米政策の在り方 経営安定策構築急げ 新潟食料農業大学教授 武本俊彦
2019年09月30日

武本俊彦氏
農林水産業・加工流通業・関連産業をまとめて食料産業とする捉え方がある。生産から加工・流通を通じて消費までをつなぐフードシステムが市場メカニズムを通じて、多様な消費者ニーズに合わせた財・サービスを供給するものだ。その規模は55兆円(対国内総生産=GDP=比10%)の付加価値、116兆円(対全生産活動比11%)の国内生産額に上る。日本経済の1割を占める産業だ。
経済成長の過程で、消費者の食に対するニーズが量から質へと転換した。その中で、家庭で調理していた女性の社会進出、人口の少子高齢化などによる世帯員数の小規模化が進み、外食や中食といった食生活の外部化がもたらされた。その反面、チェーンストア・システムと販売時点情報管理(POS)による情報力を装備した小売業による食品流通部門の支配状況が表れた。その結果、生産者や加工業者との間で自由で公正な競争条件が確保されているのか、または、消費者にとって望ましい豊かで健康な食生活が保証されているのかが懸念されている。
市場メカニズムで、望ましい状況が実現し得ないときには、政府が補完的に関与していくことになる。政府は、望ましい状況となるよう、政策を講ずることで競争環境を整備することになる。
米政策は、1995年に食管法が廃止され、昨年からは政府による生産数量目標の配分も行われなくなった。米は食管法ができた当時は国民の食生活にとって死活的に重要で、農業生産の中で圧倒的な地位を占めていた。だが、今や種々の農産物・食品の中の一つにすぎなくなった。米を巡る環境は大きく変化したが、今でも米価の維持が最大の関心事項となっている。
米価維持のために需給調整するといっても国内市場は人口の減少高齢化により確実に縮小し続けるし、実質賃金の減少過程では米価は下落する。米中摩擦などの世界経済の先行きを考えれば円高に振れ、輸入物価は下落する可能性が大きい。また、日米貿易協定の締結によって関税による国産保護効果は期待できない状況がはっきりする。こうした状況を冷静に考えれば、米価維持は国民にとって望ましいことなのか。先物市場どころか適正な価格を形成する現物市場もない中でJAは買い取り集荷を推し進めようとしている。将来の価格下落のリスクをどうやって回避するのか。
いずれにしても政府が取り組むべきは、米価が需給によって適正に形成される環境を整備することだ。価格シグナルは、生産者の将来の経営判断にとって最も重要な情報となる。その上で、為替水準や景気動向によって経営の先行きが不確実となる可能性があるのだから、少なくとも欧米で行われているような総合的で重厚な経営安定措置が発動されるようにすべきだ。それが政府および国会が今取り組むべき課題である。
たけもと・としひこ 1952年生まれ。東京大学法学部卒、76年に農水省入省。ウルグアイラウンド農業交渉やBSE問題などに関わった。農林水産政策研究所長などを歴任し、食と農の政策アナリストとして活動。2018年4月から現職。
食ニーズが転換
経済成長の過程で、消費者の食に対するニーズが量から質へと転換した。その中で、家庭で調理していた女性の社会進出、人口の少子高齢化などによる世帯員数の小規模化が進み、外食や中食といった食生活の外部化がもたらされた。その反面、チェーンストア・システムと販売時点情報管理(POS)による情報力を装備した小売業による食品流通部門の支配状況が表れた。その結果、生産者や加工業者との間で自由で公正な競争条件が確保されているのか、または、消費者にとって望ましい豊かで健康な食生活が保証されているのかが懸念されている。
市場メカニズムで、望ましい状況が実現し得ないときには、政府が補完的に関与していくことになる。政府は、望ましい状況となるよう、政策を講ずることで競争環境を整備することになる。
価格形成適正に
米政策は、1995年に食管法が廃止され、昨年からは政府による生産数量目標の配分も行われなくなった。米は食管法ができた当時は国民の食生活にとって死活的に重要で、農業生産の中で圧倒的な地位を占めていた。だが、今や種々の農産物・食品の中の一つにすぎなくなった。米を巡る環境は大きく変化したが、今でも米価の維持が最大の関心事項となっている。
米価維持のために需給調整するといっても国内市場は人口の減少高齢化により確実に縮小し続けるし、実質賃金の減少過程では米価は下落する。米中摩擦などの世界経済の先行きを考えれば円高に振れ、輸入物価は下落する可能性が大きい。また、日米貿易協定の締結によって関税による国産保護効果は期待できない状況がはっきりする。こうした状況を冷静に考えれば、米価維持は国民にとって望ましいことなのか。先物市場どころか適正な価格を形成する現物市場もない中でJAは買い取り集荷を推し進めようとしている。将来の価格下落のリスクをどうやって回避するのか。
いずれにしても政府が取り組むべきは、米価が需給によって適正に形成される環境を整備することだ。価格シグナルは、生産者の将来の経営判断にとって最も重要な情報となる。その上で、為替水準や景気動向によって経営の先行きが不確実となる可能性があるのだから、少なくとも欧米で行われているような総合的で重厚な経営安定措置が発動されるようにすべきだ。それが政府および国会が今取り組むべき課題である。
たけもと・としひこ 1952年生まれ。東京大学法学部卒、76年に農水省入省。ウルグアイラウンド農業交渉やBSE問題などに関わった。農林水産政策研究所長などを歴任し、食と農の政策アナリストとして活動。2018年4月から現職。
おすすめ記事

