[未来人材] 26歳。大農家・父の背中追い若手6人で新会社設立 トマトの概念変える 滋賀県甲賀市 今井大智さん
2021年01月17日

「トマトの概念を変えたい」と夢を語る今井さん(滋賀県湖南市で)
滋賀県甲賀市の今井大智さん(26)は、同じ農業生産法人で働く20代の若者だけで会社を立ち上げ、先端技術を駆使した高糖度トマト栽培に取り組んでいる。“本業”の傍ら、早朝や夜などの勤務時間外を使って、仲間とトマト栽培に明け暮れる日々を送る。若手だけで何か新しいことに挑戦したい――。農業の魅力に取りつかれた若者が新たな一歩を踏み出した。
「これはもう、トマトの形をしたあめ玉だ」。“異次元”の甘さが特徴の自慢のトマトについて、今井さんは笑顔で話す。
実家は県内でも指折りの大農家だ。100ヘクタールを超える広大な農地で米や野菜を生産する他、市内で農産物直売所やレストランも経営する。ただ「元々農業にそれほど関心があるわけではなかった」と振り返る。
転機となったのは大学2年生の時。授業で訪れたインドだった。餓死した人の遺体が街中に横たわる光景が今でも脳裏に焼き付く。「がらりと世界観が変わった」。食のありがたみを実感した。食を供給する農業の大切さにも気付かされた。
大学卒業後は1年間、専門学校で農業の基礎を学んだ。23歳で実家の農業生産法人に就職した。
就職後は、法人の代表でもある父の背中を追うようになった。父は29歳の時には地域の後継者仲間をまとめ上げ、麦や大豆に特化した法人を立ち上げ、新たな事業を手掛けていた。「何か新しいことに挑戦したい」という思いが、常に頭の片隅にあった。
そんなとき、農産物の甘味を最大限引き出す「アイメック農法」に特化した高機能ハウスを、地域の事業者が手放すという話が舞い込んだ。
昨年10月、自身を含め法人で働く20代の若手6人で新会社「ROPPO(ロッポ)」を設立。各メンバーが踏み出す「1歩」を足した「6歩」にかけて名付けた。ハウス1棟で1200本のトマトを栽培。これまで通り法人で働きながら、勤務時間外をフル活用して運営する。
高級果実のようにトマトを箱詰めして贈答用に──。「“異次元”の甘さを武器にトマトの概念を変えたい」。販路開拓や会社運営など慣れないことばかりだが、夢に向かって突き進む。
新会社のインスタグラムアカウントは、ほぼ毎日更新。「消費者は生産者の顔を見て農産物を買う」との考えから、消費者への情報発信を重視する。投稿する写真は週末に撮りだめする。手描きのイラストなども織り交ぜ“映え”を意識する。
現在は、「3秒で友達になれる」といったキャッチコピーと共にメンバーを紹介、ファンづくりに取り組んでいる。
「これはもう、トマトの形をしたあめ玉だ」。“異次元”の甘さが特徴の自慢のトマトについて、今井さんは笑顔で話す。
実家は県内でも指折りの大農家だ。100ヘクタールを超える広大な農地で米や野菜を生産する他、市内で農産物直売所やレストランも経営する。ただ「元々農業にそれほど関心があるわけではなかった」と振り返る。
転機となったのは大学2年生の時。授業で訪れたインドだった。餓死した人の遺体が街中に横たわる光景が今でも脳裏に焼き付く。「がらりと世界観が変わった」。食のありがたみを実感した。食を供給する農業の大切さにも気付かされた。
大学卒業後は1年間、専門学校で農業の基礎を学んだ。23歳で実家の農業生産法人に就職した。
就職後は、法人の代表でもある父の背中を追うようになった。父は29歳の時には地域の後継者仲間をまとめ上げ、麦や大豆に特化した法人を立ち上げ、新たな事業を手掛けていた。「何か新しいことに挑戦したい」という思いが、常に頭の片隅にあった。
そんなとき、農産物の甘味を最大限引き出す「アイメック農法」に特化した高機能ハウスを、地域の事業者が手放すという話が舞い込んだ。
昨年10月、自身を含め法人で働く20代の若手6人で新会社「ROPPO(ロッポ)」を設立。各メンバーが踏み出す「1歩」を足した「6歩」にかけて名付けた。ハウス1棟で1200本のトマトを栽培。これまで通り法人で働きながら、勤務時間外をフル活用して運営する。
高級果実のようにトマトを箱詰めして贈答用に──。「“異次元”の甘さを武器にトマトの概念を変えたい」。販路開拓や会社運営など慣れないことばかりだが、夢に向かって突き進む。
農のひととき
新会社のインスタグラムアカウントは、ほぼ毎日更新。「消費者は生産者の顔を見て農産物を買う」との考えから、消費者への情報発信を重視する。投稿する写真は週末に撮りだめする。手描きのイラストなども織り交ぜ“映え”を意識する。
