[結んで開いて 第2部][ここで暮らす](2) 古里のにぎわい再び 子育てを集落で 長野県飯田市
2018年10月11日

住民はほぼ毎月の交流行事で園児を見守る(長野県飯田市で)
子育てを、集落のみんなで。面積の87%が森林という長野県飯田市千代地区にある二つの保育園は、全600戸の住民出資で運営する。少子化で撤退した市から引き継いだ。子育てがしやすければ若い世帯が増え、集落はずっと存続する──。地域全員で支える揺り籠。30人台まで減っていた子どもの人数は、40人を超えた。
「子どもの頃の思い出があり、親しい人が居る。そこが帰りたい古里になるんじゃないかな」。千代保育園と、4キロ離れた千栄分園を運営する社会福祉法人「千代しゃくなげの会」理事長の小澤正昭さん(73)。地域に子どもの笑い声を絶やさない。それが、集落を守る道だと信じる。
地域の全員が、子どもにとっての“先生”だ。田植えや稲刈り、みそ造り。農家から「そろそろ栗を拾いに来ませんか」と保育園に声が掛かる。田んぼや山、自然が教室となり、農の恵みや伝統を感じる機会を重視する。
9月、「日本の棚田百選」に選ばれている「よこね田んぼ」の一画で、園児約30人が稲刈り鎌を手にした。慣れない手つきだが、真剣なまなざし。刈り取った稲を住民に手渡した。自慢げだ。「早くご飯にして食べたいな」。上部波瑠君(6)を、なじみの顔触れが優しく見守る。稲を受け取った林収一さん(54)。「相手が自分の子どもじゃなくても、危ないときはきちんと叱る。信頼関係があるからできること」と、集落の絆を実感する。
月に1度は園児と集落の人が触れ合う行事がある。米作りでは、あぜ塗りや脱穀も一緒にする。
「千代から宝を失っても良いのか」
2004年、市は子どもの減少を理由に、二つの保育園を統合するか、民営化して存続させるかを提示した。集落の人口は現在約1700人。高齢化率は4割を超える。市内の事業者は「中山間地での運営は難しい」と二の足を踏んだ。
市の中心部までは15キロ。家の近くの保育園なら、何かあっても誰かが支えてくれる。1年以上にわたり、市と住民との間で議論が続いた。
住民が出した結論。地域の宝である子どもを地域で育てる──。全員で保育園を自主運営することにした。600戸から各1万円以上、1000万円を集めた。負担感を減らすため、高齢者世帯などは分割で支払う仕組みも設けた。05年、社会福祉法人「千代しゃくなげの会」を設立。運営を引き継いだ。
園長の澤田裕子さん(56)は、利用者視点の運営に気を配る。保育園は3歳から6歳までだったが、住民運営後は0歳から受け入れる。開園は午前7時から午後7時まで。保育園としては異例の長時間だ。町なかでの仕事の往復にも、十分間に合う。公営では実現が難しかった、共働き世帯の保育ニーズに対応できている。
6歳の娘を通わせている上原紀代江さん(48)は、夫の仕事の都合もあって、17年に東京から移住した。決め手の一つが、この保育園の体制だったという。「本当に、みんなが自分の子どもだと思って接してくれているような感じ。地域の人と自然が子どもを育ててくれるから、安心して移住できた」。受け入れてくれた地域の温もりを感じる。
05年には両園合わせて38人まで減っていた園児は、18年、47人が通う。
「13年前に保育園がなくなっていれば、このにぎわいはなかった」と理事長の小澤さん。子どもの遊ぶ姿に「こんな当たり前の景色を、ずっと残したいと、みんながそう思っているから」。住民全員が保育園につながる価値をかみしめる。
キャンペーン「結んで開いて」への感想、ご意見をお寄せください。ファクス03(6281)5870。メールはmusunde@agrinews.co.jp。
「子どもの頃の思い出があり、親しい人が居る。そこが帰りたい古里になるんじゃないかな」。千代保育園と、4キロ離れた千栄分園を運営する社会福祉法人「千代しゃくなげの会」理事長の小澤正昭さん(73)。地域に子どもの笑い声を絶やさない。それが、集落を守る道だと信じる。
地域の全員が、子どもにとっての“先生”だ。田植えや稲刈り、みそ造り。農家から「そろそろ栗を拾いに来ませんか」と保育園に声が掛かる。田んぼや山、自然が教室となり、農の恵みや伝統を感じる機会を重視する。
9月、「日本の棚田百選」に選ばれている「よこね田んぼ」の一画で、園児約30人が稲刈り鎌を手にした。慣れない手つきだが、真剣なまなざし。刈り取った稲を住民に手渡した。自慢げだ。「早くご飯にして食べたいな」。上部波瑠君(6)を、なじみの顔触れが優しく見守る。稲を受け取った林収一さん(54)。「相手が自分の子どもじゃなくても、危ないときはきちんと叱る。信頼関係があるからできること」と、集落の絆を実感する。
月に1度は園児と集落の人が触れ合う行事がある。米作りでは、あぜ塗りや脱穀も一緒にする。
「千代から宝を失っても良いのか」
2004年、市は子どもの減少を理由に、二つの保育園を統合するか、民営化して存続させるかを提示した。集落の人口は現在約1700人。高齢化率は4割を超える。市内の事業者は「中山間地での運営は難しい」と二の足を踏んだ。
市の中心部までは15キロ。家の近くの保育園なら、何かあっても誰かが支えてくれる。1年以上にわたり、市と住民との間で議論が続いた。
住民が出した結論。地域の宝である子どもを地域で育てる──。全員で保育園を自主運営することにした。600戸から各1万円以上、1000万円を集めた。負担感を減らすため、高齢者世帯などは分割で支払う仕組みも設けた。05年、社会福祉法人「千代しゃくなげの会」を設立。運営を引き継いだ。
