達人列伝
地方・社会面で「達人列伝」の連載をしています。世界に誇る高品質な農畜産物の生産に励む篤農家の技とこだわりを届け、畑と食卓の距離を近づけます。

[達人列伝](81) 赤果肉リンゴ 長野県中野市・吉家 一雄さん(62) 甘さと色 改良で両立 栄養豊富 写真映えも魅力
長野県で、30年にわたり果肉が赤いリンゴの育成に力を注いでいるのが、中野市の果樹農家、吉家一雄さん(62)だ。鮮やかな果肉が目を引く外観だけでなく、味にこだわり育種に取り組む。国内外の品種を取り寄せ、現在園地では5000種もの赤果肉リンゴの実生を試験的に栽培。5種は品種登録され、大学や研究機関からも注目されている。
吉家さんが、赤果肉リンゴと出合ったのは、県農業大学校での学生時代。当時は観賞用だったが、その果肉の美しさに驚き「このリンゴがおいしかったら絶対に人気が出る」と直感した。就農後、通常のリンゴ作りと並行して、赤果肉の育種を試し続けた。
1990年ごろから本格的に品種改良に着手した。94年に、米国原産の加工用リンゴ「ピンクパール」と「紅玉」を交配し、約5年かけて結実。良好に着色したものの一つが、現在まで続く「いろどり」だ。この母種となる「いろどり」に「ふじ」を掛けたのが、「なかの真紅(しんく)」「炎舞(えんぶ)」、「ムーンルージュ」「冬彩華(とうさいか)」の4種。さらに「いろどり」と「王林」を掛けた「なかののきらめき」がある。「冬彩華」を除く5種は2018年5月、農水省に品種登録が認められた。
「赤果肉は酸っぱい」という固定概念を持たれないよう、爽やかな甘味の品種を全国区で販売。やや酸味の強いものは、優先的に市内販売や加工用に向けるなど、普及方法にも気を配る。吉家さんは「この6種を親にして、次の品種へつなげていく」と意欲を語る。目指すのは「ふじ」のように、誰もが知る品種だ。
園地には、欧州、オセアニアなど世界中から農家、研究者らが視察に訪れる。興味を示した料理人には「直接来て食べて」と誘い、その意見を育種に生かす。「オープンなやり方が、客観的な味の判断に役立ち、情報交換の場にもなる」と話す。
吉家さんは「赤果肉は栄養成分も豊かで、食卓に華を添える。話題の写真映えも強み」と、その潜在力にほれ込む。自身の農園では、現在7対3の割合で白果肉のリンゴの出荷が多いが、赤果肉の引き合いが強まり、1、2年のうちに逆転すると見込む。「世界で新品種が発表されると、悔しさよりわくわくする」と、熱意は増すばかりだ。(江口和裕)
経営メモ
園地1.8ヘクタールでリンゴを、0.7ヘクタールで桃を栽培。作業の省力化に努め、母親と妻の家族労働力だけで効率経営を実現している。
私のこだわり
「まず自分が楽しむ。すると人が楽しんでくれる。吸っては吐く呼吸と一緒で、与えることで与えられるものがある。地域の農家や若い挑戦者に、垣根なくノウハウを伝えたい」
2019年02月18日

[達人列伝](80) ニラ 北海道知内町・大嶋貢さん(49) 緻密な管理で高収量 研究実り通年出荷に貢献
畑の多くが雪に閉ざされる冬の北海道で、貴重な地場産野菜として道民に愛される知内町のニラ「北の華」。約2ヘクタールを手掛ける大嶋貢さん(49)は、地域トップクラスの大規模栽培をしながら、きめ細かい管理で高収量を挙げている。ブランド力を高めるため、それまで出荷がなかった11、12月に収穫できる新たな栽培体系も確立。通年出荷への道を開いた。
同町は道内最大のニラ産地。「北の華」は、しゃきしゃきとした食感や甘さが特徴だ。
一度植えたニラは3年間栽培する。1年目は株を育て、2年目以降に数回収穫する。大嶋さんが最も重視する作業が、1、2年目の7~11月に行う「株養成」。この成否が次年産の作柄を決めるという。
ハウスのビニールを外し、追肥や防除をして球根を育てる。ポイントは、倒伏しにくい丈夫な株作り。肥料は少量を小まめに与え、成長を促しながらも草丈が伸び過ぎないようにする。葉の色や幅、分けつの様子を観察し、タイミングや最適量を見極める。暑い時期はチューブでかん水し肥料の吸収を促す。こうした緻密な管理で、2018年産の10アール収量は地域の平均を25%上回った。
JA新はこだての知内町ニラ生産組合では、7年前から組合長を務めブランド振興に力を入れる。「ビジョンが明確で、地域の農業を守ることを第一に考えている」(JA担当者)と信頼を集め、互選で決まる役員を約20年にわたり務め続ける。
産地のリーダーとして、率先して栽培技術などの研究に打ち込む。成果の一つが晩秋取り品種の導入だ。町内の主力品種は、11、12月が収穫の空白期間。大嶋さんは冬の鍋物需要などに応えようと、この時期に収穫できる新品種を模索した。1人で5年ほど試験を重ねて有望な品種を選び、栽培体系を確立した。
若手向けの栽培マニュアル作りなどにも尽力。原動力は、人一倍強い地域への思いだ。「大嶋農園は、先人が築いた『北の華』のずっと後ろの看板にすぎない」が持論。「周りと違うことで成功するよりも、町のみんなで日本一の単価を目指すのが楽しい。変わっているでしょう」と笑う。町がニラ産地として重ねた48年の歴史が、一番の誇りだ。(石川知世)
経営メモ
ニラや水稲、大豆など約20ヘクタールを栽培する「大嶋農園」代表。家族4人と実習生やパート従業員3人で作業する。
私のこだわり
「1人なら1歩だが、10人なら10歩。ブランドはみんなが手をつないで作るもの」
2019年02月11日

