[未来人材] 25歳。他県で修業、地元に戻り実家で規模拡大めざす 畜産一貫経営に挑戦 熊本県天草市 山下友美加さん
2021年01月24日

牛を引き笑顔を見せる山下さん(熊本県天草市で)
熊本県天草市の山下友美加さん(25)は、両親と和牛の繁殖経営に取り組む。地元のJA本渡五和では数少ない女性の担い手だ。他県の畜産農家で修業した後、規模拡大を目指して地元に戻った。一貫経営を目指し、肥育にも挑戦している。
畜産農家の5代目として生まれ、日常は牛と共にあった。姉やいとこと毎日のように牛の世話を手伝った。幼稚園児の頃はまだロールべーラーがなく、重いわらの束を引きずって懸命に運んだ。「大変だった思い出はそれくらい。手伝いは苦ではなかった」と笑う。
地元の高校と農業大学校で畜産を専攻し、家畜人工授精師の資格を取得。卒業後は1年間、宮崎県小林市の繁殖農家、森田直也さんに師事した。全国和牛能力共進会(和牛全共)に出場経験があり、品評会の常連でもある森田さんの下での研修は「手伝いの延長に近かった学生時代に比べると、毎日が刺激的だった」。技術や言葉では言い表せない、牛との向き合い方も学んだ。
地元に戻り、実家で就農した。牛の種付けや出荷前の子牛の管理を担当し始めた。就農してからは、父の和弘さん(59)と意見がぶつかり合うこともあったという。
体躯(たいく)が小さく値が付きにくかった子牛を肥育し、収益の向上につなげようと、一貫経営を提案した。しかし肥育は未経験。餌の管理などは、和弘さんの知人の肥育農家が助言をしてくれた。「失敗は多い」(友美加さん)が、探求心を原動力に取り組む。「毎日牛をよく観察する。自分の思った通りに成長していくと、面白く、やりがいを感じる」と目を輝かせる。
最近の懸念は、牛白血病。19年から死亡牛が目立ち始めた。「このままではいけない」と考え、新たな牛の導入を友美加さんが主導することになった。20年末に妊娠牛20頭を導入し、リスク軽減のため新たな畜舎の建設を始めた。就農後初めての大きな投資。畜舎は以前果樹を栽培していたハウス跡に設け、隣接する畑で牧草を育て放牧する構想だ。
高台に位置する牛舎予定地に立ち「大好きなこの土地で、規模を広げたい」と夢を描く。
周囲を海に囲まれた天草市は、新鮮な魚介類が有名。近所の人が釣ってきた魚をもらうことも多く、料理が好きなのでよく腕を振るう。
中学、高校とバレーボール部に所属していた経験から、今も地域のバレーサークルに入っている。メンバーは畜産や稲作農家が多いが、バレーをするときは農業の話には触れず、楽しく汗を流す。週1回の練習が息抜きだ。
畜産農家の5代目として生まれ、日常は牛と共にあった。姉やいとこと毎日のように牛の世話を手伝った。幼稚園児の頃はまだロールべーラーがなく、重いわらの束を引きずって懸命に運んだ。「大変だった思い出はそれくらい。手伝いは苦ではなかった」と笑う。
地元の高校と農業大学校で畜産を専攻し、家畜人工授精師の資格を取得。卒業後は1年間、宮崎県小林市の繁殖農家、森田直也さんに師事した。全国和牛能力共進会(和牛全共)に出場経験があり、品評会の常連でもある森田さんの下での研修は「手伝いの延長に近かった学生時代に比べると、毎日が刺激的だった」。技術や言葉では言い表せない、牛との向き合い方も学んだ。
地元に戻り、実家で就農した。牛の種付けや出荷前の子牛の管理を担当し始めた。就農してからは、父の和弘さん(59)と意見がぶつかり合うこともあったという。
体躯(たいく)が小さく値が付きにくかった子牛を肥育し、収益の向上につなげようと、一貫経営を提案した。しかし肥育は未経験。餌の管理などは、和弘さんの知人の肥育農家が助言をしてくれた。「失敗は多い」(友美加さん)が、探求心を原動力に取り組む。「毎日牛をよく観察する。自分の思った通りに成長していくと、面白く、やりがいを感じる」と目を輝かせる。
最近の懸念は、牛白血病。19年から死亡牛が目立ち始めた。「このままではいけない」と考え、新たな牛の導入を友美加さんが主導することになった。20年末に妊娠牛20頭を導入し、リスク軽減のため新たな畜舎の建設を始めた。就農後初めての大きな投資。畜舎は以前果樹を栽培していたハウス跡に設け、隣接する畑で牧草を育て放牧する構想だ。
高台に位置する牛舎予定地に立ち「大好きなこの土地で、規模を広げたい」と夢を描く。
農のひととき
周囲を海に囲まれた天草市は、新鮮な魚介類が有名。近所の人が釣ってきた魚をもらうことも多く、料理が好きなのでよく腕を振るう。
中学、高校とバレーボール部に所属していた経験から、今も地域のバレーサークルに入っている。メンバーは畜産や稲作農家が多いが、バレーをするときは農業の話には触れず、楽しく汗を流す。週1回の練習が息抜きだ。
