[未来人材] 26歳。大農家・父の背中追い若手6人で新会社設立 トマトの概念変える 滋賀県甲賀市 今井大智さん
2021年01月17日

「トマトの概念を変えたい」と夢を語る今井さん(滋賀県湖南市で)
滋賀県甲賀市の今井大智さん(26)は、同じ農業生産法人で働く20代の若者だけで会社を立ち上げ、先端技術を駆使した高糖度トマト栽培に取り組んでいる。“本業”の傍ら、早朝や夜などの勤務時間外を使って、仲間とトマト栽培に明け暮れる日々を送る。若手だけで何か新しいことに挑戦したい――。農業の魅力に取りつかれた若者が新たな一歩を踏み出した。
「これはもう、トマトの形をしたあめ玉だ」。“異次元”の甘さが特徴の自慢のトマトについて、今井さんは笑顔で話す。
実家は県内でも指折りの大農家だ。100ヘクタールを超える広大な農地で米や野菜を生産する他、市内で農産物直売所やレストランも経営する。ただ「元々農業にそれほど関心があるわけではなかった」と振り返る。
転機となったのは大学2年生の時。授業で訪れたインドだった。餓死した人の遺体が街中に横たわる光景が今でも脳裏に焼き付く。「がらりと世界観が変わった」。食のありがたみを実感した。食を供給する農業の大切さにも気付かされた。
大学卒業後は1年間、専門学校で農業の基礎を学んだ。23歳で実家の農業生産法人に就職した。
就職後は、法人の代表でもある父の背中を追うようになった。父は29歳の時には地域の後継者仲間をまとめ上げ、麦や大豆に特化した法人を立ち上げ、新たな事業を手掛けていた。「何か新しいことに挑戦したい」という思いが、常に頭の片隅にあった。
そんなとき、農産物の甘味を最大限引き出す「アイメック農法」に特化した高機能ハウスを、地域の事業者が手放すという話が舞い込んだ。
昨年10月、自身を含め法人で働く20代の若手6人で新会社「ROPPO(ロッポ)」を設立。各メンバーが踏み出す「1歩」を足した「6歩」にかけて名付けた。ハウス1棟で1200本のトマトを栽培。これまで通り法人で働きながら、勤務時間外をフル活用して運営する。
高級果実のようにトマトを箱詰めして贈答用に──。「“異次元”の甘さを武器にトマトの概念を変えたい」。販路開拓や会社運営など慣れないことばかりだが、夢に向かって突き進む。
新会社のインスタグラムアカウントは、ほぼ毎日更新。「消費者は生産者の顔を見て農産物を買う」との考えから、消費者への情報発信を重視する。投稿する写真は週末に撮りだめする。手描きのイラストなども織り交ぜ“映え”を意識する。
現在は、「3秒で友達になれる」といったキャッチコピーと共にメンバーを紹介、ファンづくりに取り組んでいる。
「これはもう、トマトの形をしたあめ玉だ」。“異次元”の甘さが特徴の自慢のトマトについて、今井さんは笑顔で話す。
実家は県内でも指折りの大農家だ。100ヘクタールを超える広大な農地で米や野菜を生産する他、市内で農産物直売所やレストランも経営する。ただ「元々農業にそれほど関心があるわけではなかった」と振り返る。
転機となったのは大学2年生の時。授業で訪れたインドだった。餓死した人の遺体が街中に横たわる光景が今でも脳裏に焼き付く。「がらりと世界観が変わった」。食のありがたみを実感した。食を供給する農業の大切さにも気付かされた。
大学卒業後は1年間、専門学校で農業の基礎を学んだ。23歳で実家の農業生産法人に就職した。
就職後は、法人の代表でもある父の背中を追うようになった。父は29歳の時には地域の後継者仲間をまとめ上げ、麦や大豆に特化した法人を立ち上げ、新たな事業を手掛けていた。「何か新しいことに挑戦したい」という思いが、常に頭の片隅にあった。
そんなとき、農産物の甘味を最大限引き出す「アイメック農法」に特化した高機能ハウスを、地域の事業者が手放すという話が舞い込んだ。
昨年10月、自身を含め法人で働く20代の若手6人で新会社「ROPPO(ロッポ)」を設立。各メンバーが踏み出す「1歩」を足した「6歩」にかけて名付けた。ハウス1棟で1200本のトマトを栽培。これまで通り法人で働きながら、勤務時間外をフル活用して運営する。
高級果実のようにトマトを箱詰めして贈答用に──。「“異次元”の甘さを武器にトマトの概念を変えたい」。販路開拓や会社運営など慣れないことばかりだが、夢に向かって突き進む。
農のひととき
新会社のインスタグラムアカウントは、ほぼ毎日更新。「消費者は生産者の顔を見て農産物を買う」との考えから、消費者への情報発信を重視する。投稿する写真は週末に撮りだめする。手描きのイラストなども織り交ぜ“映え”を意識する。