[達人列伝](79) ナス 福岡県八女市・真鍋春二三さん(72) 日誌50年 蓄積自信に 適期作業で出荷一番乗り
福岡県八女市に、半世紀以上にわたって蓄積し続けた“ビッグデータ”を活用する、ナス栽培の達人がいる。真鍋春二三さん(72)だ。10代の頃から毎日欠かさず記録している日誌を基に、当日の作業の段取りをし、適期作業を進める。思わぬトラブルが生じても、過去の記述を判断のよりどころとし、自信を持って適切な作業を進める。蓄積した資料に裏付けられた、高品質なナスが自慢だ。
市販の大学ノートを使い、一日一日の天気や作業内容を記録する。1ページを4等分し、4年間の同じ日付を同じページで確認できるようにしている。例えば、2月4日のページでは、4年分の2月4日の状況が一目瞭然。何時から何をしたか、どのくらい収穫したか──などが分かる。その他、定植した時期や暖房を入れた時期なども読み取れる。
農業は天候との勝負。その日の天気次第で作業が後手に回りがちだ。真鍋さんは、現状と日誌とを照らし合わせ、生育の進み具合を判断する。天候を考慮しながら当日や先の仕事を考え、必要な時期に必要な作業を進める。「以前はどうしていたか見返すことで、行き当たりばったりではなく、先を見越して動けるようになった」と強調する。
日誌が役立った例は多い。JAふくおか八女なす部会で長く役員を務めた真鍋さん。会議や出張などで多忙を極めたが、前年までの状況を基に事前に作業計画を調整し、妻の手を借りながら適期作業を実現してきた。
ナスの病気など、予期せぬ異変時も日誌が生きる。「何かおかしいと感じた時、昔の日誌に書いてあることが参考になる。翌年以降は予防できるようになる」。蓄積した資料と経験に学び、失敗を繰り返さない。
JA園芸指導課の平島正一課長代理は「これほど長く継続して記録を残している人はいない」と強調。「出荷はいつも一番乗り。日誌を基にした段取りのうまさが、仕事の速さに表れている」と太鼓判を押す。
長年積み重ねた日誌は30冊を超えた。継続する力が達人たるゆえんだ。「原動力はやっぱり、これだね」。杯を傾けるしぐさを見せて笑う真鍋さん。今日も日誌に向かう。(松本大輔)
経営メモ
ハウス約20アールで冬春時期に「PC筑陽」を栽培。JAふくおか八女なす部会で約20年、部会長を務めた。県の立毛品評会でトップに立ったこともある。
私のこだわり
「やる気と元気がモットー。酔って帰っても二日酔いでも、欠かさずその日の作業を記録する」
2019年02月04日

[達人列伝 78] 中晩かん 松山市・山岡 建夫さん(66) 作業分散で品質向上 リレー栽培導入の先駆者
かんきつ生産量全国一を誇る愛媛県。松山市から船で15分ほど沖合にある興居島の山岡建夫さん(66)は複数の品種を導入し、長期間かんきつを出荷するリレー栽培の先駆者だ。今では山岡さんの園地構成を管内の多くの農家が採用する。特色あるさまざまな県産かんきつをより多くの人に食べてもらうため、食味の良い果実の安定出荷で産地を支える。
「かんきつ栽培は管理の基本を徹底することだ」。人と違う特別な管理方法を取るわけではないが、山岡さんの園地は露地、ハウスともにしっかりと剪定(せんてい)が行き届き、均一な高さにそろった木が並ぶ。開心自然形で、木の内側まで日光が入るように仕立てる。基本を徹底するための秘訣(ひけつ)は、約半年間続く多品種のリレー栽培にある。
栽培する品種は現在6種類。もともとは伊予カンだけを作っていたが、価格が低迷した約20年前に、県の試験場で有望品種を探し、施設中晩かんの導入を始めた。
山岡さんは「周年で作業ができる園地にすることで、全ての品種に手が行き届き、品質の高位平準化が図れる」と説明。2018年度の成績は、施設「紅まどんな」(品種名=愛媛果試第28号)の「特選」比率が管内平均を4ポイント上回った他、伊予カンの価格は1キロ平均200円と同4割上回るなど、出荷するかんきつの全ての品質が高水準だ。
年間のスケジュールは、早生ミカンの収穫が11月中旬から始まり「愛媛果試第28号」や伊予カンの収穫、出荷が続く。1月中旬から加温ハウスの「せとか」が始まり、「甘平」を1月下旬から出荷する。露地「せとか」の収穫が3月上旬から始まり、「南津海(なつみ)」が4月中旬から5月中旬まで続き、約半年続くかんきつの収穫、出荷を終える。地元のJAえひめ中央営農部は「かんきつ経営でリレー栽培を導入した先駆者」と評価する。
特に力を入れるのは「紅まどんな」の栽培だ。品種登録された05年からいち早く経営に取り入れた。食味にほれ込み自ら松山市長に売り込んだこともあった。
まだまだ探究心は衰えない。愛媛県はかんきつの新品種の開発を進めており、山岡さんは導入に期待を寄せる。「愛媛県ならではのかんきつを消費者に届けるために、最適な品種の組み合わせをこれからも模索したい」と意欲を見せる。(丸草慶人)
経営メモ
6種類のかんきつを3・3ヘクタールで栽培する。昨年息子に経営移譲した。第10回全国果樹技術・経営コンクールで最高位の農水大臣賞に輝いた。
私のこだわり
「施設の温度や水管理、木全体に日が当たるような剪定、摘果など、基本作業の徹底がおいしいかんきつを作る」
2019年01月28日

[達人列伝](77) イチゴ「越後姫」 新潟県新発田市・本間正司さん(68) 水管理 根をしっかり 温湯消毒でうどんこ抑制
新潟県新発田市の本間正司さん(68)は、県独自のイチゴ品種「越後姫」にほれ込み、約30年間、栽培技術の向上に努めてきた。1996年に品種登録される以前から試験栽培に協力し、「越後姫の生みの親は県だが、育ての親は私だと思ってやっている」と笑う。他の主産地に比べ気温が低く日射量が少ない同県の気象条件の中、長年連れ添った“相棒”の癖や特長を見抜き、高品質果実を生産する。
イチゴ栽培で最もこだわるのは水だ。その年の気候にもよるが、定植してから3週間は水だけをたっぷりやって根を張らせる。「イチゴは水で作れ」がモットーだ。「根がしっかり張ると株が培地に沈む。そうなれば大丈夫」と、培地の中の根の状態を日々の観察で見極める。「イチゴは反応が早い作物。少しのかん水量の違いや1日の作業の遅れで、出来栄えが全く違ってくる」という。
出荷時期は高単価が期待できるクリスマス需要に照準を合わせるのが一般的だが、本間さんは「クリスマス需要の期間は短く、12月は日照が少ないので果実の色が乗らない」ため、日射量が回復する2月10日ごろにピークを合わせる。無理に頂果房を早くならせると、収量の多い二、三番果まで時間がかかるため、わざと定植時期を1カ月ほど遅らせる。
本間さんの頭を長年悩ませてきたのが、うどんこ病だ。さまざまな薬剤を試したが、一度発生すると抑えることができず全滅した年もあった。しかし、数年前から、ポットに鉢上げする前に温湯消毒処理し、その後、開花するまで1週間に1度程度薬剤防除することで、発病を抑えることに成功した。
JA北越後のいちご部会長を約10年間務め、ポット育苗や高設栽培の導入、首都圏への販売など、産地のためにさまざまな改革を実践してきた。現在は研修生を受け入れ、後進の育成に力を注ぐ。 ただし、教えるのは1年間。基本技術を教えた後は自ら栽培させ、考えさせることで成長を促す。研修生には「私と同じことをしても同じにはなれない。工夫を重ね自分なりのブランドをつくれ」と教えている。
「やる気のある若い人が増えているのはありがたい。これからの産地を背負っていってほしい」と期待をかける。(雫石征太郎)
経営メモ
イチゴ「越後姫」を1914平方メートルで妻と栽培する。収穫期にはパートを2人雇う。その他、野菜1ヘクタール。
私のこだわり
「収穫より創意工夫する過程の方が喜びが大きい。越後姫がどこまで進化できるのか、品種としての限界を確かめたい」
2019年01月21日

