ニック・ニューサさん(歌手) 博多「ごぼう天うろん」最高

ニック・ニューサさん

 博多で過ごした子どものころの食事といえばね、毎朝売りに来た行商さんから買っていたおきゅうと。海藻を天日干しして煮詰めたものです。今でも博多に帰ると、買って帰ります。
 

母のみそ汁絶品


 おふくろは行商の人から他に納豆、豆腐と油揚げを買っていました。納豆はあまり好きではなかったけど、おふくろが作る豆腐と油揚げのみそ汁はうまかった。だしの取り方がうまいんでしょうね。あごだしで麦みそと米みその合わせみそで作っていたと思います。

 東京に出てから僕も作ってみるんだけど、何度やってもあの味はまねできないんですよね。どういうわけか知らんけど。

 あとはごまサバ(新鮮なサバの刺し身をたれとゴマで和えた一品)。博多は生で食えるほど新鮮なサバがありますから。東京では生で食えないでしょう。だから僕はこっちに来てから、サバの代わりにサンマの刺し身を使って、ごまサンマにして食べたんですよ。だけどやっぱり違う。サバじゃないとね。

 博多といえばラーメンが有名ですけど、僕らが子どものころはラーメンはあまり食べなかった。もともと博多で麺類といえば、うどんなんです。

 子どものころ、街にはずいぶんたくさんのうどん屋がありましたねえ。よく通ったのは、いなかうどん、英ちゃんうどん、大福うどん、ウエストというチェーン店。

 櫛田神社の裏に、かろのうろんという店があって。角のうどんという意味なんだけど、博多弁で、かろ、うろん。今でも同じ味で提供しているのがうれしいね。福岡に行ったら、必ず食べに行きます。名物のごぼう天うろんに、おいなりさん。これは欠かせません。

 東京に来てうどんを頼み、色の濃い汁を見てびっくりしました。向こうは薄い色じゃないですか。それに硬さが違う。博多のうどんはすごく軟らかいんです。何十年たっても、東京のうどんには慣れない。だから食いません。

 子どものころのうどんって、お小遣いでも食べられるような安さでしたねえ。

 ある日、ちょっと悪さをして、親父の財布から1000円札を持ち出したんです。小学校の2、3年生のころかな。お金の価値が分からなくて、1000円というのがどれだけの大金か知らなかった。それを持って近くでうどんを食べて払おうとしたら、店の親父さんがね、「田中さんとこの息子だよね。お釣りは渡しておくから」って。家に帰ってから、親に叱られたことを覚えています。

 考えてみれば駄菓子屋で10円出せば、たくさんの菓子を買えたわけですから、1000円なんて本当に大金だったわけですよね。
 

しつけに厳しく


 うちの親父(カメラマン・詩人の田中善徳氏)は、詩人の北原白秋先生の弟子でした。僕の兄弟全員、北原白秋先生が名付け親なんですよ。「水の構図」という写真詩集がありましてね、それは白秋先生と親父との作品なんです。水の都といわれた柳川についての詩と写真で構成されています。

 そんなこともあって、親父に連れられて柳川に行ったこともあります。そのときに名物のどじょう鍋も食べました。

 親父は、しつけに厳しかった。特に食事中のマナーについては、厳しく叱られました。絶対に肘をついて食べてはいけなかったし、クチャクチャと音を立ててかむのもやってはいけない、と。今になって、そのしつけに感謝しています。(聞き手=菊地武顕)

 ニック・ニューサ 1950年、福岡県生まれ。本名・田中収。67年にグループサウンズバンドにギタリストとして参加。81年にバンド、ニック・ニューサを結成し、リーダーとボーカルを担当。デビューシングル「サチコ」が大ヒットし、全日本有線大賞優秀新人賞などに輝く。現在はニック・ニューサ名で活動を続ける。
 

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