水前寺清子さん(歌手) 30年近くチータの米作り 若い人も農作業知って

水前寺清子さん

 城で米を作っているんです。かなり広い田んぼをお借りして、地元の方に作っていただき、「水前寺米 チータ小町」と名付けて、お世話になった方に差し上げています。

 1990年から始めたから、もう30年近くになりますね。無農薬だから大変なんですけど、その分おいしい! 日本人はお米なんですよ。家で食べるのは必ずご飯です。パンも好きなんだけど、食べるのはご飯。それにみそ汁と漬物と梅干し。

 野菜や漬物、梅干しは、知っている方々がいっぱい送ってくれるんです。「今年は出来がいいです」なんて手紙を添えてくれて。皆さんには感謝と応援の気持ちでいっぱいです。

 私はもともと、種をまいて芽が出て……植物が成長する姿を見るのが好きなんです。

 ミヤテル(宮田輝)さんがご存命の頃、小さな桜の木を頂きました。今はもう大木になって、毎年きれいな花を咲かせてくれています。庭の植物を見て、季節の移り変わりを知るんですよ。

 は1945年、終戦の年に生まれたんですが、家が裕福だったので食べ物に苦労したことはありません。麦ご飯を食べたこともないくらい。詳しいことは分かりませんが、化粧品屋をやっていたので、薬と食べ物を交換してもらっていたようです。

 熊本は濃い味のものが好き。母の作る料理もそうでした。すき焼きにはたっぷりと砂糖を使ってました。次の日には砂糖が粘っていましたよ。

 姉とは9歳違いで生まれたものですから、皆にかわいがってもらいました。父は私のため庭にブランコやシーソーを買ってくれて、それで遊んでいました。

 私、その頃は物がいっぱいあって、ご飯をたっぷり食べられる生活が普通だと思っていました。でもある日、同級生にボコッと殴られたんです。その時のことは忘れられず、今も夢に出てきます。理由は分からない。今思えば、裕福な家庭に対する焼きもちみたいなものがあったのでしょうかねえ。でも小学6年生の時かな。事業を拡大して失敗して、一家で東京に夜逃げをしたんです。あさかぜ2号(夜行列車)に乗って。

 父も母も姉も働きました。私は歌い手を目指して、音楽学校に通わされました。コンクールに出て、星野哲郎先生(作詞家)から4年間指導してもらって、デビューできたんです。

 昔は大みそかにレコード大賞と紅白歌合戦がありましたよね。紅白は午後9時から始まるので、レコード大賞に出た歌手は、車に飛び乗ってNHKに向かいました。普段なら時間がかかるんですけど、大みそかは街に人も車もない。みんな家のこたつでテレビを見てるんでしょう。道がすいているから、あっという間に着くんです。

 和の時代は良かったと思いますよ。みんなおおらかでしたし、歌でもなんでも、じっくりと時間をかけた手作り感がありましたでしょう。

 今はずいぶんギスギスしています。でも、地方に行って田んぼや畑が広がっている様子を見ると、なんか安心するんですよ。暑い中、腰を曲げて作業する農家さんを見ると、感謝の気持ちでいっぱいになりますよね。

 最近の若い人たちは、農作業のことを全然知らないのかもしれません。でも頭の中に入れておいておかないと駄目ですよ。日本人はこうやっておいしいお米や野菜を作っているんだということを知らないと。国際化が言われていますけど、外国の人に日本の食材がどれだけ素晴らしいか説明するためにも、知ってほしいですね。(聞き手・写真 菊地武顕)
 

 すいぜんじ・きよこ


 1945年、熊本県生まれ。64年に「涙を抱いた渡り鳥」でデビュー。「いっぽんどっこの唄」「三百六十五歩のマーチ」など大ヒット曲多数。70年からドラマ「ありがとう」に主演し、女優としても活躍した。現在はテレビのメイン司会やラジオ、コンサートなど精力的に活動中。
 

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