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輸出基本方針を改正 マーケットイン型へ転換 政府
政府は9日、農林水産物・食品輸出促進法に基づく基本方針を改正した。昨年11月にまとめた、輸出拡大に向けた実行戦略を反映。相手国の需要に応じたマーケットイン型の輸出への転換を強調した。各国の需要や規制に対応した「輸出産地」の育成や、生産から輸出までの事業者を束ねた「品目団体」の組織化などを盛り込んだ。
輸出産地については、輸出事業計画の認定を通じ、産地ごとの目標や課題、対策を明確化する。……
2021年04月10日

地域と移住者を橋渡し 各地で協力隊“卒業生”の組織設立
元・地域おこし協力隊員の組織化の動きが、各地で広がっている。地方への移住希望者と受け入れ側とのミスマッチ予防に活躍する。元隊員は、隊員の募集要項の見直しを助言し初の採用に貢献、また経験を生かして移住希望者の不安に寄り添うなどの活動を展開。政府が2024年度までに隊員数を8000人にする目標を掲げる中、“先輩移住者”として隊員の受け入れや定着を後押ししている。(丸草慶人)
「隊員」初採用導く 募集要項の見直しも
総務省によると元隊員らの組織数は、15年度の1団体から、20年度末までに19団体に増えている。隊員数が増える中、身近な相談窓口として同省は19年度、組織化を後押しする事業をスタート。都道府県単位の組織を設ける場合、150万円を上限に助成する。20年度までに10団体を採択。21年度も事業は継続する。
「自治体は隊員にあれもこれも多くを求めがち。隊員はスーパーマンではない」。佐賀県地域おこし協力隊ネットワーク代表の門脇恵さん(35)はこう指摘する。佐賀県で19年11月、元隊員らが同ネットワークを設立した。20年度、4市町の募集要項や活動内容の見直しを手伝った。
門脇さんの助言で神埼市は、活動項目を7から1に絞り込んだ。「イベントの開催と誘致」に限定し、仕事内容をイメージしやすくした。このことで、隊員の募集開始から4年目で初の採用につなげることができた。同市初の隊員となった福岡県出身の吉富友梨奈さん(31)は「移住希望者にとって、活動内容の分かりやすさは重要。サポートが充実していて安心できた」と話す。
悩みに共感心ケア 相談窓口を担当
元隊員は、移住希望者の不安にしっかり寄り添えることも強みだ。19年度の移住者が1909人と過去最高を記録した愛媛県。移住相談窓口を「えひめ暮らしネットワーク」が担う。
ここでは8人の元隊員が松山市の事務所に常駐。移住希望者が現地を視察する場合、ネットワークの元隊員が現地隊員の同行を手配している。
元隊員の組織化によって、隊員や自治体の情報が集まりやすくなった。このことを生かし移住希望者に適した地域や活動内容を助言し、ミスマッチの防止を目指す。不定期で訪れる移住相談にも臨機に対応でき、着実な移住につなげている。代表の板垣義男さん(46)は「希望者の悩みに共感して、視察先のありのままを答えることができる」と胸を張る。
持続可能な地域社会総合研究所・藤山浩所長の話
地方回帰を進める上で、地域おこし協力隊は重要な存在だ。地域実態に合った活性化の戦略を練り上げるには、隊員としての経験と知見が頼りになる。元隊員らが組織化することで、ノウハウを共有して学び合える。地域の意見と移住者のやりたいことを調整して導くことができ、受け皿となることにも期待できる。
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2021年04月09日
省力樹形で事例集 果樹作業負担を軽減 農研機構
農研機構は、果樹の省力樹形の栽培事例集を作成した。国のプロジェクト研究の成果をまとめたもので、開発した自動走行車両や収穫ロボットも盛り込んだ。機械が導入しやすく、作業者の負担が少ない樹形を提案し、高齢化や人手不足への対応を目指す。同機構のホームページで公開している。
対象の品目は温州ミカン、中晩かん、リンゴ、日本梨、西洋梨、ブドウ、柿、オウトウ、桃、栗。……
2021年04月08日

巧みに牛をさばく「技」絶やさず継承 マイスター制度設立 兵庫県食肉卸事業協同組合
和牛の流通を陰で支える「食肉処理技術」の継承に、兵庫県の業界団体が乗りだした。県食肉卸事業協同組合は、枝肉を各部位に切り分けるこの技術で特に優れた“職人”を認定する「兵庫県牛肉マイスター」制度を設立。高齢化などで人材不足が全国的な課題となる中“職人技”を次代につなぐ中核的人材を育てる。組合によると、食肉処理技術者の認定制度を都道府県単位で設けるのは全国で初めて。(北坂公紀)