園長の澤田裕子さん(56)は、利用者視点の運営に気を配る。保育園は3歳から6歳までだったが、住民運営後は0歳から受け入れる。開園は午前7時から午後7時まで。保育園としては異例の長時間だ。町なかでの仕事の往復にも、十分間に合う。公営では実現が難しかった、共働き世帯の保育ニーズに対応できている。
6歳の娘を通わせている上原紀代江さん(48)は、夫の仕事の都合もあって、17年に東京から移住した。決め手の一つが、この保育園の体制だったという。「本当に、みんなが自分の子どもだと思って接してくれているような感じ。地域の人と自然が子どもを育ててくれるから、安心して移住できた」。受け入れてくれた地域の温もりを感じる。
05年には両園合わせて38人まで減っていた園児は、18年、47人が通う。
「13年前に保育園がなくなっていれば、このにぎわいはなかった」と理事長の小澤さん。子どもの遊ぶ姿に「こんな当たり前の景色を、ずっと残したいと、みんながそう思っているから」。住民全員が保育園につながる価値をかみしめる。
キャンペーン「結んで開いて」への感想、ご意見をお寄せください。ファクス03(6281)5870。メールはmusunde@agrinews.co.jp。
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二度漬け白菜、だいこん漬け 広島県福山市
広島県JA福山市の子会社、JAファームふくやまが、自社生産のハクサイとダイコンで作った漬物。ハクサイは3日かけて二度漬けした浅漬けで、切って干さずにすぐ漬け込み、みずみずしさを残した。
味付けは砂糖や食塩、調味酢などの調合割合を研究。子どもから高齢者まで食べやすいよう、やや甘めに味付けした。しゃきしゃきとした食感が楽しめる漬物は、JA産直市「ふれあい市」や、道の駅「びんご府中」で3月上旬まで販売する。
価格は「二度漬け白菜」が1袋150~250円、「だいこん漬け」が1袋160~200円。問い合わせは同社、(電)084(960)0007。
2019年02月18日

岩手産ポークの前沢牛入りフランク JA岩手ふるさと
岩手県のJA岩手ふるさとが販売するフランクフルトソーセージ。味に定評のある県産ポークに、地元ブランドの前沢牛を練り込んだ。
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1袋(冷凍)3本入り(1本90グラム)で1260円。JAの「産直来夢くん」や「産直センター菜旬館」、インターネットショップ「奥州うまいもん屋」などで販売している。問い合わせはJA流通販売課、(電)0197(41)5215。
2019年02月15日

働き手リレーで連携 関係強化へ協議会 北海道・愛媛・沖縄のJA
北海道JAふらの、愛媛県JAにしうわ、沖縄県JAおきなわは15日、農繁期のずれる3JA間で働き手をリレーし、労働力を確保するための連携協議会を設立した。2016年からの連携関係をより強固にする。協議会として働き手の募集活動を4月から始め、効果的なPRや経費削減につなげる。同日、設立総会と締結式を東京・大手町のJAビルで開いた。
2019年02月16日
5月末にも開発拠点 秋の成果発表めざす JA×ベンチャー新事業
ベンチャー企業などと連携し、技術やアイデアを生かして新事業や課題解決につなげるJAグループの新たな拠点「イノベーションラボ」が、5月末にも東京・大手町に開設することになった。今後、コンテストなどを行って連携するベンチャー企業を決定。秋には報告会を開いて、新たな商品やサービスを発表する。
2019年02月13日

豚コレラ 愛知 処分2・2万頭 渥美半島入り口一般車両も消毒へ
愛知県は、田原市の養豚団地の一部農場で豚コレラの感染が見つかったことを受け、未感染の農場を含め、団地内と関連農場合わせて計16農場の豚1万4600頭の殺処分に踏み切った。ウイルスを封じ込め外部に拡大するのを防ぐ。今回を含めた県内の殺処分頭数は約2万2000頭に上る。田原市のある渥美半島は、養豚場が集中しているため、原則24時間体制で一般道の消毒などに乗り出す。
防疫措置の対象農場は団地内の14農場と、団地内の生産者が管理する周辺2農場の計16農場。8戸が経営しており、事務所や堆肥場、死体を保管する冷蔵庫や車両を共同利用している。県は13、14と連日、団地内の2戸3農場で疑似患畜を確認していた。
3農場以外の検査結果は陰性だったが同じ作業形態、動線があるため、県は今後新たな発生が確認される可能性を懸念。団地全体を一つの農場とみなした上で、団地内の農家が管理する周辺の2農場を含め、一括して防疫対象とした。
団地内での殺処分は13日から始まっているが、防疫措置が完了するには今後、1週間から10日かかる見込みだ。
今回を含めた県内の殺処分頭数は、農水省によると、10年の口蹄(こうてい)疫の約23万頭に次ぐ規模。県全体の飼養頭数約33万頭(18年)の7%に当たる。
同省は、今回の養豚団地から半径約10キロ圏内の9カ所で、畜産関連車両の消毒地点を拡大。さらに、搬出制限区域外の一般道で一般車両も消毒する。
一般車両を想定した消毒は昨年9月に豚コレラが発生以来、初の措置となる。国道3本と県道1本の渥美半島の入り口に消毒地点を置く。同地点から半島の先端まで散水車を走らせ、消毒液を散布する。交通量が多い国道23号沿いに、消石灰帯を8カ所設ける。
