水谷八重子さん(女優) 疎開時の味 “甘い”思い出

水谷八重子さん

 今思い起こしますと、戦争で非常に辛い思いをされた方々には申し訳ないのですが、私にとって戦時中はとても甘い思い出の時期なんです。というのも、うちは父(歌舞伎俳優の14代目守田勘彌)も母(女優の初代水谷八重子)も舞台で忙しく、家族みんなで過ごすということができませんでした。

 一家で熱海に疎開した時だけなんです、ちゃんと両親と一緒にいられたのは。ちょうど物心がついたくらいの頃で、短い期間ですが、いろいろ覚えています。
 

夏にはトウガン


 食卓に上がったものは、季節がはっきりとしていました。

 夏になるとトウガン。トウガンメインの、冷たい透き通ったおつゆみたいな家庭料理をいただきました。よく冷えていて、暑さを和らげてくれました。これが出ると、夏が来たなと感じたものです。

 冬といえばアンコウ。父が大好きでした。私は子どものくせになぜか肝が好きで。お鍋から肝を見つけて取ると、母から「まだお父さまが召し上がっていないのに」と叱られました。

 後になって普通とは季節感が違うことを知ったのですが、うちでは夏に、茶わん蒸しを冷やして食べていました。大きくなって友だちから、冬の熱い食べ物だと聞いてびっくり。誰に聞いてもそうだと言うんです。今、コンビニに行きますと、冷えた茶わん蒸しが売っていますでしょう。家でレンジでチンして食べるんですよね。でも私は冷たいまま食べています。熱海の夏を思い出しながら。

 食事でよく出てきたのが、すいとんです。辛い思いをした方にとっては思い出したくない食べ物だそうですが、私は今でも時々食べたくなります。おそばやさんに行ってそばがきを見ると、ついすいとんを思い出したりします。

 同じように、配給のサツマイモの「農林1号」も、急に食べたくなります。細くて長く、中身は真っ白でした。とても柔らかく、ゼリーみたいな食感。お芋の味があまりしなくて、お菓子の延長みたいな感じで食べていました。もう作られてはいないんでしょうね。
 

大好きなヨメナ


 消えたといえば、ヨメナ(キク科の植物)もそうです。いつの頃からか見掛けなくなりました。母が大好きで、おひたしで食べていました。熱海時代、あぜ道でヨメナを摘むのが、私に課せられた仕事。葉っぱの幹に毛が生えている「鬼ヨメナ」と呼ばれているのがあって、そちらは食べないんです。

 私の仕事はもう一つあって、一升瓶に入れた玄米を棒でついて精米しました。

 友だちと山に行っては、グミを取って食べ、野イチゴをヘビイチゴと間違えないように気を使いながら摘んで食べていました。

 大人たちはどこの家でも、庭で野菜を作っていました。うちは山の上の方でとても日当たりが良かったから、できたトマトは本当に大きかったですねえ。

 トマトって上の方が、まるでギャザーのように寄っていますでしょう。あそこが臭いんですよね。私はまだ青いトマトのそこを触ってしまって、手に付いた匂いがなかなか取れず、それで大嫌いになってしまったんです。そんな私に、両親と祖母は口酸っぱく「トマトを食べろ」と。祖母は貴重なお砂糖を掛けてまで食べさせようとしました。大切な栄養源だったのでしょう。

 何不自由なく食べたいものを食べられる今、なぜか食で思い出すのは戦争中のこと。熱海で過ごした家族との大切な思い出です。(聞き手=菊地武顕)

 みずたに・やえこ 1939年東京都生まれ。55年、水谷良重の名で歌舞伎座新派公演で初舞台。その初日にレコード「ハッシャ・バイ」を発売し、ジャズ歌手としてもデビューした。95年に2代目水谷八重子を襲名し劇団新派をけん引する。5月13日、東京・ヤマハホールで「A●LIVE81? 命あるかぎり」開催予定。

編注=●はハートのマーク

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