[あんぐる] 復興の心ともる 棚田ライトアップ(福岡県東峰村)
2020年11月16日

日没後、ライトに照らされ浮かび上がった「竹地区の棚田」の石垣(福岡県東峰村で)
薄暮に青く染まる空の下、何層にも連なる石垣が光り輝く──。
福岡県東峰村の「竹地区の棚田」で、棚田のライトアップイベント「秋あかり2020」が開かれた。豪雨災害からの復興祈願として始まり、例年多くの観光客でにぎわうが、今年は新型コロナウイルス感染拡大防止のため、「密」を避け静かに催した。
午後5時半。日が沈んだ同村で、400年の歴史を持つ棚田が闇の中に浮かび上がった。約300個の発光ダイオード(LED)ライトで照らされた石垣が黄や青、白と淡く色づき、来場者は満天の星の下で散策や撮影を楽しんだ。
この棚田は、標高250~400メートルの中山間地に位置し、面積11ヘクタールの棚田の中に、民家が点在する景観が特徴。田んぼは「400年、400枚」とも称され、1999年には農水省の「日本の棚田百選」に選ばれた。
2017年の九州北部豪雨で地域一帯が被災し、村は土砂や流木被害による壊滅的な被害を受けた。付近の山には崩れた斜面を補修した跡が残る。棚田のライトアップは村の復興を願い、18年から始まった。地元住民らを中心とした一般社団法人「竹棚田」が、企画・運営を担う。代表理事の伊藤英紀さん(68)は「今年は7月に発生した豪雨災害と、コロナに負けないという思いも込めた」と開催の意気込みを話す。
11月8日までのライトアップ中は、田んぼをキャンプ場として開放。同県直方市から家族で訪れた大西良さん(41)は「開放感があり、子どもたちもコロナを気にせず伸び伸び楽しめる」と笑顔を見せる。
地域では高齢化や過疎化が進むが、同法人が古民家を改造した農泊施設やキャンプ場、棚田を見渡せるカフェなど新たな観光施設を次々とオープン。利益を棚田の保全活動に還元し、地域には新たな雇用も生まれた。
伊藤さんは「復興を祈る灯(あか)りは棚田の保全にもつながっている。将来村が『ポツンと一軒家』にならないよう地域を守りたい」と鎌で石垣に生えた草を手際よく刈り取っていた。(釜江紗英)
「あんぐる」の写真(全5枚)は日本農業新聞の紙面とデータベースでご覧になれます
福岡県東峰村の「竹地区の棚田」で、棚田のライトアップイベント「秋あかり2020」が開かれた。豪雨災害からの復興祈願として始まり、例年多くの観光客でにぎわうが、今年は新型コロナウイルス感染拡大防止のため、「密」を避け静かに催した。
午後5時半。日が沈んだ同村で、400年の歴史を持つ棚田が闇の中に浮かび上がった。約300個の発光ダイオード(LED)ライトで照らされた石垣が黄や青、白と淡く色づき、来場者は満天の星の下で散策や撮影を楽しんだ。
この棚田は、標高250~400メートルの中山間地に位置し、面積11ヘクタールの棚田の中に、民家が点在する景観が特徴。田んぼは「400年、400枚」とも称され、1999年には農水省の「日本の棚田百選」に選ばれた。