畜産関係車両には、消毒地点のある道を積極的に通るよう呼び掛ける。警察や自治体、畜産関係団体の協力を得て、原則24時間体制で消毒する。
2019年02月16日
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[結んで開いて 第3部][集落営農の先に](6) 定住後押し農地守る 空き家マッチング 島根県邑南町
島根県邑南町の出羽地区。12集落からなる農村で5年間に6軒、あるじを失った空き家に明かりがともった。32ヘクタールを耕作する合同会社出羽の、定住部門が仲介した移住者。20~40代の若い世帯が多い。
Iターン就農した戸津川良さん(42)、美由紀さん(35)夫妻。住民から無料で借りた50アールの畑で、80種類の野菜を生産する。
「畑が隣にあり、倉庫もついている。農業をするには最適の環境。本当に良い縁に恵まれた」
県西部、浜田市出身の良さん。スーパーの青果バイヤーとして多くの農家と接した。「安値重視の時代。販売側は作り手の声を届けきれない。自ら作り、発信したい」
師匠と慕う農家が住む同町で就農を望んだ。同社は、家の持ち主と賃貸の条件などを交渉。移住者と集落長の面談の場を設け、地域とつなぐ。
17人いる出資社員の職業は農家の他、不動産、建築業などさまざま。空き家は必要があれば、同社が150万円程度まで出して改修する。1カ月の家賃は3万円ほどだ。
出羽地区の人口は900人を切り、10年間で約150人減少した。農地の管理に空き家の活用、交通弱者対策……。安心して住める魅力的なまちをつくるため、新たな人材に期待をかける。
人を呼び込んで農地を守ってもらうだけではなく、同社も担い手不在の農地を預かり、水稲や野菜の生産、繁殖和牛の飼育を手掛ける。年間売上高は3000万円。農地の預かりは、2013年の設立から倍増し、集落全体の農地150ヘクタールの約2割になった。県内の農業大学校を卒業した20代2人を、正社員として雇う。
地区を束ねる自治会が核となって活動してきたが、取り組みが多彩に広がったため、会社設立に踏み切った。17年には、起業支援を開始。廃業した商店を改装して2人がパン店と雑貨店を開業するなど、生活となりわいの場を整えてきた。
同社事務局の沖野弘輝さん(50)は「住民の思いを形にする実働隊として、会社が存在する」と結束の固さを実感する。
新しい人を迎え入れる姿勢にも気を使う。集落長の高橋雄二さん(63)は言う。「困ったときには親身に相談に乗るが、集落の役や行事の参加は強制しない」。まずは自分の生活を築くことを優先してもらう。程よい距離感が、居心地の良さを生んでいる。
築50年を超えた空き家に戸津川さん夫妻が移住してきた14年。住民が開いてくれたお披露目会で、良さんには忘れられない言葉がある。
「よう、ここに来てくれたな」
この地でやっていく自信が持てた。
「この地にずっと残ると意思表示をして、皆さんに安心してもらうことが、恩返しになる」。家を購入し、永住する決意を固めた。
沖野さんは「農家だけでつくる組織だと、こうはいかない。多様な人材がそろうのも、12の集落を股にかけた広域組織の強みだ」と話す。集落、営農の枠も超えて、農村の魅力を高める実働隊として活躍し、若者の定住に結び付ける。
2018年12月29日

[結んで開いて 第3部][集落営農の先に](5) “里”づくりファンと 有機栽培に大転換 埼玉県小川町
埼玉県小川町の下里地区に今年8月、新しい集落営農法人ができた。下里ゆうき。農地30ヘクタールに自給農家も含め農家は60戸ほど。大豆や麦を共同で有機栽培する他、堆肥を作って集落の有機農業の基礎を支える。中山間地域だが、未利用地はほとんどない。農道は農家の他、地域や都市の住民ボランティアが、きれいに整備する。
「断トツでおいしい、元気になる、と言ってくれるファンがいるんだ」。代表の清水一美さん(63)は胸を張る。集落を定期的に訪れる人は多い。中でも熱心なのは、隣町のときがわ町に住む新井康之さん(67)だ。2年前から、毎朝30分かけて小川町の農場に通う。ボランティアとして半日程度、鶏の世話やさまざまな作業を手伝う。
有機農業は手間が掛かるために、作業を協力し合う関係が自然と深くなる。「ここにはお金に換算できない魅力がある。人と人とのつながりや自然の力があり、社会の窮屈さから開放される。居場所ができた」と話す。
地域住民はボランティア団体「刈援(かりえん)隊」を結成。年間を通して雑草などを刈り取り、集落を訪れる人を温かく迎える。
集落での有機農業は47年前、金子美登さん(70)が始めた。町外から就農を目指し、若者が増えた。転機は2001年。機械化組合の組合長が金子さんを訪ね「これからの村を守るのは有機農業だ」と持ち掛けた。金子さんらの元気な取り組みを、集落の農家は長く見てきた。
中山間地域で経営規模が小さいため専業農家が育たず、担い手が年々高齢化し、農地や農道、水路の維持が難しくなっていた。大規模化路線では、先が見通せない。リーダーの一声で、集団栽培の大豆で有機栽培をスタートさせた。
収量は落ちてもおいしいものができた。豆腐店が全量、買い取ってくれた。豆腐や納豆、豆乳などヒット商品が生まれた。地元実需者からの高い評価で徐々に有機栽培が小麦や水稲、野菜など全体に広がった。
地元業者とのつながりを大切にし、麦は地元パン店や地ビール工房に出荷する。米も09年には稲作農家全員が有機栽培に転換。取り組みに賛同する県内企業が全量買い取る。野菜は消費者に直売し、集落のファンが増えていった。
