日本社会の今 非寛容が招く「暗さ」 思想家・武道家 内田樹

内田樹氏

 高校の教員をしている若い門人が、4月から特進クラスの担当を命じられたけれど、どういう心積もりで取り組んだらよいだろうかと聞いてきた。こんなふうに答えた。
 

「空間」なき教育


 今の学校教育の現場では、子どもたちは「身動きできない」「息苦しい」という印象を抱いている。子どもたちがルールに縛られ、絶えず上位者によって査定され、その格付けに基づいて可動域や資源分配が決定されるシステムに組み込まれているからだ。でも、そんなこわばった状態のままでは子どもたちは成熟できない。成熟のためには、深く呼吸ができ、背が伸び、身体が大きくなるだけの「空間」が必要だ。でも、それが今の学校には一番欠けている。「隙間」とか「余裕」とか「緩さ」とか「異物に対する寛容」というものが一番欠けている。もし、君が子どもたちの成熟を本当に支援したいのなら、まず教壇に立つ君自身が上機嫌で、いつも笑顔で子どもたちに接することだ。教師である君自身が愉快で、親切で、大抵のことは笑って許せる人間であることが何より大切だよ、と。
 

監視強化は不毛


 先日、神戸市で教員による教員へのいじめが事件になった。その件について、いくつかのメディアから取材が来た。記者たちは口をそろえて「いじめが発生しないように、どういうルールを作ったらよいのでしょう」と聞いてきた。私はいささか気色ばんでこう答えた。

 君たちがそういう発想にしがみ付いているから、現場がさらに暗くなり、さらに非寛容になるのだ。管理と統制を強化すればするほど、教員たちは自尊心を失い、査定におびえ、自由に発想することができなくなる。そのやり場のない屈託が、周囲に対する攻撃として無意識のうちに解発される。それが「いじめ」じゃないか。不自由であることに苦しんでいる教員たちをさらに縛り付け、さらに監視を強化することから何か「良きもの」が生まれてくると君たちは本気で思っているのか、と。

 今の日本社会に取り付いているのは「管理と査定がもたらす暗さ」である。それは管理し、査定する側だけに責任があるのではない。この「暗い」システムを告発する人たちもまた粘着的で、非寛容で、「暗い」批判の語法を気付かぬうちに操っている。鏡像関係なのだ。どこにも笑顔がない。優しさがない。寛容さがない。

 そう語っている私自身も、つい声や表情が険しいものになる。どこかでこの循環を止めなければならない。

 うちだ・たつる 1950年東京生まれ。思想家・武道家。神戸女学院大学名誉教授、凱風館館長。専門はフランス現代思想など。『私家版・ユダヤ文化論』で小林秀雄賞、『日本辺境論』で新書大賞。近著に『日本戦後史論』(共著)、『街場の戦争論』
 

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