[未来人材] 35歳。脱サラして就農 青壮年部と地域けん引 甘いキャベツに挑戦 東京都日の出町 馬場貴之さん
2021年02月14日

「地域の直売所の品ぞろえが減らないよう地域の農業を守りたい」と話す馬場さん(東京都日の出町で)
東京都日の出町の馬場貴之さん(35)は、JAあきがわ青壮年部の部員として、地域の特産を目指して取り組む「高糖度で形や色のよいキャベツ」作りに挑んでいる。地域の高齢化が進む中、30、40代の若手農家で協力して、冬場の育苗のための温床作りをするなど、技術を学び合い、地域の生産力維持・向上に向けた取り組みを進めている。
馬場さんは幼少時から、父の敏明さん(64)に連れられ、畑で遊ぶことが日課だった。大学を卒業後、都内でサラリーマンとして働いていたが「農業は自然と四季を敏感に感じられる魅力がある。就農は常に考えていた」という。
5年前、30歳の時に就農。町内2カ所の計2・2ヘクタールの畑ではキュウリを主力にトマト、ナス、ピーマン、キャベツなど13品目を、敏明さんと年間を通じて栽培する。
JA青壮年部に加わり、若手農家と切磋琢磨(せっさたくま)する中、今年度から「スイーツキャベツ」作りに挑戦している。
「スイーツキャベツ」は都が認証する新しいブランド。都内の農家がキャベツを寒さに当てて栽培し、12月末までの糖度は8・5以上、翌1月以降の糖度は9以上で、形や色味がいいのが条件だ。
馬場さんは「青壮年部として農産物に付加価値を持たせる取り組みは意義がある」と話す。今季は10アールでキャベツ「彩音」で挑戦する。
朝晩に冷え込む畑で寒さに当てるよう努めているが、糖度がなかなか乗らないのが悩みだ。「石灰をまくなど肥料の設計も考え、来季はいいスイーツキャベツを出せるようにしたい」と話す。
最近、都内で独立就農を目指す東京農業アカデミーの研修生を受け入れた。ハウスでのネギの種まきや土づくり、圃場(ほじょう)整備のポイントを敏明さんと教えるなど、就農者の支援にも力を注ぐ。
町内で30、40代の農家は馬場さん含め5人。共に食事をしたり、育苗の温床作りに協力して取り組んだりと、関係強化に努めている。「地域の農家は高齢化し、若手が少ない。直売所の出荷量が減らないように、今後もいろいろな野菜を作っていきたい」と意欲を示す。
農作業の傍ら、畑の一角で金魚を育てるのが楽しみだ。「幼い頃から金魚が大好きで、夜市で買った金魚を大きくしていた」。今では趣味が高じて、町内の直売所に出荷するまでになった。
4人いる子どもたちと過ごす時間も大切だ。畑でダイコンを収穫するなどして無邪気に遊ぶ姿に癒やされている。
馬場さんは幼少時から、父の敏明さん(64)に連れられ、畑で遊ぶことが日課だった。大学を卒業後、都内でサラリーマンとして働いていたが「農業は自然と四季を敏感に感じられる魅力がある。就農は常に考えていた」という。
5年前、30歳の時に就農。町内2カ所の計2・2ヘクタールの畑ではキュウリを主力にトマト、ナス、ピーマン、キャベツなど13品目を、敏明さんと年間を通じて栽培する。
JA青壮年部に加わり、若手農家と切磋琢磨(せっさたくま)する中、今年度から「スイーツキャベツ」作りに挑戦している。
「スイーツキャベツ」は都が認証する新しいブランド。都内の農家がキャベツを寒さに当てて栽培し、12月末までの糖度は8・5以上、翌1月以降の糖度は9以上で、形や色味がいいのが条件だ。
馬場さんは「青壮年部として農産物に付加価値を持たせる取り組みは意義がある」と話す。今季は10アールでキャベツ「彩音」で挑戦する。
朝晩に冷え込む畑で寒さに当てるよう努めているが、糖度がなかなか乗らないのが悩みだ。「石灰をまくなど肥料の設計も考え、来季はいいスイーツキャベツを出せるようにしたい」と話す。
最近、都内で独立就農を目指す東京農業アカデミーの研修生を受け入れた。ハウスでのネギの種まきや土づくり、圃場(ほじょう)整備のポイントを敏明さんと教えるなど、就農者の支援にも力を注ぐ。
町内で30、40代の農家は馬場さん含め5人。共に食事をしたり、育苗の温床作りに協力して取り組んだりと、関係強化に努めている。「地域の農家は高齢化し、若手が少ない。直売所の出荷量が減らないように、今後もいろいろな野菜を作っていきたい」と意欲を示す。
農のひととき
農作業の傍ら、畑の一角で金魚を育てるのが楽しみだ。「幼い頃から金魚が大好きで、夜市で買った金魚を大きくしていた」。今では趣味が高じて、町内の直売所に出荷するまでになった。
4人いる子どもたちと過ごす時間も大切だ。畑でダイコンを収穫するなどして無邪気に遊ぶ姿に癒やされている。
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[あんぐる] 心華やぐ幻想空間 「梨灯り」(奈良県五條市)
梨の古い産地である奈良県の大阿太高原で、満開になった梨の花をライトアップするイベント「梨灯(あか)り」が1日から17日にかけて五條市の農園で開かれた。園地は、まるで万華鏡のように彩られ、来場者は写真撮影や散策を楽しんだ。