中核人材の確保・育成へ
牛肉は、大きく分けて3段階で切り分けられる。まず、卸売市場で枝肉に加工。その後、食肉卸などに販売され、食肉処理技術者がヒレやモモなどの各部位に切り分ける。最終的には薄切り肉やブロック肉に加工され、スーパーや飲食店で提供される。
組合によると、県内の食肉処理技術者の数は長らく減少傾向にあり、高齢化も進んでいる。中尾徳弘理事長は「食肉処理技術の継承が危ぶまれた。いくら農家が高品質な牛を育てても、牛肉が食卓に並ばなくなる恐れがあった」と振り返る。
そこで組合は2018年度、県内の食肉処理技術者を対象に同制度を創設した。マイスターを若手の指導に当たる中核的人材に位置付け、業界の技術の底上げにつなげたい考えだ。
認定を受けるには、技術と知識が必要となる。食肉産業に携わる人材を育成する全国食肉学校の実技・筆記試験や県が実施する「神戸ビーフ」「但馬牛」に関する筆記試験に合格する必要がある。
この他、指導方法を学ぶため、同学校の講師を招いた3日間の講習を受ける必要がある。実技指導を交えて枝肉のさばき方をどう教えると分かりやすいのかを学ぶ。
20年度までの3年間で計9人が認定された。今年3月に認定された食肉卸・エスフーズ(西宮市)の高島和也さん(34)は「どう教えたらうまく伝わるのかを学べた。後輩の指導に生かしたい」と意欲的だ。
組合は、マイスターが持つ技術の継承に向けた取り組みも進める。マイスターを講師に招いたセミナーを定期的に開き、県内の食肉処理技術者が“職人技”を学べる機会を設けている。
中尾理事長は「食肉処理技術者は和牛流通を支える“縁の下の力持ち”だ。これからも技術を継承していきたい」と語る。
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2021年04月07日

医師会と介護で連携 専門性生かし福祉強化 広島・JA三次
広島県のJA三次と一般社団法人三次地区医師会は8日、地域の高齢者福祉サービスの充実に向け、介護事業で連携協定を締結した。医療と介護でそれぞれの強みを生かし、人材交流や研修会の開催などで連携する。協定に先立ち5日から、同JAの通所介護施設に同医師会からリハビリテーション専門職を派遣。人材育成とサービス向上に役立てる。
JAと医師会が介護事業で連携するのは全国でも珍しく県内初。……
2021年04月09日
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[未来人材プラス] 大分から熊本に Iターンでタマネギ 初年から1.2ヘクタールで栽培 熊本県芦北町 山下恭平さん(33)
熊本県芦北町の山下恭平さん(33)は、大分県から熊本県にIターンして2018年からタマネギ栽培を始めた。初年から1ヘクタールを超える広い農地を借りて就農を実現。地域を回って農地を探し、地主に頭を下げてかき集めた。「自分で作業を決められる農業は勤め人より楽しい」と話す。
芦北町は妻の春花さん(33)の実家だ。恭平さんは大分県日田市の酪農家出身で、18歳から熊本市の料理店で働き、春花さんと出会った。
22歳、父が農作業中の事故で入院し、恭平さんは大分の実家に戻る。乳用牛を飼いながら、6次産業化を進めてアイスクリームやチーズの加工ができると希望を抱いた。
ところが離農者の牛を引き受けての規模拡大をきっかけに、加工事業は中止になる。恭平さんは経営を兄夫妻に任せ、熊本で独立を決意。「人から雇われるよりも独立したかった」と振り返る。
経営の中心はJAあしきたの特産・サラダタマネギに決めた。露地野菜は、経験も農地もなくゼロからのスタートだ。県の職員からは20アールの小面積から始めることを勧められた。「結婚して子供が2人、所得を増やしたい」と、6倍の120アールから始めることにした。
経営資金を賄うため、日本政策金融公庫の「青年等就農資金」を活用。また農水省の「農業次世代人材投資資金」を受給しながら1年間、研修として現場で働いた。
研修期間中に日当たりなど条件の良い農地を探して地域を回った。JAなどに地主を紹介してもらい、直接頭を下げて借り受けた。水田の裏作に作るときは、腐敗果を一つずつ手で拾うなど、きれいにして返す。
初年は収穫が間に合わないこともあったが、雇用を5~7人に増やして対応した。恭平さんは「作業は、苗の運び方、雑草の防ぎ方など工夫しがいがある」と楽しみを語る。将来は機械化を進めつつ、中晩かんなどに経営を広げるのが夢だ。
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2021年04月08日

