中学生の頃、当時の福田赳夫首相の印象は悪かった

 中学生の頃、当時の福田赳夫首相の印象は悪かった。自民党総裁選の予備選で敗れた時の「天の声にも変な声」という言葉を、未練がましいと感じたのである▼石橋湛山元首相と並ぶ潔い退陣だったと知ったのは学生時代。不明を恥じた。病気で石橋は在任65日で辞職した。その26年前、テロで重傷を負った当時の首相に対して雑誌の論説で、健康問題を理由に退陣を要求。同じ論理で自らの進退も決した。福田も、予備選の結果に従うとの自分の言葉に責任を持つとして、本選を辞退した▼福田の在任期間は2年にすぎないが、「15カ月予算」で景気を回復し、外交では日中平和友好条約を締結した。「福田ドクトリン」も高い評価を得た。日本は軍事大国にならず、東南アジアの平和と繁栄に友人として寄与すると説いた▼政治学者の五百旗頭真さんは、『戦後日本の宰相たち』(渡邉昭夫編)に「記録に基づいて政策成果を測る時、意外に高い評価が与えられるのではなかろうか」と記す。きょうで没後25年。経済通の福田は国会でこう述べた。「成長はその高きをもって尊しとはしない。成長の質こそが大事である」と▼「成長」を「在任期間」に、「高き」を「長き」に置き換えた時、出身派閥の創始者の“レガシー”を安倍首相はどう受けとめるだろう。
 

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