イベントは、大淀町の梨農家などでつくるボランティア団体「梨の花プロジェクト委員会」が主催した。会場の梨園は同会のメンバーが荒廃した1ヘクタールを、募金を募って共同で購入したものだ。花が見やすいよう梨棚を撤去するなど、花の観賞に特化し、「梨の花農園 RIKAEN」として再生した。夜でも花を満喫してもらおうと、2017年からライトアップを続けている。
今年は、会期中の11日に、花に囲まれた「梨の花ウエディング」を催し、2組の夫妻が花言葉の「和やかな愛情」を誓った。
開放された梨畑で写真撮影や散策を楽しむ家族連れの姿が目立った
大淀町を中心に広がる大阿太高原は、明治時代から続く近畿地方で最大級の梨の産地。しかし、高齢化や担い手不足で、100戸以上あった農家は、約45戸まで半減した。同地の春の風物詩だった一面に白い花が広がる光景も、“隙間”が目立つようになった。
桜の名所である吉野町のように大淀町を梨の花で盛り上げようと、14年から梨の花を軸とした地域おこし活動に取り組んでいる。
同園は花の見頃が終わっても、ワークショップや音楽会、バーベキューなど、通年でイベントを積極的に開催。18年には梨スイーツを提供するカフェ「あだむる」を園内に開き、地域の交流拠点にもなっている。
同会代表で同町の梨農家の中元悦子さん(70)は「日本で伝統的に好まれる桜や梅、桃の花と同じように、梨の花を愛(め)でる文化を根付かせることが夢。町中を白い花でいっぱいにする」と笑顔を見せる。(釜江紗英)
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2021年04月19日
野菜の需給調整 価格安定へ産地連携を
農水省は、主要野菜の緊急需給調整事業を大幅に見直した。価格低落時の生産者への補填(ほてん)水準を引き上げ、資金の生産者負担割合は軽減した。需給安定には多くの産地の事業参加が不可欠である。全国の産地が協調・連携して取り組むよう、同省は内容を周知徹底すべきだ。
同事業は、天候の影響を受けやすく、作柄・価格の変動も大きく、消費量が多いダイコン、ニンジン、キャベツ、レタス、ハクサイ、タマネギの6品目を対象に実施している。市場価格が、過去の市場平均価格の80%以下に低落した場合、または50%以上に高騰した場合が発動の目安だ。
価格低落時の対策としてこれまでは、出荷の後送りには過去の平均市場価格の3割、加工用への切り替えや土壌還元には4割を補填していた。しかし補填水準が低く生産者のメリットが小さいとして、事業の活用を巡る合意形成が難しいとの指摘があった。実際、過去10年間で最も野菜価格が低迷した2019年(日農平均価格で1キロ130円)も活用はなく、低調だった。
そこで同省は21年度から、価格低落時対策の全メニューの補填水準を平均市場価格の7割に引き上げた。また国と生産者が1対1で造成してきた資金の負担割合を4対1とし、生産者負担を20%に引き下げた。
同事業の実効性が課題となる中で生産者のメリットが高まり、市場価格が大幅に下落する前の事業活用が促されるとみられる。野菜相場の安定につながる見直しとして評価したい。
また、社会的要請が高まる食品ロスの削減に向けて事業のメニューも再編。加工、飼料化、フードバンクへの提供など、有効利用を促す性格が強まった。しかし、有効利用には受け入れ先の手配などの仕組みが必要となるため、産地が取り組みやすい実効性のある体制の充実が重要だ。
同事業とともに生産基盤を支えてきたのが、価格低落時の収入減少を補う野菜価格安定制度だ。しかし、政府内には、青色申告を行う農家が対象の収入保険制度への一本化を検討すべきだとの意見があり、21年度に論議が予定されている。野菜価格安定制度と同事業は、野菜の産地づくりや安定供給に貢献しているとの評価が高い。多くの農家が加入できるセーフティーネット(安全網)は必要である。
食料・農業・農村基本計画では、野菜の生産量を18年度比で、30年度までに15%増やす目標を設定。「豊作時の価格低落や不作時の価格高騰を防止・緩和する具体策を検討する」と明記した。消費者への安定供給が目的だ。今回の見直しを機に同省には、多くの産地が需給安定に取り組む態勢づくりが求められる。
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2021年04月15日

広島産ハッサクサワー新発売 全農
JA全農は20日、広島県産のハッサクとレモン果汁を10%使用した「広島県産はっさく&レモンサワー」(350ミリリットル、アルコール度数4%)を新発売する。JA広島果実連と共同開発した。
ハッサク特有のほのかな苦味を生かし、県産レモンの酸味を組み合わせ、風味豊かな味わいに仕上げた。
高糖度の果実の開発競争の中で、昔ながらの味わいが魅力のハッサクの消費は落ち込み、収穫量は最盛期の15%にまで減少。全農の担当者は「ハッサクを食べたことがない若い人にも訴求していきたい」と意気込む。
価格は183円。中国エリア、近畿、四国、九州のセブン─イレブン約6800店で先行販売する。