外とのつながりがたくさん生まれ、安定した販路やファンができた。環境保全活動にも注力し、「オオタカやフクロウも見るようになった」(清水さん)。生態系が豊かになり、自然豊かな里山に、観光客が増えた。
販売価格が大きく上がったこと以上に、地元商工業者や消費者とのつながりができ、その応援を受けたことなどが大きな成果となった。元気とやる気を取り戻した。法人事務局の安藤聡明さん(64)は「有機栽培に転換していなかったら、農家は減り耕作放棄地だらけだったかもしれない」。
新たに立ち上がった法人で、こんな計画が持ち上がる。果樹の観光農園を整備して都市住民を呼び込みたい。新しいつながりを期待する。
2018年12月27日

[結んで開いて 第3部][集落営農の先に](4) 巨大ハウスで運動 冬の収入 憩いの場に 北海道南幌町
一面の雪景色が広がる北海道南幌町。育苗ハウスの骨組みが並ぶ中、ひときわ長い農業用のビニールハウスから、笑い声がこだまする。
「あら、止まって。そっちへ行かないで」
ハウスの正体は、屋内パークゴルフ場。運営するほなみは、同町西幌地区を中心とした構成員23人でつくる有限会社。水稲などを約250ヘクタールで生産する。
12月上旬。町民ら46人が大会で腕を競った。ボールの行方を確認しては、室内の至る所で歓声や落胆の声が響いた。
72アールの巨大ハウスは、町民たちの冬場の運動不足解消に一役買う。全18ホールで、長さ500メートル。青々とした天然芝が埋め尽くす。
常連の久島久子さん(77)は月に2~4回、友人らとコースを回る。午前中に集合し、午後まで計4周。昼食も、ほなみが設ける場内の飲食スペースで済ます。「わいわいするのが楽しくて。近いし、家でこもっているよりよっぽどいい」
ほなみは2002年設立。パークゴルフ事業は2年後に始めた。パークゴルフは北海道発祥のスポーツで、大きなプラスチックのボールを使う。安全で、高齢者でも親しみやすい。米価が低迷し、メンバー自身も高齢化が進んでいた。冬場の収入源を模索し、当時の代表がパークゴルフに目を付けた。
当時経理を担当し、現代表の小谷恭司さん(62)は「メンバーとの関係を希薄にしたくなかった」と振り返る。
当初はコースの起伏を激しくしたり、バンカーなども設けたりしたが、難し過ぎて「閑古鳥が鳴いていた」(小谷代表)。本業とは違うため、勝手が分からぬままのスタートだったが、試行錯誤を繰り返し、徐々に来場者が増えた。
今では年間8000人ほどが訪れ、その8割は町外からの来場者。同町産業振興課によると「真冬の貴重な観光資源。町のPRにもつながっている」という。
場内には、同町産農産物の直売所もあり、パークゴルフの利用者が買っていく。同社の米をはじめ、冬季に別のハウスで収穫するシイタケ、町内農家の家庭菜園で取れたカボチャやニンニク、小豆、黒大豆、菜豆など多彩な品が、受付の向かいに並ぶ。
小谷代表は「農家の奥さんのいい収入になっている」とほほ笑む。1人1日1300円のプレー代も合わせ、11月下旬から3月までのおよそ5カ月間の開場期間中に800万~1000万円を売り上げる。
「冬歩くにしても外は滑るが、ここはその心配なく体を動かせる」。パークゴルフ事業を担当する三好和仁さん(38)は、冬の農閑期を逆手に取った意外な事業展開の着眼点を、そう明かす。経営基盤を強くしただけでなく、法人の遊び心も魅力だ。来場者が交流を楽しみ、「知り合いもいて、憩いの場になっている」と実感する。
2018年12月26日

[結んで開いて 第3部][集落営農の先に](3) 地元産野菜もっと 住民との距離縮まる 滋賀県湖南市
朝8時、滋賀県湖南市の農事組合法人はり営農。週に2回、倉庫が朝取り野菜の集荷場に早変わりする。
「きれいにできとるなあ」「私の小さいわ」
パートに向かう主婦や、手押し一輪車で高齢者が野菜を持ち寄る。にぎやかで明るい声が、通学、通勤の住民が行き交う集落に響く。
同法人の「野菜チーム」から集まった野菜の出荷先は、複数の農産物直売所。中でもJAこうかが運営する、直売所を中心とした交流施設「ここぴあ」が2年前にできたことが、転機になった。
同法人は、約18ヘクタールで米を中心に経営する。57戸の構成員のほとんどは兼業農家。田んぼは法人に任せる。多くが農作業するのは年に1、2回という。
京都や大阪の市街地へ電車で約1時間かかる同市針地区。農地と住宅が混在し、子育て世代が暮らす新興住宅地もある。法人の結成から9年。農作業は効率化したものの、住民と農業の距離は少しずつ離れていった。
このままで、集落営農は維持できるのか──。
代表の黄瀬昇さん(68)。「おいしいものを作って売る。相手においしいと言ってもらう。それが農業の一番の楽しみ」。原点を思い起こす。楽しみを取り戻したい。組織の新たな姿を描いた。
幅広い世代が集まる直売所は、地域の農業を住民に知ってもらう、うってつけの場所。だが、稲作地帯で野菜の生産者は多くない。直売所に出荷できる種類や量は当初、限られた。特徴のある地元産野菜をもっと出荷できないか。集落を見渡すと、自家消費用に野菜を栽培する女性らが構成員の家族にいた。
パートとの掛け持ちで朝の時間に余裕のない主婦や、車を運転できない高齢者でも気軽に出荷できるように、直売所までの運搬などを同法人で引き受けた。徐々に参加者は増え、今では8人になった。
新たな種類や、端境期の出荷を狙うメンバーも出てきた。機能性成分を多く含む品種を中心に栽培。年間で約40種類が棚に並ぶ。月に1度発行する「はり営農だより」では、野菜の播種(はしゅ)適期など、季節の農作業を載せる。