現在は、「3秒で友達になれる」といったキャッチコピーと共にメンバーを紹介、ファンづくりに取り組んでいる。
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梨の収穫量2割減 主産地で天候不順 20年産
2020年産の日本梨の収穫量が17万500トンとなり、前年から3万9200トン(19%)減ったことが農水省の調査で分かった。主産地の関東で、天候不順などから収量が落ち込んだことが響いた。果実を収穫するために実らせた結果樹面積は1万700ヘクタールで、同400ヘクタール(4%)減。農家の高齢化などを背景に、減少が止まらない。
10アール当たり収量は1590キロで、前年を300キロ(16%)下回った。収穫量が全国3位の茨城、5位の栃木などで、開花受粉期の低温で着果数が減ったことや、夏場の天候不順で生育障害が多発し、収量が大きく落ちたことが影響した。茨城は1460キロで同30%減、栃木は1540キロで同37%減った。全国4位の福島も同17%減、6位の鳥取も同23%減った。
全国の出荷量は15万8500トンで、同3万5400トン(18%)減った。農家の高齢化など生産基盤の弱体化を背景に結果樹面積は減り続けており、10年間で3200ヘクタール(23%)減っている。
同省は、昨年改定した果樹農業振興基本方針で、日本梨を含む果樹の生産基盤強化に向け、生産性の向上が見込める省力樹形の導入を推進する方針を掲げた。21年度予算案には、日本梨の改植でジョイント栽培を導入する場合に10アール当たり33万円を助成するなど、果樹の支援対策事業に51億円を盛り込んでいる。
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2021年02月22日

白未熟粒米の発生予測 早期対策へ 花を解析、 特許出願 新潟県農総研
新潟県農業総合研究所は、採取した稲の花のサンプルから白未熟粒の発生率が予想できる診断技術を開発した。見た目では分かりづらい高温障害のリスクをいち早く判断し、品質が低下する前に水管理などの対策実施につなげる狙い。診断技術は現在、特許出願中だ。……
2021年02月21日

[一村逸品] 大賞 「セミドライフルーツ」 JAふくしま未来
日本農業新聞は25日、第17回一村逸品大賞の中央審査会を東京都内で開き、大賞にJAふくしま未来の「セミドライフルーツ」を選んだ。水分が少し残った半干し状態のドライフルーツで、甘味とうま味を凝縮した。規格外品を活用して販売実績も高く、生産者の所得向上につながっていることなどが評価された。
JAの特産の果物を手軽に食べられるよう、地元企業と連携して商品化した。桃やリンゴ、キウイフルーツ、ブドウ「巨峰」など全部で9種類。
審査委員長で漫画家のやくみつるさんは「9種類あり、バリエーションに富んだ商品。受賞を震災復興のPRにも活用してほしい」と話した。
JAの数又清市組合長は「規格外品を6次化商品として販売することで農家の手取りアップにつなげられる。ドライフルーツ加工が農家のモチベーションとなり、農業の躍進や国消国産につながることを期待したい」と喜びを語った。
大賞に続く金賞には、鳥取県境港市の千代むすび酒造が製造するノンアルコール甘酒「星空舞糀(こうじ)甘酒」、山口県長門市の農村女性起業グループ「ひとまる工房」が作る「長門ゆずきちコンフィチュール」を選んだ。
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2021年02月26日
きょうは茂吉忌
きょうは茂吉忌。医者にしてわが国を代表する歌人である。斎藤茂吉の代表作は「死にたまふ母」の連作であろう▼〈みちのくの母のいのちを一目見ん一目みんとぞただにいそげる〉。山形県の農家の三男に生まれ、早くして養子に出された。東京で精神科医として名を成したが、母への思慕はやみ難い。母危篤の知らせを受け詠んだ歌である。死の床にある母への絶唱歌は〈死に近き母に添寢のしんしんと遠田のかはづ天に聞ゆる〉。カエルの鳴き声は茂吉の慟哭(どうこく)である▼コロナ禍で、親の死に目にも会えない人の心中はいかばかりか。茂吉は若い頃、スペイン風邪にかかった。発熱や肺炎に加え、せきや倦怠(けんたい)感の後遺症に悩まされた。同郷の歌人に宛てた手紙は医者らしい予防策をつづる。「直接病人に近づかざること」に始まり、マスク着用、塩水うがいなどを列挙。熱が出たら絶対安静とある▼茂吉のもう一つの顔が旺盛な食欲。作家の嵐山光三郎さんは「もの食う歌人」と称した。大のウナギ好きで知られた。病院の焼失、夫婦関係など私生活では苦労が絶えなかった。嵐山さんは、食べることを生きる力に変えたと書く▼〈あたたかき飯(いい)くふことをたのしみて今しばらくは生きざらめやも〉。食べて生きて歌に昇華させた70年の人生だった。