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2021年04月18日
切り花 品目間で明暗 洋花好調、菊は葬儀用が苦戦
春の需要期が過ぎ、切り花相場は品目で明暗が分かれている。家庭用など用途の広いカーネーションやバラといった洋花は平年と比べ1~3割高で推移。一方、葬儀や供え花に使う輪菊や小菊は1~3割安と低迷する。業務用の仕向けが多い産地は、新型コロナウイルス禍の需要不振から販売が減少する中、新たな販路を模索している。(柴田真希都)
直近の取引があった14日の日農平均価格(全国大手7卸のデータを集計)は、カーネーションやバラ、ガーベラが平年比2、3割高。いずれも小幅だが3営業日連続の上昇で、この時期には異例の高値基調だった。「家庭での普段使いの他、開店の祝い花や装飾など用途が広く、売れ行きが良い」(大田花き)。
今年の切り花全体の相場を見ると、1、2月は大きく下落した。大都市圏の緊急事態宣言再発令と低温が直撃し、月別の日農平均価格は平年比2割安の1本当たり53円と低迷。一方、3月は送別会や彼岸向けの仕入れが進んだことから70円と高水準で、販売量も過去2年を上回り、活発な取引となった。
しかし、彼岸が明け通常期に戻ると、菊類などが再び平年を下回る展開に。輪菊は彼岸後から11営業日連続で平年比1、2割安で推移し、14日は39円と2カ月ぶりに40円を割った。小菊も8営業日連続で平年を1~3割下回る。「量販店の仏花束の動きが鈍い。新型コロナの感染再拡大によって、主要な購入層の高齢者が店に行く頻度が減っている」(同)。
通常であれば、小売りや加工業者が前もって多めに仕入れるケースも多いが、コロナ下では消費の先行きが不透明なため、仕入れを必要最小減に抑える傾向だ。物日向けは間際に足りない分をせりで買う業者が増え、せりよりも高く売れるはずの注文販売分があおりを受け、苦戦している。
輪菊の主産地、JA愛知みなみ(田原市)では、今年度の注文の年間契約分が大きく減った。「コロナ禍による葬儀縮小で上位等級の減少が大きい」(同JA)。減少分を補うため、従来輸入品を使っていた業者に置き換えを提案したり、5月の「母の日」に向けた墓参り需要(母の日参り)を当て込み、積極的に注文を取るなど、新たな販路の開拓に努めている。
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2021年04月16日
原発処理水の放出 風評防止 地元理解が先
政府は、放射性物質トリチウムを含む東京電力福島第1原子力発電所の処理水を海洋に放出する方針を決めた。2年後をめどに始める考えだ。漁業者らは反対しており、強行すべきではない。風評被害防止対策への地元の納得と、安全・安心への国民の理解を得ることが前提だ。
政府が決めた海洋放出の基本方針によると、トリチウムの濃度を国の規制基準の40分の1に薄めて放出する。
風評被害への懸念などから反対を表明していた漁業者の姿勢は、政府の方針決定後も変わらない。全国漁業協同組合連合会の岸宏会長は抗議の声明を発表した。懸念は農業者も同じだ。JA福島五連の菅野孝志会長は談話で、「福島県の第1次産業に携わる立場として極めて遺憾」とし、「本県農林水産業の衰退が加速するとともに風評被害を拡大することは確実である」と危機感をあらわにした。
風評被害への危機感は政府も認識している。基本方針では、新たな被害が生じれば産業復興への「これまでの努力を水泡に帰せしめ、塗炭の苦しみを与える」と表明。「決して風評影響を生じさせないとの強い決意をもって対策に万全を期す」とした。政府は、被害防止を「決意」にとどめず、「至上命令」と自覚すべきだ。それでも被害が出れば、東電に、被害者に寄り添っての十分な賠償を迅速に実施させなければならない。
10年前の原発事故の風評被害は依然続いている。消費者庁の1月の調査では、放射性物質を理由に食品の購入をためらう産地として福島県を挙げた人は8・1%だった。
実際、福島県の農業では価格が回復しきれていない品目がある。農業産出額も事故前の水準に戻っていない。水産業も同様である。県によると、沿岸漁業の20年の水揚げ数量は事故前の2割に満たない。試験操業だったためだ。ようやく21年度、本格操業に向けた移行期間に入った。
岸全漁連会長の声明は、政府が、関係者の理解なしには処理水のいかなる処分も行わないと県漁連に表明していたことを指摘し、海洋放出の政府決定を厳しく批判した。県漁連に東電も、同様の考えを文書で伝えている。約束を破ってはならない。政府と自治体、県民が連携すべき復旧・復興にも影響しかねない。
風評被害防止のために政府と東電には、安全性を巡って分かりやすい情報提供や対話など国民の理解を得る取り組みを徹底し、成果を上げることが求められる。ただ知識として分かっても、安心感を得られるとは限らない。海洋放出の実施主体となる東電では柏崎刈羽原発のテロ対策の不備など不祥事が相次ぎ、国民の不信感が深まっている。信頼を得ることが不可欠だ。
