波乃久里子さん(女優) 父の偏食に振り回されて

波乃久里子さん

 小学校の頃、毎週土曜には必ず母に連れられて、妹と一緒に銀座で映画を見ました。

 映画が終わると、東京温泉(当時銀座六丁目にあったサウナなどの入浴施設)の上の焼き肉屋へ。そこで食べる焼き肉が楽しみで。
 

「焼き肉」は禁句


 というのも父(故・十七世中村勘三郎さん)は偏食が激しくて大変だったんです。ノリと卵と鶏肉とそばしか食べない人だったんですよ。他に食べると言えば、すごくぜいたくなんですけど「吉兆」のハモと「京味」の蒸しずし。「天政」の天ぷらも食べたけど、エビとなんとかぐらいしか食べませんでしたね。向こうのおやじさんも知っていて、それしか出しませんでした。あとは「資生堂パーラー」。

 だから焼き肉を食べたいなんて言ったら、殺されちゃうって思うくらい怒られたの。

 中華も駄目。食べようと言ったら、「待ってます」と店の玄関前で仁王立ちするの。そんなのでは食べられる訳ないですよね。

 父は仕事のお付き合いの人にもそのようなことをしていたんです。豪華なお店に連れて行って「僕がごちそうします」と言うんですよ。それで「僕はスパゲティ」と注文をする。そう言われてしまったら、他の人はそれ以上のものを食べられなくなっちゃいます。

 勇気のある人がいて、ビフテキを頼んじゃったら、父は「あなた、僕がスパゲティなのに、ビフテキ食べますか?」と何度も言って。その人、汗をかきながら食べていました。で、1カ月はそのことを言われ続けるんですよ。

 ですから父が芝居をしている間、母と子どもたちだけで焼き肉を喜んで食べていました。

 日曜日は、月に1回くらいでしょうか、父の芝居が終わってから家族全員で浅草の「金田」に行きました。ここは鶏鍋の店で、いろいろと出てくるんですけど、父は鶏肉以外は何も手を付けませんでした。みんなで鍋を食べるのも楽しかったけど、もう一つうれしいことがありました。お店の下に靴屋さんが入っていて、しょっちゅうではありませんが、そこで靴を買ってもらえたんですね。
 

そば店持つほど


 父はそばが大好きでしたけど、具がいっぱい入っているのは嫌い。温かいそばなら、かまぼこが一つ入っているだけでいい。それにワサビを山のようにおろして食べていました。後はざるそばですね。

 父が好きだったのは、並木の「藪(やぶ)」と赤坂の「砂場」。そば好きが高じて、自分で店を持つくらいでした。「藪」の名前を頂いて、二子玉川の高島屋の6階に出したんです。それが成功して、内幸町の富国生命ビルの地下にも。こちらは昨年、ビルの取り壊しのために閉じたんですけど。

 店は母がやっていたんですが、なぜか父は自分の店のそばを食べようとはしませんでした。

 母が亡くなってからは私が名ばかりの社長で、実際には妹が切り盛りしています。

 今の私の食事は、片腕のまーちゃんが作ってくれています。もう40年以上、毎朝私の家にやって来て和食のおかずをいろいろと。舞台のある日は、お弁当まで作ってくれます。色とりどり、5、6品入っているんですよ。

 そればかりではなく、劇団の若い子たちのためにおにぎりとゆで卵を作ってくれるんです。かなりの人数ですから、午前6時半に来て2時間もかけて作る。頭が下がります。まーちゃんの料理がおいしくて、完全に飼いならされてしまいました。(聞き手=菊地武顕)

 なみの・くりこ 1945年東京都生まれ。50年に十七世中村勘三郎襲名披露初春大歌舞伎公演で初舞台。61年に劇団新派に初参加し、翌年入団。初代水谷八重子の薫陶を受け、芸を引き継ぐ。2011年に紫綬褒章、16年に旭日(きょくじつ)小綬章を受章。6月7~28日、東京・三越劇場で新派公演「東京物語」出演予定。
 

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