[未来人材プラス] 地域・自然と歩む 夢の放牧ライフ実現 富山県高岡市 青沼光さん(34)
次世代育成 見据える
都市近郊型で酪農の価値や役割を伝える青沼光さん(34)。離農予定だった富山県高岡市の牧場を受け継ぎ、家族経営の「clover farm」を立ち上げた。限られた開業資金で自ら牛舎を修繕し、飼養頭数を拡大。人と地域との関わりを大切に、「酪農後継者を育てる仕組みを整えていきたい」と将来を見据える。
広島市出身。農家ではない家庭に育った。「牛を放牧して見ていることで生活できるのか」。そんな偏見から酪農を知ったのは中学生の時だ。
職住隣接、家で過ごす時間を大事にできる、畜主の考え方次第でいかようにも牛が飼える──。テレビに映る放牧風景に憧れ、親元を離れ西条農業高校畜産科に入学。そこからは畜産にどっぷり。理想の牧場経営への思いを強めて新潟大学農学部に進んだ。
長野県の牧場では後継者候補として働いたが、2年で挫折。富山県の牧場に移り4年ほど経験を積んだ。妻の佳奈さん(39)との結婚、子どもの誕生を経て、自分の牧場を持ちたい思いが再燃。第三者継承ができる離農予定の牧場を探していたところ、異業種交流で知り合った県内の米農家の紹介で見つかった。
牧場開設は2015年。青年等就農資金3700万円で資産を買い取り、引き継いだ7頭から始めた。JAを窓口に指定生乳生産者団体にも出荷するようになった。資金は潤沢とは言えなかったが、安価に導入できる廃用牛を活用。もう一度妊娠させたり、肉用に回したりして収益を確保し、3年目には現在の経産牛40頭規模にした。
県内に2カ所ある酪農教育ファーム認定牧場の一つにもなった。培った知識を生かして酪農が地域でどう貢献しているのかを、佳奈さんと伝える。「新規参入した時に苦しいと思ったことを少しでも楽にして、次の世代に渡したい」。酪農振興への強い責任を感じている。
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2021年04月01日

[未来人材] 21歳。大学で農学び担い手めざす決意 直売通して地域と絆 横浜市 唐戸柚香さん
横浜市の大学生の唐戸柚香さん(21)は、自宅敷地内の直売小屋に80種類を超す多様な農産物を並べ、常連客が付くほどの人気を得ている。唐戸家は1ヘクタールでトマトやキュウリ、小松菜を市場に出荷するが、これまで地域との交流は薄かった。直売で自分たちと地域とのつながりが増えただけでなく、客同士での交流も生まれた。唐戸さんは「新鮮な物を食べ、自然に囲まれている生活が好き。自分がこの場所で農業を続けることで、地域にも良い影響を与えたい」と話す。
唐戸さんは、東京農業大学に通う現役大学生。代々続く農家の次女で、農業が身近な環境で育った。「家は長女が継ぐもの」と育てられたため就農するつもりはなかったが「できれば農業や食に関する仕事がしたい」と進学した。
農業実習をする部活にも入った。農や食について学ぶうちに就農への思いが強くなった。「都会の中に残った農地でしか果たせない役割がきっとある」。部活で訪れた、長野県の桃農家の言葉が背中を押した。
姉が農業以外の道に進んだこともあり、就農を決意。家族からは「ここで農業を続けなくてもいい」と反対されたが、熱意を伝え続け、家を継ぐことが決まった。
直売小屋は、新型コロナウイルス禍での需要の高まりを受けて昨年の夏に設置。「毎回常連客が楽しみに来てくれる場所をつくれたことが本当にうれしい」と話す。
大学で学んだ知識を生かして、若手農家から依頼を受けたパンフレット作りなどにも取り組む。
1ヘクタールの畑は柵もなく開かれており、「子どもが街の中で農業や自然を学べる貴重な場所」と胸を張る。しかし柵がないことが裏目となり、ごみを捨てられたこともあるという。
唐戸さんは直売で地域との関係を深めた経験からも「街の中で農業を続けるためには、地域とのつながりや関係性を大事にしていかないと難しいし、やる意味もなくなってしまう」と話す。
卒業後は農業大学校への進学を考えている。経営や技術を学び、農家同士のつながりをつくって就農する。「これからここで育っていく人にも、自然や農業について学べる場所を残していきたい」と意気込みを見せる。
農のひととき
祖父、祖母と一緒に農作業をしていて、午前10時と午後3時のおやつの時間に祖母お手製のあられを食べるのが楽しみ。あられは正月の前につく餅の端を乾燥させたものを、揚げたり焼いたりして作る。
味はしょうゆと塩、たまにカレー味もある。芝生や木の根っこに座って食べている。
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2021年03月28日