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2021年04月16日
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[未来人材プラス] キュウリで独立1年 部会平均収量2倍 技術者の経験生かす 佐賀県武雄市 斉藤義和さん(38)
佐賀県武雄市の斉藤義和さん(38)、圭子さん(38)夫妻は、2019年に就農してキュウリ栽培を始めた。独立1年で収量は、部会平均の2倍に当たる10アール当たり40トンを実現。エンジニアだった経験を生かし、環境制御技術を積極的に導入している。若手農家との連携強化にも意欲的だ。
義和さんは福岡市出身。大学卒業後、福岡県でコンピューターソフトの開発・販売会社に就職した。
11年に圭子さんと結婚。エンジニアの知識を身に付け、車のディーラーに転職して愛知県などで働いた。「仕事を早く終えても、決まった時間は机の前にいなければならず、拘束されるストレスが強かった」と、働き方に疑問を強めていった。
そのころ武雄市でキュウリ農家を営む圭子さんの実家では、施設の老朽化が問題化していた。農作業の手伝いを重ねるうちに「目指す生き方に合うのは、農業ではないか」と思うようになった。
17年に夫妻はJAさがトレーニングファームに1期生で入校。圭子さんの父が「就農するなら環境制御などの新技術を学ぶべきだ」と後押しした。最先端の栽培方法を取り入れた模擬経営では、管理ミスで3分の1が枯れた。それでもキュウリで「8割ほど思い通りにできる」と実感するまで技術力を高めた。
卒業後、老朽化した施設に替えて10アールのハウスを建設した。研修時代に知り合った大分県の企業に依頼し、独自の環境制御システムを導入。温度や土中の窒素濃度など複数項目を端末一つで管理する。安定供給を続けて初年度の売り上げは、1000万円に達した。
所属するJAみどり地区施設きゅうり部会では新規就農者が増えている。義和さんは若手農家と勉強会を頻繁に開く。施設のトラブルも知識を生かして対応し、周囲から頼りにされている。
目標は雇用を伴う規模拡大だ。「田舎でも大きなビジネスができるのが農業の魅力」と語る。
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2021年04月15日

[未来人材プラス] 大分から熊本に Iターンでタマネギ 初年から1.2ヘクタールで栽培 熊本県芦北町 山下恭平さん(33)
熊本県芦北町の山下恭平さん(33)は、大分県から熊本県にIターンして2018年からタマネギ栽培を始めた。初年から1ヘクタールを超える広い農地を借りて就農を実現。地域を回って農地を探し、地主に頭を下げてかき集めた。「自分で作業を決められる農業は勤め人より楽しい」と話す。
芦北町は妻の春花さん(33)の実家だ。恭平さんは大分県日田市の酪農家出身で、18歳から熊本市の料理店で働き、春花さんと出会った。
22歳、父が農作業中の事故で入院し、恭平さんは大分の実家に戻る。乳用牛を飼いながら、6次産業化を進めてアイスクリームやチーズの加工ができると希望を抱いた。
ところが離農者の牛を引き受けての規模拡大をきっかけに、加工事業は中止になる。恭平さんは経営を兄夫妻に任せ、熊本で独立を決意。「人から雇われるよりも独立したかった」と振り返る。
経営の中心はJAあしきたの特産・サラダタマネギに決めた。露地野菜は、経験も農地もなくゼロからのスタートだ。県の職員からは20アールの小面積から始めることを勧められた。「結婚して子供が2人、所得を増やしたい」と、6倍の120アールから始めることにした。
経営資金を賄うため、日本政策金融公庫の「青年等就農資金」を活用。また農水省の「農業次世代人材投資資金」を受給しながら1年間、研修として現場で働いた。
研修期間中に日当たりなど条件の良い農地を探して地域を回った。JAなどに地主を紹介してもらい、直接頭を下げて借り受けた。水田の裏作に作るときは、腐敗果を一つずつ手で拾うなど、きれいにして返す。
初年は収穫が間に合わないこともあったが、雇用を5~7人に増やして対応した。恭平さんは「作業は、苗の運び方、雑草の防ぎ方など工夫しがいがある」と楽しみを語る。将来は機械化を進めつつ、中晩かんなどに経営を広げるのが夢だ。
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2021年04月08日

[未来人材プラス] 地域・自然と歩む 夢の放牧ライフ実現 富山県高岡市 青沼光さん(34)
次世代育成 見据える
都市近郊型で酪農の価値や役割を伝える青沼光さん(34)。離農予定だった富山県高岡市の牧場を受け継ぎ、家族経営の「clover farm」を立ち上げた。限られた開業資金で自ら牛舎を修繕し、飼養頭数を拡大。人と地域との関わりを大切に、「酪農後継者を育てる仕組みを整えていきたい」と将来を見据える。
広島市出身。農家ではない家庭に育った。「牛を放牧して見ていることで生活できるのか」。そんな偏見から酪農を知ったのは中学生の時だ。