年間約20種類を出荷する黄瀬愛子さん(75)。「野菜作りという共通の話題ができて、若い世代との会話が増えたわ」と笑顔だ。「車の運転はできないから。自分だけで出荷は無理ね」。集落の新たなつながりが、楽しみを生み出した。
ここぴあ店長の小林忠さん(41)は「直売所の出荷者が高齢化し、個人の周年出荷は難しくなっている。集落営農組織が地域の野菜を集める形は、新たなモデルになる」と注目する。
同法人は2年前、高齢で離農する養鶏場を引き継ぐチャレンジファームに出資。出荷を請け負い、障害者の就労も支援する。出荷作業が周年の仕事になれば、若い担い手の呼び水になる。新しい懸け橋になると期待する。
2018年12月25日

[結んで開いて 第3部][集落営農の先に](2) 企業研修受け入れ 刺激 奮起 変わる意識 愛知県豊田市
月に1度、愛知県豊田市の中山間地域、伊熊地区で活動する集落営農法人・伊熊営農クラブの農地に、20代の男女が集う。名古屋市の人材サービス企業「Man to Man(マントゥマン)」の社員たちだ。
「もう少しで100個だ」「追加の米はいま炊いてるよ」
12月上旬。自分たちが育てた米で、郷土料理の五平餅を手作りした。同企業協賛のイベントで売るため、200個を仕込んだ。
営業所が違い、仕事ではあまり会わない社員たち。それでも自然に、声を掛け合って作業が進む。「元気ファーム」の看板を掲げた農場で、今年は米「ミネアサヒ」20アール、ナスなどの野菜10種類を10アールで育てた。取り組みは若手が主導する企業研修の一環で、原田豪己さん(27)は「都会にはない、五感で感じられる楽しみがある。地方出身で田舎に親近感がある」と笑顔を見せる。
同営農法人は地区の組合員23人と賛助会員、役員、オペレーターで構成する。作業面積は水稲17ヘクタール、地区外分含む転作が6ヘクタール。2012年に設立し、17年に法人化した。
みんなで支え合い農地を守ろうと立ち上がった。だが、農家の高齢化などで管理しきれない土地も出てきた。農地を生かすため豊田市などが間に入り、15年から企業研修の受け入れを始めた。
若手社員らが流しそうめんをやろうとした時には、地域住民が張り切って竹を用意してくれるなど、「手助けしてもらって活動が成り立っている」(原田さん)。地域の祭りに参加したり、逆に社員たちが地域住民を招いて納涼祭や運動会を開いたりと、絆は双方から強まっている。家族を連れて参加する社員もおり、イベントに100人以上が集うこともある。
3年間の契約。生産に必要な資材費や農作業の指導料などは企業が支払う。人材育成につながると社内の評価も高く、2度目の契約を結んだ。
同営農法人は他に、カレーチェーン店「Coco壱番屋」の加盟企業ワイズとも連携。商品開発を見据えて遊休農地で米を栽培する。市の事業委託を受けて新規就農者の育成も担う。
同営農法人代表の後藤京一さん(68)は「企業の若手はみんな自分たちで考え、行動してくれる」と感心しながら見守る。参加回数を重ね、安心して作業を任せられる人材も出てきた。
地区内に人を受け入れる土壌が整ったためか、若者の移住が増加。同地区では12年に中学生以下の子どもがゼロになったが、7人になった。
同営農法人も刺激を受ける。地区の新しい動きに取り残されまいと、月例の寄り合い参加者は以前の10人前後から20人以上に増えた。話し合う内容も変わった。後藤さんは「みんなが思いや提案を持ってくる。だらだら昔話をする集会から、今後の地区をどうしたいか、将来を見据える場になった」と実感する。
キャンペーン「結んで開いて」への感想、ご意見をお寄せ下さい。ファクス03(6281)5870。メールはmusunde@agrinews.co.jp。
2018年12月22日

[結んで開いて 第3部][集落営農の先に](1) 「外の力」積極登用 加工9000万円、全員活躍 岩手県遠野市
多くの集落営農が今、大きな節目を迎えている。政策的な推進から10年が過ぎ、住民や担い手の顔ぶれも変わってきた。経営の柱を増やしたり、改めて暮らしの基盤を固めたりしようと、各地で挑戦が始まっている。集落内外でのつながりが生む、新たなアイデアを見た。
「キウイ、買い取ります」
10月下旬、稲作地帯の岩手県遠野市の各戸に、そう呼び掛ける新聞ちらしが入った。ちらしの主は、宮守川上流生産組合。3地区のほぼ全農家、約180戸でつくる集落営農法人だ。
キウイフルーツを出荷した菊池紀子さん(64)は「自分の家では食べきれなくて困っていた」と言う。組合のメンバーで、加工場のパート従業員でもある。キウイフルーツは、その加工場で受け入れる。「今はジュースを待ってくれているお客さんがいる」。やりがいに、声が弾む。
トマト、山ブドウ、ブルーベリー……。2010年秋に開設した加工場で、商品化したジュースは8種類。女性や子どもに選ばれるよう、180ミリリットルの小瓶の商品もそろえた。
特区認定によるどぶろくや、ジャムも含め、加工品の年間売り上げは当初の500万円から、8年で9000万円になった。米や大豆生産など営農部門の1億6000万円と並ぶ経営の柱だ。
組合発足当初から掲げるのが、「一集落一農場」構想。農地を組合に任せきりにせず、誰もが生産活動に携わる。米と大豆を主体に農地120ヘクタールを引き受ける。
稲刈りなど機械作業は組合の常雇職員が担う。組合員も草刈りなどはできるだけ自分でする。女性や高齢者が働けるよう、直売所や加工場も整備した。