[未来人材] 31歳。アセロラ商品次々打ち出し売り上げ伸ばす 赤い実地域の基幹に 並里康次郎さん 沖縄県本部町
沖縄県本部町の並里康次郎さん(31)は、アセロラの魅力を発信する若き経営者だ。今年、生産・加工・販売を手掛ける(株)アセローラフレッシュの社長に就任。鮮やかな赤色のジュースを軸に、新商品を矢継ぎ早に打ち出し、入社7年で売上高を1・5倍に増やした。アセロラの生産や加工を地域の基幹産業にしようと意気込む。
「きれい」。同社の直売所をひっきりなしに訪れる消費者が「アセローラフローズン」(300ミリリットル、600円)を注文し、写真に収める。果汁を凍らせた商品で、無着色の鮮やかな赤が「映える」と人気だ。
「果実は日持ちしないが、収穫してすぐに搾ると果汁はピンク色や黄色になる。赤を出すのはタイミング勝負」と並里さん。「他では出せない色。スタッフのおかげだ」と胸を張る。
商品が誕生したのは2013年。当時入社2年目の並里さんが単身、東京都内へ出張したのがきっかけになった。ふと目にしたスムージーに着想を得た並里さんが社内でアイデアを共有し、商品化。爆発的に売れ、すぐに同社の“看板”に成長した。酒造や乳業などの大手と協力した商品開発も同時期に進み、会社は勢いを増していった。
ただ、並里さんにとっては必ずしも順風満帆ではなかった。同社は亡き父が30年前に設立。並里さんは大学を卒業した12年に入社したが、当初は「社長の息子だという色眼鏡で見られていた」。取引先や社員らの信頼を得るため、謙虚でいようと心掛けた並里さん。会社の後継ぎではなく「一営業マン」として、率先して営業に汗を流した結果、周囲の並里さんを見る目が徐々に変わった。
社長に就いた今年は新商品を打ち出した。知人のシェフの協力を得てアセロラの皮や種とカラシナの種を使ったマスタードなどを商品化。「イチゴの『あまおう』のようにしたい」と、「美ら実(ちゅらみ)」というブランドも発表した。県と協力して酸味の強い新品種も開発中だ。
同社の売上高は入社当初の4500万円から7000万円に成長した。「多くの人の支えがあった。もっと力を付け、契約農家から多く仕入れたい」と話す並里さん。赤い果実で地域を盛り上げる。(松本大輔)
日本農業新聞の購読はこちら>>
2019年12月15日

イノシシ捕獲に手引 環境、農水省 ウイルス拡散を防止
環境省と農水省は、豚コレラ(CSF)、アフリカ豚コレラ(ASF)対策として野生イノシシの捕獲に関する防疫措置の手引を作成した。国がイノシシ捕獲の手引を作成するのは初めて。野生イノシシの捕獲を強化する必要がある一方で、捕獲でウイルス拡散の恐れがあることから、狩猟者に防疫の手法を徹底する。
手引では、これまで農水省がイノシシ捕獲に関して通知していた文言や特定家畜伝染病防疫指針などを踏まえ、捕獲作業の事前準備から帰宅後の対応までを写真と共に掲載した。
現地に到着し、わなの設置や見回りをする前に手袋や長靴を装着するなど、作業ごとのポイントを解説。手袋は二重に装着し、内側のゴム手袋は洋服の袖口を覆うように着用するなど詳細に注意を呼び掛けた。
防護服や靴底の泥落としに使うブラシなどの持ち物チェックリストも併記している。環境省は「イノシシを捕獲する中で、豚コレラが拡大してしまうことを防ぐため、あらゆる捕獲に関する防疫手法をまとめた。手引を参考に、各地域で必要な防疫対策をしっかり行ってほしい」(野生生物課)と呼び掛ける。
手引は、アフリカ豚コレラが発生した際にも活用できる。
日本農業新聞の購読はこちら>>
2019年12月13日

「ごはん・お米とわたし」内閣総理大臣賞 作文・長町さん(香川) 図画・清和さん(静岡)
JA全中は9日、第44回「ごはん・お米とわたし」作文・図画コンクールの審査結果を発表した。最優秀賞の内閣総理大臣賞には、作文部門で香川県の長町そよかさん(高松市立栗林小6年)の「広がれ! お米の可能性」、図画部門で静岡県の清和羽音さん(長泉町立北中3年)の「おむすびは勉強のおとも」を選んだ。
文部科学・農水大臣賞に計12人、全中会長賞に6人を選んだ。受賞者は次の通り。
◇作文部門▽文科大臣賞=青木舞桂(山形県米沢市立北部小3年)山口哲平(茨城県小美玉市立羽鳥小6年)辻紗季(福井市足羽中3年)▽農水大臣賞=桂木花音(さいたま市立大谷場小3年)園部杏莉(山形県庄内町立余目第三小6年)大貫桜和(神奈川県厚木市立相川中1年)▽全中会長賞=小濱啓太(沖縄県石垣市立登野城小3年)野元理彩(長崎県壱岐市立霞翠小4年)麦倉惟月(栃木県宇都宮短期大学付属中1年)
◇図画部門▽文科大臣賞=今鹿倉由羽(大阪府堺市立野田小3年)菊永優介(同市立東百舌鳥小5年)皆川泉(宮城県涌谷町立涌谷中2年)▽農水大臣賞=川原田すみれ(佐賀県小城市立桜岡小2年)石松祐(松江市立乃木小6年)荒木音羽(佐賀県伊万里市立国見中2年)▽全中会長賞=右近敏明(高松市立古高松小2年)白浜早也花(佐賀市立鍋島小5年)桝本陸斗(広島市立井口台中1年)
コンクールは「みんなのよい食プロジェクト」の一環。子どもに農業の学びを深めてもらい、ご飯や米の重要性を周知する。全国の小中学生から、作文5万660点と図画6万767点の応募があった。
表彰式は2020年1月11日に東京・大手町のJAビルで開く。
日本農業新聞の購読はこちら>>
2019年12月10日