職住隣接、家で過ごす時間を大事にできる、畜主の考え方次第でいかようにも牛が飼える──。テレビに映る放牧風景に憧れ、親元を離れ西条農業高校畜産科に入学。そこからは畜産にどっぷり。理想の牧場経営への思いを強めて新潟大学農学部に進んだ。
長野県の牧場では後継者候補として働いたが、2年で挫折。富山県の牧場に移り4年ほど経験を積んだ。妻の佳奈さん(39)との結婚、子どもの誕生を経て、自分の牧場を持ちたい思いが再燃。第三者継承ができる離農予定の牧場を探していたところ、異業種交流で知り合った県内の米農家の紹介で見つかった。
牧場開設は2015年。青年等就農資金3700万円で資産を買い取り、引き継いだ7頭から始めた。JAを窓口に指定生乳生産者団体にも出荷するようになった。資金は潤沢とは言えなかったが、安価に導入できる廃用牛を活用。もう一度妊娠させたり、肉用に回したりして収益を確保し、3年目には現在の経産牛40頭規模にした。
県内に2カ所ある酪農教育ファーム認定牧場の一つにもなった。培った知識を生かして酪農が地域でどう貢献しているのかを、佳奈さんと伝える。「新規参入した時に苦しいと思ったことを少しでも楽にして、次の世代に渡したい」。酪農振興への強い責任を感じている。
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2021年04月01日

[未来人材] 21歳。大学で農学び担い手めざす決意 直売通して地域と絆 横浜市 唐戸柚香さん
横浜市の大学生の唐戸柚香さん(21)は、自宅敷地内の直売小屋に80種類を超す多様な農産物を並べ、常連客が付くほどの人気を得ている。唐戸家は1ヘクタールでトマトやキュウリ、小松菜を市場に出荷するが、これまで地域との交流は薄かった。直売で自分たちと地域とのつながりが増えただけでなく、客同士での交流も生まれた。唐戸さんは「新鮮な物を食べ、自然に囲まれている生活が好き。自分がこの場所で農業を続けることで、地域にも良い影響を与えたい」と話す。
唐戸さんは、東京農業大学に通う現役大学生。代々続く農家の次女で、農業が身近な環境で育った。「家は長女が継ぐもの」と育てられたため就農するつもりはなかったが「できれば農業や食に関する仕事がしたい」と進学した。
農業実習をする部活にも入った。農や食について学ぶうちに就農への思いが強くなった。「都会の中に残った農地でしか果たせない役割がきっとある」。部活で訪れた、長野県の桃農家の言葉が背中を押した。
姉が農業以外の道に進んだこともあり、就農を決意。家族からは「ここで農業を続けなくてもいい」と反対されたが、熱意を伝え続け、家を継ぐことが決まった。
直売小屋は、新型コロナウイルス禍での需要の高まりを受けて昨年の夏に設置。「毎回常連客が楽しみに来てくれる場所をつくれたことが本当にうれしい」と話す。
大学で学んだ知識を生かして、若手農家から依頼を受けたパンフレット作りなどにも取り組む。
1ヘクタールの畑は柵もなく開かれており、「子どもが街の中で農業や自然を学べる貴重な場所」と胸を張る。しかし柵がないことが裏目となり、ごみを捨てられたこともあるという。
唐戸さんは直売で地域との関係を深めた経験からも「街の中で農業を続けるためには、地域とのつながりや関係性を大事にしていかないと難しいし、やる意味もなくなってしまう」と話す。
卒業後は農業大学校への進学を考えている。経営や技術を学び、農家同士のつながりをつくって就農する。「これからここで育っていく人にも、自然や農業について学べる場所を残していきたい」と意気込みを見せる。
農のひととき
祖父、祖母と一緒に農作業をしていて、午前10時と午後3時のおやつの時間に祖母お手製のあられを食べるのが楽しみ。あられは正月の前につく餅の端を乾燥させたものを、揚げたり焼いたりして作る。
味はしょうゆと塩、たまにカレー味もある。芝生や木の根っこに座って食べている。
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2021年03月28日

[未来人材] 34歳。青年部副委員長 イベントを積極展開 動画作り魅力発信へ 宮城県色麻町 橋本拓未さん
宮城県色麻町の橋本拓未さん(34)は、JA加美よつば青年部色麻支部の副支部長としてさまざまなイベントに参加し、農の魅力を発信している。「消費者に農業をもっと身近に感じてもらいたい。応援してもらえる仲間を増やしたい」と、農業の理解醸成活動に情熱を注ぐ。
学生時代から農業に興味のあった橋本さんは、仲間を増やそうと、21歳で就農すると同時にJA青年部へ加入した。一貫して青年部活動に取り組む中で、28歳の時には副委員長となった。
「自分だけではなく、一人一人がやる気を持ち青年部活動に取り組めるよう、できることをどんどんしていこう」と、活動を活性化。多くのイベントに参加していった。
現在は地元の商工会と共に、祭りへの出展やイルミネーションイベントに協力。小学校での田植え体験やジャンボカボチャ大会といった食農教育体験、県内の青年部員らと合同で仙台市で直売イベントも開くなど、青年部の活躍の場を提供してきた。
