[あんぐる] 手仕事いちずに 能登志賀ころ柿(石川県志賀町)
2020年11月30日

手間と時間をかけて加工する「能登志賀ころ柿」。割った竹で作った棚に糸で2玉ずつつるし自然乾燥させる(石川県志賀町で)
能登半島の中央部にある石川県志賀町で、伝統の干し柿「能登志賀ころ柿」の加工が盛りを迎えた。「食べる芸術品」と例えられるあめ色で緻密な果肉の干し柿は、農家の惜しみない手間と地域固有の海陸風が生み出す。産地は今、地理的表示(GI)保護制度登録の追い風も受け、活気づいている。
「能登志賀ころ柿」は、2016年にGIに登録された。地元のJA志賀とJAころ柿部会が工程や出荷規格を厳格に管理し、確認できたものだけをこの名前で出荷している。
原料に使う柿の品種は「最勝」。100年以上前に地域の農家が干し柿に向く系統を「西条」から選抜した品種だ。糖度が高く、果頂部がとがった形で、やや小ぶりなサイズは、同地の干し柿作りの最大の特徴である入念な手もみ作業に適している。
手もみは、皮をむき硫黄薫蒸を経て自然乾燥した後に、一玉ずつ農家が手作業で果肉をもんで繊維をほぐす作業。もむほどに果汁が出て、それをじっくりと乾燥させる工程を繰り返し、和菓子のようかんのような滑らかで、きめ細かい干し柿に仕上げる。
JA営農部の土田茂樹担い手支援室長は「徹底した手もみや、繊細な温度管理など、農家の手が柿を芸術品に変えます」と胸を張る。
干し柿作りは、稲作地帯の同地で農家の冬の手仕事として始まり、1932年に販売用の生産が本格化した。92年に7万ケース(1ケース=約1キロ)まで増えたが、高齢化が進み2014年には3万ケースまで減少した。
産地再生の一手として、JAや生産者が選んだのがGIだ。登録による知名度アップなどで、取引価格が1割ほど上昇。部会員や生産面積も増加に転じ、現在は130人の部会員が86ヘクタールで生産。昨年は4万2500ケースを「能登志賀ころ柿」として出荷した。
部会長の新明侃二さん(76)は「GIの登録は、生産者に地域の象徴をつくっているというプライドを生んだ。それが数字に表れたのでしょう」と笑顔を見せる。(染谷臨太郎)
「あんぐる」の写真(全5枚)は日本農業新聞の紙面とデータベースでご覧になれます
「能登志賀ころ柿」は、2016年にGIに登録された。地元のJA志賀とJAころ柿部会が工程や出荷規格を厳格に管理し、確認できたものだけをこの名前で出荷している。
原料に使う柿の品種は「最勝」。100年以上前に地域の農家が干し柿に向く系統を「西条」から選抜した品種だ。糖度が高く、果頂部がとがった形で、やや小ぶりなサイズは、同地の干し柿作りの最大の特徴である入念な手もみ作業に適している。
手もみは、皮をむき硫黄薫蒸を経て自然乾燥した後に、一玉ずつ農家が手作業で果肉をもんで繊維をほぐす作業。もむほどに果汁が出て、それをじっくりと乾燥させる工程を繰り返し、和菓子のようかんのような滑らかで、きめ細かい干し柿に仕上げる。
JA営農部の土田茂樹担い手支援室長は「徹底した手もみや、繊細な温度管理など、農家の手が柿を芸術品に変えます」と胸を張る。

加工時期の11月になると、農家の作業場にオレンジのカーテンが現れる
産地再生の一手として、JAや生産者が選んだのがGIだ。登録による知名度アップなどで、取引価格が1割ほど上昇。部会員や生産面積も増加に転じ、現在は130人の部会員が86ヘクタールで生産。昨年は4万2500ケースを「能登志賀ころ柿」として出荷した。
部会長の新明侃二さん(76)は「GIの登録は、生産者に地域の象徴をつくっているというプライドを生んだ。それが数字に表れたのでしょう」と笑顔を見せる。(染谷臨太郎)
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青木愛さん(元シンクロナイズドスイミング日本代表) 引退で知った食べる喜び
食の連載コーナーでいうのもなんですが、現役時代は食べることが嫌でした。
私は体質的に痩せやすくて、もっと太らないといけないと指導されたんです。「食べるのもトレーニングだ」と言われました。
シンクロナイズドスイミング(現アーティスティックスイミング)では、脂肪がないと浮かずに沈んでしまうからです。また、見栄えの問題もあります。海外の選手は背が高く体もガッシリしています。体が貧相だといけない、もっと体を大きくしなさい、と言われ続けました。