加工が伸びたきっかけは、1人の移住者だった。部門を率いる副組合長の桶田陽子さん(45)。組合が発足して11年後の、07年にメンバーに加わった。
盛岡市出身で、北海道で普及指導員を経験。「個別の農業経営ではなく、農村の暮らしそのものを将来につなぎたい」。一集落一農場構想を掲げ、みんなが生き生きと活躍する同組合に県内の就農相談会で出合い、引き寄せられた。
普及員としてトマト産地を担当した桶田さん。トマト栽培を計画していた同組合にとっても、望む人材だった。加工場の立ち上げ時、規格外のトマトでジュースを作る計画もあり、責任者を任された。
昨年発売した新商品がキウイジュースだ。自家消費程度に軒先でキウイフルーツを育てる農家が地域に多いことに気付いていた桶田さん。「最近、キウイを使った加工品、目に付くよね」。加工場の休憩時間、パート従業員の地域の農家女性らが交わす何気ない会話に、商品化を思い立った。
組合長の浅沼幸雄さん(62)は「『加工は女性の感性を生かせる』とよく聞くけど、本当にその通りだよ」と、桶田さんに信頼を寄せる。
生産組合では、地域外出身者の雇用も積極的に進める。同組合の常雇職員16人のうち、5人が地域外出身だ。
地域の結束をどう守り続けるか──。同組合に詳しい県中央農業改良普及センターの昆悦朗上席農業普及員は、こう指摘する。「地域にはいない知識や経験を持つ人材を受け入れる前提に、一集落一農場構想でつないできた地域のまとまりがある」。地域内で結束し、地域外の人材と手を結ぶ。地域の未来をつなぐ循環が生まれた。
加工品の営業担当、桐田淳利さん(53)も、地域外の出身だ。旅行代理店に勤めていた頃のつながりを生かし、JR駅での催事や、土産物店などへの販路を開拓。取引先の店舗数は、およそ130カ所に倍増させた。
「組合の仕事だと言えば、地域の誰もが気にかけてくれる。『自分たちの組織』と思える組合があるからこそ、外から来た私たちも根付くことができる」(桶田さん)。
浅沼さんは農閑期の冬場でも、加工場では「毎月、20人くらいに給料袋を渡せるようになった」と、次世代に生きる活動に笑みがこぼれる。
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2018年12月21日

[結んで開いて 第2部][ここで暮らす](6) 軽トラ助け合い 直売所に「出ス」喜び 鹿児島県日置市
“生きがい”を軽トラックが集落から店へと運ぶ。積み荷は住民が育てた農産物。自分で運転するのが難しくなった農家に代わって直売所への出荷を手掛け、暮らしに必要なものを買ってくる役割も担う。運転するのは、鹿児島県日置市高山地区のNPO法人、がんばろう高山。住民全員が参加する組織だ。住民同士の助け合いで、高齢化に伴う農業の衰退や買い物弱者の増加に悩んでいた地区が元気を取り戻した。
「これも直売所に出したいんやけど。さっき取ったの」「いけるいける。青物が少ないから」
毎週水・土曜日の朝。軽トラが地区の農家の自宅などを回り、収穫したばかりの農産物を集める。自分で出荷するのが難しくなった園田淑子さん(81)が「お小遣いになって、うれしい」と、照れる。
「出ス」。門に掲げられた出荷の意思を示す看板に、軽トラがまた止まる。「足の悪い自分は、特に助かっている」。体調を気遣う運転手に、家主の立和名静雄さん(86)が笑う。
地区は市街地から10キロほど離れた標高300メートルの中山間地域にある。住民約200人の3分の2は65歳以上。約100世帯の半数が高齢独居世帯だ。近くに店舗はない。高齢化で、農産物出荷や買い物が難しくなった。「作ったってどうせ腐らせてしまうから」。農家は外に出ることが減り、元気を失った。農地の保全も危ぶまれ、集落の存続まで心配されていた。
同法人は、こうした課題を解決しようと、2013年に設立。「みんなで助け合えば地域はきっと良くなる」。代表を務める立和名徳文さん(69)は、全員参加にこだわった。住民に困っていることを聞き、高齢化で外出が難しくなっていることなど、危機感を共有。人が多い場所では発言できないという人に配慮し、少人数のグループでも話し合いを重ね、一致団結した。
設立後、特に力を入れたのが、15年度に始めた農産物の共同出荷だ。自分で出荷できなくなっていた農家を支えるための仕組み。地区の約25戸から集荷し、10キロ以上離れた漁協が運営する直売所、江口蓬莱館に運び込む。集荷で高齢者の見守り活動を兼ねる。帰り道を利用し、注文に応じて住民に同館の商品を届ける。農業を支えるだけでなく、見守りが必要な人や買い物が不便な人にも利益がある。
集落は変わった。農産物が売れることが励みになり、家にこもりがちだった人が畑に向かうようになった。「きれいなナスやなぁ」「こんなの作れないよね」。地区の公民館などに野菜を持ち寄り、軽トラを待つ農家の間に会話が生まれた。住民同士の交流がそれまで以上に深まった。
「みんな喜んでくれる。やめられないよ」。軽トラの運転を担う、桑木野勝夫さん(67)が汗を拭う。農家は生きがいを取り戻したと実感する。
農産物の出荷は、江口蓬莱館にとっても渡りに船の提案だった。近隣の農家の高齢化に伴い、品薄に悩んでいたからだ。同館の支配人の柿本久人さん(52)は「高山地区の野菜が並ぶ水・土曜を選んで来店する人もいるほどだ」と喜ぶ。同法人には、市内に来年、新設する予定の病院からも出荷の依頼が舞い込む。つながりは広がりを見せている。