[達人列伝](76)キウイフルーツ 和歌山県紀の川市・中垣芳久さん(64) 樹勢管理で甘さ十分 つぶさに観察、毎日継続
全国指折りのキウイフルーツの産地として知られる和歌山県紀の川市。この地で高糖度のキウイフルーツ作りの名人として産地をけん引するのが中垣芳久さん(64)だ。1975年に県内でいち早く栽培に着手。和歌山では“キウイフルーツの父”的存在だ。2016年には全国果樹技術・経営コンクールで最高位の農水大臣賞に輝いた、産地が誇る篤農家だ。
中垣さんのキウイフルーツは甘さが売りだ。JA紀の里の高糖度ブランド「熟姫(うれひめ)」の選定基準は収穫前の糖度が13・5以上。その割合は管内で生産される1割にも満たないとされるが、中垣さんは過去に自身の園地で実る全てを「熟姫」として出荷した実績を持つ。
担当するJA営農センターは「全てが熟姫として出荷できるのは異例中の異例。キウイフルーツの栽培を知り尽くした中垣さんだからなせる技だ」と絶賛する。
甘さの秘訣(ひけつ)は徹底した樹勢の管理だ。園地を小まめに見回り、樹木や土壌などの状態をつぶさに観察。摘らいや摘果で数を絞り込み、高品質化に欠かせない微量要素の葉面散布のタイミングを見極める。また、園地にかん水設備を張り巡らす。キウイフルーツは乾燥や過湿に弱いためで、約5メートルごとにパイプを配置し、水分をコントロールする。
「一発でおいしい果物を作り上げる魔法のようなものはない。つぶさに観察し小まめに管理する。ベーシックなことを毎日こつこつとこなすことが一番大切」と力説する。
常に試験栽培に挑戦する。キウイフルーツを栽培するきっかけが、当時最も栽培面積が多かったミカンの価格暴落だったからだ。過去の経験を踏まえ、常に先を見据えて時代の流れに適応しようと、試験園には他地域で栽培される梨や桃、リンゴなどが植えられている。
「私にとって 果樹栽培は仕事であるが、趣味でもある。気になる果樹があればすぐに取り寄せて育てたいという気持ちを抑えることが できない。いつまでも好奇心を忘れず、常に挑戦する気持ちを持ち続けたい」と力を込める。(前田大介)
経営メモ
1ヘクタールで「ヘイワード」を栽培。江戸時代から続く農家で、第17回全国果樹技術・経営コンクールで妻の加代さん(60)と共に農水大臣賞に輝いた。
私のこだわり
「大切なのはつぶさな観察や小まめな管理を毎日続けること。一発でおいしい果物を作り上げる魔法のようなものはない」
2019年01月14日

[達人列伝](75)ミツバ 茨城県土浦市・柳澤 浩二さん(47) 苗移植で14回転実現 環境データ管理し収量増
ミツバの水耕栽培で、一般的な生産者の倍の単位収量を上げる農家がいる。茨城県土浦市の柳澤浩二さん(47)だ。収量が多いからといって、品質を下げるわけではない。JA土浦施設園芸水耕みつば部会の一員として、「天の川みつば」のブランド名で出荷。爽やかな香りと食べやすさで人気だ。移植を取り入れて、回転数を上げた。単価が安値の時期の10倍にもなるという年末に2回転できるメリットもある。
ハウスに入ると爽やかな香りが漂う。柳澤さんが丹精し、自信を持って周年栽培している「天の川みつば」の香りだ。以前は、日持ちするように固めの品を出荷していたが、7、8年前から柔らかく口当たりが良い状態で出荷するように切り替えた。JA営農生活課の羽成貴哉さん(27)も「年間を通して品質がそろっていて素晴らしい」と太鼓判を押す。
モットーは「苗八分」。良い苗を作れば、良い作物ができるという父、利夫さん(77)の教えを守り、移植のタイミングの見極めは、従業員が増えても柳澤さん自身がしている。
一般的なミツバの水耕栽培は年間6、7回転だが、柳澤さんは倍の13、14回転させている。秘訣(ひけつ)は、苗の移植。ミツバの水耕栽培では複数の穴が開いたパネルを養液の入ったベッドの上に並べ、それぞれの穴に苗を植えて育てる。一般的には64穴のパネルを使うが、柳澤さんの場合、120穴のパネルで苗を育てる。混み合う直前の苗が12、13センチの高さに育ったところで、64穴パネルに移植して栽培する。苗を一度に多く育て、移植するひと手間を加えることで、ベッドが空く期間をなるべく減らし、回転数向上につなげている。
穴を増やせば収量が増えるが、あまり増やすと風通しが悪くなり、病気が発生したり、苗が細くなったりする懸念がある。このため移植が重要となる。
他の工夫にも熱心だ。4年ほど前から湿度や温度をデータ管理し、収量を上げ品質を高く保つ。炭酸ガスも取り入れ、通常よりも長く正午ごろまで使うことで成長を促進させた。今年から導入したミストは冬場も使い、生育に適した70~80%の湿度に保っている。
目標は年15回転。柳澤さんは、「適切なタイミングを見極め、全ての作業を詰めていきたい」と新年の目標を掲げる。(山本一暁)
経営メモ
水耕ミツバを約66アールで栽培。栽培ベッドの空きを減らし、年間13、14回転させ、収量向上に余念がない。労働力は妻と娘夫妻、従業員ら計20人。2017年は30万ケース(1ケース10袋)を出荷した。
私のこだわり
「ミツバ作りは苗八分。良い苗を作れば、良い作物ができる」
2019年01月07日

[達人列伝](74)セリ 宮城県石巻市・高橋正夫さん(71) 入念水管理で太い茎 一本一本丁寧に選別・調製
宮城県石巻市の山あいにある河北地区に、江戸時代から約300年続く「河北せり」。山からの伏流水を生かして栽培したセリは、葉が鮮やかな緑色で、すがすがしい香りやしゃきしゃきとした食感が特徴だ。12月から本格化する収穫の様子が冬の風物詩として愛され続け、正月の雑煮に使われるほど人気を誇る。そんな伝統のセリを50年以上守り続けてきたのが、高橋正夫さん(71)。「見た目が良く、太くて生き生きとしたセリ作りは水管理で決まる」と強調。寒さが厳しくなる季節も丁寧な管理に余念がない。
水温が冷た過ぎても温か過ぎても、水位が高過ぎても低過ぎても丈夫に育たない。そのため、高橋さんは毎日小まめに天気予報を見て、雨の量や風の強さや向きなどをきちんと確認。セリ田17カ所全てを毎日巡回し、それぞれの場所で水温や水位を予測しながら、入念に水管理する。時には朝昼晩のいずれも見回り、台風が来た日でも合間を見て田んぼを確認する。
出荷の最盛期となる冬には氷点下となり、そのままでは田んぼが凍ってしまう。そのため、近くに掘った井戸から地下水をくみ上げるなど水管理を徹底する。
セリは根っこごと持ち上げて収穫して、田んぼで泥をしっかりと落とし、自宅に持ち帰って選別、調製する。その後、入念に水洗いして箱詰めして出荷する。
見た目が良く、日持ちするセリを出荷するためには、選別、調製が肝心だ。一本一本、しっかりと目で見て確認する。黄色い葉や数日以内に黄色になりそうだと予測できる葉を一枚一枚、丁寧に手で取り除く。全て手仕事で行う。
JAいしのまきセリ部会の会長を務め、部会員14人に栽培技術を継承する高橋さん。JAは「高橋さんのセリは、色つやも良く、日持ちが良いので取引先から高く評価されている。農地の管理も行き届いていて、部会員の模範だ」と(河北営農センター)と話す。
「河北せり」は、10~2月に根ごと収穫する「根セリ」と、4、5月に茎葉を刈り取る「葉セリ」の2種類がある。「鍋物では根っこも楽しめる。茎葉は天ぷらや漬け物、おにぎりにしてもおいしい」と笑顔を見せる高橋さん。地理的表示(GI)保護制度への登録に向けても尽力する。(海老澤拓典)
経営メモ
妻と娘、娘の夫と一緒にセリを55アールで生産。収穫の最盛期となる12月にはパート従業員を10人雇う。
私のこだわり
「買う人の立場を考え、見た目を良くすることを心掛けている。冬場の氷点下での農作業はつらいが、喜んでくれる消費者を思い浮かべると頑張れる」
2018年12月24日