そのため特に日本代表に入ってからは、味わって食べる時間もないし、味わっていたら量は入らない。急いでかき込む、流し込むといった感じでした。
つらかった合宿
1チームに8人の選手がいるんですが、痩せないといけない人、現状維持でいい人、太らないといけない人がいて。合宿で、痩せないといけない人と同じ部屋になったときは、お互いつらかったです。私はおにぎりや餅を寝るまで食べ続けないといけない。向こうはものすごくおなかがすいているのに、それを見ないといけない。
毎日、4500キロカロリーを取るように言われました。
それを全部揚げ物で取るんだったら、簡単だと思います。でも選手ですから、バランスよく食べないといけません。
炭水化物、脂質、タンパク質の三つを取った上で、カルシウムやビタミンも。自分で計算しながら、いろいろな食材を取って4500キロカロリー以上にするのは大変でした。
母は料理がすごく上手で、子どもの頃はご飯が楽しみだったんです。でもなにせ小学2年生の頃からシンクロを始めたので。
母もちゃんと競技をやるのなら食事から変えないといけないと考えて、私の好きなものや量を食べやすいように工夫して料理してくれたんですが、小学校の頃から量を食べないといけない生活だったんです。
ほっとする実家
代表の合宿が終わると、いったん実家に戻ります。母の料理を食べると「ああ、家はいいなあ」と実感します。ささ身を揚げたのが大好きで。母はささ身の中に梅やシソの葉を入れて巻いてくれるんです。さっぱりとした味なので、量を食べられる。エビフライやハンバーグ、コロッケといったベタな食べ物が好きなので、それも作ってくれます。もちろん脂質ばかりにならないように、他の栄養素も取りながら。
私の目標体重は59キロ。でもどんなに頑張っても56、57キロをうろうろしていました。実家で過ごすと、あっという間に53、54キロまで落ちてしまいます。次の合宿の前日は必死になって食べました。
食べることの楽しさに気付いたのは、23歳で引退してからです。好きな人と好きな時間に好きなものを好きな量だけ食べるのが、こんなにも楽しいだなんて。
私は、夜に友達と食事をすることが多いんですよね。その時に、ものすごい量を食べます。胃が大きくなってしまったんでしょう。朝起きてもおなかがすいてなくて、夜までの間に、おやつを食べるくらいで間に合います。間食はお菓子ではなく、梅干し、納豆、豆腐、漬物などです。
もともとおばあちゃんが好むようなものが好きだったんです。ポテトチップスよりも酢昆布が好きな子どもでした。好きなものを食べられる生活に感謝しています。(聞き手=菊地武顕)
あおき・あい 1985年京都府生まれ。中学2年から井村雅代氏に師事する。2005年の世界水泳で日本代表に初選出されたが、肩のけがで離脱。翌年のワールドカップに出場し、チーム種目で銀メダル。08年の北京五輪ではチーム種目で5位入賞。五輪後に引退し、メディア出演を通じてスポーツ振興に取り組んでいる。
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2021年01月09日
全農TAC大会 JAぎふ最優秀
JA全農は14日、地域農業の担い手に出向くJA担当者(愛称TAC=タック)の活動成果を共有する2020年度の「TACパワーアップ大会」をオンラインで開いた。全国のJAが、TACによる新型コロナウイルス禍での労働力支援やスマート農業の推進など、環境変化に柔軟に対応した活動や提案を報告。最優秀のJA表彰全農会長賞に岐阜県JAぎふを選んだ。
大会は13回目。コロナ対策として発表も含めオンラインで行った。全農によると19年度は全国235JA、1644人のTACが活動を展開。6万9000人の担い手を訪問し、面談は58万7000回に達した。……
2021年01月15日
減る消防団員 なり手を増やす環境に
集中豪雨などによる災害から地域住民を守る消防団員の減少が止まらない。大規模災害が頻発している。地域防災の中核を担う消防団員の確保に向け、政府は環境整備を急ぐべきだ。
消防団は、市町村の非常備の消防機関。全ての市町村に設置され、公務員や農業者、JA職員、会社員ら他に本業を持つ団員で構成する。災害時には消火活動や住民の避難誘導、救助活動、救助が必要な人の捜索などに当たる。日曜日などに訓練し、災害に備える。