奥伊勢えごま油 三重・JA多気郡
三重県のJA多気郡が販売するえごま油。大台町産のエゴマの実を、熱を加えず時間をかける生搾りで搾油した。色が濃く、純度が高いのが特徴だ。JA奥伊勢えごま倶楽部(くらぶ)が種まきから収穫、洗浄、選別まで手作業で行う。
エゴマには体内では合成できない必須脂肪酸オメガ3(αリノレン酸)が含まれ、「食べるアブラ」として注目されている。サラッとした口当たり。パンに付けたり、納豆やヨーグルトに掛けたり、幅広く利用できる。
1瓶(95グラム)2500円。町内のJA購買店舗や直売所スマイル明和、スマイル多気で販売する。問い合わせはスマイル明和、(電)0596(55)8484またはスマイル多気、(電)0598(38)7070。
日本農業新聞の購読はこちら>>
2019年12月12日
JA事務効率化 デジタル化で職場改革
働き方改革が問われている。JAも企業と同様に、労働生産性と従業員満足度を高めていかなければ、経営の安定も意欲ある職員の確保も難しい。そのためにはまず、日常業務の効率化が必須だ。改善効果の高いロボティック・プロセス・オートメーション(RPA)を活用し、働きがいのある職場づくりを進めたい。
JA職員の仕事実態を見ると、紙と電話とファクスへの依存度が高い。これに対し企業の世界では、情報通信技術(ICT)を使った業務のデジタル化が急ピッチで進む。インターネット交流サイト(SNS)での従業員間の打ち合わせやネット会議は当たり前。パソコン事務の自動化、顧客データの活用、人工知能(AI)による業務改善にも積極的だ。このままではJAの職場はさながら「旧人類化」することが心配される。
業務のデジタル化に向けてやるべき課題は多いが、取り組みやすいのはRPAを使った効率化である。高齢の組合員が多いため、JAの業務は手書きの注文書でのやり取りが一般的だ。それを職員がパソコンで購買システムにデータ入力するが、繁忙期ではその作業に忙殺されるといったことが起こる。
こうした事務作業を軽減するのがRPAだ。手書きの注文書をスキャナーで読み取り、光学式文字読み取り装置(OCR)でデータ化する。これだけでも人力頼みの入力作業を大幅に効率化できる。データを使ってのさまざまなパソコン事務は、PRAを使えば自動化できる。
RPAは元々、ホワイトカラーの仕事を効率化するためのシステムである。データ入力以外にも、データの加工処理、正誤照合といった仕事で威力を発揮する。高度なプログラミングはできないが、やり方が決まっている定型業務、繰り返しの業務といった分野に向いている。
数年前にメガバンクの事務部門で活用が始まり、一般の企業でも広く導入が進む。JAでの普及は遅れていたが、JA山口県下関統括本部が2018年に始め、資材の予約注文の入力時間を8割削減するといった活用実績を上げた。現在、営農指導や信用渉外力の強化、内部統制の効率化など、幅広い業務の改善を目指すプロジェクトが稼働している。
メリットは事務効率化だけではない、同本部は生産部会の会員一人一人にその人だけの営農指導書を作成し、数字に基づく経営相談を実施。会員から喜ばれている。RPAで資料作成のプログラムを組み、営農指導員に負荷をかけずに作ることができる。資料作りに費やす時間を現場での営農指導の仕事に振り向けられることは、本人の意欲向上にもなる。働き方改革にまでつながった事例といえる。
国産のRPAなら、導入費用はさほど高くはない。同本部には全国各地のJAから視察が相次いでいる。横展開による意欲の高い職場づくりを期待する。
日本農業新聞の購読はこちら>>
2019年12月12日
論点の新着記事

厳しさ増す1次産業と流通 連携で難局乗り切れ ナチュラルアート代表 鈴木誠
今年も、残すところ1カ月。1次産業とその関連する流通業者などを含め、今年は年初から厳しい年と予想していたが、その予想を超える厳しさとなった。度重なる自然災害に加え、環太平洋連携協定(TPP)、欧州連合(EU)との経済連携協定(EPA)が相次いで発効し、農産物の輸入枠が拡大。さらに消費税増税などによる消費低迷と1次産業や地方経済の構造疲労による衰退。これらを踏まえると来年は、さらに厳しい年と覚悟しなければならない。
今後、自然災害の頻発は、避けては通れない。災害が少なかった地域も、例外ではない。事前対策は全て行うことが求められる。栽培品目やビジネスモデルを変えるといった思い切った対策が必要となる。保険の見直しも必須だ。
輸出拡大で対応
今年は、実質的に農産物の輸入解禁元年となった。スポット輸入ではなく、継続的にルーティンに組み込まれる輸入農作物が拡大した。今後も、輸入品がより大きな脅威になる。ただ、海外から攻め込まれるばかりでなく、日本側もグローバル産業に転換し、迎え撃つ必要がある。輸出拡大に向け、異業種や海外との連携がこれまで以上に大切だ。
外食産業や量販店を見れば、食品関連の個人消費低迷は明らかで、来年もこの基調は続く。東京オリンピックによるインバウンド(訪日外国人)需要など、一時的な特需はあっても、総じて消費構造は弱い。高齢化・少子化・個食化で、食品が売れない時代になっている。
そこで農家や漁業者は、過去の延長ではなく、競争優位性のある新たな未来型経営への転換が求められる。その他大勢の一人として、個性のない昔ながらの経営は限界だ。加工や冷凍などの高付加価値化もより重要になる。
流通業者は、来年6月施行の歴史的な卸売市場法改正を契機に、本格的な自由競争に突入する。この期に及んで、まだ過去に依存する企業は淘汰(とうた)されていく。そもそも既存プレーヤーが多過ぎる流通業界では、合従連衡は待ったなし。単独で生き残れる企業は、ほぼ皆無だ。バスに乗り遅れる前に、直ちにアクションを起こすことが必要だ。
未来への投資を
今後は、危害分析重要管理点(HACCP)対応など未来への投資もより重要になる。そのために、ファイナンス能力も強化する必要がある。業界特化型ファンドや、業界では実績が少ない上場も、選択肢になる。目先の生産や売買に明け暮れ、未来への投資ができなければ、企業や産業は衰退する。
働き方改革も大きな負担となり、構造改革のトリガーになった。これを機に、IT化・人工知能(AI)化を進め、より少数精鋭で対応できる筋肉質な組織構築が求められる。
ベンチマークは、同業者ではなく、他産業や海外勢。そして、このような難局を乗り越えるためには、何よりも勉強し、人材を育成することだ。新たな歴史を切り開くのは、いつの世も教育であり人だ。
やるべきことは山積だが、何をすべきかは明らか。行動あるのみだ。現状維持は一見安全に思えるが、それが最大のリスクとなる。ただ、行動する意思はあっても、個々ではとてもハードルが高い。だから、合従連衡であり連携プレーだ。これまでの「独善的で属人的な」といった時代は終わった。これからは、協調性とバランス感覚を持ち、皆で力を合わせ、産業の構造改革と発展を導かなければならない。
すずき・まこと 1966年青森市生まれ。慶応義塾大学卒。東洋信託銀行(現・三菱UFJ信託銀行)を経て慶大大学院でМBA取得。2003年に(株)ナチュラルアートを設立。著書に『脱サラ農業で年商110億円! 元銀行マンの挑戦』など。
日本農業新聞の購読はこちら>>
2019年12月02日