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2021年02月25日
農水省、次官ら6人処分 減給3人 鶏卵大手と会食で
贈収賄事件で在宅起訴された吉川貴盛元農相と鶏卵生産大手「アキタフーズ」前代表の会食に農水省の幹部職員が同席していた問題で、同省は25日、枝元真徹事務次官ら6人に対し、減給1カ月などの処分を行った。調査の結果、利害関係者に当たるアキタフーズが費用を支払ったことを確認。利害関係者からの接待を禁じる国家公務員倫理規定に違反したと認定した。
野上浩太郎農相は責任を取り、閣僚給与の1カ月分を自主返納する。……
2021年02月26日
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[未来人材] 37歳。古き良き水ナス探求 10年かけ種“里帰り” 栽培技術の確立挑む 大阪府貝塚市 北野忠清さん
昔の水ナスはもっとおいしかった――。大阪府貝塚市の北野忠清さん(37)は祖父のこの言葉をきっかけに、同市を含む泉州地域の特産「泉州水なす」の原点となる水ナスを探し当て、生産の仕組みづくりに力を注いでいる。約10年かけて新潟県から種の「里帰り」を実現。絶滅したと思われていた水ナスを未来につなごうと、種の固定化や栽培技術の確立に挑む。
「今の水ナスと昔の水ナスは違う」。IT関連会社を退職し、祖父と一緒に「泉州水なす」の栽培に励んでいた2008年ごろ、たびたび祖父が口にしていた。品種改良が進む前は赤紫色の巾着形で、今より皮が薄く甘味が強かったという。
北野さんは「昔の水ナス」を突き止めようと調査を開始。生産者や研究者、学芸員ら50人以上に聞いて回った。自家採種した種も分けてもらい、20種類以上を栽培したが、「泉州水なす」になっていたり、芽が出なかったりと、ことごとく失敗。「本当になくなってしまっているのでは……」と不安が募った。
諦めかけていた16年、新潟で「昔の水ナス」が見つかったとの知らせが舞い込んだ。畑に駆け付けると、色、形、食味、全てが祖父の話に合致した。栽培の難しさから、新潟の生産者もあと1年遅ければ、やめていたかもしれないという。祖父が亡くなってからちょうど1年後だった。祖父が引き合わせてくれたとしか思えなかったという。
最初は種の提供を断られたが、熱い思いが通じ、17年に種の“里帰り”が実現。ぬか漬けにするとパイナップルのような風味になることから「フルーツ水なす」と名付け、栽培しながら採種や選抜を進める。気候で形が変形しやすいなど課題は多いが、「祖父たちが作ってくれたブランドにぶら下がるだけでは駄目。100年後も維持できるブランドをつくりたい」。
「泉州水なす」のブランド強化だけでなく、新規独立就農者の育成や、消費者が生産現場に触れるきっかけづくりにも精を出す。既に研修生7人が独立を果たし、年間約150人の援農ボランティアも受け入れる。「農業に対するハードルが高過ぎる。もっと間口を広げていきたい」。農業の明るい未来が芽吹くよう、今日も“種”を落とす。
農のひととき
収穫した「泉州水なす」は、煮びたしや生のままサラダとして食べるのが一押し。昨年10月からは本格的に「農Tuber(ノウチューバー)」としても活躍する。「情熱!ファーマーズ!」と題したチャンネルで、土づくりなどの生産現場や新規就農希望者へのメッセージなどを配信。他にも、苗の早植え対決や農園スタッフによる「ドッキリ」など、企画立案に頭をひねる毎日だ。
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2021年02月21日

[未来人材] 35歳。脱サラして就農 青壮年部と地域けん引 甘いキャベツに挑戦 東京都日の出町 馬場貴之さん
東京都日の出町の馬場貴之さん(35)は、JAあきがわ青壮年部の部員として、地域の特産を目指して取り組む「高糖度で形や色のよいキャベツ」作りに挑んでいる。地域の高齢化が進む中、30、40代の若手農家で協力して、冬場の育苗のための温床作りをするなど、技術を学び合い、地域の生産力維持・向上に向けた取り組みを進めている。