新型コロナウイルスの影響でイベント参加が難しくなる中、新たな挑戦も始めた。県青年連盟と動画投稿サイト「ユーチューブ」で、米が水田から食卓まで届けられる様子を投稿することを計画し、撮影は順調に進んでいるという。
青年部活動とともに、農業技術の向上にも力を注いできた。繁殖ではせりに向けて血統や体躯(たいく)にこだわる生産者が多い中、意識しているのは「子牛の胃袋をどれだけ充実できるか」という点だ。せりを経て肥育段階になった時に増体や肉質の良い牛となるよう、粗飼料などの量を調整しながら、食いつきが良く健康な子牛を飼育している。
橋本さんの生産する子牛は他の生産者より一回り小さいこともある。しかし、市場からの評価は高く、好値で取引されている。「肥育農家から『いい牛だったよ』と言ってもらうのが何よりの励み」と笑顔を見せる。
今年からは新たに、宮城県内では珍しい雪下ニンジンの栽培に向けた準備を進めている。「農業は面白いものだということを、もっと多くの人に知ってもらいたい」。農業と地域活動の両立でやりがいを見いだしている。
農のひととき
「和牛繁殖は自分で時間をやりくりしやすいのも魅力」と橋本さん。以前からアウトドア派だったが、最近は狩猟免許を取得。散弾銃を手にキジやマガモなどを狙う。また猟友会の一員として、近年町内で被害が増えているイノシシなど、有害獣の駆除もしている。妻も鉄砲の免許を取得。休日には夫妻でクレー射撃に汗を流す。
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2021年03月21日

[未来人材] 39歳。元地域おこし協力隊員 アスパラガスで新規就農 早く自立し恩返しを 北海道厚沢部町 山本和範さん
北海道厚沢部町の山本和範さん(39)は、地域おこし協力隊員の任期を昨年12月で終え、立茎アスパラガスを柱とした新規就農の道へ踏み出した。就農実現には、農村ならではの人との密接なつながりが力になった。立茎栽培が盛んな同町で、既存の農家や新規就農者の仲間と共に産地の飛躍を目指す。
山本さんは釧路市出身。釧路湖陵高校から弘前大学に進み、農学系の博士号を取得。米国の大学で2年間研究職に就くなどの経歴を持つ。2018年、学生の頃から憧れていた農業の道を目指そうと決意。資金面などから、比較的取り組みやすい施設野菜を念頭に、道内で就農の候補地を探した。
リサーチを進める中、厚沢部町がアスパラガスの立茎栽培が盛んで、就農を前提にした地域おこし協力隊員を募集中であることを知り応募。18年12月に着任した。
翌年から1年間、同町の農家2戸の元に通い、アスパラガス栽培の他、農業のイロハを学んだ。周囲の農家も山本さんの熱意を受け止め、「本当によくしてもらった」と山本さんは振り返る。
20年の春、地域の理解を得て、90アールの農地を使わせてもらえることになり、新設・修繕合わせて5棟のハウスを確保。アスパラガス栽培への第一歩を踏み出した。
5月の苗の定植やハウスのビニール掛けなどの作業時には、これまで世話になった地域の農家らが駆け付け、手伝ってくれた。農作業の応援にとどまらず、1人暮らしの山本さんを見かねて、日常的に米や野菜などを差し入れてくれるという。「縁もゆかりもない自分を親身になって支えてくれる地域の人の厚意が、本当にありがたい」と山本さん。周囲の人との絆を出発点に、地域の人間関係も広がっている。
協力隊の任期を終えた今年はいよいよ一人立ち。3月下旬から始まる念願の初収穫を控え、覚悟は決まっている。周囲の農家がさまざまな面で支えてくれたことに「恩返し」していくことが今後の目標だ。
「やるべきことはやった。経営を早く軌道に乗せ、自立した姿を見せることで地域に報いたい」と決意を語る。
農のひととき
地域で鹿などの食害が大きいことを知り、2年前にわな猟の狩猟免許を取得。昨年秋に、仕掛けたわなで初めて鹿1頭を捕獲した。自らさばいた肉をシチューやジャーキーに加工して食べ、うまさに驚いたという。ジャーキーは知人の子どもたちにも好評で「自衛手段以外に、ジビエとしての価値を知った」。今後も余暇のわな猟で、駆除と食肉利用の一石二鳥を狙うつもりだ。
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2021年03月14日

[未来人材] 23歳。シュンギク周年栽培 10アール収部会平均の2倍 夢だった専作を実現 福岡市 福田篤さん
福岡市のシュンギク農家、福田篤さん(23)は、地域で難しいとされていた周年栽培で「シュンギク一本で食べていく」という夢を実現した。約30人が所属するJA福岡市春菊部会西支部で、最年少ながら部会平均の10アール当たり収量の約2倍を達成。JAも期待する若手農家として、部会を引っ張る。
兼業農家だった祖父を手伝う中で、農業が好きになった。12歳の時に祖父が亡くなったが、会社勤めの両親は農地を継がなかった。「それなら俺が引き継ぐ」と決意。20歳でハウスを継ぎ、小松菜とシュンギクの栽培を始めた。
