立川談春さん(落語家) 芸を支えた「飢えと寒さ」

立川談春さん

 昭和40年代に生まれた同世代の人たちとは、食べ物に対する感性が違います。前座時代に食べられなかったから。僕は飢えを知っているんです。

 落語家は弟子入りを希望する若い子が来ると、最初に言うのが「食えないよ」。面倒くさいのもあるんでしょうけど、そう言って弟子入りを止めさせようとします。「それでも」と入って来たら、普通、師匠というのはご飯を食べさせてくれるんです。

 うちの師匠・立川談志はそういうことはしませんでした。談志は「落語の世界は飢えと寒さだ」と言っていました。それが分からないと落語はできない、と。確かにそうなんです。江戸時代の人は腹をすかせていましたから。貧乏を知っていた方が、落語に出てくる人への共感を持てます。
 

白米で師匠激怒


 もう一つ。談志は食べ盛りの9歳で終戦を迎えたんですよ。そのため白いお米というものへのこだわりが非常に強かったんです。今でも強烈に覚えていることがあります。入ってすぐの時、ジャーのご飯を談志によそって、洗おうとしたんです。すると談志が激怒したんです。何を怒られているのか分かりませんでした。それで先輩がどうした、と。ジャーを見たら、ご飯粒がまだあったんですね。きれいにかき集めたらそれなりに食べられるくらいに。それを怒ったわけです。

 前座のうちはとにかくお金がなかったので、2日に1食とかの生活でした。今のようにコンビニが発達してませんから、安い食べ物がない。コンビニがあちこちできて変わりましたね。250円もあればおなかがいっぱいになりますし、夜遅くても開いてますから。

 入門した頃、銭湯は260円でした。風呂には行くわけですよ。談志は体臭のする人を好まなかったので。でも銭湯に行くと、ご飯が食べられない。500円玉を握りしめて、「これでカツ丼を食べられる。でも銭湯に入らないと嫌われる。どうしようか」と必死に考えたものです。テレビ局のお弁当が一番のごちそうでした。談志と一緒にテレビ局に行くと、用意されていた弁当を1個でも多く持って帰ったりして。

 ですから「いい人」とは、ご飯を食べさせてくれる人でした。食べさせていただく機会があったなら、一日6食でも食べる。寝る10分前に「ご飯食べるか?」と言われたら、喜んで「いただきます」と。次にいつ食べられるか分からない状況ですから。

 もちろん酒とタバコは禁止。そんな生活を4年続けて二つ目に上がった時。師匠は「おめでとう」と言って、ビールをついでくれました。このように、今の世の中ではよく分からない価値観、そぐわない価値観というものを植え付けられたと思います。
 

ドラマで農家役 


 それに加えて僕はドラマ「下町ロケット」で、ロケットの製作所を退職して、米作りをする農家さんの役を演じましたので、食べ物の大切さを感じています。

 前座の頃、食えなかったので新聞配達をしていたんです。農業と工業の新聞の両方を取る家がありました。農業と工業の両方を知ることがどれだけ大事なことか。ドラマ出演を通じて、農業とITをはじめとする技術とのつながりを知ることができました。宇宙での衛星の精度が上がると、農業にとってとんでもないプラスになるというような勉強をさせていただきました。技術がさらに進歩し、米や野菜作りに生かされればと願っています。(聞き手=菊地武顕)

 たてかわ・だんしゅん 1966年東京都生まれ。84年3月、立川談志に弟子入り。97年に真打昇進。古典落語に定評があり、2004年に国立演芸場花形演芸会大賞受賞。08年には前座時代のエピソードを記した著書「赤めだか」で第24回講談社エッセイ賞を受賞した。ドラマ「下町ロケット」などで俳優としても活躍。
 

おすすめ記事

食の履歴書の新着記事

検索

e農サーチ e農サーチとは