馬場さんは幼少時から、父の敏明さん(64)に連れられ、畑で遊ぶことが日課だった。大学を卒業後、都内でサラリーマンとして働いていたが「農業は自然と四季を敏感に感じられる魅力がある。就農は常に考えていた」という。
5年前、30歳の時に就農。町内2カ所の計2・2ヘクタールの畑ではキュウリを主力にトマト、ナス、ピーマン、キャベツなど13品目を、敏明さんと年間を通じて栽培する。
JA青壮年部に加わり、若手農家と切磋琢磨(せっさたくま)する中、今年度から「スイーツキャベツ」作りに挑戦している。
「スイーツキャベツ」は都が認証する新しいブランド。都内の農家がキャベツを寒さに当てて栽培し、12月末までの糖度は8・5以上、翌1月以降の糖度は9以上で、形や色味がいいのが条件だ。
馬場さんは「青壮年部として農産物に付加価値を持たせる取り組みは意義がある」と話す。今季は10アールでキャベツ「彩音」で挑戦する。
朝晩に冷え込む畑で寒さに当てるよう努めているが、糖度がなかなか乗らないのが悩みだ。「石灰をまくなど肥料の設計も考え、来季はいいスイーツキャベツを出せるようにしたい」と話す。
最近、都内で独立就農を目指す東京農業アカデミーの研修生を受け入れた。ハウスでのネギの種まきや土づくり、圃場(ほじょう)整備のポイントを敏明さんと教えるなど、就農者の支援にも力を注ぐ。
町内で30、40代の農家は馬場さん含め5人。共に食事をしたり、育苗の温床作りに協力して取り組んだりと、関係強化に努めている。「地域の農家は高齢化し、若手が少ない。直売所の出荷量が減らないように、今後もいろいろな野菜を作っていきたい」と意欲を示す。
農のひととき
農作業の傍ら、畑の一角で金魚を育てるのが楽しみだ。「幼い頃から金魚が大好きで、夜市で買った金魚を大きくしていた」。今では趣味が高じて、町内の直売所に出荷するまでになった。
4人いる子どもたちと過ごす時間も大切だ。畑でダイコンを収穫するなどして無邪気に遊ぶ姿に癒やされている。
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2021年02月14日

[未来人材] 30歳。四季美しい地に移住 宿泊施設経営も目標に 多様な人働ける場へ 山形県長井市 寺嶋崇さん
山形県長井市の寺嶋崇さん(30)は、トマトとワサビ菜を栽培する埼玉県所沢市からの移住者だ。縁故がない土地だったが、自分の考える条件に合致したため移住を決意。体験型宿泊施設の建設と、将来的には障害者も含めた従業員の雇用を目標にする。
寺嶋さんは、大学在学中から大手アパレル販売店でアルバイトとして働き、後に社員に登用された。しかし、激務による体調不良もあり退職。大学への再入学や公務員試験の勉強などさまざまなことを検討したが「やりたいことをやろう」と考えた時、接客をもう一度したいことに気付いた。さらに旅行が好きなことから、宿泊施設の経営を目指した。
まず農業を選んだのは、宿泊施設の経営を始める際に特色を出せると考えたからだ。
移住先を見つけるために東京都内で開かれていた農業人フェアに4、5回通った。移住先は米がおいしく、季節の移ろいを感じられる場所を条件にした。「イベントで一番最初に声を掛けられた所に行こう」と決め、声を掛けてきたのが長井市の担当者だった。同市の新規就農者向けの助成が手厚いことも決め手の一つになった。
寺嶋さんは2017年に移住し、約1年間市内の農家の下で研修を受け、その後就農。現在は地元の空いたハウスを借りてトマトとワサビ菜を15アールずつ栽培する。地元のJA山形おきたまや市場、直売所に出荷している。
短期的には21年度の年商目標を1000万円に設定して、トマトを軸に他の品目の展開を計画。長期的には体験型の宿泊施設の経営を見据えて、宿で使う食材を自ら供給するために規模拡大や多品目化を目指し、法人化も視野に入れる。宿泊施設は「かやぶき屋根で、体験型の昔ながらの古民家風」など、理想は膨らむ。
「雇用」することも目標にする。雇用される人が安心できる環境を整えるだけでなく、自身のように体調を崩した人や障害がある人を雇用したいと考えている。
寺嶋さんは「雇用などを通じて市に還元していきたい」と力を込める。
農のひととき
季節感を感じられる風景を見ることが好きだ。特に5月ごろに見られる飯豊山に雪がかぶっている風景が、一番のお気に入り。
飯豊山は山形と福島、新潟の県境にあり、遠くに見える。首都圏にいる人が、富士山を見た時に抱く感想と似ている。飯豊山は近所の人の田植えを手伝っている時に見ている。風景の美しさに手が止まってしまう。