被害を最小限に抑えるには初動が肝心で、地域密着型の消防団は欠かせない組織だ。熊本県を中心とした昨年7月の豪雨では、12県で延べ5万6000人が救助、巡視警戒、避難誘導などで重要な役割を発揮した。
1954年に200万人を超えていた全国の団員は、少子高齢化や人口減少などで90年には100万人を下回った。昨年は81万8000人で、2年連続で1万人を超す減少となった。
地域の防災力を維持するためにも団員の減少を食い止める必要がある。災害の多発化や激甚化と団員数の減少で、団員1人の役割も増している。50歳以上が2割を超え、高齢化も進む。会社勤めのため日中は不在となる団員が増え、地域防災の弱体化が進んでいるのが実態だ。
消防庁は、退職報償金の引き上げなど、団員確保策に取り組んできたが効果は限定的だ。報酬も、危険を伴う活動に見合う水準への引き上げが急務だろう。国は、一般団員の報酬について年間3万6500円、出動手当1回7000円として、地方交付税を措置している。しかし、市町村が決める実際の報酬は、全国平均で年間3万1000円弱にとどまっている。
同庁は、昨年末に、研究者や首長などによる「消防団員の処遇等に関する検討会」を開いて改善策を探り始めた。報酬全体の底上げを目指すべきだ。
問題は、急速に少子高齢化と人口減少が進む農山村地帯だ。対応を急がないとなり手がいなくなり、地域防災の基盤が揺らぐ。九州大学大学院農学研究院の佐藤宣子教授は「農林業従事者で消防団員の人は、国土保全の役割を果たしている。経営安定資金などの優遇措置を設け、住み続けられる条件を整備することも一案だ」と、農林業者の生計が成り立つような支援を提言する。考慮すべきだろう。
最近は、被災地で復旧活動などに当たるボランティアが増えてきた。行政の手が届かないところをカバーする「共助」は歓迎できる。併せて、住民による地域の防災力を高める日頃の活動が重要だ。その中核となる消防団活動に参加しやすくする職場の理解も欠かせない。
政府は、昨年末、防災・減災や国土強靱(きょうじん)化を推進するため、15兆円の事業規模となる5カ年加速化対策を決めた。地域住民が消防団に積極的に参加できるよう、総合的な取り組みも急ぐべきだ。
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2021年01月12日

「BUZZ MAFF」開設1年 若者に“刺さる”動画発信 自由な発想 総再生数610万回
動画投稿サイト「ユーチューブ」の農水省公式チャンネル「BUZZ MAFF(ばずまふ)」が、初投稿から1年を迎えた。農林水産業の魅力を伝えるためなら“何でもあり”の動画を、ほぼ1日1本のペースで投稿。1年間の総再生回数は610万回を超えた。農業への関心が薄かった若者を含め、広く情報を発信している。
サツマイモの魅力を語り尽くす、堅い制度をラップで歌って説明、農業について学ぶアニメを一人で作成──。農林水産業の魅力を伝えるため、まずは興味を持ってもらおうとの考えから、2020年1月7日に開始。職員が企画や撮影、編集まで自ら行い、従来では考えられなかったような自由な発想の動画を1年間で364本投稿した。
日本初の「官僚系ユーチューバー」と話題を集めるだけでなく、新型コロナウイルス禍で売り上げが減った花きの購入を呼び掛ける動画は86万回以上も再生され、需要の拡大にもつながった。同省は、記者会見動画などを投稿するチャンネルも08年から運営するが、1年当たりの平均再生回数は約130万回で、「ばずまふ」が大きく上回る。
「お気に入り」に当たるチャンネル登録者数も5万8000人を超えた。今後はチャンネル登録者数10万人を目標として活動に力を入れる他、全国の自治体などと連携したPRにも取り組む予定だ。同省は「(ばずまふで)普段なら届かない層にも政策を届けられた」(広報評価課)とする。
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2021年01月14日

生物多様性が危機 今後の国家戦略とは 実効性あるSDGSに WWFジャパン事務局長 東梅貞義氏に聞く
世界の生物多様性の状況が、危機的な状況だ。対策として各国政府は新たな国家戦略を検討している。長年にわたり自然保護に取り組んできた世界自然保護基金ジャパン(WWFジャパン)の東梅貞義事務局長に、生物多様性の現状や復元に必要な取り組みについて聞いた。(聞き手・金哲洙)