シュンギクは高温や病害虫に弱いため、近隣では冬場に育てて、夏場は小松菜や水菜を育てる。福田さんもそれに倣って始めたが、経験不足で収量が安定せず、1年目で「やめようと思った」という。
迷いが生じた時、シュンギク農家の浜地和久さん(70)に出会った。周年出荷で部会首位の収量を維持し、休暇も確保してシュンギク一本で稼ぐ浜地さんに、衝撃を受けた。自分もシュンギク一本でやる――。浜地さんに師事しながら誰よりも必死に勉強し、就農2年目にはシュンギクに一本化した。
夏場の収穫は「ひと手間」が大きく左右する。部会では米ぬかを土壌にまいて被覆消毒をするが、一輪車などに載せてまくことが多く、場所によってばらつく。
福田さんはいったん小分けにした米ぬか袋を5メートル間隔に置き、隅々まで均一に散布することで、夏の収穫量を安定させている。かん水の間隔も、根が効率よく吸水する浸透基準を基にする。「忙しいからと手を抜いたり、作業を後回しにしたりすると、夏場は一瞬で駄目になる」という。
周年栽培は徐々に安定し、就農当初の迷いもなくなった。20年には部会の10アール平均収量が3・5トンの中、同6トンを達成した。JA西グリーンセンターの井浦健士郎さんは「部会約50人の中で、夏場に安定出荷をする会員は1割程度だ。技術力が高い」と感嘆する。
近隣農家が諦めた周年出荷を実現したことで「親も見直しているのではないか」と福田さんは誇らしげだ。
農のひととき
福岡のシュンギクは生でサラダがお勧め。妻は市外出身で、初めて生で食べて感動した。昨年生まれた子どもも、離乳食としておいしそうに食べている。
農業は仕事とプライベートの時間を調整できる点が魅力。就農当初は休みを取れなかったが、今は週休2日を確保。家族と過ごす時間を大切にしている。仕事のやる気にもつながる。
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2021年03月07日

[未来人材] 36歳。コンサルから転身 Jターンし夢を実現 雪害負けず規模拡大 岡山県高梁市 津山純平さん
岡山県高梁市の津山純平さん(36)は、13年勤めた大手流通企業を退職し、2020年春にトマト農家として新規就農した。都会でコンビニのコンサルティング業務に携わっていたが、独立への憧れと家族との時間を優先させたいとの思いから、Jターン移住を決断。物を売る側から作る側へと立場を変えた。就農直後には雪害に襲われ、自然の脅威を実感したが、それでも、失敗を恐れず挑戦し続ける。
津山さんは同県倉敷市出身。大学卒業後は、東京都と愛知県で、コンサルティング担当として業務に励んだ。個人事業主を相手に、店舗立ち上げから経営指導、品ぞろえ、従業員の教育まで、関わった店舗数は100以上だ。
激務で休日もなく、35歳を前に将来を考え直した。就職後に引っ越しを6回経験し「好きな仕事だったが、地に足を着けて仕事をしていないような気がした」と津山さん。夢だった独立を決意し、興味があった農業経営を選んだ。
移住先は、互いの実家に行き来しやすいよう、倉敷市と妻の出身地の島根県出雲市との中間地になる高梁市備中町に決めた。19年4月に移住し、採算性が高い夏秋トマトを栽培しようと、ベテラン農家の下で1年間研修した。
20年に、離農した農家のハウス12アールを引き継ぎ、独立。しかし、苗の定植直前の4月中旬、季節外れの大雪で3アール分のハウス4棟が倒壊してしまった。栽培に備え早めに準備していたことが響いた。「農業は自然との闘い」と聞いてはいたが、それを目の当たりにして落ち込んだ。同時に、自分が独立したことを改めて実感した。
無事だったハウス9アールで定植し、7~11月に12トンを出荷。栽培期間はあっという間に過ぎた。研修先の農家や県の農業普及指導センターとの連絡を密にし、疑問はすぐに解決させたことで、満足のいく収量と品質を実現した。
2年目の21年産は、高梁市が運営する営農団地「榮農王国山光園」に入植し、40アールを手掛ける計画だ。規模はかなり広がるが、津山さんに迷いはない。前職時代で培ったスケジュール管理も生かし、経営者として効率・採算性を高めた経営を目指す。
農のひととき
「これまで当たり前だったことが非日常になった」と津山さん。妻と2人で標高500メートル地点に住み、スーパーまで車で30分かかる。移住当初は不便を感じたが、今は、買い物に行くこともイベントになり、楽しんでいる。実家の家族と会う機会も増えた。これまで1年に1回しか会えなかったが、1カ月に1回は会い、交流を深めている。
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2021年02月28日

[未来人材] 37歳。古き良き水ナス探求 10年かけ種“里帰り” 栽培技術の確立挑む 大阪府貝塚市 北野忠清さん
昔の水ナスはもっとおいしかった――。大阪府貝塚市の北野忠清さん(37)は祖父のこの言葉をきっかけに、同市を含む泉州地域の特産「泉州水なす」の原点となる水ナスを探し当て、生産の仕組みづくりに力を注いでいる。約10年かけて新潟県から種の「里帰り」を実現。絶滅したと思われていた水ナスを未来につなごうと、種の固定化や栽培技術の確立に挑む。