食べものは生きもの 「また会おう」の心で 百姓・思想家 宇根豊
食事の前に「いただきます」と唱える習慣は、戦前の道徳教育から始まり、定着したのは、戦後の学校給食からだと知って驚いた。私は昭和25(1950)年生まれだが、家で「いただきます」と唱えたことは一度もなかった。小学校ではそのことを恥ずかしく思っていた。
それまでは多くの家では、わが家同様、食事はまず神棚と仏壇に供えられていた。都会では、この習慣が廃れたので「いただきます」が提案されたそうだ。
何に感謝するか
ところで、この「いただきます」は誰に、何に向かって、投げ掛けられているのだろうか。地元の小学生たちの答えを挙げてみよう。
①料理を作ってくれた人②料理の材料を買うために働いている人③お百姓さん④太陽などの自然⑤目の前の食べもの──。そこで、①~⑤の何に感謝するのか、と尋ねると、③以降はイメージが具体的に湧きにくくなる。
確かにお経のように唱えているだけでいいという言い分も一理あるが、ここでは、⑤の食べものの何に感謝するかを、考えてみたい。
まず、栄養価が浮かぶが、食べる時にでんぷん、タンパク、ビタミン、カロリーなどを意識したりはしない。
次に、いのちの糧になっていることへの感謝がある。しかし、食べもののいのちを奪っておきながら、自分のいのちのためと言うのは人間本位に過ぎる。
私たちは食事の時に、相手のいのちを奪っているという気持ちを持たない。全ての食べものは「生きもの」だったし、食べるのは、その生きものの死体だ。ところが、それを悩むどころか、楽しみで、うれしくて食卓に向かう。それが人間の本能だから、という説明で納得してはならない。
ここには農業の最も深い救済がある。生きもの(食べもの)を殺すことを、悩まなくていいのは、農業が生み出した最高の宗教(文化)ではないだろうか。
考えてもみよ。百姓ほど生きものを殺す職業はない。耕せば、草も虫も死ぬ。間引いた苗は捨てられる。草や虫は殺すために捕る。百姓に殺された生きものたちは、土に「かえって」いく。そして季節が巡り、また生まれてくる。もちろん死んだ個体と、生まれてくる個体は、同じ個体ではないが、百姓は「また今年も生まれてきたね」「また今年も会えたね」と感じる。「かえって」来たのである。
「かえる」の意味
「かえる」という言葉は、とても深い言葉だ。死んでいく時だけに使われるのではない。ひなや虫たちが卵からふ化するのも「かえる」という。
「よみがえる」とは、黄泉(よみ)の国から、この世にかえってくることを指している。身体は消滅しても、「いのち」はよみがえって、また生まれ、また会える。だからこそ、百姓は、百姓仕事による殺生を悩まなくてもいいのだ。
食卓もこの延長にある。かつて私たちは食べものを、神や仏に感謝して食べていた。現代では、食べものが生きものであったことを思い浮かべるために「いただきます」と唱えてほしい。
生きもののいのちに、かえって来てね、また会おうね、と思うのが、感謝なのではないか。
うね・ゆたか 長崎県生まれ。農業改良普及員時代の78年から減農薬運動を提唱。「農と自然の研究所」代表。これまでの思索を7月に『日本人にとって自然とはなにか』(ちくまプリマ―新書)として出版。画期的な語り口が評判に。
日本農業新聞の購読はこちら>>
2019年11月25日

農業と地球温暖化対策 欠かせぬ自給率向上 農林中金総合研究所客員研究員 田家康
「農畜産物の輸入は隠れた水の輸入だ」と、東京大学の沖大幹教授は長年訴えている。農業生産には多くの水が必要であり、農産物の国際取引とは「仮想水」の輸出入と考えるからだ。沖教授の研究によれば、2000年時の日本の仮想水の輸入は、米国、オーストラリア、カナダ、ブラジルなどから640億立方メートルであり、国内の近年での農業用水量約590億立法メートルを上回るという。日本は年間平均降水量が1700ミリと真水に恵まれた国でありながら、人口増加や異常気象による水不足に苦悩する海外の国々から仮想水を輸入していることに、沖教授は警鐘を鳴らしている。
来月にはスペインのマドリードで気候変動枠組み条約締約国会議(COP25)が開かれる。15年のパリ協定で地球温暖化対策が全て決まった印象を受けるが、その後の締約国会議で実施規則が議題となっている。20年以降、加盟国は合意した実施規則に沿って、気温上昇は2度を十分に下回る水準に抑制すべく長期目標を立て、実行していくことになる。
産業別では4位
温室効果ガスの排出量を産業別に見ると、農業部門も相応の割合にある。世界全体で見ると11%で、電気・暖房の31%、運輸の15%、製造業の12%に次ぐ割合だ。各国の農業部門の排出割合は産業構造によって異なるが、米国も欧州も共に9%と世界全体に近い水準にある。
一方、日本での温室効果ガス排出量の産業別割合を見ると、16年時点で農業部門は2・6%だ。排出量そのものは1990年から一貫して減少が続いており削減努力を見て取れるが、産業別の割合の小ささ自体は農産物の多くを輸入しているからだ。
輸入=排出移転
仮想水の考え方を引用すれば、農産物の輸入とは、自給自足の農業であれば国内で排出していた温室効果ガスを海外に移転していることになる。
先に見たように、海外からの輸入仮想水は国内の農業用水を上回っている。生産額ベースで見た18年の食料自給率は66%であり、国内で消費する食料のおおむね半分を輸入していると仮定できよう。自給自足であれば、日本の農業部門の温室効果ガスの排出量は現在の2倍程度という計算になる。
パリ協定では、先進国だけでなく全ての加盟国に対して、温室効果ガスの削減を求めている。開発途上国であっても排出量を減らす実績を上げなければならない。日本が農産物を今まで通りに輸入し続ければ、いずれは自国で対処すべき温室効果ガスを海外移転していると国際的な非難が起きる恐れがあるのではないか。
国内農業は施設園芸での省エネなどにより、温室効果ガス削減対策の成果は着実に積み上がっている。輸入に頼らず食料自給率を高めることは、地球温暖化対策として国際的に胸を張れるに違いない。
たんげ・やすし 1959年生まれ。農林中央金庫森林担当部長などを経て、農林中金総合研究所客員研究員。2001年気象予報士資格を取得し、日本気象予報士会東京支部長。著書は『気候文明史』『気候で読む日本史』など。
日本農業新聞の購読はこちら>>
2019年11月18日