現在は、「3秒で友達になれる」といったキャッチコピーと共にメンバーを紹介、ファンづくりに取り組んでいる。
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ブドウ収穫量 最低 20年産 5%減、16万トンに
2020年産のブドウの収穫量が16万3400トンとなり、前年産より9300トン(5%)減ったことが農水省の調査で分かった。1973年の統計開始以降、最も少ない。主産地の山梨県や岡山県での天候不順などが響いた。果実を収穫するために実らせた結果樹面積は、ほぼ前年並みの1万6500ヘクタールだった。
10アール当たり収量は前年産に比べ50キロ少ない990キロで、11年産(970キロ)に次いで過去2番目に少なかった。収穫量が全国1位の山梨県と同4位の岡山県で、7月の日照不足、8月の高温少雨で果粒の軟化や肥大不良が発生。山梨県でべと病や晩腐病などが発生したことも影響した。
収穫量は13年産から8年連続で減少。農家の高齢化などで、生産基盤の弱体化に歯止めがかかっていない。同省は、昨年改定した果樹農業振興基本方針で、ブドウを含む果樹の生産基盤強化に向け、生産性の向上が見込める省力樹形の導入を推進する方針を掲げた。
21年度予算案には、ブドウの改植で根域制限栽培を導入する場合に10アール当たり100万円を助成するなど果樹支援対策に51億円を計上している。
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2021年03月01日
コロナ下の対応 鍵握る信頼関係 普及指導員に全国調査 日本農業普及学会
新型コロナウイルスの拡大で、普及指導員が活動に影響を「大いに感じた」「感じた」が9割に上ることが4日、日本農業普及学会の調査で明らかになった。同日の春季大会で報告した。同学会は「電話やメールなどでも一定の対応ができる。農業者と信頼関係を築き、普及活動を進めることが課題だ」と指摘した。……
2021年03月05日

イネもみ枯細菌病を抑制 4種の 「善玉菌」 発見 農研機構
農研機構は3日、稲の重要病害、イネもみ枯細菌病=<ことば>参照=の発症を抑える微生物を発見したと発表した。稲自身から見つかった4種類の細菌で、稲の体内の微生物のバランスを取り、病原菌を抑える「善玉菌」と考えられる。同病は決定的な防除方法がないため、微生物農薬など有効な防除資材の開発に役立つとみる。
善玉菌は、イネもみ枯細菌病に感染した稲の幼苗から見つかった。……
2021年03月04日

[震災10年 復興の先へ] 「戻らない」5割 避難先での生活定着 復興庁など 福島県4町住民意向調査
東京電力福島第1原子力発電所事故の影響を受ける双葉、大熊、富岡、浪江4町の住民のうち、避難先から「戻らない」と考える人が5割を占めることが復興庁などの2020年度調査で分かった。19年度と比べて4町とも帰還した住民は増えているが、戻らない人の割合の方が依然高い。既に避難先での生活が定着し、帰還しにくい人が多いことが背景にある。
「戻らない」の割合を町別にみると、双葉町が62・1%、大熊町が59・5%、富岡町が48・9%、浪江町が54・5%。いずれも19年度調査とほぼ同じ水準のまま変わっていない。
帰還しない理由は、富岡町では「既に生活基盤ができている」が最多の60・1%。大熊、浪江各町も同様に最多だった。双葉町も「避難先で自宅を購入し、今後も住む予定」がトップだった。避難生活が長期化する中、仕事が定着したり、友人が増えたりしたことで、元の町に戻るのを見合わせるケースは多い。
一方、4町とも帰還するかどうか「まだ判断がつかない」が2割程度いた。帰還を判断するのに必要な条件として多く挙がったのが医療・介護施設の確保。「医療・介護の復旧時期のめど」が最多の56・8%だった浪江町を含め、各町とも同様の回答がトップだった。
避難指示が一部解除された大熊、富岡、浪江各町は、いずれも10%未満ながら「戻っている」との回答があった。最も高かったのは富岡町の9・2%で、前年度から1・7ポイント増えた。各町とも19年度を上回った。
帰還を決めた理由は「(帰還先の)生活は気持ちが安らぐ」が多く、浪江町は68・8%、富岡町は52・4%だった。大熊町は「役場機能が再開した」が最多の43・5%。故郷を思う気持ちに加えて、行政機関が機能していることが帰還の動機になっている。
今回の調査は4町に加えて、川俣町山木屋地区も対象。「戻っている」との回答は37・8%で、19年度調査と同様に一定数が帰還している。避難指示区域が解除されていることも影響しているとみられる。