棚田でキャンプを楽しむ家族
11月8日までのライトアップ中は、田んぼをキャンプ場として開放。同県直方市から家族で訪れた大西良さん(41)は「開放感があり、子どもたちもコロナを気にせず伸び伸び楽しめる」と笑顔を見せる。
地域では高齢化や過疎化が進むが、同法人が古民家を改造した農泊施設やキャンプ場、棚田を見渡せるカフェなど新たな観光施設を次々とオープン。利益を棚田の保全活動に還元し、地域には新たな雇用も生まれた。
伊藤さんは「復興を祈る灯(あか)りは棚田の保全にもつながっている。将来村が『ポツンと一軒家』にならないよう地域を守りたい」と鎌で石垣に生えた草を手際よく刈り取っていた。(釜江紗英)
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非接触 イチゴ鮮度そのまま 個別容器に注目 宇都宮大発ベンチャー
イチゴを直接触らずに収穫から消費者の手元まで届けられる容器「フレシェル」が、大粒で完熟のイチゴでも傷まずに流通できると注目を集めている。宇都宮大学発のベンチャー企業、アイ・イートが開発した。追熟しないイチゴを、完熟まで甘さを最大限引き出して出荷できる。
同社によると、ドーム型のデザインが高級感を演出し、東京都内の百貨店では1粒1500円以上で販売できた。ドームは直径が73ミリ、高さが100ミリで、50~70グラムの果実が入る。県が育成した「栃木i27号(スカイベリー)」などの大粒な品種に対応する。
収穫の際、茎を長めに持ってイチゴをもぎ取り、茎を持ったままへたの外側にスポンジ製の土台を差し入れる。さらに透明のドーム状のふたを付けると、果実がどこにも接触していない状態で出荷・流通ができる。
容器内には香りも閉じ込められ、開けた時に香りが広がると好評だ。
日持ち効果も確認した。同社によると、10日以上は傷まず、保存に適した環境下では最大1カ月ほど品質を維持したという。大粒で完熟したイチゴは傷みやすく、主に産地近郊でしか味わえないが、日本各地や海外へも届けられる。2021年からタイへ出荷し、現地で好評だったという。
容器は、イチゴの自動収穫機で利用するために開発がスタート。同社は自動収穫機の作業スピードの向上なども併せて研究を進めていく。
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2021年04月22日
JA准組合員 意思反映実践広げよう
准組合員の意思反映や運営参画に取り組むJAが増えてきた。訪問活動や懇談会の開催、モニター制度の導入、支店運営委員会への参加など、JAの実情に合わせて具体的手法は多様である。2021年度が「実践の年」となるよう、全てのJAに広げたい。
農水省によると、全国の准組合員は624万人(2018事業年度)で全体の6割を占める。正組合員と共に准組合員についても、JAの事業や活動への積極的な参加意識の確立・強化が課題だ。
そこでJAグループは19年の第28回JA全国大会で、准組合員の意思反映などの強化を決議。20年には、各JAで同年度中に方針・要領を策定し、21年度から実践することを決めた。JA全中の調査では、方針・要領を策定したJAは、19年4月は全JAの1割だったが、21年2月までに5割近くに増えた。意思反映などの具体的手法を定め、実践しているJAもある。
滋賀県のJAこうかが19年に始めたのが、准組合員懇談会「パートナーミーティング」だ。毎年約30人を募集。JA事業の講義や施設見学、意見交換などを6回実施。意見は事業計画などに反映させる。例えば、金融事業について「JA支所の窓口が閉まる午後3時以降も相談したい」との要望に対し、午後3時以降も相談できる窓口を本店に設置することを3カ年計画に盛り込んだ。
また大阪府のJA北河内は17年度から「准組合員モニター」を設けている。毎年30人ほどを募集し、JAで扱う米の食味や参加したい活動などについて意見を募る。対応状況は広報誌で報告する。
各地の事例を参考に全国のJAで、それぞれの実情に合った取り組みを始めたい。
JAグループは、准組合員を「地域農業振興の応援団」と位置付け、直売所利用などによる「食べて応援」と、援農ボランティアなどによる「作って応援」を促進。正・准組合員が協同で、JA自己改革の目標である「農業者の所得増大」「農業生産の拡大」「地域の活性化」の実現を目指す。准組合員の意思反映などを通じ、参加意識を強化していくことが求められる。
農協改革を含む規制改革推進会議の答申を受けて政府は20年7月、規制改革実施計画を決定。准組合員の経営への意思反映の方策を21年4月をめどに検討するとした。改正農協法に基づく事業利用規制の在り方も検討中だ。
これを受けて農水省は、優良事例を参考に各JAで事業運営に反映する仕組みを構築するとの検討方向を示した。
JAグループでは既に、各JAで意思反映の具体的手法を検討し、方針・要領に定める取り組みが進む。着実に実践することが重要だ。
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2021年04月21日