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2021年02月07日

[未来人材] 32歳。米国研修で農業決意 仲間や近隣と栽培開始 サツマイモも特産に 北海道由仁町 川端祐平さん
北海道由仁町の川端祐平さん(32)は、道内では珍しいサツマイモを栽培するグループを4Hクラブの仲間とつくり、地域の新たな特産を目指している。仲間との挑戦を通じ、地域活性化を見据える。
川端さんは、拓殖大学北海道短期大学を卒業後、米国で1年半農業研修を受けた。研修先の農場主は経営に明るく、農場の細かい部分にも目が届く農業者の鏡のようなタイプ。この農家との出会いが、実家の農業を継ぐ思いを決定づけた。
2011年に就農し、現在約30ヘクタールで水稲(4ヘクタール)、小麦(10ヘクタール)、大豆(10ヘクタール)、子実トウモロコシ(2ヘクタール)、ブロッコリー(二毛作、約2ヘクタール)、カボチャ(約1ヘクタール)、中玉トマト(ハウス1棟)とサツマイモを栽培している。
サツマイモとの出合いは、15年にJAそらち南青年部で行った食育活動だった。収穫した時の子どもたちの楽しそうな表情を見て、自分の子どもにも喜んでもらいたくて栽培を始めた。栽培を続けるうち、管理に手間が掛からず、他の作物の作業にも影響が少ないことが分かってきた。「経営を担う品目として取り入れられるのではないか」と考え、17年から本格的に勉強を始めた。
加入している由仁町4Hクラブを中心に活動を開始。近隣の栗山町4Hクラブにも声を掛け、合同で栽培を始めた。地域に合う品種を選ぶため8品種を作付けし、首長や札幌の有名ホテルシェフらに糖度や食味などを審査してもらい、2品種に絞り込んだ。この時に貯蔵や温度・湿度管理なども学び、コストをかけずに貯蔵条件を満たすことを研究。販売ルートも開拓し、10件ほどの取引先を持つ。
19年からは川端さんが代表となり、メンバー16人で「そらち南さつまいもクラブ」を設立。「ベニアズマ」を使う新ブランド「由栗(ゆっくり)いも」として、地域の特産化を目指す。「由栗いも」には、由仁と栗山の頭文字を取り「ゆっくりと熟成しておいしい芋になってほしい」との思いを込めた。川端さんは「全国的に認知される産地になれば挑戦したかいがある。同じ思いを持つ仲間に出会えて本当によかった」と語る。
農のひととき
料理が好きで、ギョーザやローストビーフを作る。サツマイモ料理でおいしかったのは、炊き込みご飯。自分ではまだ作ったことがないものの、今まで食べた中で一番おいしかったという。料理は心を穏やかにさせる存在だ。
家族といる時間が大切な時間。仕事が終わり家に帰って、妻や子どもたちと会話して心を落ち着かせている。
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2021年01月31日

[未来人材] 25歳。他県で修業、地元に戻り実家で規模拡大めざす 畜産一貫経営に挑戦 熊本県天草市 山下友美加さん
熊本県天草市の山下友美加さん(25)は、両親と和牛の繁殖経営に取り組む。地元のJA本渡五和では数少ない女性の担い手だ。他県の畜産農家で修業した後、規模拡大を目指して地元に戻った。一貫経営を目指し、肥育にも挑戦している。
畜産農家の5代目として生まれ、日常は牛と共にあった。姉やいとこと毎日のように牛の世話を手伝った。幼稚園児の頃はまだロールべーラーがなく、重いわらの束を引きずって懸命に運んだ。「大変だった思い出はそれくらい。手伝いは苦ではなかった」と笑う。
地元の高校と農業大学校で畜産を専攻し、家畜人工授精師の資格を取得。卒業後は1年間、宮崎県小林市の繁殖農家、森田直也さんに師事した。全国和牛能力共進会(和牛全共)に出場経験があり、品評会の常連でもある森田さんの下での研修は「手伝いの延長に近かった学生時代に比べると、毎日が刺激的だった」。技術や言葉では言い表せない、牛との向き合い方も学んだ。
地元に戻り、実家で就農した。牛の種付けや出荷前の子牛の管理を担当し始めた。就農してからは、父の和弘さん(59)と意見がぶつかり合うこともあったという。
体躯(たいく)が小さく値が付きにくかった子牛を肥育し、収益の向上につなげようと、一貫経営を提案した。しかし肥育は未経験。餌の管理などは、和弘さんの知人の肥育農家が助言をしてくれた。「失敗は多い」(友美加さん)が、探求心を原動力に取り組む。「毎日牛をよく観察する。自分の思った通りに成長していくと、面白く、やりがいを感じる」と目を輝かせる。