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2021年03月03日
農地所有適格法人 現行要件 「支障」2割 規制会議に調査示す 農水省
政府の規制改革推進会議農林水産ワーキンググループ(WG)は5日、農地所有適格法人の議決権要件緩和を巡り、農水省に意見を聞いた。同省は、現行要件では資金調達などに「支障がある」とする法人が約2割だったとの調査結果を提示。農業関係者が今後も経営権を確保する必要性を示しつつ、一定の条件下で出資による資金調達の在り方についても検討する必要があるとの考えを示した。
同会議は、「農業者の資金調達の円滑化」を名目に、同法人の議決権要件緩和に関心を示す。……
次ページに調査結果の表があります
2021年03月06日
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[未来人材] 23歳。シュンギク周年栽培 10アール収部会平均の2倍 夢だった専作を実現 福岡市 福田篤さん
福岡市のシュンギク農家、福田篤さん(23)は、地域で難しいとされていた周年栽培で「シュンギク一本で食べていく」という夢を実現した。約30人が所属するJA福岡市春菊部会西支部で、最年少ながら部会平均の10アール当たり収量の約2倍を達成。JAも期待する若手農家として、部会を引っ張る。
兼業農家だった祖父を手伝う中で、農業が好きになった。12歳の時に祖父が亡くなったが、会社勤めの両親は農地を継がなかった。「それなら俺が引き継ぐ」と決意。20歳でハウスを継ぎ、小松菜とシュンギクの栽培を始めた。
シュンギクは高温や病害虫に弱いため、近隣では冬場に育てて、夏場は小松菜や水菜を育てる。福田さんもそれに倣って始めたが、経験不足で収量が安定せず、1年目で「やめようと思った」という。
迷いが生じた時、シュンギク農家の浜地和久さん(70)に出会った。周年出荷で部会首位の収量を維持し、休暇も確保してシュンギク一本で稼ぐ浜地さんに、衝撃を受けた。自分もシュンギク一本でやる――。浜地さんに師事しながら誰よりも必死に勉強し、就農2年目にはシュンギクに一本化した。
夏場の収穫は「ひと手間」が大きく左右する。部会では米ぬかを土壌にまいて被覆消毒をするが、一輪車などに載せてまくことが多く、場所によってばらつく。
福田さんはいったん小分けにした米ぬか袋を5メートル間隔に置き、隅々まで均一に散布することで、夏の収穫量を安定させている。かん水の間隔も、根が効率よく吸水する浸透基準を基にする。「忙しいからと手を抜いたり、作業を後回しにしたりすると、夏場は一瞬で駄目になる」という。
周年栽培は徐々に安定し、就農当初の迷いもなくなった。20年には部会の10アール平均収量が3・5トンの中、同6トンを達成した。JA西グリーンセンターの井浦健士郎さんは「部会約50人の中で、夏場に安定出荷をする会員は1割程度だ。技術力が高い」と感嘆する。
近隣農家が諦めた周年出荷を実現したことで「親も見直しているのではないか」と福田さんは誇らしげだ。
農のひととき
福岡のシュンギクは生でサラダがお勧め。妻は市外出身で、初めて生で食べて感動した。昨年生まれた子どもも、離乳食としておいしそうに食べている。
農業は仕事とプライベートの時間を調整できる点が魅力。就農当初は休みを取れなかったが、今は週休2日を確保。家族と過ごす時間を大切にしている。仕事のやる気にもつながる。
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2021年03月07日

[未来人材] 36歳。コンサルから転身 Jターンし夢を実現 雪害負けず規模拡大 岡山県高梁市 津山純平さん
岡山県高梁市の津山純平さん(36)は、13年勤めた大手流通企業を退職し、2020年春にトマト農家として新規就農した。都会でコンビニのコンサルティング業務に携わっていたが、独立への憧れと家族との時間を優先させたいとの思いから、Jターン移住を決断。物を売る側から作る側へと立場を変えた。就農直後には雪害に襲われ、自然の脅威を実感したが、それでも、失敗を恐れず挑戦し続ける。
津山さんは同県倉敷市出身。大学卒業後は、東京都と愛知県で、コンサルティング担当として業務に励んだ。個人事業主を相手に、店舗立ち上げから経営指導、品ぞろえ、従業員の教育まで、関わった店舗数は100以上だ。
激務で休日もなく、35歳を前に将来を考え直した。就職後に引っ越しを6回経験し「好きな仕事だったが、地に足を着けて仕事をしていないような気がした」と津山さん。夢だった独立を決意し、興味があった農業経営を選んだ。