[未来人材] 34歳。青年部副委員長 イベントを積極展開 動画作り魅力発信へ 宮城県色麻町 橋本拓未さん
宮城県色麻町の橋本拓未さん(34)は、JA加美よつば青年部色麻支部の副支部長としてさまざまなイベントに参加し、農の魅力を発信している。「消費者に農業をもっと身近に感じてもらいたい。応援してもらえる仲間を増やしたい」と、農業の理解醸成活動に情熱を注ぐ。
学生時代から農業に興味のあった橋本さんは、仲間を増やそうと、21歳で就農すると同時にJA青年部へ加入した。一貫して青年部活動に取り組む中で、28歳の時には副委員長となった。
「自分だけではなく、一人一人がやる気を持ち青年部活動に取り組めるよう、できることをどんどんしていこう」と、活動を活性化。多くのイベントに参加していった。
現在は地元の商工会と共に、祭りへの出展やイルミネーションイベントに協力。小学校での田植え体験やジャンボカボチャ大会といった食農教育体験、県内の青年部員らと合同で仙台市で直売イベントも開くなど、青年部の活躍の場を提供してきた。
新型コロナウイルスの影響でイベント参加が難しくなる中、新たな挑戦も始めた。県青年連盟と動画投稿サイト「ユーチューブ」で、米が水田から食卓まで届けられる様子を投稿することを計画し、撮影は順調に進んでいるという。
青年部活動とともに、農業技術の向上にも力を注いできた。繁殖ではせりに向けて血統や体躯(たいく)にこだわる生産者が多い中、意識しているのは「子牛の胃袋をどれだけ充実できるか」という点だ。せりを経て肥育段階になった時に増体や肉質の良い牛となるよう、粗飼料などの量を調整しながら、食いつきが良く健康な子牛を飼育している。
橋本さんの生産する子牛は他の生産者より一回り小さいこともある。しかし、市場からの評価は高く、好値で取引されている。「肥育農家から『いい牛だったよ』と言ってもらうのが何よりの励み」と笑顔を見せる。
今年からは新たに、宮城県内では珍しい雪下ニンジンの栽培に向けた準備を進めている。「農業は面白いものだということを、もっと多くの人に知ってもらいたい」。農業と地域活動の両立でやりがいを見いだしている。
農のひととき
「和牛繁殖は自分で時間をやりくりしやすいのも魅力」と橋本さん。以前からアウトドア派だったが、最近は狩猟免許を取得。散弾銃を手にキジやマガモなどを狙う。また猟友会の一員として、近年町内で被害が増えているイノシシなど、有害獣の駆除もしている。妻も鉄砲の免許を取得。休日には夫妻でクレー射撃に汗を流す。
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2021年03月21日

[未来人材] 39歳。元地域おこし協力隊員 アスパラガスで新規就農 早く自立し恩返しを 北海道厚沢部町 山本和範さん
北海道厚沢部町の山本和範さん(39)は、地域おこし協力隊員の任期を昨年12月で終え、立茎アスパラガスを柱とした新規就農の道へ踏み出した。就農実現には、農村ならではの人との密接なつながりが力になった。立茎栽培が盛んな同町で、既存の農家や新規就農者の仲間と共に産地の飛躍を目指す。
山本さんは釧路市出身。釧路湖陵高校から弘前大学に進み、農学系の博士号を取得。米国の大学で2年間研究職に就くなどの経歴を持つ。2018年、学生の頃から憧れていた農業の道を目指そうと決意。資金面などから、比較的取り組みやすい施設野菜を念頭に、道内で就農の候補地を探した。
リサーチを進める中、厚沢部町がアスパラガスの立茎栽培が盛んで、就農を前提にした地域おこし協力隊員を募集中であることを知り応募。18年12月に着任した。
翌年から1年間、同町の農家2戸の元に通い、アスパラガス栽培の他、農業のイロハを学んだ。周囲の農家も山本さんの熱意を受け止め、「本当によくしてもらった」と山本さんは振り返る。
20年の春、地域の理解を得て、90アールの農地を使わせてもらえることになり、新設・修繕合わせて5棟のハウスを確保。アスパラガス栽培への第一歩を踏み出した。
5月の苗の定植やハウスのビニール掛けなどの作業時には、これまで世話になった地域の農家らが駆け付け、手伝ってくれた。農作業の応援にとどまらず、1人暮らしの山本さんを見かねて、日常的に米や野菜などを差し入れてくれるという。「縁もゆかりもない自分を親身になって支えてくれる地域の人の厚意が、本当にありがたい」と山本さん。周囲の人との絆を出発点に、地域の人間関係も広がっている。
協力隊の任期を終えた今年はいよいよ一人立ち。3月下旬から始まる念願の初収穫を控え、覚悟は決まっている。周囲の農家がさまざまな面で支えてくれたことに「恩返し」していくことが今後の目標だ。
