金村義明さん(野球解説者) 名店よりも母のみそだれ

金村義明さん

 食べ物の思い出といえば、何といっても子どもの頃に食べた焼き肉。ホルモン焼きです。

 うちは決して裕福ではなくてね。父親はダンプカーの運転手。鉄工会社の下請けの運送会社に、ダンプカーを持ち込んで働く個人の運転手でした。母親はゴルフ場のキャディーを12歳の時からやっていて、家に帰ってからは内職を夜なべしてやっていました。

 両親は寝る間も惜しんで働いていました。おかげで兄、姉、僕と妹の4人きょうだいは、ひもじい思いはしないで過ごせました。
 

給料日は焼き肉


 今でもよく覚えているのが、父親の給料日のこと。手渡しでしたので、母親が受け取りに行ったんです。うちは宝塚、会社は尼崎にありました。月に1回、母親が尼崎に受け取りに行く時に、僕を連れて行ってくれたんです。お金を受け取り、センター街という商店街で買い物をして、帰りに札幌ラーメンの店に寄ってみそラーメンを食わしてもらえるから、喜んで付いて行きました。

 毎月、給料日は焼き肉の日。母親がみそベースのたれを作ってくれてね。これで食べると本当にうまくて。焼くと匂いが道路の方まで流れて行くでしょう。うちは六畳二間で、外から家の中が見えるような造りでした。匂いにつられた人が、のぞき込むようにしていた姿を鮮明に覚えています。

 子どもの頃から、早く家を出たい、親孝行をしたいと思っていました。18歳でプロに入ると、契約金は全部親に渡しました。

 「大人になったら焼き肉をたらふく食いたい」という夢を持っていたんですが、それは簡単に実現しました。毎日外食で、焼き肉、すし、中華、焼き肉、すし、中華というローテーション。「1週間の最後はどうするか? 焼き肉にしよう!」という感じでした。

 僕の入ったパ・リーグは地方遠征が多かったから、キャンプ、オープン戦、公式戦を通じて全国を回りました。青森以外の46都道府県に行きましたね。遠征先では、タクシーに乗って運転手さんにおいしい店を聞いて案内してもらう。ですから全国のうまい焼き肉屋を回ったことになります。

 どこの名店で食べても、母親のたれの方がうまい。そう感じたので、もう亡くなった兄貴と相談して、実家で焼き肉屋を始めたんです。店の経営は兄貴にやらせて、たれは母親が作り、僕は宣伝担当。近鉄バファローズのマークを拝借してやりました。
 

食べる側思って


 今は姉さん女房の手料理を楽しんで食べています。食べ物は全てお任せ。太り過ぎの僕の体を気遣い、野菜を多く取れる料理を作ってくれます。女房は料理好きで研究熱心。テレビで見ておいしそうだと思うとすぐ自分でも作るので、新しい料理が食卓に上る。どんどん進化していくんです。

 カレー一つ取っても、女房はいろいろな種類に挑戦します。同じカレーが連続して出ることはないくらいです。

 そういえば昔、母親は忙しい中、時間を割いて1週間分まとめて大量のカレーを作ってくれました。特に3日目、4日目くらいがおいしかったですね。7日目は、底に残ったルーにご飯を混ぜてチャーハンのようにして食べました。

 長年、同じカレーを1週間分作り続けてくれた母親。常に研究して新しいカレーに挑戦する女房。内容は違いますが、ふたりとも食べる側のことを思って一生懸命なわけです。本当に感謝ですね。

(聞き手・菊地武顕)
 

 かねむら・よしあき


 1963年、兵庫県生まれ。報徳学園高校在学中の81年、甲子園に春夏連続出場し、夏の優勝の原動力となる。同年、近鉄に入団。その後中日、西武で活躍し、99年に引退。現在は野球中継解説に加え「プロ野球ニュース」「バラいろダンディ」にレギュラー出演中。
 

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