台風被害と日米協定 現在進行中の無責任 明治大学名誉教授 中川雄一郎
台風被害──。9月と10月に東日本を襲った台風15、19、21号関連による農林水産業の被害が2100億円を超えているとのことである。農水省が1日までに都道府県から受けた各報告の集計によると、19、21号関連が同日午前7時点で1679億円、15号が509億円である。被害額は調査中で今後さらに膨らむ可能性がある。農水省によれば、この台風で「約3万4000ヘクタールの農作物・果樹、70万匹の家畜、2万6000件の農業用ハウス」が被害に遭い、「農地約9500カ所、農業用施設約1万2000カ所」が損壊している。農作物とハウスの被害は2018年の西日本豪雨を大きく上回る。
自然の猛威痛感
台風は人間(ひと)をも襲った。記録的な大雨による河川の氾濫、堤防の決壊、山崩れ、崖崩れ、土砂崩れ、地滑りなどによって人命が奪われた。それが「実りの秋」を願い、歓喜し合う私たち人間(にんげん)に対する「自然のしっぺ返し」であるというのであれば、私たちの日頃の生活と労働があまりにむなしく思えてくる。
環境活動家でもあるスウェーデンの高校生、グレタ・トゥーンベリさんが4月にイギリス議会で訴えたあの言葉が思い出される。「根本的な問題は、要するに、気候や生態系の崩壊を阻止すること、あるいは遅らせないことに対してすら、何も行われていないところにあります。きれい事や約束は山ほど耳にしますが、現在進行中のこの無責任な行為は、人類史上最悪の失敗として記憶されることは間違いないでしょう」。近い将来に気候変動と地球の気温上昇を抑え、生態系を正常化しようとの彼女の訴えは、現在の日本の経済的、政治的、社会的な在り様を問うているように私には思える。これが一つ。
「かせ」を許した
日米貿易協定──。もう一つは「日本の農業と食を守り、地域社会を発展させる」ための政治に対する「反面教師の在り様」についてである。ここでは日米貿易協定の「一方的譲歩」を地で行った安倍政権の政治姿勢について簡潔に描写しておく。この協定は、結局のところ、安倍政権がトランプ政権のために環太平洋連携協定(TPP)並みの関税撤廃・縮小を承認し、農畜産物に関わる要求を全面的にのみ込んで日本の小規模(家族)農畜産業の生産者に「かせ」を掛けることを承認したのである。米国産トウモロコシの大量輸入はその開始である。こうした農業生産に対する手かせ・足かせは日本の地域経済に、ひいては日本経済全体に大きな打撃となって現れ、やがて私たちの生活と労働に多大な不安をもたらすだろう。
トゥーンベリさんの言葉を借りて言えばこうである。「(安倍政権の)きれい事や約束は山ほど耳にしますが、現在進行中のこの無責任な行為は、(現代日本の)最悪の失敗として記憶されることは間違いないでしょう」
なかがわ・ゆういちろう 1946年静岡県生まれ。明治大学名誉教授。元日本協同組合学会会長。ロバアト・オウエン協会会長。著書『協同組合のコモン・センス』『協同組合は「未来の創造者」になれるか』(編著)などがある。
日本農業新聞の購読はこちら>>
2019年11月04日