「やるべきことはやった。経営を早く軌道に乗せ、自立した姿を見せることで地域に報いたい」と決意を語る。
農のひととき
地域で鹿などの食害が大きいことを知り、2年前にわな猟の狩猟免許を取得。昨年秋に、仕掛けたわなで初めて鹿1頭を捕獲した。自らさばいた肉をシチューやジャーキーに加工して食べ、うまさに驚いたという。ジャーキーは知人の子どもたちにも好評で「自衛手段以外に、ジビエとしての価値を知った」。今後も余暇のわな猟で、駆除と食肉利用の一石二鳥を狙うつもりだ。
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2021年03月14日

[未来人材] 23歳。シュンギク周年栽培 10アール収部会平均の2倍 夢だった専作を実現 福岡市 福田篤さん
福岡市のシュンギク農家、福田篤さん(23)は、地域で難しいとされていた周年栽培で「シュンギク一本で食べていく」という夢を実現した。約30人が所属するJA福岡市春菊部会西支部で、最年少ながら部会平均の10アール当たり収量の約2倍を達成。JAも期待する若手農家として、部会を引っ張る。
兼業農家だった祖父を手伝う中で、農業が好きになった。12歳の時に祖父が亡くなったが、会社勤めの両親は農地を継がなかった。「それなら俺が引き継ぐ」と決意。20歳でハウスを継ぎ、小松菜とシュンギクの栽培を始めた。
シュンギクは高温や病害虫に弱いため、近隣では冬場に育てて、夏場は小松菜や水菜を育てる。福田さんもそれに倣って始めたが、経験不足で収量が安定せず、1年目で「やめようと思った」という。
迷いが生じた時、シュンギク農家の浜地和久さん(70)に出会った。周年出荷で部会首位の収量を維持し、休暇も確保してシュンギク一本で稼ぐ浜地さんに、衝撃を受けた。自分もシュンギク一本でやる――。浜地さんに師事しながら誰よりも必死に勉強し、就農2年目にはシュンギクに一本化した。
夏場の収穫は「ひと手間」が大きく左右する。部会では米ぬかを土壌にまいて被覆消毒をするが、一輪車などに載せてまくことが多く、場所によってばらつく。
福田さんはいったん小分けにした米ぬか袋を5メートル間隔に置き、隅々まで均一に散布することで、夏の収穫量を安定させている。かん水の間隔も、根が効率よく吸水する浸透基準を基にする。「忙しいからと手を抜いたり、作業を後回しにしたりすると、夏場は一瞬で駄目になる」という。
周年栽培は徐々に安定し、就農当初の迷いもなくなった。20年には部会の10アール平均収量が3・5トンの中、同6トンを達成した。JA西グリーンセンターの井浦健士郎さんは「部会約50人の中で、夏場に安定出荷をする会員は1割程度だ。技術力が高い」と感嘆する。
近隣農家が諦めた周年出荷を実現したことで「親も見直しているのではないか」と福田さんは誇らしげだ。
農のひととき
福岡のシュンギクは生でサラダがお勧め。妻は市外出身で、初めて生で食べて感動した。昨年生まれた子どもも、離乳食としておいしそうに食べている。
農業は仕事とプライベートの時間を調整できる点が魅力。就農当初は休みを取れなかったが、今は週休2日を確保。家族と過ごす時間を大切にしている。仕事のやる気にもつながる。
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2021年03月07日

[未来人材] 36歳。コンサルから転身 Jターンし夢を実現 雪害負けず規模拡大 岡山県高梁市 津山純平さん
岡山県高梁市の津山純平さん(36)は、13年勤めた大手流通企業を退職し、2020年春にトマト農家として新規就農した。都会でコンビニのコンサルティング業務に携わっていたが、独立への憧れと家族との時間を優先させたいとの思いから、Jターン移住を決断。物を売る側から作る側へと立場を変えた。就農直後には雪害に襲われ、自然の脅威を実感したが、それでも、失敗を恐れず挑戦し続ける。
津山さんは同県倉敷市出身。大学卒業後は、東京都と愛知県で、コンサルティング担当として業務に励んだ。個人事業主を相手に、店舗立ち上げから経営指導、品ぞろえ、従業員の教育まで、関わった店舗数は100以上だ。
激務で休日もなく、35歳を前に将来を考え直した。就職後に引っ越しを6回経験し「好きな仕事だったが、地に足を着けて仕事をしていないような気がした」と津山さん。夢だった独立を決意し、興味があった農業経営を選んだ。
移住先は、互いの実家に行き来しやすいよう、倉敷市と妻の出身地の島根県出雲市との中間地になる高梁市備中町に決めた。19年4月に移住し、採算性が高い夏秋トマトを栽培しようと、ベテラン農家の下で1年間研修した。