最近の懸念は、牛白血病。19年から死亡牛が目立ち始めた。「このままではいけない」と考え、新たな牛の導入を友美加さんが主導することになった。20年末に妊娠牛20頭を導入し、リスク軽減のため新たな畜舎の建設を始めた。就農後初めての大きな投資。畜舎は以前果樹を栽培していたハウス跡に設け、隣接する畑で牧草を育て放牧する構想だ。
高台に位置する牛舎予定地に立ち「大好きなこの土地で、規模を広げたい」と夢を描く。
農のひととき
周囲を海に囲まれた天草市は、新鮮な魚介類が有名。近所の人が釣ってきた魚をもらうことも多く、料理が好きなのでよく腕を振るう。
中学、高校とバレーボール部に所属していた経験から、今も地域のバレーサークルに入っている。メンバーは畜産や稲作農家が多いが、バレーをするときは農業の話には触れず、楽しく汗を流す。週1回の練習が息抜きだ。
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2021年01月24日

[未来人材] 26歳。大農家・父の背中追い若手6人で新会社設立 トマトの概念変える 滋賀県甲賀市 今井大智さん
滋賀県甲賀市の今井大智さん(26)は、同じ農業生産法人で働く20代の若者だけで会社を立ち上げ、先端技術を駆使した高糖度トマト栽培に取り組んでいる。“本業”の傍ら、早朝や夜などの勤務時間外を使って、仲間とトマト栽培に明け暮れる日々を送る。若手だけで何か新しいことに挑戦したい――。農業の魅力に取りつかれた若者が新たな一歩を踏み出した。
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昨年10月、自身を含め法人で働く20代の若手6人で新会社「ROPPO(ロッポ)」を設立。各メンバーが踏み出す「1歩」を足した「6歩」にかけて名付けた。ハウス1棟で1200本のトマトを栽培。これまで通り法人で働きながら、勤務時間外をフル活用して運営する。
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新会社のインスタグラムアカウントは、ほぼ毎日更新。「消費者は生産者の顔を見て農産物を買う」との考えから、消費者への情報発信を重視する。投稿する写真は週末に撮りだめする。手描きのイラストなども織り交ぜ“映え”を意識する。
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[未来人材] 39歳。農家に引かれ脱サラSNSで情報発信 消費者との壁を壊す 三重県四日市市 阿部俊樹さん
三重県四日市市の阿部俊樹さん(39)はサラリーマン時代の経験から、食べ物を自分の手で作る農家の魅力に引かれ転身した。就農研修中から積極的にインターネット交流サイト(SNS)で発信。1年目には共感した人々を巻き込みイベントを主催。「生産者と消費者の壁を壊す」を合言葉に奮闘している。
親は休日に米作りをする兼業農家だった。ただ、泥くさい仕事ぶりを見て「絶対に農家にはなりたくないと思っていた」。転機は広告代理店に就職後、そのつながりでエステティックサロンの経営を任されたことだった。美しさを考える中で、食べ物の大切さにたどり着いた。そしてその食べ物を生産する農業について調べれば調べるほど、農家の魅力を感じるようになった。妻と3人の子どもがいて不安はあったが「農家なら人の役に立ち、家族も豊かにできる」と確信。35歳で仕事を辞め、実家のある四日市市に戻った。
品目は「主要な野菜なのに四日市で誰も作っておらず、一番になれる」キュウリを選んだ。知人の仕事を平日に手伝いながら、休日だけ岐阜県のキュウリ農家で研修を受けた。
研修中はその様子や農業を始めた時の思いをSNSのツイッターで発信した。発信して3カ月ほどたつと「阿部さんのキュウリが食べたい」とコメントが何十件も届いた。まだ研修中なことにもどかしさを感じつつ、自分を発信することで販売につながる面白さも感じた。
2017年7月、「しなやかファーム」を立ち上げた。1作目は病害が出るなど苦戦したが、初めて苦労して作ったキュウリを食べた時の味は、今でも忘れられないほどおいしかった。
その感動や生産への思いを伝え、消費者の農作物への捉え方を変えようと、同年10月に食と音楽の収穫祭「しなやかフェス」を開催。全国から70人が集まった。規模を広げその後も3回開き、延べ500人以上が参加した。今後は農家らを主役にした「夏祭り」へ発展させることも構想する。