移住先は、互いの実家に行き来しやすいよう、倉敷市と妻の出身地の島根県出雲市との中間地になる高梁市備中町に決めた。19年4月に移住し、採算性が高い夏秋トマトを栽培しようと、ベテラン農家の下で1年間研修した。
20年に、離農した農家のハウス12アールを引き継ぎ、独立。しかし、苗の定植直前の4月中旬、季節外れの大雪で3アール分のハウス4棟が倒壊してしまった。栽培に備え早めに準備していたことが響いた。「農業は自然との闘い」と聞いてはいたが、それを目の当たりにして落ち込んだ。同時に、自分が独立したことを改めて実感した。
無事だったハウス9アールで定植し、7~11月に12トンを出荷。栽培期間はあっという間に過ぎた。研修先の農家や県の農業普及指導センターとの連絡を密にし、疑問はすぐに解決させたことで、満足のいく収量と品質を実現した。
2年目の21年産は、高梁市が運営する営農団地「榮農王国山光園」に入植し、40アールを手掛ける計画だ。規模はかなり広がるが、津山さんに迷いはない。前職時代で培ったスケジュール管理も生かし、経営者として効率・採算性を高めた経営を目指す。
農のひととき
「これまで当たり前だったことが非日常になった」と津山さん。妻と2人で標高500メートル地点に住み、スーパーまで車で30分かかる。移住当初は不便を感じたが、今は、買い物に行くこともイベントになり、楽しんでいる。実家の家族と会う機会も増えた。これまで1年に1回しか会えなかったが、1カ月に1回は会い、交流を深めている。
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2021年02月28日

[未来人材] 37歳。古き良き水ナス探求 10年かけ種“里帰り” 栽培技術の確立挑む 大阪府貝塚市 北野忠清さん
昔の水ナスはもっとおいしかった――。大阪府貝塚市の北野忠清さん(37)は祖父のこの言葉をきっかけに、同市を含む泉州地域の特産「泉州水なす」の原点となる水ナスを探し当て、生産の仕組みづくりに力を注いでいる。約10年かけて新潟県から種の「里帰り」を実現。絶滅したと思われていた水ナスを未来につなごうと、種の固定化や栽培技術の確立に挑む。
「今の水ナスと昔の水ナスは違う」。IT関連会社を退職し、祖父と一緒に「泉州水なす」の栽培に励んでいた2008年ごろ、たびたび祖父が口にしていた。品種改良が進む前は赤紫色の巾着形で、今より皮が薄く甘味が強かったという。
北野さんは「昔の水ナス」を突き止めようと調査を開始。生産者や研究者、学芸員ら50人以上に聞いて回った。自家採種した種も分けてもらい、20種類以上を栽培したが、「泉州水なす」になっていたり、芽が出なかったりと、ことごとく失敗。「本当になくなってしまっているのでは……」と不安が募った。
諦めかけていた16年、新潟で「昔の水ナス」が見つかったとの知らせが舞い込んだ。畑に駆け付けると、色、形、食味、全てが祖父の話に合致した。栽培の難しさから、新潟の生産者もあと1年遅ければ、やめていたかもしれないという。祖父が亡くなってからちょうど1年後だった。祖父が引き合わせてくれたとしか思えなかったという。
最初は種の提供を断られたが、熱い思いが通じ、17年に種の“里帰り”が実現。ぬか漬けにするとパイナップルのような風味になることから「フルーツ水なす」と名付け、栽培しながら採種や選抜を進める。気候で形が変形しやすいなど課題は多いが、「祖父たちが作ってくれたブランドにぶら下がるだけでは駄目。100年後も維持できるブランドをつくりたい」。
「泉州水なす」のブランド強化だけでなく、新規独立就農者の育成や、消費者が生産現場に触れるきっかけづくりにも精を出す。既に研修生7人が独立を果たし、年間約150人の援農ボランティアも受け入れる。「農業に対するハードルが高過ぎる。もっと間口を広げていきたい」。農業の明るい未来が芽吹くよう、今日も“種”を落とす。
農のひととき
収穫した「泉州水なす」は、煮びたしや生のままサラダとして食べるのが一押し。昨年10月からは本格的に「農Tuber(ノウチューバー)」としても活躍する。「情熱!ファーマーズ!」と題したチャンネルで、土づくりなどの生産現場や新規就農希望者へのメッセージなどを配信。他にも、苗の早植え対決や農園スタッフによる「ドッキリ」など、企画立案に頭をひねる毎日だ。
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2021年02月21日

