRできれば最高だ」と笑顔を見せる。(藤川千尋)
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2019年10月06日

[未来人材] 27歳。タマネギ新技術を積極的に導入 農業を魅力的“3K”に 吉村諄郎さん 北海道湧別町
北海道湧別町の吉村諄郎さん(27)は、農業の新たな3Kを提唱する。「きつい」「汚い」「危険」などといった従来のマイナスイメージを「かっこいい」「金持ち」「簡略化」といったプラスイメージに転換し、魅力的な職業にしようと日々奮闘する。所得アップや省力化を目指し、タマネギの直播(ちょくは)栽培など、新たな技術に挑戦する。
道内の農業大学校を卒業した後、畑作を営む実家に就農し6年目。実家ではタマネギ10ヘクタールや小麦、テンサイ、ブロッコリーなど計17ヘクタールを手掛け、経営者の父と、母と共に管理する。現在は農作業全般を担いながら、日々ノウハウを学ぶ。
幼い頃から農作業を手伝ってきた吉村さん。今では楽しさや魅力を感じるが、就農前は仕事のきつさや地味なことが目に付いた。
タマネギを保管する鉄コンテナの組み立てでは、1枚20キロほどの鉄枠を持ち上げ、多い時には1日数十個を作成。収穫したタマネギの選別作業は立ちっ放しだった。吉村さんは「体力、集中力とも今ほどなく、単純作業の繰り返しを辛く感じ、農業はきつい産業と思うことがあった」と振り返る。
転機は農大校時代。道内各地の後継者と共に学び、さまざまな経営スタイルを知った。「畑作の後継者同士で、どんな品目構成がもうかるか話して盛り上がった。畑作業も機械が中心で、あまりきつさを感じなくなった」と心境の変化を語る。
就農後は、町青年団体協議会の活動にも参加し、同年代の異業種の仲間もできた。そこで感じたのは農業は他の産業にない魅力があるということだった。「毎日乗るトラクターは1台何千万円もする。自動車で例えれば高級車と同じくらい」と指摘する。さらに「計画を立て、天気や生育状況を見ながら作業を見極め、トラブルがあれば柔軟に対応する。そして確実に利益を上げて結果を出す」と、農業への魅力も感じるようになった。
“新たな3K”を体現しようと、栽培方法も模索する。収益性向上と省力化に向け、排水性改善やタマネギの直播を実践。育苗を省力化できる直播は地元の上湧別4Hクラブに入り、情報交換しながら進める。
吉村さんは「どんな3Kでもいい。今の農業はかっこいいということを広めたい」と強調した。(川崎勇)
2019年09月22日