共同出荷する農産物の売上高は初年度の57万円から、17年度は300万円になった。より多くの住民の所得増につなげようと、9月から地域の女性が作る郷土料理「けせん団子」も売り始めた。
「協力してよかった」「地域全体が活気づいてきた」。住民たちは口をそろえる。
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2018年10月18日

[結んで開いて 第2部][ここで暮らす](5) 集落とナース挑戦 元気な人、元気な町へ 島根県雲南市
病院に通うのは大変――。高齢者が多く、医師の少ない農村で共通した課題だ。ならば、なるべく病気にならないようにしよう。住民と看護師が結び付いた新しい挑戦が、島根県雲南市で始まった。集落にナースが飛び込み、体調を見るのは診察室ではなく、日々の生活の場。暮らしの会話の中に元気が生まれる。
「最近、めまいはない?」「大丈夫。これからみんなで散歩に出掛けるの」。同市南部に位置する波多地区。人口300人余り、高齢化率が5割を超す農村で今年から、こうした会話が頻繁に聞かれるようになった。
高齢者に声を掛けるのは、柿木守さん(25)。柿木さんの役割は「コミュニティナース」。担当の波多地区に週3、4回は出向く。病院の中ではなく、集落に入り込んで、拠点の交流センターや訪問した住宅で住民と交流。健康や生活の相談に乗る。中長期的な関係を築き、病気の予防や早期発見につなげる。
医療サービスに恵まれない過疎地の暮らしを支える。新しい看護の形として、仕組みは各地から注目されている。
地区に唯一の診療所に、医師は週に1度しか来ない。住民で猟友会に参加する藤原功雄さん(75)は「悪くなる前に相談できる柿木君の顔を見るだけで安心だよ。看護師先生ではなく、息子のような感覚かな」。いつも顔を合わせているから、何でも相談できる。
首都圏の総合病院で3年間勤務していた柿木さん。具合が悪くなってから病院に来る患者が多いのを見てきた。そこから治療しても、高齢者は回復できないこともある。「だったら、体が悪くなる前に一緒にできることを考えたくて」。地元にコミュニティナースの先駆者がいたこともあり、同市にUターンした。
ナースを雇い、地区に派遣するのは、同市のNPO法人・おっちラボだ。代表の矢田明子さん(38)は、コミュニティナースの第一人者。全国各地で育成を手掛ける。
温泉の休憩所で、おばあちゃんたちの井戸端会議にも加わり、農作業を手伝って、住民の暮らしにとけ込む。何気ない会話が、健康や生活習慣を知るヒントになる。レシートを管理して、不足している栄養のアドバイスもする。
矢田さんは「中山間地は助け合わないと暮らしていけませんから。人を思いやり手を差し伸べる土壌が、農村には残っています」と、可能性を見いだす。新しい看護の道を志す若者と、彼らの力を必要とする住民を結び付ける。
今年度、同市で、柿木さんを含む3人がコミュニティナースとして働き始めた。新しい動きだけに、住民に理解してもらうところからだ。考え方を説明し、少しずつ賛同してくれる地域が増えてきた。
新市地区の地域自主組織「新市いきいき会」。サロンや体操教室など、催しの内容をナースと共に考え、取り入れる。同会事務局の郷原剛志さん(71)は「気軽に会って相談ができ、安心を届けてくれる。新しい風をばんばん吹かせてほしい」と期待する。
矢田さんは「みんなが元気で暮らしたいという思いを、住民や行政、医療機関などが共有するため、コミュニティナースを活用してもらえたら」と理解を訴える。
波田地区では活動半年で、柿木さんが拠点とする交流センターを訪れ、血圧を測りに来る住民が増えた。心も体も元気なままで。健康な集落への道筋は、徐々に広がり始めている。
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2018年10月17日

[結んで開いて 第2部][ここで暮らす](4) 自主運営続く商店 みんなが集まる幸せ 広島県安芸高田市
「小さいすし酢が欲しいんだけど」「サバの塩辛ってある?」──。20年続く、みんなの店。19の集落が点在する山間部、広島県安芸高田市の川根地区で唯一の商店だ。運営するのは、住民全員が参加する川根振興協議会。住民の要望で商品を仕入れる。「自分らができることは自分らの手で」。地域の買い物の場を維持し、住民が交流する“核”を守る。
店の名は、「万(よろず)屋」。稲作農家の松尾鈴子さん(71)はほぼ毎日、肉や豆腐などを買いに来店する。「ここに来れば、欲しい物が手に入る」。50平方メートルに、食料品やキッチン用品、農業用品など約500種類の商品が並ぶ。注文があれば、できる限り対応する。「地域に店があって助かる。雪が積もる冬は、出掛けるにも一苦労だから」
自主運営店舗ができるまで、地域の暮らしには2度の危機があった。1997年に、営業不振で唯一の店舗とガソリンスタンドが撤退。これを受けて98年、住民の出資も受けながら地元企業が引き継ぎ、万屋と併設のガソリンスタンド「油屋」の運営に乗り出した。だが、2005年に不況で倒産してしまう。
万屋は旧川根村役場跡にあり、地区の中心地に立地する。周辺には地元特産のユズの加工施設や郵便局もある。住民が集まる場が失われれば、地域文化がなくなってしまう。「地域全体に衝撃が走った」。同協議会の辻駒健二会長(74)は振り返る。
住民で運営する案が浮上した。しかし、「運営を続けられるだけの利益を出せるのか」と、反対する声も上がった。どうすれば利益を出せるか、懸案が持ち上がった。