[達人列伝](73)ジャガイモ 広島県東広島市・増田典生さん(70) 手間かけて甘味強く 液肥を継続、促成栽培も
広島県東広島市安芸津町木谷赤崎地区は、ミネラル分が豊富な赤土で栽培するジャガイモ「マル赤馬鈴薯(ばれいしょ)」の産地。芋は市場で10キロ3000円の値を付けることもあり、高級ブランドとして名をはせる。マル赤馬鈴薯出荷組合の組合長を務める増田典生さん(70)は、1890年代後半から続くブランドの守り手。手間のかかる促成栽培や液肥散布、新技術の実証に取り組み、消費者に喜ばれるジャガイモ作りをけん引する。
赤レンガ色をした酸化鉄を含む赤土は、粘土質ながら水はけが良い。同組合には約140人が所属する。主な品種は「デジマ」で春作と秋作の年2回、延べ約80ヘクタールで栽培する。
「デジマ」の肉色は黄色で玉は丸い。きれいな外観と、ほくほくでもっちりとした食感と甘味が特長だ。増田さんは「見た目がきれいでうまさもある。自信作」と胸を張る。
増田さんは、栽培中はほぼ毎日畑を見て回り、病害虫予防に気を配る。土を耕す前と農薬散布のタイミングには、独自に液肥を散布する。「手を掛けてかわいがらなければ、良い物は作れない」と、10アール当たり1リットルを散布。手間もコストもかける。
「マル赤馬鈴薯」は、皮が薄くむけやすいのが難点。外観を保つため、収穫には細心の注意を払い、掘り起こした芋は手作業で集める。液肥を継続利用したことで、増田さんのジャガイモは皮がむけにくく、甘味が強く仕上がるという。
春は、温室で芽出しした種芋を定植し、マルチフィルムを張って促成栽培する。土から芽が出たら、マルチを裂いて芽を日に当てる。手間がかかり、霜の被害にも遭いやすいため、促成栽培に取り組む生産者は少ないが、「早く欲しい」という消費者の声に応えるため取り入れる。
今年は新たな試みとして、ドローン(小型無人飛行機)を使った薬剤散布を試験した。中山間地域特有の傾斜がある狭い農地で、作業の省力化をしていく。
西日本豪雨で土砂災害が発生し倉庫が被災したが、 急いで再建した。「消費者に喜ばれる品物を作るのが生きがいだ。長く生産していきたい。後継者も育てていきたい」と増田さん。妻の富美江さん(68)と二人三脚で、「マル赤馬鈴薯」ブランドを守る。(柳沼志帆)
経営メモ
ジャガイモ65アールを妻と栽培する。手作業で行う収穫はパートを3、4人雇う。
私のこだわり
「早く欲しいという消費者のため、人よりも早く収穫できるようにする。いかにして、きれいでうまい芋を作るかが常日頃の目標」
2018年12月17日

[達人列伝 72] 越冬キャベツ 北海道和寒町・川江峰さん(42) 極寒の畑が育む甘味 適正株間 品種ごとに探る
北海道和寒町の「和寒越冬キャベツ」は、収穫後に雪の中に置くことで甘味を増す真冬の味覚。川江峰さん(42)は、確かな技術で毎年安定した収量を上げる。生産は手作業が続く重労働だ。川江さんが1シーズンに出荷するのは約10万玉に上る。収穫後はその全てを手で並べ、降雪を待つ。冬になれば氷点下20度を下回る吹雪の中で畑に向かい、深さ1メートル超の雪を掘って出荷する。
越冬キャベツは、11月上旬に玉を根から切り離す「根切り」をした後、畑に自然に積もる雪の中で貯蔵する。出荷は翌年3月まで。一般的な冬キャベツよりも葉が肉厚で、甘味も強い。同町では1970年ごろに本格的な栽培を始めた。
川江さんは2・2ヘクタールを手掛け、JAを通じ出荷する。品種は「湖月」と「冬駒」。天候不順の今年は、町内の生産者が2割ほどの減収に見舞われる中でも、平年並みの量を収穫した。
安定生産の土台は土づくりだ。毎年、全ての畑で土壌分析をし、結果に応じて土壌改良材などを使い分ける。キャベツを植える畑では、春に緑肥としてマメ科植物のヘアリーベッチを栽培する。生育が均一に進み、玉ぞろいが良くなる効果がある。
栽培技術は個人や部会の研究で確立してきた。株間は、周囲の助言も受け3年ほどの検証で探り当てた。「湖月」は、多少狭くても収量への影響は少ない。「冬駒」は広めに取る。
個人で試して成功した技術は、他の生産者にも勧める。「研究熱心で知識量が抜群」(JA北ひびきの担当者)と頼られる存在だ。
越冬キャベツの生産は、収穫後に長く保存する分、一般の冬キャベツよりも手間がかかる。根切りでは降雪に備えてキャベツを1玉ずつ持ち上げ、8畝分を1列にまとめる。出荷時も、重機で雪をぎりぎりまで掘るが、最後は手で取り出す。1回の出荷量は多いときで10トンほどに上ることもある。
栽培の負担が大きく、地域の生産量は減少傾向にある。だが、川江さんは今後も面積を維持する意向だ。労働力に余裕はないが、「つらい方が農業をしている気がして好き」と笑う。農家である限り、厳しい作業も手を抜かず続ける。「おいしいと言ってくれたら、やっぱりうれしいから」。今年も極寒の畑に立つ。(石川知世)
経営メモ
越冬キャベツやカボチャなど計35ヘクタールほどを妻、両親と栽培。繁忙期はパート約10人を加えて作業する。
私のこだわり
「健やかな作物を育てるにはpH(水素イオン濃度)が一番大事。下(土壌)がしっかりしていれば上(作物)はついてくる」
2018年12月03日
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[達人列伝](80) ニラ 北海道知内町・大嶋貢さん(49) 緻密な管理で高収量 研究実り通年出荷に貢献
畑の多くが雪に閉ざされる冬の北海道で、貴重な地場産野菜として道民に愛される知内町のニラ「北の華」。約2ヘクタールを手掛ける大嶋貢さん(49)は、地域トップクラスの大規模栽培をしながら、きめ細かい管理で高収量を挙げている。ブランド力を高めるため、それまで出荷がなかった11、12月に収穫できる新たな栽培体系も確立。通年出荷への道を開いた。
同町は道内最大のニラ産地。「北の華」は、しゃきしゃきとした食感や甘さが特徴だ。
一度植えたニラは3年間栽培する。1年目は株を育て、2年目以降に数回収穫する。大嶋さんが最も重視する作業が、1、2年目の7~11月に行う「株養成」。この成否が次年産の作柄を決めるという。
ハウスのビニールを外し、追肥や防除をして球根を育てる。ポイントは、倒伏しにくい丈夫な株作り。肥料は少量を小まめに与え、成長を促しながらも草丈が伸び過ぎないようにする。葉の色や幅、分けつの様子を観察し、タイミングや最適量を見極める。暑い時期はチューブでかん水し肥料の吸収を促す。こうした緻密な管理で、2018年産の10アール収量は地域の平均を25%上回った。
JA新はこだての知内町ニラ生産組合では、7年前から組合長を務めブランド振興に力を入れる。「ビジョンが明確で、地域の農業を守ることを第一に考えている」(JA担当者)と信頼を集め、互選で決まる役員を約20年にわたり務め続ける。
産地のリーダーとして、率先して栽培技術などの研究に打ち込む。成果の一つが晩秋取り品種の導入だ。町内の主力品種は、11、12月が収穫の空白期間。大嶋さんは冬の鍋物需要などに応えようと、この時期に収穫できる新品種を模索した。1人で5年ほど試験を重ねて有望な品種を選び、栽培体系を確立した。
若手向けの栽培マニュアル作りなどにも尽力。原動力は、人一倍強い地域への思いだ。「大嶋農園は、先人が築いた『北の華』のずっと後ろの看板にすぎない」が持論。「周りと違うことで成功するよりも、町のみんなで日本一の単価を目指すのが楽しい。変わっているでしょう」と笑う。町がニラ産地として重ねた48年の歴史が、一番の誇りだ。(石川知世)
経営メモ
ニラや水稲、大豆など約20ヘクタールを栽培する「大嶋農園」代表。家族4人と実習生やパート従業員3人で作業する。
私のこだわり
「1人なら1歩だが、10人なら10歩。ブランドはみんなが手をつないで作るもの」
2019年02月11日