[未来人材] 35歳。脱サラして就農 青壮年部と地域けん引 甘いキャベツに挑戦 東京都日の出町 馬場貴之さん
東京都日の出町の馬場貴之さん(35)は、JAあきがわ青壮年部の部員として、地域の特産を目指して取り組む「高糖度で形や色のよいキャベツ」作りに挑んでいる。地域の高齢化が進む中、30、40代の若手農家で協力して、冬場の育苗のための温床作りをするなど、技術を学び合い、地域の生産力維持・向上に向けた取り組みを進めている。
馬場さんは幼少時から、父の敏明さん(64)に連れられ、畑で遊ぶことが日課だった。大学を卒業後、都内でサラリーマンとして働いていたが「農業は自然と四季を敏感に感じられる魅力がある。就農は常に考えていた」という。
5年前、30歳の時に就農。町内2カ所の計2・2ヘクタールの畑ではキュウリを主力にトマト、ナス、ピーマン、キャベツなど13品目を、敏明さんと年間を通じて栽培する。
JA青壮年部に加わり、若手農家と切磋琢磨(せっさたくま)する中、今年度から「スイーツキャベツ」作りに挑戦している。
「スイーツキャベツ」は都が認証する新しいブランド。都内の農家がキャベツを寒さに当てて栽培し、12月末までの糖度は8・5以上、翌1月以降の糖度は9以上で、形や色味がいいのが条件だ。
馬場さんは「青壮年部として農産物に付加価値を持たせる取り組みは意義がある」と話す。今季は10アールでキャベツ「彩音」で挑戦する。
朝晩に冷え込む畑で寒さに当てるよう努めているが、糖度がなかなか乗らないのが悩みだ。「石灰をまくなど肥料の設計も考え、来季はいいスイーツキャベツを出せるようにしたい」と話す。
最近、都内で独立就農を目指す東京農業アカデミーの研修生を受け入れた。ハウスでのネギの種まきや土づくり、圃場(ほじょう)整備のポイントを敏明さんと教えるなど、就農者の支援にも力を注ぐ。
町内で30、40代の農家は馬場さん含め5人。共に食事をしたり、育苗の温床作りに協力して取り組んだりと、関係強化に努めている。「地域の農家は高齢化し、若手が少ない。直売所の出荷量が減らないように、今後もいろいろな野菜を作っていきたい」と意欲を示す。
農のひととき
農作業の傍ら、畑の一角で金魚を育てるのが楽しみだ。「幼い頃から金魚が大好きで、夜市で買った金魚を大きくしていた」。今では趣味が高じて、町内の直売所に出荷するまでになった。
4人いる子どもたちと過ごす時間も大切だ。畑でダイコンを収穫するなどして無邪気に遊ぶ姿に癒やされている。
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2021年02月14日

[未来人材] 30歳。四季美しい地に移住 宿泊施設経営も目標に 多様な人働ける場へ 山形県長井市 寺嶋崇さん
山形県長井市の寺嶋崇さん(30)は、トマトとワサビ菜を栽培する埼玉県所沢市からの移住者だ。縁故がない土地だったが、自分の考える条件に合致したため移住を決意。体験型宿泊施設の建設と、将来的には障害者も含めた従業員の雇用を目標にする。
寺嶋さんは、大学在学中から大手アパレル販売店でアルバイトとして働き、後に社員に登用された。しかし、激務による体調不良もあり退職。大学への再入学や公務員試験の勉強などさまざまなことを検討したが「やりたいことをやろう」と考えた時、接客をもう一度したいことに気付いた。さらに旅行が好きなことから、宿泊施設の経営を目指した。
まず農業を選んだのは、宿泊施設の経営を始める際に特色を出せると考えたからだ。
移住先を見つけるために東京都内で開かれていた農業人フェアに4、5回通った。移住先は米がおいしく、季節の移ろいを感じられる場所を条件にした。「イベントで一番最初に声を掛けられた所に行こう」と決め、声を掛けてきたのが長井市の担当者だった。同市の新規就農者向けの助成が手厚いことも決め手の一つになった。
寺嶋さんは2017年に移住し、約1年間市内の農家の下で研修を受け、その後就農。現在は地元の空いたハウスを借りてトマトとワサビ菜を15アールずつ栽培する。地元のJA山形おきたまや市場、直売所に出荷している。
短期的には21年度の年商目標を1000万円に設定して、トマトを軸に他の品目の展開を計画。長期的には体験型の宿泊施設の経営を見据えて、宿で使う食材を自ら供給するために規模拡大や多品目化を目指し、法人化も視野に入れる。宿泊施設は「かやぶき屋根で、体験型の昔ながらの古民家風」など、理想は膨らむ。
「雇用」することも目標にする。雇用される人が安心できる環境を整えるだけでなく、自身のように体調を崩した人や障害がある人を雇用したいと考えている。