弾力的な社会 形成を
──生物多様性の現状をどうみますか。
世界の生き物の豊かさは、50年前の3分の1になっている。WWFが4392種、2万811個体群の脊椎動物を対象に……
2021年01月10日
あんぐるの新着記事

[あんぐる] 今年の顔です 嶺岡牧の白牛(千葉県南房総市)
今年は丑(うし)年。千葉県南房総市は、日本酪農発祥の地として知られる。同地にある県の酪農の歴史を伝える施設「酪農のさと」では、国内で初めて乳製品の加工を目的に飼育されたと伝わるゼブー種の牛「白牛(はくぎゅう)」がのんびりと過ごしている。
白牛は、白い毛と長く垂れた耳の愛らしい見た目。暑さに強く、あごの下の胸垂のたるみや、背中のこぶといった特徴がある。海外では乳肉兼用の牛で、ホルスタインのような大きな乳房はない。
江戸時代の1728年に、将軍の徳川吉宗がインド産の白牛3頭を輸入。軍馬を育成していた同地の「嶺岡牧」で飼い、とれた乳を砂糖と煮詰め薬用の乳製品「白牛酪」を作ったことが記されている文献が残る。その後、白牛は70頭まで増加し、乳製品が献上品から庶民への販売品になった記録もある。しかし、明治期に発生した牛疫で同地から白牛は姿を消した。
施設には乳牛や地域の酪農の歴史を学べる資料館がある
嶺岡牧はその後も、牛の改良や繁殖を研究する場として牛が飼われ続け、現在の酪農の基盤をつくった。県は同地を「日本酪農発祥地」として1963年に史跡に指定。現在も「酪農のさと」の隣に、約30ヘクタールの放牧地と県の嶺岡乳牛研究所があり、乳牛受精卵の供給や放牧技術の研究を進めている。
「酪農のさと」では、95年のオープン以降、同地のシンボルである白牛を国内で唯一、継続的に飼育。現在は、雌3頭が飼われ、そのうち2歳の2頭は、2019年にオーストラリアから導入した“新人”だ。3頭とも性格は穏やかで、日中は屋外で日なたぼっこをしたり、干し草を食べたりして、過ごしている。
同施設の押本敏治所長は「今は冬毛でグレーになっているのが見どころ。インドでは神の使いといわれ、縁起が良い牛です」と話す。(染谷臨太郎)
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2021年01月11日

[あんぐる] お給料は The草 七面鳥農法(熊本県水俣市)
熊本県水俣市の果樹農園「Mr.Orange(ミスターオレンジ)」では、一風変わった“従業員”が働いている。海外ではクリスマスのごちそうとして親しまれる七面鳥だ。同園で農地を自由に歩き回り、雑草や害虫を食べるので、除草剤の散布が不要。「七面鳥農法」と名付け、人にも環境にも優しい循環型農業を実践する。
八代海を望む広さ1棟3アールのビニールハウスに、甲高い「ケロケロケロ」という独特な鳴き声が響く。レモンがたわわに実った木の下を、七面鳥がマイペースに歩き回る。
「雑草食べ放題がお給料」と笑顔を見せるのは代表の安田昌一さん(65)。現在レモンと「不知火」の2品目で七面鳥農法を実践。雄3羽、雌6羽をハウス3棟で放し飼いにする。
レモンの成長を確認する安田さん
安田さんは20年ほど前、農薬を散布した後に体調が悪くなったことをきっかけに「消費者にも生産者にも体に良い作物を作ろう」と、減農薬栽培を決心。アイガモ農法を参考に、鹿児島県の養鶏農家から七面鳥を仕入れた。
「七面鳥は性格が臆病で常に歩き回っているので、雑草の発生を抑えられる」とメリットを話す。導入前は月2回行っていた草刈りが、年に2回だけと大幅に減少。ふんは栄養豊富な土壌づくりに役立つ。七面鳥は年に3回ハウス内で自然に産卵。回収してふ化器でかえした後、約半年ほどハウスを仕切った一角で育ててからハウスに放す。寿命は8年ほどで食用には出荷しない。
安田さんは環境と健康に配慮する生産者を登録する同市の制度「環境マイスター」の認定者。園内の16種の果実はほぼ無農薬で、年30トンをインターネットなどで販売している。フルーツソースやジュースなどの加工品も健康志向の消費者に人気が高い。安田さんは「もっと七面鳥農法の規模を拡大して循環型農業を知ってもらいたい」と展望を語る。(釜江紗英)
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2020年12月21日