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[達人列伝](79) ナス 福岡県八女市・真鍋春二三さん(72) 日誌50年 蓄積自信に 適期作業で出荷一番乗り
福岡県八女市に、半世紀以上にわたって蓄積し続けた“ビッグデータ”を活用する、ナス栽培の達人がいる。真鍋春二三さん(72)だ。10代の頃から毎日欠かさず記録している日誌を基に、当日の作業の段取りをし、適期作業を進める。思わぬトラブルが生じても、過去の記述を判断のよりどころとし、自信を持って適切な作業を進める。蓄積した資料に裏付けられた、高品質なナスが自慢だ。
市販の大学ノートを使い、一日一日の天気や作業内容を記録する。1ページを4等分し、4年間の同じ日付を同じページで確認できるようにしている。例えば、2月4日のページでは、4年分の2月4日の状況が一目瞭然。何時から何をしたか、どのくらい収穫したか──などが分かる。その他、定植した時期や暖房を入れた時期なども読み取れる。
農業は天候との勝負。その日の天気次第で作業が後手に回りがちだ。真鍋さんは、現状と日誌とを照らし合わせ、生育の進み具合を判断する。天候を考慮しながら当日や先の仕事を考え、必要な時期に必要な作業を進める。「以前はどうしていたか見返すことで、行き当たりばったりではなく、先を見越して動けるようになった」と強調する。
日誌が役立った例は多い。JAふくおか八女なす部会で長く役員を務めた真鍋さん。会議や出張などで多忙を極めたが、前年までの状況を基に事前に作業計画を調整し、妻の手を借りながら適期作業を実現してきた。
ナスの病気など、予期せぬ異変時も日誌が生きる。「何かおかしいと感じた時、昔の日誌に書いてあることが参考になる。翌年以降は予防できるようになる」。蓄積した資料と経験に学び、失敗を繰り返さない。
JA園芸指導課の平島正一課長代理は「これほど長く継続して記録を残している人はいない」と強調。「出荷はいつも一番乗り。日誌を基にした段取りのうまさが、仕事の速さに表れている」と太鼓判を押す。
長年積み重ねた日誌は30冊を超えた。継続する力が達人たるゆえんだ。「原動力はやっぱり、これだね」。杯を傾けるしぐさを見せて笑う真鍋さん。今日も日誌に向かう。(松本大輔)
経営メモ
ハウス約20アールで冬春時期に「PC筑陽」を栽培。JAふくおか八女なす部会で約20年、部会長を務めた。県の立毛品評会でトップに立ったこともある。
私のこだわり
「やる気と元気がモットー。酔って帰っても二日酔いでも、欠かさずその日の作業を記録する」
2019年02月04日

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[達人列伝](81) 赤果肉リンゴ 長野県中野市・吉家 一雄さん(62) 甘さと色 改良で両立 栄養豊富 写真映えも魅力
長野県で、30年にわたり果肉が赤いリンゴの育成に力を注いでいるのが、中野市の果樹農家、吉家一雄さん(62)だ。鮮やかな果肉が目を引く外観だけでなく、味にこだわり育種に取り組む。国内外の品種を取り寄せ、現在園地では5000種もの赤果肉リンゴの実生を試験的に栽培。5種は品種登録され、大学や研究機関からも注目されている。
吉家さんが、赤果肉リンゴと出合ったのは、県農業大学校での学生時代。当時は観賞用だったが、その果肉の美しさに驚き「このリンゴがおいしかったら絶対に人気が出る」と直感した。就農後、通常のリンゴ作りと並行して、赤果肉の育種を試し続けた。
1990年ごろから本格的に品種改良に着手した。94年に、米国原産の加工用リンゴ「ピンクパール」と「紅玉」を交配し、約5年かけて結実。良好に着色したものの一つが、現在まで続く「いろどり」だ。この母種となる「いろどり」に「ふじ」を掛けたのが、「なかの真紅(しんく)」「炎舞(えんぶ)」、「ムーンルージュ」「冬彩華(とうさいか)」の4種。さらに「いろどり」と「王林」を掛けた「なかののきらめき」がある。「冬彩華」を除く5種は2018年5月、農水省に品種登録が認められた。
「赤果肉は酸っぱい」という固定概念を持たれないよう、爽やかな甘味の品種を全国区で販売。やや酸味の強いものは、優先的に市内販売や加工用に向けるなど、普及方法にも気を配る。吉家さんは「この6種を親にして、次の品種へつなげていく」と意欲を語る。目指すのは「ふじ」のように、誰もが知る品種だ。
園地には、欧州、オセアニアなど世界中から農家、研究者らが視察に訪れる。興味を示した料理人には「直接来て食べて」と誘い、その意見を育種に生かす。「オープンなやり方が、客観的な味の判断に役立ち、情報交換の場にもなる」と話す。
吉家さんは「赤果肉は栄養成分も豊かで、食卓に華を添える。話題の写真映えも強み」と、その潜在力にほれ込む。自身の農園では、現在7対3の割合で白果肉のリンゴの出荷が多いが、赤果肉の引き合いが強まり、1、2年のうちに逆転すると見込む。「世界で新品種が発表されると、悔しさよりわくわくする」と、熱意は増すばかりだ。(江口和裕)
経営メモ
園地1.8ヘクタールでリンゴを、0.7ヘクタールで桃を栽培。作業の省力化に努め、母親と妻の家族労働力だけで効率経営を実現している。
私のこだわり
「まず自分が楽しむ。すると人が楽しんでくれる。吸っては吐く呼吸と一緒で、与えることで与えられるものがある。地域の農家や若い挑戦者に、垣根なくノウハウを伝えたい」
2019年02月18日

