川平慈英さん(俳優) 忘れられない母のケーキ 

川平慈英さん

 僕は沖縄で生まれ育ち、1972年の本土復帰の時に父の仕事の関係で東京に出てきました。

 そんな僕のソウルフードは、沖縄で祖母が作ってくれた油みそです。みそにラフテー(豚の角煮)を加えたもので、ご飯に載っけて食べると絶品でした。

 祖母は一緒に住んでいたわけではなかったんですが、僕たちが日曜に教会から家に帰ると、「また作ってきたよ」と油みそを持ってきて待っているんです。祖母はいつも香り袋を持っているから、玄関を開けたとたんに来ているのが分かるんですよ。「あ、油みそが来た」って。

 沖縄独特の料理だと思っていましたが、実は全国に同じようなものがあるんですね。でもあちこちで食べましたけど、おばあちゃんの味にはかないません。とっても濃厚で、優しさにあふれていて。愛が詰まった味でした。
 

米国で農業体験


 もう一つ忘れられない味は、母が作ってくれたキャロットケーキ。うちではキャロットブレットと言ってました。

 母はアメリカ人で、カンザス州のヘストンという人口2000人くらいの農村の出身。実家は農家で、主に小麦と綿を栽培し、豚と羊も飼っていました。うちは男3人の兄弟ですが、川平家のしきたりとして、子どもたちは小学4年生になるとヘストンの伯父の農場に1年間ホームステイして、農作業の手伝いをさせられるんです。子どもであっても、戦力としてしっかり働かないといけません。

 毎朝5時に起きて羊のわら替えをしました。コンバインやトラクターの運転も覚えさせられました。まだ小学4年生ですけど、交通のない私道で乗る分には問題ないというので。子どもの僕が、ジョンディアという緑色の大きなトラクターを運転したんです。

 余談ですけど、おかげで18歳になって東京で運転免許を取る時、初日から半クラッチも坂道発進も縦列駐車も楽々できました。教官に驚かれましたね。
 

共演者にも好評


 そういう農家に生まれ育ったわけですから、母のキャロットケーキは、たっぷり入ったニンジンの味が効いてました。ニンジンをすりおろすのは、僕たち子どもの役目。大きなボウルにたくさんすりました。生地はしっとり。レーズンが入っていて、酸味と甘味のバランスが良かったですよ。

 母は去年の1月に亡くなりましたけど、それまで僕の舞台に必ずこれを差し入れしてくれたんです。あまりにおいしいので、共演の皆さんの間でも好評で、心待ちにされていたんです。「ジェイのお母さんのキャロットケーキ、今度は、いつ来るの?」と。それを母に言うと、満面の笑みで「え、そんなに有名なの?」と言って、作ってくれたものです。

 4年前に突然、伯母が三線(沖縄の伝統楽器)を送ってくれました。「もう私はやらないから」と。僕は自分のルーツに強い興味を持ち始めていたので、練習を始めてみました。

 半年後。東京に出てきている親戚らが集まる、恒例のクリスマスパーティーがありました。みんなチャンプルーなど沖縄料理を持ち寄り、母はキャロットケーキを作り、おいしく食べ、歓談しました。

 そこで僕は三線で「てぃんさぐぬ花」を弾きました。このサプライズに、両親が号泣したんです。僕も演奏しながらもらい泣きをしてしまいました。母が亡くなる前に三線を披露できたのは、本当によかったと感じています。(聞き手=菊地武顕)


 かびら・じえい 1962年、沖縄県生まれ。上智大学在学中からミュージカルに出演。97年、「雨に唄えば」で読売演劇大賞男優賞受賞。読売サッカークラブユースなどでの選手経験を基に、サッカー中継ナビゲーターとしても活躍。11月1日から東京・シアタークリエでのミュージカル「ビッグ・フィッシュ」で主演。
 

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