[あんぐる] 時を知る1粒、遭遇 祖父江のギンナン(愛知県稲沢市)
全国有数のギンナン産地、愛知県稲沢市の祖父江地区で、町内に1万本以上といわれるイチョウの木々が黄金色に染まっている。
今年は新型コロナウイルスの感染拡大によって晩秋恒例の「そぶえイチョウ黄葉まつり」やライトアップが中止となったが、イチョウはいつもの年と同じようにギンナンをたわわに実らせ、生産者は特産品の出荷に追われている。
この地域から出荷されるギンナンは、丸形で大粒なのが特徴。町の北西の方角にある伊吹山から吹き降ろす冬の季節風「伊吹おろし」対策の防風林として、江戸時代にイチョウを植えたことが産地の起こりという。
イチョウ並木が神社仏閣や屋敷周りなど町中にあったことから、別名は「屋敷ギンナン」。木曽川流域の肥沃(ひよく)な土地で、樹齢100年を超えてなお実をつける大木も数多く残っている。米の凶作時には、備蓄食料になったとも伝えられている。
水洗いされたギンナン。冷水を使う作業で手は真っ赤に
収穫は葉がまだ青い8月下旬に始まった。JA愛知西祖父江町支店経済課の村上圭吾係長は「今年は夏の長雨と猛暑で、高齢化が進む生産農家の作業がはかどらずピンチでした」。毎年約120トンの収穫高が総量の85%程度に下回ったが、例年以上に品質が良かったため高値で取引され、売り上げは94%を維持した。
収穫されたギンナンはまず、専用の機械を使って果肉と種子を分離。続いて水洗い。このとき水に浮くものは実入りが悪いため取り除き、さらに比重1・08の塩水にもう一度漬け、再度浮き上がった物も除く。
こうして選別したギンナンは、「磨き粉」で研磨、乾燥した後に10粒合計の重さで等級分けし、ようやく出荷となる。塩水や等級分けの方法は、品質を守り続けるための独自の検査方法だ。
いくつもの過程を経て出荷されたギンナンは、東京都中央卸売市場豊洲市場や大田市場などを経由して全国の消費者に届けられる他、一部は京都の料亭へ直送される。(仙波理)
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2020年12月07日

[あんぐる] 手仕事いちずに 能登志賀ころ柿(石川県志賀町)
能登半島の中央部にある石川県志賀町で、伝統の干し柿「能登志賀ころ柿」の加工が盛りを迎えた。「食べる芸術品」と例えられるあめ色で緻密な果肉の干し柿は、農家の惜しみない手間と地域固有の海陸風が生み出す。産地は今、地理的表示(GI)保護制度登録の追い風も受け、活気づいている。
「能登志賀ころ柿」は、2016年にGIに登録された。地元のJA志賀とJAころ柿部会が工程や出荷規格を厳格に管理し、確認できたものだけをこの名前で出荷している。
原料に使う柿の品種は「最勝」。100年以上前に地域の農家が干し柿に向く系統を「西条」から選抜した品種だ。糖度が高く、果頂部がとがった形で、やや小ぶりなサイズは、同地の干し柿作りの最大の特徴である入念な手もみ作業に適している。
手もみは、皮をむき硫黄薫蒸を経て自然乾燥した後に、一玉ずつ農家が手作業で果肉をもんで繊維をほぐす作業。もむほどに果汁が出て、それをじっくりと乾燥させる工程を繰り返し、和菓子のようかんのような滑らかで、きめ細かい干し柿に仕上げる。
JA営農部の土田茂樹担い手支援室長は「徹底した手もみや、繊細な温度管理など、農家の手が柿を芸術品に変えます」と胸を張る。
加工時期の11月になると、農家の作業場にオレンジのカーテンが現れる
干し柿作りは、稲作地帯の同地で農家の冬の手仕事として始まり、1932年に販売用の生産が本格化した。92年に7万ケース(1ケース=約1キロ)まで増えたが、高齢化が進み2014年には3万ケースまで減少した。
産地再生の一手として、JAや生産者が選んだのがGIだ。登録による知名度アップなどで、取引価格が1割ほど上昇。部会員や生産面積も増加に転じ、現在は130人の部会員が86ヘクタールで生産。昨年は4万2500ケースを「能登志賀ころ柿」として出荷した。
部会長の新明侃二さん(76)は「GIの登録は、生産者に地域の象徴をつくっているというプライドを生んだ。それが数字に表れたのでしょう」と笑顔を見せる。(染谷臨太郎)
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2020年11月30日