20年に、離農した農家のハウス12アールを引き継ぎ、独立。しかし、苗の定植直前の4月中旬、季節外れの大雪で3アール分のハウス4棟が倒壊してしまった。栽培に備え早めに準備していたことが響いた。「農業は自然との闘い」と聞いてはいたが、それを目の当たりにして落ち込んだ。同時に、自分が独立したことを改めて実感した。
無事だったハウス9アールで定植し、7~11月に12トンを出荷。栽培期間はあっという間に過ぎた。研修先の農家や県の農業普及指導センターとの連絡を密にし、疑問はすぐに解決させたことで、満足のいく収量と品質を実現した。
2年目の21年産は、高梁市が運営する営農団地「榮農王国山光園」に入植し、40アールを手掛ける計画だ。規模はかなり広がるが、津山さんに迷いはない。前職時代で培ったスケジュール管理も生かし、経営者として効率・採算性を高めた経営を目指す。
農のひととき
「これまで当たり前だったことが非日常になった」と津山さん。妻と2人で標高500メートル地点に住み、スーパーまで車で30分かかる。移住当初は不便を感じたが、今は、買い物に行くこともイベントになり、楽しんでいる。実家の家族と会う機会も増えた。これまで1年に1回しか会えなかったが、1カ月に1回は会い、交流を深めている。
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2021年02月28日

[未来人材] 37歳。古き良き水ナス探求 10年かけ種“里帰り” 栽培技術の確立挑む 大阪府貝塚市 北野忠清さん
昔の水ナスはもっとおいしかった――。大阪府貝塚市の北野忠清さん(37)は祖父のこの言葉をきっかけに、同市を含む泉州地域の特産「泉州水なす」の原点となる水ナスを探し当て、生産の仕組みづくりに力を注いでいる。約10年かけて新潟県から種の「里帰り」を実現。絶滅したと思われていた水ナスを未来につなごうと、種の固定化や栽培技術の確立に挑む。
「今の水ナスと昔の水ナスは違う」。IT関連会社を退職し、祖父と一緒に「泉州水なす」の栽培に励んでいた2008年ごろ、たびたび祖父が口にしていた。品種改良が進む前は赤紫色の巾着形で、今より皮が薄く甘味が強かったという。
北野さんは「昔の水ナス」を突き止めようと調査を開始。生産者や研究者、学芸員ら50人以上に聞いて回った。自家採種した種も分けてもらい、20種類以上を栽培したが、「泉州水なす」になっていたり、芽が出なかったりと、ことごとく失敗。「本当になくなってしまっているのでは……」と不安が募った。
諦めかけていた16年、新潟で「昔の水ナス」が見つかったとの知らせが舞い込んだ。畑に駆け付けると、色、形、食味、全てが祖父の話に合致した。栽培の難しさから、新潟の生産者もあと1年遅ければ、やめていたかもしれないという。祖父が亡くなってからちょうど1年後だった。祖父が引き合わせてくれたとしか思えなかったという。
最初は種の提供を断られたが、熱い思いが通じ、17年に種の“里帰り”が実現。ぬか漬けにするとパイナップルのような風味になることから「フルーツ水なす」と名付け、栽培しながら採種や選抜を進める。気候で形が変形しやすいなど課題は多いが、「祖父たちが作ってくれたブランドにぶら下がるだけでは駄目。100年後も維持できるブランドをつくりたい」。
「泉州水なす」のブランド強化だけでなく、新規独立就農者の育成や、消費者が生産現場に触れるきっかけづくりにも精を出す。既に研修生7人が独立を果たし、年間約150人の援農ボランティアも受け入れる。「農業に対するハードルが高過ぎる。もっと間口を広げていきたい」。農業の明るい未来が芽吹くよう、今日も“種”を落とす。
農のひととき
収穫した「泉州水なす」は、煮びたしや生のままサラダとして食べるのが一押し。昨年10月からは本格的に「農Tuber(ノウチューバー)」としても活躍する。「情熱!ファーマーズ!」と題したチャンネルで、土づくりなどの生産現場や新規就農希望者へのメッセージなどを配信。他にも、苗の早植え対決や農園スタッフによる「ドッキリ」など、企画立案に頭をひねる毎日だ。
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2021年02月21日

[未来人材] 35歳。脱サラして就農 青壮年部と地域けん引 甘いキャベツに挑戦 東京都日の出町 馬場貴之さん
東京都日の出町の馬場貴之さん(35)は、JAあきがわ青壮年部の部員として、地域の特産を目指して取り組む「高糖度で形や色のよいキャベツ」作りに挑んでいる。地域の高齢化が進む中、30、40代の若手農家で協力して、冬場の育苗のための温床作りをするなど、技術を学び合い、地域の生産力維持・向上に向けた取り組みを進めている。
