「なつぞら」 北の酪農ヒストリー 第8回「北海道バター事始め」(上)~関東大震災で練乳不況に

NHK連続テレビ小説「なつぞら」場面写真 (C)NHK

 「なつぞら」で酪農開拓者の柴田泰樹(草刈正雄)が、どこにも負けない、おいしいバターづくりの夢を主人公のなつや家族に語る場面がしばしば出てきます。今回は北海道におけるバターづくりの歴史をひも解いてみます。 

 明治になって牛が飼われるようになると、七重官園(北海道七飯町)や札幌農学校(北海道大学の前身)、真駒内牧牛場(札幌市南区)などでバターの試作や製造が試みられます。
 
かつて使ったバターチャーンを回す佐藤貢・初代雪印乳業社長
かつて使ったバターチャーン(レプリカ)を回す佐藤貢・初代雪印乳業社長
酪連発祥の地の石碑。場所は今の雪印種苗本社裏(札幌市厚別区上野幌)
雪印バター誕生記念館。創業当時のバターチャーンや貯蔵用のかめなどが陳列されている(札幌市厚別区上野幌)

 民間では、のちに北海道製酪販売組合(旧雪印乳業の前身)を設立する宇都宮仙太郎が1887(明治20)年、今の北海道知事公館付近で酪農を開始。バターをつくって開拓使が建築した西洋ホテル・豊平館(最初の宿泊者は明治天皇)に納品したりしました。「なつぞら」の舞台・十勝では、帯広開拓の祖とされる依田勉三率いる晩成社が明治38年(1905年)にバター(マルセイバタ)製造を始めます。

 組織として本格的なバターづくりに成功したのは北海道製酪販売組合です。きっかけは23(大正12)年の関東大震災にありました。政府は食料確保の目的で当時の主力乳製品、練乳の関税を撤廃、外国からも救援物質として大量の練乳が入ってきます。

 国内の製乳業界は震災前の不況による売れ残りと合わせて「練乳不況」に陥り、これを乗り切るため、原料乳の検査を厳格にする実質的な受乳削減策を打ち出したのです。この結果、酪農家は余乳を廃棄したり、妊娠牛をと畜場に送ったりといった苦況に追い込まれました。

 この時、札幌酪農界のリーダーだった宇都宮仙太郎、黒澤酉蔵、佐藤善七らは自ら製酪事業(バターづくり)に打って出ることで酪農家を救済しようと、北海道製酪販売組合を設立したのです。

 資金のない彼らは宇都宮の娘婿・出納陽一牧場の製酪所(札幌市厚別区上野幌、今の雪印種苗本社)を無料で借り受け、米国オハイオ州立大を卒業した佐藤の長男・貢(雪印乳業初代社長)が一人でバターをつくり始めました。25(大正14)年、今から94年前の話です。(次回に続く)(農業ジャーナリスト・神奈川透)
 
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