譲歩重ねる日米貿易 FTA交渉 歯止めを 立教大学経済学部特任教授 金子勝
これほど譲歩を重ねてしまう「外交」交渉などあっただろうか。
そもそも当初、環太平洋連携協定(TPP)に入らないと言ってTPPに入り、トランプ政権がTPPから離脱すると、今度はTPPに引き戻すと言いだしながら、日米貿易交渉に入った。そして、TPPの水準を下回らないと公言した。だが、この「公約」も守れそうにない。
実際、9月25日の日米首脳共同声明第3項で「互恵的で公正かつ相互的な貿易を促進するため、関税や他の貿易上の制約、サービス貿易や投資に係る障壁、その他の課題についての交渉を開始する」と書かれた。米国通商代表部のライトハイザー代表は、来年5月にも「できれば完全な自由貿易協定(FTA)」を議論したいと述べている。
「TPP以上」濃厚
日米貿易交渉は序章にすぎず、日米FTA交渉は継続しそうな気配である。しかも、それはTPP以上の水準になることを防げない。
まず、TPPの時には合意されていた自動車関税2・5%廃止に関して、米国政府は「今後のさらなる交渉次第である」との表現に止めている。加えて、通商拡大法232条に基づく自動車関税25%の脅しを背後に、日本側にさまざまな要求を突きつけてきた。トウモロコシの輸入問題だけでなく、日米の合意文書の枠外で、自動車でもトヨタは100億ドルだった米国投資に30億ドルを上乗せし、さらにテキサスのトラック工場に4億ドルを出すと発表した。
牛肉関税問題も実は決着がついていない。牛肉のセーフガード(緊急輸入制限措置=SG)発動に際して、10月7日公表の政府間の交換公文でも、米国側はSG発動の場合、「当該農産品SG措置に適用のある発動水準を一層高いものに調整するため」、「発動後10日以内」に「協議を開始」し、「発動後90日以内に当該協議を終了させる」とする。関税が引き下げられ輸入が増加する度にそれを認めさせ、さらに市場開放を急がされていく可能性が大きい。
農業関係者はアクセス米問題が表面化しなかったためにほっとしている向きがある。だが、再び日米FTA交渉が始まれば、そこで「農産品に関する特恵的な待遇を追求する」という米国政府の立場からして、再び農産物関税が交渉される可能性がある。
影響検証進めよ
何をすべきか。まず、政府はこの貿易協定の影響をきちんと検証することが先決だ。10月18日に政府は日米貿易協定で農林水産物の生産額が600億~1100億円減少するとの試算を公表した。しかし、生産量への「影響ゼロ」との根拠が示されていない。農家の所得影響額を検証した上で、所得を補償する対策が必須である。
次に、農畜産物の安全性に関して真剣に対抗策を講ずるべきである。すでに、欧州は乳がんなどのリスクがあるとして、成長ホルモン剤投与の米国産牛の輸入禁止措置をとっている。日本国内でも同様の禁止措置があるが、国内外で厳格に実施すべきである。
最後に、日本が今後ずるずると日米FTA交渉に引きずり込まれないように国会論議で歯止めを明確にすべきだろう。
かねこ・まさる 1952年東京都生まれ。東京大学大学院博士課程修了。2000年から慶応義塾大学教授、18年4月から現職。著書に『金子勝の食から立て直す旅』など。近著に『平成経済 衰退の本質』(岩波新書)。
日本農業新聞の購読はこちら>>
2019年10月28日

日米貿易協定 農民勝たせる政治を 日本金融財政研究所所長 菊池英博
安倍晋三首相と米国のトランプ大統領は9月25日にニューヨークで会談し、日米貿易協定の最終合意を確認して共同声明に署名した。安倍首相はウィンウィンだとして交渉が成功したと言っているが、協定内容をみると日本側に不利な要因が多く見られる。
民主主義に反す
大きな問題は、最終合意まで政府から情報開示がなく、国民の意見を事前に聞かずに政府のご都合主義で協定内容が決まったことだ。民主主義の大原則に反する行為で、看過できない。
共同声明では、「今回の協定発効後、4カ月以内に次の協議テーマを決める」ことになっており、次の交渉で米国は日本側にさらなる関税引き下げ(環太平洋連携協定=TPP=以上)と自動車の関税引き上げ、為替条項(円安誘導を制限される)の採用などを追加させられる余地を残している。
安倍総裁率いる自民党は、2012年12月の選挙でTPP参加反対を訴えて政権に復帰した。ところが、政権に復帰するとTPP参加に豹変し、さらに必要がない欧州連合(EU)との貿易協定まで締結して日本の食料自給率を低下させている。18年度の日本の食料自給率(カロリーベース)は過去最低の37%に落ち、食料生産額は2年前に比べ2ポイント減の66%だ。田畑が縮小して農業所得は減少している。
トランプ大統領は交渉後に今回の協定は「公正で互恵的な協定だ、米国の農民が勝ったのだ」と述べたことが注目される。米国農民が勝ったのであれば、負けたのは日本農民だ。
財政支援に大差
米国は1930年代の大恐慌の時に農産物が売れ残り、農民は貧困状態に落ち込んでしまった。そこで、戦後の米国は食料自給率を100%以上にすることを国家目標とし、さらに農産物を安全保障上の戦略物資と位置付けて、党派を問わずに農業振興・農民支援に多額の奨励金を支給してきた。
『よくわかるTPP48の間違い』(農文協)による「農業に対する政府支出の国際比較」のうち「農業生産額に対する農業予算の割合(2005年)」では、日本が27%、米国は65%であり、米国農民は日本農民よりも2・4倍の財政支援を受けている。この比率が19年度でも継続しているとすれば、日本の101・4兆円の国家予算のうち農水予算は2・4兆円であるので、米国並みにするにはこの2・4倍である5・8兆円が必要である。
米国は食料自給率が130%(カロリーベース、農水省)であり、米国農民は日本よりも多い国の援助を得て生産に励み、余剰農産物が出れば大統領が支援してくれる。
安倍首相に問いたい。貴殿はTPPに反対したので政権に復帰できたのに、権力を握るや農民への約束をほごにしたのだ。トランプが自国の農民を支援する姿勢を見て、貴殿も見習ってはどうか。貴殿もトランプのように自国の「農民を勝たせる政治家」になってほしい。
きくち・ひでひろ 1936年生まれ、東京大学教養学部卒、東京銀行(現三菱UFJ銀行)を経て95年から文京女子大学(現文京学院大学)・同大学院教授。2007年から現職、金融庁参与など歴任。主要論文「日本農業は過少保護、農林中金の利益が生産に必要」(『週刊エコノミスト16年5月25日』)など。
日本農業新聞の購読はこちら>>
2019年10月21日