[あんぐる] 復興の心ともる 棚田ライトアップ(福岡県東峰村)
薄暮に青く染まる空の下、何層にも連なる石垣が光り輝く──。
福岡県東峰村の「竹地区の棚田」で、棚田のライトアップイベント「秋あかり2020」が開かれた。豪雨災害からの復興祈願として始まり、例年多くの観光客でにぎわうが、今年は新型コロナウイルス感染拡大防止のため、「密」を避け静かに催した。
午後5時半。日が沈んだ同村で、400年の歴史を持つ棚田が闇の中に浮かび上がった。約300個の発光ダイオード(LED)ライトで照らされた石垣が黄や青、白と淡く色づき、来場者は満天の星の下で散策や撮影を楽しんだ。
この棚田は、標高250~400メートルの中山間地に位置し、面積11ヘクタールの棚田の中に、民家が点在する景観が特徴。田んぼは「400年、400枚」とも称され、1999年には農水省の「日本の棚田百選」に選ばれた。
棚田でキャンプを楽しむ家族
2017年の九州北部豪雨で地域一帯が被災し、村は土砂や流木被害による壊滅的な被害を受けた。付近の山には崩れた斜面を補修した跡が残る。棚田のライトアップは村の復興を願い、18年から始まった。地元住民らを中心とした一般社団法人「竹棚田」が、企画・運営を担う。代表理事の伊藤英紀さん(68)は「今年は7月に発生した豪雨災害と、コロナに負けないという思いも込めた」と開催の意気込みを話す。
11月8日までのライトアップ中は、田んぼをキャンプ場として開放。同県直方市から家族で訪れた大西良さん(41)は「開放感があり、子どもたちもコロナを気にせず伸び伸び楽しめる」と笑顔を見せる。
地域では高齢化や過疎化が進むが、同法人が古民家を改造した農泊施設やキャンプ場、棚田を見渡せるカフェなど新たな観光施設を次々とオープン。利益を棚田の保全活動に還元し、地域には新たな雇用も生まれた。
伊藤さんは「復興を祈る灯(あか)りは棚田の保全にもつながっている。将来村が『ポツンと一軒家』にならないよう地域を守りたい」と鎌で石垣に生えた草を手際よく刈り取っていた。(釜江紗英)
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2020年11月16日

[あんぐる] 牛飼いの道究める 発信する畜産農家、田中一馬さん(兵庫県香美町)
但馬牛の産地、兵庫県香美町の和牛繁殖農家の田中一馬さん(42)は、自ら制作した動画で和牛の魅力や畜産農家の日常を、動画投稿サイト「ユーチューブ」へ積極的に発信している。削蹄(さくてい)師の資格も持ち、食肉加工や精肉販売といった複合的な経営を手掛ける傍ら、これまでに制作した動画は240本を数える。伝えたいのは「奥深い牛飼いの世界」だ。
「こんちは。田中畜産の田中一馬です!」
動画は軽快なあいさつで始まる。技術を伝える動画では「低体温子牛の蘇生法」「神経質な牛の削蹄」など、実体験に基づくノウハウを惜しみなく紹介。農機や持続化給付金を解説する動画もある。
消費者の疑問や好奇心に答える題材も多く、品種別の和牛の食べ比べや和牛の乳の味など、農家ならではの視点を発揮。「牛は赤色に興奮するか」の“実験”や、「子牛と哺乳瓶早飲み対決」などの娯楽性に富む投稿は、視聴者を飽きさせない。
田中さんは「プロの農家が見て違和感がなく、専門的な話はかみ砕いて伝えるのを心掛けている」と言い、生産者から消費者まで幅広い支持を得て人気の投稿は11万を超す視聴数を誇る。
枝肉を買い戻した精肉販売も手掛ける。妻のあつみさん(33)(左)が切り分けを担当している
田中さんは同地で研修を経て2002年に新規就農した。発信活動は、その頃に始めたブログが起点だ。現在はツイッターやインスタグラムなど、さまざまなインターネット交流サイト(SNS)を駆使。フォロワーは延べ4万人に上る。
発信が生んだ“共感”は顧客の獲得に結び付き、精肉のネット販売では、1頭分(350人前)が8分で完売した。
畜産農家として確かな実力も備える。就農時から田中さんを知るJAたじまみかた畜産事業所の田中博幸さん(60)は「とにかく勉強熱心で、子牛の管理も良い。今では品評会上位の常連で、後輩の面倒見もいい」と信頼を置く。
田中一馬さんは「見られても恥ずかしくない農家であり続け、牛の面白さを多くの人に伝えたい」と話している。(染谷臨太郎)