「今の水ナスと昔の水ナスは違う」。IT関連会社を退職し、祖父と一緒に「泉州水なす」の栽培に励んでいた2008年ごろ、たびたび祖父が口にしていた。品種改良が進む前は赤紫色の巾着形で、今より皮が薄く甘味が強かったという。
北野さんは「昔の水ナス」を突き止めようと調査を開始。生産者や研究者、学芸員ら50人以上に聞いて回った。自家採種した種も分けてもらい、20種類以上を栽培したが、「泉州水なす」になっていたり、芽が出なかったりと、ことごとく失敗。「本当になくなってしまっているのでは……」と不安が募った。
諦めかけていた16年、新潟で「昔の水ナス」が見つかったとの知らせが舞い込んだ。畑に駆け付けると、色、形、食味、全てが祖父の話に合致した。栽培の難しさから、新潟の生産者もあと1年遅ければ、やめていたかもしれないという。祖父が亡くなってからちょうど1年後だった。祖父が引き合わせてくれたとしか思えなかったという。
最初は種の提供を断られたが、熱い思いが通じ、17年に種の“里帰り”が実現。ぬか漬けにするとパイナップルのような風味になることから「フルーツ水なす」と名付け、栽培しながら採種や選抜を進める。気候で形が変形しやすいなど課題は多いが、「祖父たちが作ってくれたブランドにぶら下がるだけでは駄目。100年後も維持できるブランドをつくりたい」。
「泉州水なす」のブランド強化だけでなく、新規独立就農者の育成や、消費者が生産現場に触れるきっかけづくりにも精を出す。既に研修生7人が独立を果たし、年間約150人の援農ボランティアも受け入れる。「農業に対するハードルが高過ぎる。もっと間口を広げていきたい」。農業の明るい未来が芽吹くよう、今日も“種”を落とす。
農のひととき
収穫した「泉州水なす」は、煮びたしや生のままサラダとして食べるのが一押し。昨年10月からは本格的に「農Tuber(ノウチューバー)」としても活躍する。「情熱!ファーマーズ!」と題したチャンネルで、土づくりなどの生産現場や新規就農希望者へのメッセージなどを配信。他にも、苗の早植え対決や農園スタッフによる「ドッキリ」など、企画立案に頭をひねる毎日だ。
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2021年02月21日

[未来人材] 35歳。脱サラして就農 青壮年部と地域けん引 甘いキャベツに挑戦 東京都日の出町 馬場貴之さん
東京都日の出町の馬場貴之さん(35)は、JAあきがわ青壮年部の部員として、地域の特産を目指して取り組む「高糖度で形や色のよいキャベツ」作りに挑んでいる。地域の高齢化が進む中、30、40代の若手農家で協力して、冬場の育苗のための温床作りをするなど、技術を学び合い、地域の生産力維持・向上に向けた取り組みを進めている。
馬場さんは幼少時から、父の敏明さん(64)に連れられ、畑で遊ぶことが日課だった。大学を卒業後、都内でサラリーマンとして働いていたが「農業は自然と四季を敏感に感じられる魅力がある。就農は常に考えていた」という。
5年前、30歳の時に就農。町内2カ所の計2・2ヘクタールの畑ではキュウリを主力にトマト、ナス、ピーマン、キャベツなど13品目を、敏明さんと年間を通じて栽培する。
JA青壮年部に加わり、若手農家と切磋琢磨(せっさたくま)する中、今年度から「スイーツキャベツ」作りに挑戦している。
「スイーツキャベツ」は都が認証する新しいブランド。都内の農家がキャベツを寒さに当てて栽培し、12月末までの糖度は8・5以上、翌1月以降の糖度は9以上で、形や色味がいいのが条件だ。
馬場さんは「青壮年部として農産物に付加価値を持たせる取り組みは意義がある」と話す。今季は10アールでキャベツ「彩音」で挑戦する。
朝晩に冷え込む畑で寒さに当てるよう努めているが、糖度がなかなか乗らないのが悩みだ。「石灰をまくなど肥料の設計も考え、来季はいいスイーツキャベツを出せるようにしたい」と話す。
最近、都内で独立就農を目指す東京農業アカデミーの研修生を受け入れた。ハウスでのネギの種まきや土づくり、圃場(ほじょう)整備のポイントを敏明さんと教えるなど、就農者の支援にも力を注ぐ。
町内で30、40代の農家は馬場さん含め5人。共に食事をしたり、育苗の温床作りに協力して取り組んだりと、関係強化に努めている。「地域の農家は高齢化し、若手が少ない。直売所の出荷量が減らないように、今後もいろいろな野菜を作っていきたい」と意欲を示す。
農のひととき
農作業の傍ら、畑の一角で金魚を育てるのが楽しみだ。「幼い頃から金魚が大好きで、夜市で買った金魚を大きくしていた」。今では趣味が高じて、町内の直売所に出荷するまでになった。
4人いる子どもたちと過ごす時間も大切だ。畑でダイコンを収穫するなどして無邪気に遊ぶ姿に癒やされている。
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2021年02月14日