片岡礼子さん(女優) 家族つなぐ 愛の手料理

片岡礼子さん

 住んでいる時は当たり前と思っていたんですが、故郷を離れて初めて分かることってたくさんあるんですよね。私は愛媛県松前町の出身で、本当に美しい稲穂に挟まれた道を登校していたんです。遊ぶのも田んぼ。わらを崩して怒られるのも田んぼ。東京に出てから、それが当たり前というわけではないと知りました。

 父の実家は新居浜市の山奥、別子銅山の方でした。私も小さい頃、よく祖父母の家に遊びに行きました。夏休みにまるっと1カ月間、そちらで過ごしたものです。

 家の裏には栗山、柿山、ビワ山があって、祖父と一緒に山に行き、川で丸一日石投げをして遊んでいました。畑で祖父と一緒に芋を掘ったりもしました。家の周りではウコッケイが自由に歩き回っていたんです。祖母が、要らない野菜の葉っぱを刻んで卵の殻とかと混ぜた餌を与えると、鶏は走って寄ってきました。

 祖母はみそを手造りしていました。6畳だったか8畳だったかの座敷を二つ使って毎年大量に造っては、親戚中に配っていたんです。

 おそらく自給自足に近い生活だったんでしょう。祖父母をもっと手伝って、食べ物の作り方を学べばよかったと感じています。
 

肉嫌いの私に…


 小さい頃に大好きだった「おふくろの味」は、ささ身のフライです。私は肉が苦手な子でした。肉料理が出ると、親の目を盗んで妹の皿に載せていたくらいです。そんな私でも唯一食べられたのが、鶏肉。それを知った母が、手を替え品を替えて頑張ってくれた末にヒットしたのが、ささ身のフライ。母の愛情がこもった、大切な味なんです。

 東京で1人暮らしを始めたら、その味を食べたくなって。帰省したら必ず「お母さん、ささ身のフライを作って」と言ってました。

 東京での私の食生活は、褒められたものではなかったですね。コンビニ1軒あれば足りる、という感じでしたから。
 

和食で体調良く


 20代になって良い仕事がたくさん続いたのでうれしくて、がむしゃらに頑張りました。思いっ切りダイエットをして、体も絞ったんです。そのため妊娠・出産するに当たって、助産師さんに「そんな食べ方では駄目です」と言われました。「きちんと日本の伝統的な食事を取るように心掛けなさい」と。

 20代での食生活が影響したんでしょうか。私は30歳の時に脳出血で倒れてしまいました。

 長い期間、リハビリを続けながら、食事の大切さについて考えました。和食をいただくようにしたこともあって体調は良くなり、大好きな女優の仕事もできるようになりました。

 この5年くらいは、友達に教わった方法で、みそを手造りしています。祖母がやっていたような大掛かりで本格的なものではありません。ごく簡単な方法ですけど。その友人は赴任先のアメリカで、みそ造りを先輩から教わったそうです。大豆とこうじ、塩しか使わないので、健康的だと思います。

 今年になって母の体調が優れなくなりました。父はそれまで料理をしてきませんでしたが、「お父さん、昔ながらの和食がいいよ。作れる?」「うん、やってみる」と。夜のうちにだしを取って、毎朝みそ汁を作っているそうです。最近は「こんな料理を作ってみた」と写真を送ってくれるようになりました。きちんと副菜まで作っているんです。父の愛情がこもった料理で、母の体調が良くなることを祈っています。(聞き手・写真=菊地武顕)

 かたおか・れいこ 1971年、愛媛県生まれ。93年に映画デビュー。95年「愛の新世界」「KAMIKAZE TAXI」でヨコハマ映画祭最優秀新人賞。2001年「ハッシュ!」でキネマ旬報、ブルーリボン両賞の最優秀主演女優賞。映画「楽園」「閉鎖―それぞれの朝―」公開中。映画「Red」「タイトル、拒絶」が来年公開予定。

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