コロナ禍に見る人類の行方 資本主義考え直す時 百姓・思想家 宇根豊

宇根豊氏

 コロナウイルス禍にあって、百姓仕事はありがたいと感じている。密集し、密接している相手は草木であり、虫や鳥や動物であるからだ。これらの有情(うじょう)に比べると、人間とは弱くて危険な生き物である。

 しかし、歴史的に見ると、農業は旗色が悪い。「天然痘や結核など感染症のほとんどは家畜に由来し、農耕と定住を始めたことで人類も感染し始めた。狩猟採集時代は疫病を免れていた」というのが定説だ。だが、産業革命による都市への過度な人口集中と近年のグローバル化がなければ、感染症がここまで深刻化しなかったのも事実だ。
 

都市からの撤退


 コロナ禍で、未来が垣間見えてきた気がしてならない。1万年前に農耕が始まったが、今から1万年後に人類は存在しているだろうか。その前に新種のウイルスによって滅亡するかもしれない。

 ウイルスとの闘いは、農耕で始まったが、これまではどうにか共生してきた。まん延すれば、免疫も獲得できた。ところがウイルスの変異のスピードと拡大の規模が、格段に違ってきている。やがて人類は都市に住めなく(住まなく)なるだろう。人口も減っていくだろう。田舎で農林漁業、自給的な暮らしに戻るしかない。

 そこで一つのイメージを描いてみよう。弥生時代後期の、この列島の人口は60万人だった。大まかに計算すると現在の大字単位に1集落(20人)が暮らしていた。私たちの子孫は未来、この規模でウイルスに最後の闘いを挑んでいるかもしれない。

 もう一つの予感は、感染症で近い将来に資本主義が終わることだ。コロナ禍で、経済成長率への影響ばかりが声高に語られるのが不思議でしようがない。これを機に、そろそろ資本主義の先を考えてみようではないか。

 資本主義には「経済成長」が不可欠だと言われている。しかし、「不要不急」の物質を経済成長に寄与するというだけの理由で、生産・消費してきた。これを「進歩・発展」と思い込んできた。

 そこで1人10万円の給付金の差し押さえ禁止法が国会で可決されたことに注目する。1935年に農本主義者たちが「飯米の借金回収のための差し押さえを禁止する法律」を衆議院で可決させたことを思い出したからだ。残念ながら貴族院で阻止され、運動は成功しなかった。百姓とその家族が国民の半数を占めていた時代だった。米流通の主導権を奪い取り、資本主義ではない社会を構想した百姓たちが、この国にもいたのだ。
 

基本給付に期待


 ところで10万円を、全国民に毎月給付すると、ベーシックインカム(国民基本給付)という制度になる。資本主義の次の段階として、北欧で社会実験が始まっているものだ。

 市場経済に振り回されずに、家族のために、地域のために、天地自然のために、そして自分のために働くことができるようになる。

 コロナ禍をやり過ごして元に戻るのではなく、人類史を考える機会にしたいものだ。私は種まきを終え、水をたたえた苗代を眺めながら、そう考えた。

 うね・ゆたか 1950年長崎県生まれ。農業改良普及員時代の78年から減農薬運動を提唱。「農と自然の研究所」代表。農学博士。主な著書『日本人にとって自然とはなにか』『百姓学宣言』。農本主義者の飯米闘争は『愛国心と愛郷心』(農文協)の中で紹介している。

 

おすすめ記事

論点の新着記事

検索

e農サーチ e農サーチとは