常識にとらわれず、しなやかな生き方への思いを込めてツイッターでは「しなやん」と名乗る阿部さん。世界一有名なキュウリブランドを目指し、信じた道を突き進んでいる。
農のひととき
2019年から市内のナス農家、会社員の友人と3人で、インターネット上に音声を配信する「ポッドキャスト」を使い「おみそしるラジオ」を配信している。内容は農業に限らず、趣味や経歴、恋愛の話など多岐にわたる。「言葉にすることで頭の中を整理できて、人前に出る練習にもなっている」と言い、ライフワークの一つだ。週1回収録し、20年12月末時点で本編63本を公開している。
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2021年01月10日

[未来人材] 36歳。イタリア出身 夫と二人三脚 ブドウ園継ぎ就農 交流できる場もっと 島根県出雲市 原ジョバンナさん
島根県出雲市の原ジョバンナさん(36)は、故郷イタリアを離れ、2015年から夫の健人さん(31)と二人三脚でブドウ67アールを栽培する。「故郷のファーマーズマーケットのような、農家と消費者が交流できる場をつくりたい」と、ホームページ(HP)やインターネット交流サイト(SNS)、地元有志の直売イベントで、顔が見える関係づくりに力を入れる。
ジョバンナさんはイタリア北西部のトリノ市カルマニョーラ村の出身。村はパプリカの産地で知られ、毎年8、9月には収穫祭が盛大に開かれる。
米国に留学していた健人さんとSNSを通じて知り合い、13年に結婚。健人さんの実家がある出雲市に移住した。15年に実家のブドウ園を継ぎ、夫妻で就農した。
夫妻そろって農業経験はなく、1年目は散々な結果だった。10アールで「シャインマスカット」「デラウェア」を栽培したが、副梢(ふくしょう)を切り過ぎるなど失敗が続き、売り上げは80万円にも満たなかった。
落ち込む健人さんを見て「もっと栽培を勉強して夫を助け、自信をつけてもらいたい」と奮起。JAしまねや県の勉強会に健人さんと参加し、剪定(せんてい)、摘芯、ハウスの修復などに励んだ。
特にジョバンナさんが力を発揮したのが摘粒作業。健人さんが「手先が器用で美的センスがある。粒の張りが良くなり、買い手からも高く評価される」と褒めるほどだ。2年目の販売は約200万円と、前年の2倍以上。空きハウスを借りて面積を広げ、20年は1・7トンを出荷。売り上げは約550万円と、経営を軌道に乗せた。
販売では、故郷での経験を生かし、消費者との交流を大事にする。健人さんと、イタリア語で「自然の農場」を意味する「Fattoria Natura(ファットリア ナトゥーラ)」の名でHPとSNSアカウントを開設。8~10月の出荷期には、地域の有志が開く「サンデーマーケット チーボ」にも出店する。
「イタリアでは、スーパーよりもファーマーズマーケットで買い物することが多かった。甘いパプリカを教えてもらえたりしたからね」と、生産者と消費者の双方の顔が見える関係を楽しむジョバンナさん。「将来は農家カフェを開きたい」と夢が膨らむ。
農のひととき
「出雲は人が優しく、何より食べ物がおいしい」と力説するジョバンナさん。得意の料理は、特産のブロッコリーやホウレンソウを使ったパスタやグラタンを作る。イタリア料理教室や小・中学校の文化交流で地域と関わるのが大きな楽しみだ。1月半ばには子どもが生まれる予定。「夫婦共通の趣味のキャンプを子どもと一緒に楽しみたい」
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2020年12月27日

[未来人材] 26歳。父親倒れUターン 園芸、稲作複合経営 地域に恩返ししたい 山形県酒田市 早坂聖人さん
山形県酒田市の早坂聖人(なおと)さん(26)は5年前に首都圏からUターン就農し、花きやメロン、稲作など複合経営を展開している。地域での支え合いが強く残る風土で、農業について学び、経験を積んできた。現在は担い手として規模拡大にも意欲を燃やしており、今まで支えられた分を“支え返す”日々を送っている。
早坂さんは高校卒業後に企業に就職し、コンクリート関連の仕事をしてきた。だが5年前の冬、転勤で埼玉県内の事務所で働いていた時に、父親が倒れたとの連絡を受けた。長男ということもあり「いつかは帰らないといけない」と思っていたので、迷わず帰郷を決意した。