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2020年11月02日

[あんぐる] 行ったり来たり 権座の稲刈り(滋賀県近江八幡市)
秋晴れの空の下、農機を載せた田舟が鏡のような湖上を静かに渡る──。
滋賀県近江八幡市、琵琶湖そばの内湖「西の湖」には、舟でしかたどり着くことができない水田がある。「権座」と呼ばれる面積2・5ヘクタールの小島で、地元農家が酒造好適米を栽培。コンバインを木製の田舟で運び入れ、秋の実りを収穫した。 12日の朝7時ごろ、地元の農家6人が同市白王町の船着き場に集合した。木製の田舟4隻を連結し、はしごを掛け、転覆しないよう2トンのコンバインを慎重に載せる。その後約150メートル先の権座の船着き場までゆっくりと水上を進んだ。
農家は「権座・水郷を守り育てる会」のメンバー。会長の東房男さん(75)は、「半漁半農の集落だったので、どの家にも田舟があった。小学生の頃は牛を舟で運んでいた」と懐かしむ。
西の湖に浮かぶ権座。収穫する水田によって二つの船着き場を使い分ける
かつて地域には権座のような水田が七つあったが、戦後の干拓事業によって権座以外は陸続きになった。2006年、地区周辺の水郷風景が国の重要文化的景観の第1号に指定されたことをきっかけに保存の機運が高まり、08年に同会が発足した。
権座には水田が11枚あり、耕作面積は1・5ヘクタール。それぞれ「安五郎」や「孫助」など地元の地権者の屋号で呼ばれている。08年から名前が権座にふさわしいと酒造好適米「滋賀渡船6号」の作付けを開始。09年には収穫した米を使い、東近江市の喜多酒造が日本酒の醸造を始めた。
同会は水郷の原風景を守るため、権座に橋は架けず、不便さや転覆の危険を伴っても、舟での往来を続ける。同会事務局長の大西實さん(65)は、「何にでも効率化やスピード感が求められる時代だが、権座では時がゆったり流れる」と、田舟に収穫したもみを載せ、権座と陸地を何度も往復していた。(釜江紗英)
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2020年10月19日

[あんぐる] 映えて 栄えて 赤米で地域おこし(岡山県総社市)
夕焼けに染まる朱色の稲穂――。
岡山県総社市では日本で3カ所しかない神前に赤米を供える「赤米神事」が継承されている。観光名所である備中国分寺の前には赤米の水田が広がり、稲穂が色づく見頃には多くの観光客が訪れる。また近年では生産が広がっている。赤米はビタミンやポリフェノールが豊富で、甘酒などの加工品は人気商品になっている。
赤米は飛鳥時代には栽培されていたといわれる古代米で、玄米の種皮が赤いのが特徴だ。
総社市の五穀豊穣(ほうじょう)を祈願する神事「赤米の神饌(しんせん)」は、県の重要無形民俗文化財に指定されており、神事で供える「総社赤米」は、門外不出で地元の有志らの手によって守られてきた。
この伝統の赤米に新しい風が吹き始めている。難波尚吾さん(39)、友子さん(39)夫妻は、2011年から総社市で赤米の栽培を始め、3人の農家と共に「総社古代米生産組合」を設立。県が開発した「総社赤米」に「サイワイモチ」を掛け合わせた赤米「あかおにもち」などを5ヘクタールで栽培し、赤米を使った商品開発を手掛ける「レッドライスカンパニー」を立ち上げた。
備中国分寺前の水田で赤米の状態を確認する難波尚吾さん(左)と友子さん。すぐそばには五重塔が見える
難波さんらは食品メーカーで勤務した経験を生かして甘酒や塩こうじなど20種類以上の商品を開発。18年には自社加工場を立ち上げ、幅広い加工品作りに力を入れる。
また耕作放棄地で赤米の栽培を始めたことで、出穂の時期の幻想的な風景がインターネット交流サイト(SNS)で話題になった。
16年から市などが毎年開く「赤米フェスタ」では、備中国分寺前の広場でコンサートが開かれる。今年は新型コロナウイルス感染拡大の影響で中止したが、総社赤米大使の歌手、相川七瀬さんの歌唱シーンなどを収録した動画をユーチューブで公開した。尚吾さんは「赤米で総社の魅力を日本や世界に向けて発信したい」と笑顔を見せる。(釜江紗英)
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2020年10月05日