寺嶋さんは「雇用などを通じて市に還元していきたい」と力を込める。
農のひととき
季節感を感じられる風景を見ることが好きだ。特に5月ごろに見られる飯豊山に雪がかぶっている風景が、一番のお気に入り。
飯豊山は山形と福島、新潟の県境にあり、遠くに見える。首都圏にいる人が、富士山を見た時に抱く感想と似ている。飯豊山は近所の人の田植えを手伝っている時に見ている。風景の美しさに手が止まってしまう。
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2021年02月07日

[未来人材] 32歳。米国研修で農業決意 仲間や近隣と栽培開始 サツマイモも特産に 北海道由仁町 川端祐平さん
北海道由仁町の川端祐平さん(32)は、道内では珍しいサツマイモを栽培するグループを4Hクラブの仲間とつくり、地域の新たな特産を目指している。仲間との挑戦を通じ、地域活性化を見据える。
川端さんは、拓殖大学北海道短期大学を卒業後、米国で1年半農業研修を受けた。研修先の農場主は経営に明るく、農場の細かい部分にも目が届く農業者の鏡のようなタイプ。この農家との出会いが、実家の農業を継ぐ思いを決定づけた。
2011年に就農し、現在約30ヘクタールで水稲(4ヘクタール)、小麦(10ヘクタール)、大豆(10ヘクタール)、子実トウモロコシ(2ヘクタール)、ブロッコリー(二毛作、約2ヘクタール)、カボチャ(約1ヘクタール)、中玉トマト(ハウス1棟)とサツマイモを栽培している。
サツマイモとの出合いは、15年にJAそらち南青年部で行った食育活動だった。収穫した時の子どもたちの楽しそうな表情を見て、自分の子どもにも喜んでもらいたくて栽培を始めた。栽培を続けるうち、管理に手間が掛からず、他の作物の作業にも影響が少ないことが分かってきた。「経営を担う品目として取り入れられるのではないか」と考え、17年から本格的に勉強を始めた。
加入している由仁町4Hクラブを中心に活動を開始。近隣の栗山町4Hクラブにも声を掛け、合同で栽培を始めた。地域に合う品種を選ぶため8品種を作付けし、首長や札幌の有名ホテルシェフらに糖度や食味などを審査してもらい、2品種に絞り込んだ。この時に貯蔵や温度・湿度管理なども学び、コストをかけずに貯蔵条件を満たすことを研究。販売ルートも開拓し、10件ほどの取引先を持つ。
19年からは川端さんが代表となり、メンバー16人で「そらち南さつまいもクラブ」を設立。「ベニアズマ」を使う新ブランド「由栗(ゆっくり)いも」として、地域の特産化を目指す。「由栗いも」には、由仁と栗山の頭文字を取り「ゆっくりと熟成しておいしい芋になってほしい」との思いを込めた。川端さんは「全国的に認知される産地になれば挑戦したかいがある。同じ思いを持つ仲間に出会えて本当によかった」と語る。
農のひととき
料理が好きで、ギョーザやローストビーフを作る。サツマイモ料理でおいしかったのは、炊き込みご飯。自分ではまだ作ったことがないものの、今まで食べた中で一番おいしかったという。料理は心を穏やかにさせる存在だ。
家族といる時間が大切な時間。仕事が終わり家に帰って、妻や子どもたちと会話して心を落ち着かせている。
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2021年01月31日

[未来人材] 25歳。他県で修業、地元に戻り実家で規模拡大めざす 畜産一貫経営に挑戦 熊本県天草市 山下友美加さん
熊本県天草市の山下友美加さん(25)は、両親と和牛の繁殖経営に取り組む。地元のJA本渡五和では数少ない女性の担い手だ。他県の畜産農家で修業した後、規模拡大を目指して地元に戻った。一貫経営を目指し、肥育にも挑戦している。
畜産農家の5代目として生まれ、日常は牛と共にあった。姉やいとこと毎日のように牛の世話を手伝った。幼稚園児の頃はまだロールべーラーがなく、重いわらの束を引きずって懸命に運んだ。「大変だった思い出はそれくらい。手伝いは苦ではなかった」と笑う。
地元の高校と農業大学校で畜産を専攻し、家畜人工授精師の資格を取得。卒業後は1年間、宮崎県小林市の繁殖農家、森田直也さんに師事した。全国和牛能力共進会(和牛全共)に出場経験があり、品評会の常連でもある森田さんの下での研修は「手伝いの延長に近かった学生時代に比べると、毎日が刺激的だった」。技術や言葉では言い表せない、牛との向き合い方も学んだ。
地元に戻り、実家で就農した。牛の種付けや出荷前の子牛の管理を担当し始めた。就農してからは、父の和弘さん(59)と意見がぶつかり合うこともあったという。