馬場さんは幼少時から、父の敏明さん(64)に連れられ、畑で遊ぶことが日課だった。大学を卒業後、都内でサラリーマンとして働いていたが「農業は自然と四季を敏感に感じられる魅力がある。就農は常に考えていた」という。
5年前、30歳の時に就農。町内2カ所の計2・2ヘクタールの畑ではキュウリを主力にトマト、ナス、ピーマン、キャベツなど13品目を、敏明さんと年間を通じて栽培する。
JA青壮年部に加わり、若手農家と切磋琢磨(せっさたくま)する中、今年度から「スイーツキャベツ」作りに挑戦している。
「スイーツキャベツ」は都が認証する新しいブランド。都内の農家がキャベツを寒さに当てて栽培し、12月末までの糖度は8・5以上、翌1月以降の糖度は9以上で、形や色味がいいのが条件だ。
馬場さんは「青壮年部として農産物に付加価値を持たせる取り組みは意義がある」と話す。今季は10アールでキャベツ「彩音」で挑戦する。
朝晩に冷え込む畑で寒さに当てるよう努めているが、糖度がなかなか乗らないのが悩みだ。「石灰をまくなど肥料の設計も考え、来季はいいスイーツキャベツを出せるようにしたい」と話す。
最近、都内で独立就農を目指す東京農業アカデミーの研修生を受け入れた。ハウスでのネギの種まきや土づくり、圃場(ほじょう)整備のポイントを敏明さんと教えるなど、就農者の支援にも力を注ぐ。
町内で30、40代の農家は馬場さん含め5人。共に食事をしたり、育苗の温床作りに協力して取り組んだりと、関係強化に努めている。「地域の農家は高齢化し、若手が少ない。直売所の出荷量が減らないように、今後もいろいろな野菜を作っていきたい」と意欲を示す。
農のひととき
農作業の傍ら、畑の一角で金魚を育てるのが楽しみだ。「幼い頃から金魚が大好きで、夜市で買った金魚を大きくしていた」。今では趣味が高じて、町内の直売所に出荷するまでになった。
4人いる子どもたちと過ごす時間も大切だ。畑でダイコンを収穫するなどして無邪気に遊ぶ姿に癒やされている。
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2021年02月14日

[未来人材] 30歳。四季美しい地に移住 宿泊施設経営も目標に 多様な人働ける場へ 山形県長井市 寺嶋崇さん
山形県長井市の寺嶋崇さん(30)は、トマトとワサビ菜を栽培する埼玉県所沢市からの移住者だ。縁故がない土地だったが、自分の考える条件に合致したため移住を決意。体験型宿泊施設の建設と、将来的には障害者も含めた従業員の雇用を目標にする。
寺嶋さんは、大学在学中から大手アパレル販売店でアルバイトとして働き、後に社員に登用された。しかし、激務による体調不良もあり退職。大学への再入学や公務員試験の勉強などさまざまなことを検討したが「やりたいことをやろう」と考えた時、接客をもう一度したいことに気付いた。さらに旅行が好きなことから、宿泊施設の経営を目指した。
まず農業を選んだのは、宿泊施設の経営を始める際に特色を出せると考えたからだ。
移住先を見つけるために東京都内で開かれていた農業人フェアに4、5回通った。移住先は米がおいしく、季節の移ろいを感じられる場所を条件にした。「イベントで一番最初に声を掛けられた所に行こう」と決め、声を掛けてきたのが長井市の担当者だった。同市の新規就農者向けの助成が手厚いことも決め手の一つになった。
寺嶋さんは2017年に移住し、約1年間市内の農家の下で研修を受け、その後就農。現在は地元の空いたハウスを借りてトマトとワサビ菜を15アールずつ栽培する。地元のJA山形おきたまや市場、直売所に出荷している。
短期的には21年度の年商目標を1000万円に設定して、トマトを軸に他の品目の展開を計画。長期的には体験型の宿泊施設の経営を見据えて、宿で使う食材を自ら供給するために規模拡大や多品目化を目指し、法人化も視野に入れる。宿泊施設は「かやぶき屋根で、体験型の昔ながらの古民家風」など、理想は膨らむ。
「雇用」することも目標にする。雇用される人が安心できる環境を整えるだけでなく、自身のように体調を崩した人や障害がある人を雇用したいと考えている。
寺嶋さんは「雇用などを通じて市に還元していきたい」と力を込める。
農のひととき
季節感を感じられる風景を見ることが好きだ。特に5月ごろに見られる飯豊山に雪がかぶっている風景が、一番のお気に入り。
飯豊山は山形と福島、新潟の県境にあり、遠くに見える。首都圏にいる人が、富士山を見た時に抱く感想と似ている。飯豊山は近所の人の田植えを手伝っている時に見ている。風景の美しさに手が止まってしまう。
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2021年02月07日