生まれ育った同市浜中地区は、地域全体で支え合いながら農作業や子育てをする暮らしが、今も息づく。必要な農機具を融通し合ったり、早坂さんも子どもの頃から近所の住民に面倒を見てもらったりしてきたという。
就農後は父親を助けながら、ストックやメロン、水稲を栽培していた。しかし当初は、農業の知識は少なかった。支えてくれたのは地域の仲間だった。
冬場はストックの栽培が盛んだが、消毒のタイミングなど、まだまだ分からないことの方が多い。疑問点があると、地区内の栽培農家と頻繁に連絡を取り合う。「上下関係が少ないこともあり、先輩農家にも連絡を取りやすい」(早坂さん)。協力しながら作る「庄内のストック」は、市場でも高い評価を得ている。
就農から5年、早坂さんは地区の若手農家で組織する「浜中青年の会」の一員として活動している。栽培に欠かせないビニールハウス設置や堆肥散布などを手伝い、「地域に少しでも貢献したい」と話す。
規模拡大にも意欲を燃やしている。夏場はメロンと水稲約11ヘクタールを栽培しているが、今後は稲作を増やす考えだ。
園芸とは違うスケール感の大きさに魅力を感じており、コンバインや田植え機といった稲作ならではの農機を操るのも楽しいという。「農地を頼まれることも増えるかもしれない。地域の人と協力しながら農業を守っていきたい」と話す。
農のひととき
「何時間運転しても苦にならない」ほどの車好き。自慢の車で東京都や埼玉県まで半日ほどかけて、かつての会社の仲間に会いに行き、思い出話に花を咲かせることも多かった。ただ、今年は新型コロナウイルスの影響もあり機会は減少。「気軽にお酒を酌み交わすことができないのは残念。状況が落ち着いたらまた出掛けたい」と話す。
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2020年12月20日

[未来人材] 39歳。元全中職員 地元農業守るため就農 若手とJA懸け橋に 千葉県野田市 荒木大輔さん
千葉県野田市の荒木大輔さん(39)は、2015年に実家で就農。JAちば東葛の青壮年部支部を立ち上げ、若手農家の思いをまとめてJAと話し合い、農産物の販路開拓に結び付けた。前職のJA全中時代の経験を生かし、他の農家から国の政策や補助事業の相談を受けるなど、地域で頼られる存在になっている。
幼少期、高齢農家の離農で耕作放棄地が増えていた。景観が荒れるだけでなく、地域の活力も薄れる状況を見ていられず、農家を志した。大学卒業後に就農することを家族に相談したが、規模拡大が難しく「家族農業では食べていけない」と反対された。
「それなら農業に関わる仕事に就こう」と、04年に全中に入会。就農までの11年間、農業政策や農協組織運営などに携わった。全国のJAを回るうちに、農業に真剣に取り組む地域は景観が守られ、活力があると感じた。「実家の農地もあるし、地元で同じことができないはずがない」と決意し、祖父の下で就農した。
祖父が18年に亡くなるまでの3年間、経験と勘に基づく栽培管理を教えてもらった。離農する農家が増えて遊休農地を借りられるようになり、実家の80アールから2・4ヘクタールまで増やし、エダマメやネギなどを栽培する。
「地域の農業を盛り上げるには、チームの力が必要だ」と考え、地元の福田地区の若手農家ら11人と、17年にJA野田地区青壮年部の福田支部を発足。JA管内の若手農家と交流を深める足掛かりになった。
組合員とJAが、同じ方向を目指すことが重要──荒木さんが全中時代に得た持論だ。JAに若手農家全体の考えを伝えようと、19年に青壮年部の協議会が作るポリシーブック(政策集)の立案に関わり、販路拡大と資材コスト削減、人材確保・育成などを課題に掲げた。
協議会の要望を受けてJAは、柏市や流山市のスーパーなどを販路に加えた。JAが配送や精算を担うことで、スーパー向けに出す農家は手取りが増えた。
荒木さんが就農してから地域の担い手が増え、支部青壮年部の部員も14人になった。「青壮年部で話し合って提案すれば、JAが魅力的な存在になる。これから地域で就農を目指す人を応援したい」と力を込める。
農のひととき
青壮年部のインターネット交流サイト(SNS)で反応があるとうれしい。地場産の野菜に関心を持った飲食店などに野菜を送る代わりに、SNSへの投稿を求めている。SNSをきっかけに新たな販路につながることもあるという。
都心に近い場所で、農業ができる野田市の環境も魅力だ。農作業をすると、自分は田舎が好きだと感じる。
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2020年12月13日