体躯(たいく)が小さく値が付きにくかった子牛を肥育し、収益の向上につなげようと、一貫経営を提案した。しかし肥育は未経験。餌の管理などは、和弘さんの知人の肥育農家が助言をしてくれた。「失敗は多い」(友美加さん)が、探求心を原動力に取り組む。「毎日牛をよく観察する。自分の思った通りに成長していくと、面白く、やりがいを感じる」と目を輝かせる。
最近の懸念は、牛白血病。19年から死亡牛が目立ち始めた。「このままではいけない」と考え、新たな牛の導入を友美加さんが主導することになった。20年末に妊娠牛20頭を導入し、リスク軽減のため新たな畜舎の建設を始めた。就農後初めての大きな投資。畜舎は以前果樹を栽培していたハウス跡に設け、隣接する畑で牧草を育て放牧する構想だ。
高台に位置する牛舎予定地に立ち「大好きなこの土地で、規模を広げたい」と夢を描く。
農のひととき
周囲を海に囲まれた天草市は、新鮮な魚介類が有名。近所の人が釣ってきた魚をもらうことも多く、料理が好きなのでよく腕を振るう。
中学、高校とバレーボール部に所属していた経験から、今も地域のバレーサークルに入っている。メンバーは畜産や稲作農家が多いが、バレーをするときは農業の話には触れず、楽しく汗を流す。週1回の練習が息抜きだ。
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2021年01月24日

[未来人材] 26歳。大農家・父の背中追い若手6人で新会社設立 トマトの概念変える 滋賀県甲賀市 今井大智さん
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転機となったのは大学2年生の時。授業で訪れたインドだった。餓死した人の遺体が街中に横たわる光景が今でも脳裏に焼き付く。「がらりと世界観が変わった」。食のありがたみを実感した。食を供給する農業の大切さにも気付かされた。
大学卒業後は1年間、専門学校で農業の基礎を学んだ。23歳で実家の農業生産法人に就職した。
就職後は、法人の代表でもある父の背中を追うようになった。父は29歳の時には地域の後継者仲間をまとめ上げ、麦や大豆に特化した法人を立ち上げ、新たな事業を手掛けていた。「何か新しいことに挑戦したい」という思いが、常に頭の片隅にあった。
そんなとき、農産物の甘味を最大限引き出す「アイメック農法」に特化した高機能ハウスを、地域の事業者が手放すという話が舞い込んだ。
昨年10月、自身を含め法人で働く20代の若手6人で新会社「ROPPO(ロッポ)」を設立。各メンバーが踏み出す「1歩」を足した「6歩」にかけて名付けた。ハウス1棟で1200本のトマトを栽培。これまで通り法人で働きながら、勤務時間外をフル活用して運営する。
高級果実のようにトマトを箱詰めして贈答用に──。「“異次元”の甘さを武器にトマトの概念を変えたい」。販路開拓や会社運営など慣れないことばかりだが、夢に向かって突き進む。
農のひととき
新会社のインスタグラムアカウントは、ほぼ毎日更新。「消費者は生産者の顔を見て農産物を買う」との考えから、消費者への情報発信を重視する。投稿する写真は週末に撮りだめする。手描きのイラストなども織り交ぜ“映え”を意識する。
現在は、「3秒で友達になれる」といったキャッチコピーと共にメンバーを紹介、ファンづくりに取り組んでいる。
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2021年01月17日

[未来人材] 39歳。農家に引かれ脱サラSNSで情報発信 消費者との壁を壊す 三重県四日市市 阿部俊樹さん
三重県四日市市の阿部俊樹さん(39)はサラリーマン時代の経験から、食べ物を自分の手で作る農家の魅力に引かれ転身した。就農研修中から積極的にインターネット交流サイト(SNS)で発信。1年目には共感した人々を巻き込みイベントを主催。「生産者と消費者の壁を壊す」を合言葉に奮闘している。
親は休日に米作りをする兼業農家だった。ただ、泥くさい仕事ぶりを見て「絶対に農家にはなりたくないと思っていた」。転機は広告代理店に就職後、そのつながりでエステティックサロンの経営を任されたことだった。美しさを考える中で、食べ物の大切さにたどり着いた。そしてその食べ物を生産する農業について調べれば調べるほど、農家の魅力を感じるようになった。妻と3人の子どもがいて不安はあったが「農家なら人の役に立ち、家族も豊かにできる」と確信。35歳で仕事を辞め、実家のある四日市市に戻った。