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[達人列伝 72] 越冬キャベツ 北海道和寒町・川江峰さん(42) 極寒の畑が育む甘味 適正株間 品種ごとに探る
北海道和寒町の「和寒越冬キャベツ」は、収穫後に雪の中に置くことで甘味を増す真冬の味覚。川江峰さん(42)は、確かな技術で毎年安定した収量を上げる。生産は手作業が続く重労働だ。川江さんが1シーズンに出荷するのは約10万玉に上る。収穫後はその全てを手で並べ、降雪を待つ。冬になれば氷点下20度を下回る吹雪の中で畑に向かい、深さ1メートル超の雪を掘って出荷する。
越冬キャベツは、11月上旬に玉を根から切り離す「根切り」をした後、畑に自然に積もる雪の中で貯蔵する。出荷は翌年3月まで。一般的な冬キャベツよりも葉が肉厚で、甘味も強い。同町では1970年ごろに本格的な栽培を始めた。
川江さんは2・2ヘクタールを手掛け、JAを通じ出荷する。品種は「湖月」と「冬駒」。天候不順の今年は、町内の生産者が2割ほどの減収に見舞われる中でも、平年並みの量を収穫した。
安定生産の土台は土づくりだ。毎年、全ての畑で土壌分析をし、結果に応じて土壌改良材などを使い分ける。キャベツを植える畑では、春に緑肥としてマメ科植物のヘアリーベッチを栽培する。生育が均一に進み、玉ぞろいが良くなる効果がある。
栽培技術は個人や部会の研究で確立してきた。株間は、周囲の助言も受け3年ほどの検証で探り当てた。「湖月」は、多少狭くても収量への影響は少ない。「冬駒」は広めに取る。
個人で試して成功した技術は、他の生産者にも勧める。「研究熱心で知識量が抜群」(JA北ひびきの担当者)と頼られる存在だ。
越冬キャベツの生産は、収穫後に長く保存する分、一般の冬キャベツよりも手間がかかる。根切りでは降雪に備えてキャベツを1玉ずつ持ち上げ、8畝分を1列にまとめる。出荷時も、重機で雪をぎりぎりまで掘るが、最後は手で取り出す。1回の出荷量は多いときで10トンほどに上ることもある。
栽培の負担が大きく、地域の生産量は減少傾向にある。だが、川江さんは今後も面積を維持する意向だ。労働力に余裕はないが、「つらい方が農業をしている気がして好き」と笑う。農家である限り、厳しい作業も手を抜かず続ける。「おいしいと言ってくれたら、やっぱりうれしいから」。今年も極寒の畑に立つ。(石川知世)
経営メモ
越冬キャベツやカボチャなど計35ヘクタールほどを妻、両親と栽培。繁忙期はパート約10人を加えて作業する。
私のこだわり
「健やかな作物を育てるにはpH(水素イオン濃度)が一番大事。下(土壌)がしっかりしていれば上(作物)はついてくる」
2018年12月03日

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[達人列伝 68] ソバ 北海道音威子府村・三好和巳さん(65) 2回の乾燥 風味高く “水はけ命”投資惜しまず
北海道音威子府村の三好和巳さん(65)は地域の特産、ソバの道を切り開いた立役者だ。品質を妥協しない姿勢を貫き、農地の水はけ、土づくりなどの営農技術を徹底し、収穫後の乾燥にも細心の注意を払う。こだわりの品質は契約する製粉会社の折り紙付き。視察に訪れる生産者にはノウハウを惜しみなく伝え、産地全体の活性化にも取り組む。
三好さんは23歳のころ、父親を交通事故で亡くした。農地27ヘクタールと共に継承したのが、1700万円の借金だった。1988年、少しでも収入を増やそうと、小豆やジャガイモ、小麦、テンサイなどの栽培が盛んな同村に、地域に先駆け、ソバを持ち込んだ。「マイナスからのスタートだった」と話す。
栽培は実践の中で学んだ。試行錯誤しながら、徐々に経営規模を拡大した。最も苦しかったのが、96年の降ひょう害。わずか20分間で、それまで手塩にかけて育ててきたソバが押しつぶされて全滅した。「あぜんとして言葉がなかった」と振り返る。しかし、後戻りはできない。「やるしかない」という強い思いで、営農を再開。学びながら安定した収量を確保できるようになった。
ソバは倒れやすく栽培が難しいとされるが、「倒れる理由の多くは人災。基本技術を忠実に守り、妥協しなければしっかりと育つ」と強調する。
特に注意するのが、水はけの良い農地づくり。湿害を防ぐため、数十年かけて暗きょを整備している。投資を惜しまない。昨年は4000万円、今年も1000万円を投じる。土づくりは有機質の肥料を使うことを徹底する。
収穫したソバの乾燥にも注意を払う。資金が足りない中、中古の機械を集め自前の乾燥工場を建設した。乾燥は2回に分けて行い、まずは風乾燥し水分を20%以下まで下げる。さらにもう一度、火を使う乾燥機で仕上げる。2回も乾燥するのは珍しいが、一度に温度を上げ乾燥させるよりも、粘りと風味が増すという。製粉会社などと契約し、全国のそば店などで使われる。自然な甘味や香りが特徴だ。
現在は同村に約10戸のソバ農家がいる。三好さんは道内や全国から訪ねてくる生産者に、栽培ノウハウを伝える。「地域だけでなく道内各地の生産者に技術を伝え、北海道のソバのブランド力を高めたい」と強調。今後は農地を次世代につなぐことを視野に入れる。(望月悠希)
経営メモ
ソバ180ヘクタールを含め、ナタネやエゴマ、カメリナ、アマ、小豆を約390ヘクタールで栽培。「自立心」を持つことをモットーに、経営の改善を続けている。
私のこだわり
「土づくりや乾燥でも手間やコストを惜しまず妥協しないことで、収量や品質が安定する」
2018年10月29日