持続可能な物流 顧客も“意識改革”を 立教大学経済学部教授 首藤若菜
スーパーには日々新鮮な食品が並ぶ。野菜や果物は、ほぼ毎日農家から市場へ、市場から小売店へと運ばれる。それを担うのが物流だ。トンベースで見ると、国内貨物の9割がトラックで運ばれている。
だがここ数年、お盆や年末などの繁忙期には物流の滞りが懸念され、年度末には「引っ越し難民」が社会問題となってきた。これらは、人手不足によって引き起こされている。荷物もトラックもあるのに、ドライバーが足りないのだ。
多くの産業で人手不足が指摘される。だが、全産業平均の有効求人倍率1・40に対し、自動車運転の職業は3・05(2019年7月現在)であり、この業界の労働力不足は深刻である。
かつてトラックドライバーは「キツいが、稼げる仕事」と言われ、若者が多く参入する職業だった。しかし今は、新規求職者の2人に1人が45歳以上であり、営業用大型貨物自動車運転者の平均年齢は、男性労働者の平均を5歳上回る。
背景には、この業界の労働条件の低下がある。そもそもトラックドライバーの仕事は、早朝・深夜を含む運行が多く、就業時間が不規則になりがちで、運転以外にも荷役など身体的負荷のかかる業務が多い。にもかかわらず、それに見合った賃金を受け取ることが難しくなった。1990年代、運賃が低下し、それに伴いドライバーの賃金が下がっていった。現在は、男性労働者平均と比べて、トラックドライバーの賃金は2割低く、労働時間は2割長い。
労働時間短縮へ
このままでは、物流が持たない──との危機感から、業界団体、労働組合、国土交通省・厚生労働省などが中心となり、労働環境の改善に本格的に取り組み始めた。
従来、労働問題の解決は、労使間で話し合い、政府がルールを作ることが主だった。しかしこの業界では、荷主を巻き込んで問題を解決しようとしている。適正な運賃の収受や長時間労働の是正にも荷主の協力が必要だと考えられている。多くのドライバーが荷主からの指示により、荷積みなどの付帯業務を請け負い、荷待ちしている結果、長時間労働となっているためだ。むろん荷主は、他社で雇用されるドライバーの長時間労働に法的責任はない。しかし、荷主の行動とドライバーの労働の在り方は、無関係ではない。
特に農水産品の輸送は、負荷が高いといわれてきた。国交省・厚労省の調査によれば、農水産品輸送は、検品などの荷役時間や手待ち時間が長く、1運行当たりの拘束時間が最も長い。昨今では、物流市場が逼迫(ひっぱく)する中で運送会社も仕事を選ぶようになり、「キツい」輸送から手を引くところも出てきている。
物流機能を持続させていくためには、荷主や顧客である私たちも、自身が依頼した業務の先に発生する労働に気付き、考えていくことが求められている。
日本農業新聞の購読はこちら>>
2019年10月14日

スマート農業 体系的な学びの場を 北海道大学農学部教授 野口伸
農業のスマート化は情報通信技術(ICT)やロボットなどの先端技術により「農作業の姿」を大きく変えるものだ。スマート農業の本質は、農家の「経験」と「勘」に依存した従来農業から「データに基づいた農業」への転換と作業の省力化である。新規就農の促進にも有効であるため農業のスマート化は日本農業が抱える諸問題を解決する上で期待が大きい。
内閣府戦略的イノベーション創造プログラム(SIP)「次世代農林水産業創造技術」では2014年度から5年間をかけてスマート農業の技術開発を行った。今年度から現場実装が本格化した。SIP以外にも衛星リモートセンシング、ドローン(小型無人飛行機)、ロボット草刈り機、アシストスーツなど、様々なスマート農業に資する製品・サービスが続々と販売されている。
全国に実証事例
今後、これらスマート農業技術の導入効果を多くの担い手に速やかに肌で感じてもらう必要がある。農業はいうまでもなく地域産業であり、作目、気象、土壌、地理的条件など地域特性を十分考慮して、地域に適合したスマート農業技術の導入が成功のカギである。そのためには日本全国に広くスマート農業実証モデルを設置して、その成功事例を対外的に示すことである。スマート農業によって農家が“稼げる”ことを証明することが、担い手に対して最も説得力のある普及推進活動である。実際に農林水産省は19年度から2カ年の事業で「スマート農業技術の開発・実証プロジェクト」と「スマート農業加速化実証プロジェクト」を全国69カ所で開始した。この事業成果には大いに期待したい。
ICTやロボットを活用するスマート農業は従来の農機をはじめとした作業技術と大きく異なり、導入に大きな投資を必要とするため、円滑な普及には、新技術の効果的な利用法に対する「学びの場」を必要とする。言い換えると現場実装にはユーザーである担い手に、スマート農業の潜在力を理解してもらうことから着手しなければならない。
そのためスマート農業に関するセミナーや実演会はもちろんであるが、技術から経営まで体系的に学べる研修プログラムも必要である。その研修プログラムも「ワカモノ」「地域農業をけん引する専門人材」「担い手」に分けて整備する必要がある。次世代農業を担う若者に対してはスマート農業をフル活用できる人材を養成すべく農業高等学校、農業大学校にカリキュラムを編成すべきであろう。単なる新技術のトピックスとしてでなく、スマート農業体系を学べる科目編成であることが要求される。
eラーニングも
専門人材や担い手には切れ目ない研修の機会を自治体、JAなど関係機関が連携して構築することが望まれる。実務を抱える専門家や担い手向けの教育システムには効率的に学習できるeラーニングの導入を検討した方が良い。自治体―企業―地元大学・研究機関がコンソーシアムを組み、スマート農業を核にした地域農業のグランドデザインの策定とその実現に必要な人材育成の取り組みがこれからの農業の活路である。
のぐち・のぼる 1990年北海道大学大学院博士課程修了。農学博士。同年北海道大学農学部助手、97年助教授、2004年より教授。19年3月まで内閣府SIP「次世代農林水産業創造技術」プログラムディレクター。スマート農業研究に従事。
日本農業新聞の購読はこちら>>
2019年10月07日

