吉村作治さん(エジプト考古学者) 日本料理作り異文化交流

吉村作治さん

 僕は子どもの頃から食べ物が大好きでね。食べるのも作るのも。父親は友禅師だったんです。父親が親方で、2人の職人と母親の4人でやっていました。

 戦後の貧しい時代でしょう。食べ物については、母親がいろいろ苦労していました。乳酸菌と牛乳を使って、カルピスのような飲み物も作ったり。

 僕もいろいろと手伝ううちに好きになっていって、台所を任されるようになったんです。そうめんをゆでたり、うどんを作ったり、カレーを作ったり。一番得意だったのは、水炊きでした。そんな感じで両親と職人の食事を作りましたよ、小学生の頃から。料理にこだわり続けて、調理師の免状まで取ったくらいです。

 エジプトに初めて行ったのは、1966年。23歳の時でした。
 

街中を漂う匂い


 驚いたのは朝方、街に漂うニンニクの匂いですね。どの家でも朝からニンニクを炒めていて、その匂いがすごいんです。モロヘイヤという草をニンニクと一緒に炒め、鶏がらのスープに入れて飲むんです。これがおいしいんですよ。

 それだけじゃありません。タジン鍋で作るトマトのシチューにもニンニクを使うし、鶏の唐揚げなら、すったニンニクに下味として30分くらい漬けてから粉をまぶして揚げます。ステーキを焼く時もニンニクが一緒。

 下宿先のおばさんは料理が上手で、いろいろと教えてもらいました。おばさんの親戚が街中でレストランをやっていたので、3年くらいその店を手伝いました。おかげでエジプト料理は80種類は作れますよ。

 何を食べてもおいしくって。そのため36歳で帰国する時には、72キロになってしまいました。行く時には49キロだったのに。

 日本料理を作ってあげて、喜んでもらうことも多かったです。特に人気だったのは、おでん、天ぷら、すき焼き、煮魚。

 おでんといっても練り物がないので、種はあまりないんです。代わりにいろいろな野菜を入れました。ですから正しくは、野菜のおでん風煮込みでしたけど。
 

天ぷらで大喜び


 天ぷらを作ると本当に喜ばれましたね。向こうの人も揚げ物が好きなんですよ。魚はだいたい揚げて食べるから。小エビとタマネギでかき揚げを作ると、ものすごく喜んでいました。

 すき焼きは、薄く切った肉と割り下の組み合わせが良かったのかなあ。エジプトでは料理に砂糖を使わないんです。しょうゆと砂糖の割り下をおいしく感じたんでしょう。だから煮魚なんて、ものすごく気に入っちゃって。最初は変な味だと思ったようだけど、食べていくうちに癖になったみたいです。「ニザカナ、ニザカナ」とリクエストされました。

 しょうゆは、日本航空の駐在員からいただきました。僕は彼らの子どもたちの勉強を見てあげていたんです。家庭教師をしたおかげで、しょうゆをもらえたわけです。

 魚は紅海と地中海で取れるんです。先週はアレキサンドリア、今週はスエズといった調子で二つの海の港に行き、新鮮な魚を買いました。僕だけはお刺し身で食べ、みんなの分はフライパンで焼いてあげる。しょうゆでちょっと焦げ目を付けると喜ばれましたね。

 時には15キロくらいの小ぶりのマグロを買いました。僕は生で、皆にはあぶってたたきにしてあげて。骨の部分は煮て食べました。近所の人たちを呼んでの食事会。料理で文化交流をしたわけです。(聞き手=菊地武顕)

 よしむら・さくじ 1943年東京都生まれ。東日本国際大学学長、早稲田大学名誉教授。早稲田大学在学中の66年にアジア初のエジプト調査隊を組織し、発掘調査を開始。74年、ルクソール西岸魚の丘彩色階段の発見で、一躍注目された。特別講演「古代エジプトからみた地球環境」を日本環境教育機構のサイトで配信中。

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