品目は「主要な野菜なのに四日市で誰も作っておらず、一番になれる」キュウリを選んだ。知人の仕事を平日に手伝いながら、休日だけ岐阜県のキュウリ農家で研修を受けた。
研修中はその様子や農業を始めた時の思いをSNSのツイッターで発信した。発信して3カ月ほどたつと「阿部さんのキュウリが食べたい」とコメントが何十件も届いた。まだ研修中なことにもどかしさを感じつつ、自分を発信することで販売につながる面白さも感じた。
2017年7月、「しなやかファーム」を立ち上げた。1作目は病害が出るなど苦戦したが、初めて苦労して作ったキュウリを食べた時の味は、今でも忘れられないほどおいしかった。
その感動や生産への思いを伝え、消費者の農作物への捉え方を変えようと、同年10月に食と音楽の収穫祭「しなやかフェス」を開催。全国から70人が集まった。規模を広げその後も3回開き、延べ500人以上が参加した。今後は農家らを主役にした「夏祭り」へ発展させることも構想する。
常識にとらわれず、しなやかな生き方への思いを込めてツイッターでは「しなやん」と名乗る阿部さん。世界一有名なキュウリブランドを目指し、信じた道を突き進んでいる。
農のひととき
2019年から市内のナス農家、会社員の友人と3人で、インターネット上に音声を配信する「ポッドキャスト」を使い「おみそしるラジオ」を配信している。内容は農業に限らず、趣味や経歴、恋愛の話など多岐にわたる。「言葉にすることで頭の中を整理できて、人前に出る練習にもなっている」と言い、ライフワークの一つだ。週1回収録し、20年12月末時点で本編63本を公開している。
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2021年01月10日

[未来人材] 36歳。イタリア出身 夫と二人三脚 ブドウ園継ぎ就農 交流できる場もっと 島根県出雲市 原ジョバンナさん
島根県出雲市の原ジョバンナさん(36)は、故郷イタリアを離れ、2015年から夫の健人さん(31)と二人三脚でブドウ67アールを栽培する。「故郷のファーマーズマーケットのような、農家と消費者が交流できる場をつくりたい」と、ホームページ(HP)やインターネット交流サイト(SNS)、地元有志の直売イベントで、顔が見える関係づくりに力を入れる。
ジョバンナさんはイタリア北西部のトリノ市カルマニョーラ村の出身。村はパプリカの産地で知られ、毎年8、9月には収穫祭が盛大に開かれる。
米国に留学していた健人さんとSNSを通じて知り合い、13年に結婚。健人さんの実家がある出雲市に移住した。15年に実家のブドウ園を継ぎ、夫妻で就農した。
夫妻そろって農業経験はなく、1年目は散々な結果だった。10アールで「シャインマスカット」「デラウェア」を栽培したが、副梢(ふくしょう)を切り過ぎるなど失敗が続き、売り上げは80万円にも満たなかった。
落ち込む健人さんを見て「もっと栽培を勉強して夫を助け、自信をつけてもらいたい」と奮起。JAしまねや県の勉強会に健人さんと参加し、剪定(せんてい)、摘芯、ハウスの修復などに励んだ。
特にジョバンナさんが力を発揮したのが摘粒作業。健人さんが「手先が器用で美的センスがある。粒の張りが良くなり、買い手からも高く評価される」と褒めるほどだ。2年目の販売は約200万円と、前年の2倍以上。空きハウスを借りて面積を広げ、20年は1・7トンを出荷。売り上げは約550万円と、経営を軌道に乗せた。
販売では、故郷での経験を生かし、消費者との交流を大事にする。健人さんと、イタリア語で「自然の農場」を意味する「Fattoria Natura(ファットリア ナトゥーラ)」の名でHPとSNSアカウントを開設。8~10月の出荷期には、地域の有志が開く「サンデーマーケット チーボ」にも出店する。
「イタリアでは、スーパーよりもファーマーズマーケットで買い物することが多かった。甘いパプリカを教えてもらえたりしたからね」と、生産者と消費者の双方の顔が見える関係を楽しむジョバンナさん。「将来は農家カフェを開きたい」と夢が膨らむ。
農のひととき
「出雲は人が優しく、何より食べ物がおいしい」と力説するジョバンナさん。得意の料理は、特産のブロッコリーやホウレンソウを使ったパスタやグラタンを作る。イタリア料理教室や小・中学校の文化交流で地域と関わるのが大きな楽しみだ。1月半ばには子どもが生まれる予定。「夫婦共通の趣味のキャンプを子どもと一緒に楽しみたい」
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2020年12月27日