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[達人列伝](76)キウイフルーツ 和歌山県紀の川市・中垣芳久さん(64) 樹勢管理で甘さ十分 つぶさに観察、毎日継続
全国指折りのキウイフルーツの産地として知られる和歌山県紀の川市。この地で高糖度のキウイフルーツ作りの名人として産地をけん引するのが中垣芳久さん(64)だ。1975年に県内でいち早く栽培に着手。和歌山では“キウイフルーツの父”的存在だ。2016年には全国果樹技術・経営コンクールで最高位の農水大臣賞に輝いた、産地が誇る篤農家だ。
中垣さんのキウイフルーツは甘さが売りだ。JA紀の里の高糖度ブランド「熟姫(うれひめ)」の選定基準は収穫前の糖度が13・5以上。その割合は管内で生産される1割にも満たないとされるが、中垣さんは過去に自身の園地で実る全てを「熟姫」として出荷した実績を持つ。
担当するJA営農センターは「全てが熟姫として出荷できるのは異例中の異例。キウイフルーツの栽培を知り尽くした中垣さんだからなせる技だ」と絶賛する。
甘さの秘訣(ひけつ)は徹底した樹勢の管理だ。園地を小まめに見回り、樹木や土壌などの状態をつぶさに観察。摘らいや摘果で数を絞り込み、高品質化に欠かせない微量要素の葉面散布のタイミングを見極める。また、園地にかん水設備を張り巡らす。キウイフルーツは乾燥や過湿に弱いためで、約5メートルごとにパイプを配置し、水分をコントロールする。
「一発でおいしい果物を作り上げる魔法のようなものはない。つぶさに観察し小まめに管理する。ベーシックなことを毎日こつこつとこなすことが一番大切」と力説する。
常に試験栽培に挑戦する。キウイフルーツを栽培するきっかけが、当時最も栽培面積が多かったミカンの価格暴落だったからだ。過去の経験を踏まえ、常に先を見据えて時代の流れに適応しようと、試験園には他地域で栽培される梨や桃、リンゴなどが植えられている。
「私にとって 果樹栽培は仕事であるが、趣味でもある。気になる果樹があればすぐに取り寄せて育てたいという気持ちを抑えることが できない。いつまでも好奇心を忘れず、常に挑戦する気持ちを持ち続けたい」と力を込める。(前田大介)
経営メモ
1ヘクタールで「ヘイワード」を栽培。江戸時代から続く農家で、第17回全国果樹技術・経営コンクールで妻の加代さん(60)と共に農水大臣賞に輝いた。
私のこだわり
「大切なのはつぶさな観察や小まめな管理を毎日続けること。一発でおいしい果物を作り上げる魔法のようなものはない」
2019年01月14日

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[達人列伝 78] 中晩かん 松山市・山岡 建夫さん(66) 作業分散で品質向上 リレー栽培導入の先駆者
かんきつ生産量全国一を誇る愛媛県。松山市から船で15分ほど沖合にある興居島の山岡建夫さん(66)は複数の品種を導入し、長期間かんきつを出荷するリレー栽培の先駆者だ。今では山岡さんの園地構成を管内の多くの農家が採用する。特色あるさまざまな県産かんきつをより多くの人に食べてもらうため、食味の良い果実の安定出荷で産地を支える。
「かんきつ栽培は管理の基本を徹底することだ」。人と違う特別な管理方法を取るわけではないが、山岡さんの園地は露地、ハウスともにしっかりと剪定(せんてい)が行き届き、均一な高さにそろった木が並ぶ。開心自然形で、木の内側まで日光が入るように仕立てる。基本を徹底するための秘訣(ひけつ)は、約半年間続く多品種のリレー栽培にある。
栽培する品種は現在6種類。もともとは伊予カンだけを作っていたが、価格が低迷した約20年前に、県の試験場で有望品種を探し、施設中晩かんの導入を始めた。
山岡さんは「周年で作業ができる園地にすることで、全ての品種に手が行き届き、品質の高位平準化が図れる」と説明。2018年度の成績は、施設「紅まどんな」(品種名=愛媛果試第28号)の「特選」比率が管内平均を4ポイント上回った他、伊予カンの価格は1キロ平均200円と同4割上回るなど、出荷するかんきつの全ての品質が高水準だ。
年間のスケジュールは、早生ミカンの収穫が11月中旬から始まり「愛媛果試第28号」や伊予カンの収穫、出荷が続く。1月中旬から加温ハウスの「せとか」が始まり、「甘平」を1月下旬から出荷する。露地「せとか」の収穫が3月上旬から始まり、「南津海(なつみ)」が4月中旬から5月中旬まで続き、約半年続くかんきつの収穫、出荷を終える。地元のJAえひめ中央営農部は「かんきつ経営でリレー栽培を導入した先駆者」と評価する。
特に力を入れるのは「紅まどんな」の栽培だ。品種登録された05年からいち早く経営に取り入れた。食味にほれ込み自ら松山市長に売り込んだこともあった。
まだまだ探究心は衰えない。愛媛県はかんきつの新品種の開発を進めており、山岡さんは導入に期待を寄せる。「愛媛県ならではのかんきつを消費者に届けるために、最適な品種の組み合わせをこれからも模索したい」と意欲を見せる。(丸草慶人)
経営メモ
6種類のかんきつを3・3ヘクタールで栽培する。昨年息子に経営移譲した。第10回全国果樹技術・経営コンクールで最高位の農水大臣賞に輝いた。
私のこだわり
「施設の温度や水管理、木全体に日が当たるような剪定、摘果など、基本作業の徹底がおいしいかんきつを作る」
2019年01月28日

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[達人列伝](77) イチゴ「越後姫」 新潟県新発田市・本間正司さん(68) 水管理 根をしっかり 温湯消毒でうどんこ抑制
新潟県新発田市の本間正司さん(68)は、県独自のイチゴ品種「越後姫」にほれ込み、約30年間、栽培技術の向上に努めてきた。1996年に品種登録される以前から試験栽培に協力し、「越後姫の生みの親は県だが、育ての親は私だと思ってやっている」と笑う。他の主産地に比べ気温が低く日射量が少ない同県の気象条件の中、長年連れ添った“相棒”の癖や特長を見抜き、高品質果実を生産する。
イチゴ栽培で最もこだわるのは水だ。その年の気候にもよるが、定植してから3週間は水だけをたっぷりやって根を張らせる。「イチゴは水で作れ」がモットーだ。「根がしっかり張ると株が培地に沈む。そうなれば大丈夫」と、培地の中の根の状態を日々の観察で見極める。「イチゴは反応が早い作物。少しのかん水量の違いや1日の作業の遅れで、出来栄えが全く違ってくる」という。
出荷時期は高単価が期待できるクリスマス需要に照準を合わせるのが一般的だが、本間さんは「クリスマス需要の期間は短く、12月は日照が少ないので果実の色が乗らない」ため、日射量が回復する2月10日ごろにピークを合わせる。無理に頂果房を早くならせると、収量の多い二、三番果まで時間がかかるため、わざと定植時期を1カ月ほど遅らせる。
本間さんの頭を長年悩ませてきたのが、うどんこ病だ。さまざまな薬剤を試したが、一度発生すると抑えることができず全滅した年もあった。しかし、数年前から、ポットに鉢上げする前に温湯消毒処理し、その後、開花するまで1週間に1度程度薬剤防除することで、発病を抑えることに成功した。
JA北越後のいちご部会長を約10年間務め、ポット育苗や高設栽培の導入、首都圏への販売など、産地のためにさまざまな改革を実践してきた。現在は研修生を受け入れ、後進の育成に力を注ぐ。 ただし、教えるのは1年間。基本技術を教えた後は自ら栽培させ、考えさせることで成長を促す。研修生には「私と同じことをしても同じにはなれない。工夫を重ね自分なりのブランドをつくれ」と教えている。
「やる気のある若い人が増えているのはありがたい。これからの産地を背負っていってほしい」と期待をかける。(雫石征太郎)
経営メモ
イチゴ「越後姫」を1914平方メートルで妻と栽培する。収穫期にはパートを2人雇う。その他、野菜1ヘクタール。
私のこだわり
「収穫より創意工夫する過程の方が喜びが大きい。越後姫がどこまで進化できるのか、品種としての限界を確かめたい」
2019年01月21日