[あんぐる] 自慢の孫たちです 奥会津金山赤カボチャ (福島県金山町)
福島県の会津地方、新潟県境に位置する金山町。高齢化率県内1位の山深い農村が、特産のカボチャ作りで活気づいている。濃いオレンジ色が特徴で、その名は「奥会津金山赤カボチャ」。独特な食感は「高級な栗のよう」とも表現され、毎年、出荷分は全て完売するブランドカボチャだ。
9月上旬、町内の廃校になった中学校を改装した作業場。鮮やかなオレンジ色の実が、緑色のシートの上にころころと並ぶ。出荷前に、カボチャを風通しの良い場所に置き、糖度や保存性を高める熟成作業の風景だ。
カボチャは、地元農家でつくる「奥会津金山赤カボチャ生産者協議会」が手掛ける。メンバーは現在92人で、平均年齢は70歳を超える。
町内で自家採種した種を育苗し、5月下旬に各自の畑に定植。8月中旬から約1カ月間で収穫する。皮が薄く傷つきやすいため、丁寧な管理が必要だが、大型の機械が不要で高齢者でも栽培できる。
糖度や底部にある“へそ”の形の美しさなど、協議会で定めた厳しい基準を合格したものだけに、金色の合格シールを貼り出荷する。毎年、約1万6000個が県内のスーパーや道の駅などで販売される。
つり下げた状態で栽培中のカボチャ。底部には特徴的な大きなへそがある
メンバーの押部清夫さん(70)は「今の10倍作っても足りないくらいだ」と人気ぶりを話す。
東京都中央区にある同県のアンテナショップは毎年販売フェアを開く。来店した品川区の山内裕正さん(55)は「高級な栗のような食感で、煮ても揚げても何をしてもうまい。数年前に食べて感動して以来、毎年買っている」と購入していた。 この赤いカボチャが地域にいつ伝わったかは定かではないが、80年ほど前には既に栽培されていたという。
2008年、他の地域では珍しい赤いカボチャを町の特産品にしようと農家が集まり協議会を結成。18年には特許庁の「地域団体商標」を取得するなどブランド化を進めてきた。
協議会会長の青柳一二さん(75)は「高齢化が進む町だが、作った分だけしっかり売れるので、皆はやりがいを感じている」と話し、「毎日畑に通い、孫のように大事に世話をしてきたカボチャ。ぜひ味わってほしい」と笑顔を見せた。(富永健太郎)
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2020年09月21日

[あんぐる] 美味の証明 防蛾灯輝く梨園(石川県加賀市)
「加賀梨」の産地として知られる石川県加賀市奥谷町。夜更けに市の中心部から車で20分ほど走り林道を抜けると、黄色い光に包まれる。特産の梨を害虫から守る「防蛾(ぼうが)灯」の光だ。面積32ヘクタールの梨園には、約1500本の防蛾灯が等間隔に並び、地域では、“奥谷100万ドルの夜景”と呼ばれている。
防蛾灯を設置するのはJA加賀の組合員25戸でつくる「奥谷梨生産組合」。県内最大の園地面積を誇る。
防蛾灯は、ガが嫌う波長の光を放ち、梨に寄せ付けにくくする機器だ。碁盤の目のように整備された園内全体に設置し、夏場は、午後6時から午前6時までの12時間にわたって点灯する。
梨の生育具合を確かめるベテラン農家の上坂さん
農家の上坂武志さん(79)は「防蛾灯があることで、重労働の袋掛けをせずに育てられる。無袋栽培なので太陽の光をしっかりと浴びて甘く仕上がる」と利点を話す。
防蛾灯は出荷が始まる10日ほど前から、収穫が終わる10月上旬まで点灯する。今年は7月31日に早生の「愛甘水」から出荷がスタートした。8月上旬に「幸水」、9月上旬から「豊水」「あきづき」などに切り替わり、関西の市場を中心に出荷する。
地域で梨栽培が本格的に始まったのは1977年。地元農家らが、松林を切り開き植樹を始めた。防蛾灯は、収量が安定してきた84年ごろから、広大な園地を少ない労力で管理するために導入した。
農家の高齢化が進む現在、組合は就農希望者を積極的に受け入れ、後継者育成に取り組む。希望者には本格的な就農の前にベテラン農家の園地で研修を実施。栽培技術を身に付けやすい環境を整えたことなどで、直近5年間で計6人が就農した。
組合長の岩山則生さん(60)は「後継者を育て、この景色をいつまでも守っていきたい」と話す。(富永健太郎)
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2020年09月07日