米政策の在り方 経営安定策構築急げ 新潟食料農業大学教授 武本俊彦
農林水産業・加工流通業・関連産業をまとめて食料産業とする捉え方がある。生産から加工・流通を通じて消費までをつなぐフードシステムが市場メカニズムを通じて、多様な消費者ニーズに合わせた財・サービスを供給するものだ。その規模は55兆円(対国内総生産=GDP=比10%)の付加価値、116兆円(対全生産活動比11%)の国内生産額に上る。日本経済の1割を占める産業だ。
食ニーズが転換
経済成長の過程で、消費者の食に対するニーズが量から質へと転換した。その中で、家庭で調理していた女性の社会進出、人口の少子高齢化などによる世帯員数の小規模化が進み、外食や中食といった食生活の外部化がもたらされた。その反面、チェーンストア・システムと販売時点情報管理(POS)による情報力を装備した小売業による食品流通部門の支配状況が表れた。その結果、生産者や加工業者との間で自由で公正な競争条件が確保されているのか、または、消費者にとって望ましい豊かで健康な食生活が保証されているのかが懸念されている。
市場メカニズムで、望ましい状況が実現し得ないときには、政府が補完的に関与していくことになる。政府は、望ましい状況となるよう、政策を講ずることで競争環境を整備することになる。
価格形成適正に
米政策は、1995年に食管法が廃止され、昨年からは政府による生産数量目標の配分も行われなくなった。米は食管法ができた当時は国民の食生活にとって死活的に重要で、農業生産の中で圧倒的な地位を占めていた。だが、今や種々の農産物・食品の中の一つにすぎなくなった。米を巡る環境は大きく変化したが、今でも米価の維持が最大の関心事項となっている。
米価維持のために需給調整するといっても国内市場は人口の減少高齢化により確実に縮小し続けるし、実質賃金の減少過程では米価は下落する。米中摩擦などの世界経済の先行きを考えれば円高に振れ、輸入物価は下落する可能性が大きい。また、日米貿易協定の締結によって関税による国産保護効果は期待できない状況がはっきりする。こうした状況を冷静に考えれば、米価維持は国民にとって望ましいことなのか。先物市場どころか適正な価格を形成する現物市場もない中でJAは買い取り集荷を推し進めようとしている。将来の価格下落のリスクをどうやって回避するのか。
いずれにしても政府が取り組むべきは、米価が需給によって適正に形成される環境を整備することだ。価格シグナルは、生産者の将来の経営判断にとって最も重要な情報となる。その上で、為替水準や景気動向によって経営の先行きが不確実となる可能性があるのだから、少なくとも欧米で行われているような総合的で重厚な経営安定措置が発動されるようにすべきだ。それが政府および国会が今取り組むべき課題である。
たけもと・としひこ 1952年生まれ。東京大学法学部卒、76年に農水省入省。ウルグアイラウンド農業交渉やBSE問題などに関わった。農林水産政策研究所長などを歴任し、食と農の政策アナリストとして活動。2018年4月から現職。
2019年09月30日

脊柱後弯症を防ぐ 始めよう 筋活と骨活 医師・作家 鎌田實
長野県で45年間、内科医をしていますが、農村地域では今も時々、背中や腰が曲がった高齢者を見かけます。多くは、脊柱後弯(こうわん)症という背骨の変形です。
原因は、骨粗しょう症が進んで圧迫骨折を起こしたり、骨の間のクッションの役割をしている椎間板がつぶれたりして、背骨の変形が進むためといわれています。脊柱後弯症は、女性のほうが多い傾向にあります。
この脊柱後弯症を防ぐには、骨と筋肉を鍛えることが大事です。そして、生活習慣病や要介護状態になるのを防ぐ上でも、同じことが言えます。
かかと落としを
僕は内科外来の患者さんに、筋肉を鍛える「筋活(きんかつ)」と骨を丈夫にする「骨活(ほねかつ)」を勧めています。
骨活ができる鎌田式かかと落としは、とても手軽な運動です。①テーブルや椅子の背などにつかまって背筋を伸ばして立つ②爪先を上げて1秒キープ③かかとを上げて2秒キープ④かかとをストンと床に落とす──。たったこれだけです。
爪先を上げる動作では、脛(すね)の前側の筋肉を鍛えます。この筋肉を鍛えると、歩く時に爪先が上がりやすくなり、転倒しにくくなります。また、爪先立ちをしている時にはふくらはぎの筋肉が強化されるとともに、毛細血管の流れも良くします。さらにかかとをすとんと落とす際には、骨芽細胞が刺激され、骨密度が高くなります。僕は骨密度が同年代の130%ありますが、このかかと落としを続けたおかげだと思っています。
筋活には、鎌田式スクワットがお薦めです。テーブルや椅子の背につかまって、ゆっくりかがんで、ゆっくり立ち上がっていきます。椅子の座面の高さすれすれまで、お尻を突き出して、体を沈めます。かかと落としもスクワットも、10回を1セット とし、1日3セット を目標に続けてみましょう。『鎌田式「スクワット」と「かかと落とし」』(集英社)は、今ベストセラーになっています。
これらの運動とともに、タンパク質をしっかり取ることも忘れずに。特に、運動後の30分はゴールデンタイム。牛乳やゆで卵、チーズ、ヨーグルト、納豆などを食べるようにしてください。効率的に筋肉を増やすことができます。
介護予防に最適
筋活と骨活を、40歳ごろから続ければ、脊柱後弯症の予防につながりますし、60歳ごろから行えば介護予防になります。もちろん、80歳になっても遅くはありません。
僕はスクワットとかかと落としを毎日続けた結果、3年間で体重が9キロ減って、ウエストも9センチ縮まり、メタボも解消しました。
今71歳ですが、80歳になってもイラクの難民キャンプに診察に行きたいと思っています。そして、生きている限り月に1度くらいは、日帰り温泉にも行きたい。
いくつになっても生き生きと過ごすためにも、ぜひ、筋活と骨活を始めてみてください。
かまた・みのる 1948年東京生まれ。長野県・諏訪中央病院名誉院長。内科医として地域医療に尽力。東北の被災者支援、チェルノブイリやイラク難民キャンプへの医療支援にも取り組む。著書は『がんばらない』『鎌田式「スクワット」と「かかと落とし」』他、多数。
2019年09月23日