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[達人列伝](74)セリ 宮城県石巻市・高橋正夫さん(71) 入念水管理で太い茎 一本一本丁寧に選別・調製
宮城県石巻市の山あいにある河北地区に、江戸時代から約300年続く「河北せり」。山からの伏流水を生かして栽培したセリは、葉が鮮やかな緑色で、すがすがしい香りやしゃきしゃきとした食感が特徴だ。12月から本格化する収穫の様子が冬の風物詩として愛され続け、正月の雑煮に使われるほど人気を誇る。そんな伝統のセリを50年以上守り続けてきたのが、高橋正夫さん(71)。「見た目が良く、太くて生き生きとしたセリ作りは水管理で決まる」と強調。寒さが厳しくなる季節も丁寧な管理に余念がない。
水温が冷た過ぎても温か過ぎても、水位が高過ぎても低過ぎても丈夫に育たない。そのため、高橋さんは毎日小まめに天気予報を見て、雨の量や風の強さや向きなどをきちんと確認。セリ田17カ所全てを毎日巡回し、それぞれの場所で水温や水位を予測しながら、入念に水管理する。時には朝昼晩のいずれも見回り、台風が来た日でも合間を見て田んぼを確認する。
出荷の最盛期となる冬には氷点下となり、そのままでは田んぼが凍ってしまう。そのため、近くに掘った井戸から地下水をくみ上げるなど水管理を徹底する。
セリは根っこごと持ち上げて収穫して、田んぼで泥をしっかりと落とし、自宅に持ち帰って選別、調製する。その後、入念に水洗いして箱詰めして出荷する。
見た目が良く、日持ちするセリを出荷するためには、選別、調製が肝心だ。一本一本、しっかりと目で見て確認する。黄色い葉や数日以内に黄色になりそうだと予測できる葉を一枚一枚、丁寧に手で取り除く。全て手仕事で行う。
JAいしのまきセリ部会の会長を務め、部会員14人に栽培技術を継承する高橋さん。JAは「高橋さんのセリは、色つやも良く、日持ちが良いので取引先から高く評価されている。農地の管理も行き届いていて、部会員の模範だ」と(河北営農センター)と話す。
「河北せり」は、10~2月に根ごと収穫する「根セリ」と、4、5月に茎葉を刈り取る「葉セリ」の2種類がある。「鍋物では根っこも楽しめる。茎葉は天ぷらや漬け物、おにぎりにしてもおいしい」と笑顔を見せる高橋さん。地理的表示(GI)保護制度への登録に向けても尽力する。(海老澤拓典)
経営メモ
妻と娘、娘の夫と一緒にセリを55アールで生産。収穫の最盛期となる12月にはパート従業員を10人雇う。
私のこだわり
「買う人の立場を考え、見た目を良くすることを心掛けている。冬場の氷点下での農作業はつらいが、喜んでくれる消費者を思い浮かべると頑張れる」
2018年12月24日

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[達人列伝](75)ミツバ 茨城県土浦市・柳澤 浩二さん(47) 苗移植で14回転実現 環境データ管理し収量増
ミツバの水耕栽培で、一般的な生産者の倍の単位収量を上げる農家がいる。茨城県土浦市の柳澤浩二さん(47)だ。収量が多いからといって、品質を下げるわけではない。JA土浦施設園芸水耕みつば部会の一員として、「天の川みつば」のブランド名で出荷。爽やかな香りと食べやすさで人気だ。移植を取り入れて、回転数を上げた。単価が安値の時期の10倍にもなるという年末に2回転できるメリットもある。
ハウスに入ると爽やかな香りが漂う。柳澤さんが丹精し、自信を持って周年栽培している「天の川みつば」の香りだ。以前は、日持ちするように固めの品を出荷していたが、7、8年前から柔らかく口当たりが良い状態で出荷するように切り替えた。JA営農生活課の羽成貴哉さん(27)も「年間を通して品質がそろっていて素晴らしい」と太鼓判を押す。
モットーは「苗八分」。良い苗を作れば、良い作物ができるという父、利夫さん(77)の教えを守り、移植のタイミングの見極めは、従業員が増えても柳澤さん自身がしている。
一般的なミツバの水耕栽培は年間6、7回転だが、柳澤さんは倍の13、14回転させている。秘訣(ひけつ)は、苗の移植。ミツバの水耕栽培では複数の穴が開いたパネルを養液の入ったベッドの上に並べ、それぞれの穴に苗を植えて育てる。一般的には64穴のパネルを使うが、柳澤さんの場合、120穴のパネルで苗を育てる。混み合う直前の苗が12、13センチの高さに育ったところで、64穴パネルに移植して栽培する。苗を一度に多く育て、移植するひと手間を加えることで、ベッドが空く期間をなるべく減らし、回転数向上につなげている。
穴を増やせば収量が増えるが、あまり増やすと風通しが悪くなり、病気が発生したり、苗が細くなったりする懸念がある。このため移植が重要となる。
他の工夫にも熱心だ。4年ほど前から湿度や温度をデータ管理し、収量を上げ品質を高く保つ。炭酸ガスも取り入れ、通常よりも長く正午ごろまで使うことで成長を促進させた。今年から導入したミストは冬場も使い、生育に適した70~80%の湿度に保っている。
目標は年15回転。柳澤さんは、「適切なタイミングを見極め、全ての作業を詰めていきたい」と新年の目標を掲げる。(山本一暁)
経営メモ
水耕ミツバを約66アールで栽培。栽培ベッドの空きを減らし、年間13、14回転させ、収量向上に余念がない。労働力は妻と娘夫妻、従業員ら計20人。2017年は30万ケース(1ケース10袋)を出荷した。
私のこだわり
「ミツバ作りは苗八分。良い苗を作れば、良い作物ができる」
2019年01月07日