「だったら、自分たちがしっかり店を利用すればいい」。辻駒会長らは出した答えを住民にぶつけ、説得。運営の専門組織を同協議会の中に立ち上げ、第2のスタートを切った。
15年の人口は、19集落で484人。高齢化率は45%。店の商品は車で20分ほど離れた隣町のスーパーより15%ほどプラスの価格設定だが、高齢者らが毎日約20人訪れる。取り置きや配達も対応する。
万屋、油屋を合わせた売り上げは、毎月約400万円。借入金や補助金には頼らない。従業員は万屋2人、油屋1人。全員が地域の住民だ。仕入れ、販売、精算など、全ての業務を担う。
“自分たちで地域をつくる”意識は、72年の協議会設立から培ったものだ。住民が主役となり、洪水災害復興や農地保全活動、交流拠点施設・移住者用住宅の整備を実施。課題を乗り越えるたび、結び付きを強めてきた。
93年からは、「川根から孤独死を絶対に出さない」との思いで、「一人一日一円募金」を開始。夕食を希望する高齢者への配食サービス費用に充てる。各戸に竹筒で作った募金箱を配り、毎年回収。合計で年約10万円が集まる。
調理を担当する岡田千里さん(76)は「高齢者の健康を守り、孤立を防げる。安心して住み続けられる」と、住民が支え合う意義を語る。
万屋の店内には数脚の丸椅子があり、集まった住民が井戸端会議に花を咲かせる。その様子をいつも見守る、店員の末廣早苗さん(71)が言う。「最近見掛けなくなった人がいれば、どうしたんだろうと気になって、誰かが見に行こうかってなるのよ」。万屋は、見守りの役割も果たしている。
常連の松尾さん。「気が付くと、いつも数時間はたっちゃってて。それが楽しいの」。今日も店の丸椅子に、いつもの顔触れがそろう幸せがある。
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2018年10月16日

[結んで開いて 第2部][ここで暮らす](3) 孤独救う 車内の会話 移送サービス 秋田県上小阿仁村
山あいの秋田県上小阿仁村を、村民による移送サービスの車が走る。家の前から目的地まで、利用者の要望に応じて送り迎えする。独り暮らしの高齢者でも、いつでも気軽に出掛けられ、暮らしに潤いがあるように──。そう願って、運転手はハンドルを握る。2人に1人が高齢者という村。手助けする側も、いつかは手助けを必要とする側になる。お互いさまの思いを形にしたサービス。村の将来を託す。
肺を患い、月に1度の通院が必要な小林隆助さん(78)。息苦しく、出掛ける時には酸素ボンベを持ち歩かなければならない。散歩に行くのもおっくうだ。
通院の日。「有償運送車両」のステッカーを貼った乗用車が、自宅の玄関前に停まる。住民でつくるNPO法人・上小阿仁村移送サービス協会が配車した。いつも往復40分を頼む、運転手の畠山和美さん(66)が、後部座席のドアを開けた。
独り暮らしで、一日中誰とも話さない日があるという小林さん。よく知る村民の畠山さんには、気兼ねなく話せる。「あっという間に冬。今年は雪が少ないといいな」。何気ない会話が、心を満たす。
病院の帰り、スーパーに寄って買い物をする。重い袋を畠山さんがトランクに詰め、家まで運び入れてくれる。「バスだと荷物が重くて。甘えさせてもらっている」
県内の都市部に娘がいる。だが、この村を離れるつもりはない。「生まれ育った村の、自宅で暮らせることがどんなに幸せなことか」。別れ際、来月の送迎を頼む。「人と会って話すのは楽しいよ。元気になる」と笑う。
タクシー会社は村から撤退した。協会は2004年に発足し、秋田運輸支局から「自家用有償旅客運送者」の登録を受ける。住民主体の移送サービスは、06年から始まった。自動車や運転免許証を持たない“交通弱者”でも便利に暮らせる村にしたい。ボランティアの発想から生まれた。
理事長の萩野芳紀さん(70)は57歳で早期退職したUターン組。年を取るにつれ、会社で活躍の場が減っていくように感じた。しかし「村ではまだ若手。頑張ってほしいと期待されて、居場所ができた」。
村の65歳以上人口は1185人。高齢化率は54・4%と、同県内で最も高い。県は自殺率の高さでも問題になる。「冬の間は雪で外に出ず、気持ちがくよくよする。話をしないと。車内ではしゃべりっ放し」。会話が、お年寄りを孤独から救い出す。
17年は延べ570人が移送サービスを利用した。8割以上が通院だ。村に診療所はあるが、専門的な診察や治療を受けるには、村外の病院に行く必要がある。その場合の往復費用は、タクシーを呼ぶと1万円以上かかる場合が多いが、同サービスなら秋田市でも5000円で済む。
移送サービスには自家用車を使うため、維持費などを考えるとドライバーは無償奉仕に近い。それにもかかわらず、運転手には9人もの村民が名乗りを上げる。主婦や定年退職をした人など、時間に融通が利く50~70代たちだ。
1日に2、3回は送迎を担う畠山さん。「頼りにされ、いろいろな悩み事を互いに話すことが楽しい」。移送サービスは運転手の生きがいにもなっている。
敬老会など村の催しに行くために利用する人もいる。数人で相乗りし、温泉に行くこともあった。お年寄りの暮らしに、ちょっとした楽しみが加わった。そうした光景に萩野さんは「いずれ私たちも、お世話になるかもしれないからね」。利用者もドライバーも、それぞれが、この地での生きがいを見いだしている。(次回は16日付に掲載)
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2018年10月13日