北村総一朗さん(俳優) 手伝いで知る農の苦労 感謝あれば食べ残し減る

北村総一朗さん

 中派だからね、僕は。戦争中は、ただただおなかいっぱい食べたいという思いだけで、おいしいものを食べたいという観念が全くなかったね。

 今は皆、ぜいたくにやっていて、それはとてもいいことですが、もったいないなあと思うことも多くて。大量に作った恵方巻きを捨てるなんてニュースを聞きますとね。

 母が着物を持って農家を訪ねてわずかなお米と交換してもらい、芋を一緒に炊き込み、つるをおかずにして食べました。

 ですから、今でも炊き込みご飯は食べたくない。どうしてもあの頃の食事を連想してしまうのです。トラウマ(心的外傷)ですね。お好み焼きもおいしいけど、代用食を思い出してしまいます。米がないから、小麦粉などで作った自家製パンを食べたんです。お好み焼きとは全然違う食べ物だけど、それを連想してしまうんです。

 最近は健康に良いと「十六穀米」がはやっています。それが悪いというつもりはありませんが、僕は食べる気がしません。戦時中に食わざるを得なかったから。銀シャリが一番ですよ。

 終戦を迎えたのは9歳。ある日、学校の先生が生徒を集めて言ったんです。「進駐軍は野蛮だから、捕まったら耳から耳へ針金を通されて殺されてしまう。絶対に近づくな」と。

 でも怖いもの見たさで行くじゃないですか。トラックなどの車で進駐軍が来るんですよね。すると大人がお迎えに出ている。やがて慣れた僕たちは、家にある日本手拭いなどを持って行って、チョコレートと交換してもらいました。

 いたのは、チョコレートの包装ですね。デザインの見事さにたまげました。中身以上に感動しました。こんな美しい包装をしたお菓子を食べている国に、戦争で勝てるわけがない。僕にとって異国の文化との初めての出会いです。同時に、スカートをはいた日本人女性が進駐軍と腕を組んで歩くようになったのは不可解でした。あれほど鬼畜米英と言っていたのに。大人に不信を抱きましたね。

 中学か高校1年くらいの時に、農家をやっている遠い親戚に頼まれ、手伝いに行ったんです。夏、イ草の季節でした。

 それで初めて知ったんです。手を汚して、体を動かし、汗をかいて働くということが、どんなにつらいものかと。農家の方々の仕事がどれだけ大変か、よく分かりました。それで、米を一粒も残さずにいただこうと決めたことを覚えています。以来、ずっとそう。ご飯を食べるというのは、おいしさとありがたさをいただくのだと思います。

 やがて日本は復興していきます。今では汗を流して働く人が少なくなり、つらい仕事は外国人に回すようになりました。食べ物を粗末にする国になりました。喉元過ぎれば熱さ忘れるということですかね。

 はレストランで料理がおいしかったら、必ず料理人に「ごちそうさま。ありがとうございました」と感謝の気持ちを伝えます。おいしい料理を作れるだけの修業を積んだことへの敬意と感謝。これはお金では代えられない。言葉で伝えないといけないと思います。

 それに忘れてならないのは、その料理の食材を作ってくれた農家の方々、漁師の方々への感謝ですよね。

 余った恵方巻きを捨てることが、どんなにひどいことか。金もうけのことしか考えていないから、そんなことをするんでしょう。恵方巻きができるまでに苦労した方々への感謝の気持ちがあったら、できません。戦時中だったら絶対あり得ない。ああ、もったいない!(聞き手・写真 菊地武顕)
 
 きたむら・そういちろう
 
 1935年、高知県生まれ。61年に文学座に入る。その後、劇団雲を経て劇団昴に所属。97年、ドラマ「踊る大捜査線」の神田総一朗署長役で一躍人気者になった。2013年に前立腺がんが発覚。復帰後は、後進の指導により力を注いでいる。

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