米在庫 余剰感強まる 業務需要低迷 21年産契約に影響
消費不振で米の民間在庫量が高止まりし、余剰感が強まっている。特に新型コロナウイルスの影響が大きい業務用銘柄を抱える産地を中心に、月を追うごとに在庫状況が悪化。卸は米の先安観から仕入れを必要最小限にとどめており、21年産の契約にも影響が出始めている。
農水省によると2月末の民間在庫量は……
2021年04月18日
集落消滅の危機 国土と命守る政策急務
医療など生活に必要なサービスが弱っている中山間地域などで集落が消えている。山村の衰退は、山林や農地の防災・減災機能を低下させ、人の命にも関わる問題だ。過疎集落の維持・活性化に向けて確実に成果が上がる対策を急ぎ講じなければならない。
総務省が2019年に行った調査によると、過疎地域の集落数は6万3237で、6割が中山間地域にある。1集落の人口は平均158・4人で、15年の前回調査から10・8人減った。住民の半数以上が65歳以上という集落は32・2%を占め、同10ポイント以上高まった。また、前回調査から139の集落が消滅(無人化)。市町村が、今後消滅する可能性があると判断している集落は3000を超える。
中山間地域の集落で人が減ったり、住まなくなったりして山林や農地が適正に保全されなくなると、持続可能で均衡ある国土づくりや食料自給率向上の妨げになる。そればかりか防災・減災機能も損なわれる。毎年のように豪雨災害が発生し、被害も甚大になっている。下流域に被害が及べば都市住民の安全にも大きく関わる。過疎集落の維持は国民全体の課題だ。
集落消滅の原因の多くは、仕事と、暮らしに欠かせないサービスの低下だ。職場や買い物、医療などを受けられる場所が近くになくなり、遠くになるほど生活に不便をきたし、消滅の可能性が高まる。
組合員や地域住民の暮らしを支えるため、地方ではJAが移動購買車や移動金融店舗車を運行し、介護事業所の運営、訪問介護、健康教室といった活動を展開。JA女性部なども高齢者支援や子ども食堂で地域を支える。だが自己負担やボランティア頼みが多く、自助や共助には限界もある。公助を強めるべきだ。
島根県安来市の広瀬町比田地区は今春、県と市の支援を受けて地区全域でデマンド交通を始めた。同交通は、公共交通機関がない地域での予約制による住民の交通手段である。同地区は、市内中心地から約35キロ離れ、約400世帯、1000人が生活。高齢者や支援が必要な住民に、自宅から市広域生活バスの停留所や小売店への送迎を行う。
集落維持には新たな住民の呼び込みと仕事の確保が欠かせず、農業の役割は大きい。同県は、相談・研修・移住・就農の各段階で就農希望者を総合的に支援する「就農パッケージ」を用意。品目、地区ごとにビジョンを描きやすくし、就農・移住を促進する。
日本は人口減少の時代に入った。全国の先進的なモデルとしても、過疎集落で持続可能な社会・経済の仕組みづくりが急がれる。過疎地域の振興に政府は長年取り組んできたが、施策の実効性をさらに高めることが求められる。
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2021年04月22日

脚立転落事故防げ レバー式開き止め 操作簡単、後付け可 農研機構
農研機構は、果樹などで使う脚立の転落事故を防ぐため、開き止め装置を考案した。指先のレバー操作により従来の半分以下の時間で、開き止めの解除とセットができる。既存の脚立に後付けできる点も特徴だ。試作品を使って改善しながら商品化を目指す。
脚立は果樹園で広く利用されているが、落下などの事故が多発している。農家の場合、はさみを持って上ることが多いので、転落すると重大事故につながることがある。
農研機構・革新工学研究センター(現・農業機械研究部門)は、誤った脚立の使用が事故につながっている可能性があるとして、リンゴ、ミカン、柿の農家で使用実態を調査。誤使用をしている作業者は95%に上った。
特に、開き止めを緩んだ状態で使っていた例は68%。使っていない人も14%いた。
果樹園では脚立を移動のたびに地形に合わせた後支柱の角度の調節が必要。開き止めのチェーンをぴんと張った状態に掛け替えるのに手間がかかることが誤使用の原因と捉え、チェーンに代わる開き止め装置を考えた。
装置は、三脚型脚立のはしご側の頂上部分と後支柱をL字形に結ぶ構造。連結部に入れたラチェット機構で後支柱の自由な開閉と開き止め機能を両立させた。ラチェットは歯車と歯止めの爪を組み合わせ、片方にだけ回転させる機構。逆に回すときは爪を外す。
実際に10人に使ってもらったところ、開き止めの調節にかかる時間は、チェーン式を56%短縮できた。「開き具合の調節が面倒でない」「こつが分かれば使いやすい」などの評価が聞かれた。開発チームでは使い勝手を試しながら、軽量化や耐久性の改善をしていく。
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2021年04月19日
あんぐるの新着記事

[あんぐる] 心華やぐ幻想空間 「梨灯り」(奈良県五條市)
梨の古い産地である奈良県の大阿太高原で、満開になった梨の花をライトアップするイベント「梨灯(あか)り」が1日から17日にかけて五條市の農園で開かれた。園地は、まるで万華鏡のように彩られ、来場者は写真撮影や散策を楽しんだ。
イベントは、大淀町の梨農家などでつくるボランティア団体「梨の花プロジェクト委員会」が主催した。会場の梨園は同会のメンバーが荒廃した1ヘクタールを、募金を募って共同で購入したものだ。花が見やすいよう梨棚を撤去するなど、花の観賞に特化し、「梨の花農園 RIKAEN」として再生した。夜でも花を満喫してもらおうと、2017年からライトアップを続けている。
今年は、会期中の11日に、花に囲まれた「梨の花ウエディング」を催し、2組の夫妻が花言葉の「和やかな愛情」を誓った。
開放された梨畑で写真撮影や散策を楽しむ家族連れの姿が目立った
大淀町を中心に広がる大阿太高原は、明治時代から続く近畿地方で最大級の梨の産地。しかし、高齢化や担い手不足で、100戸以上あった農家は、約45戸まで半減した。同地の春の風物詩だった一面に白い花が広がる光景も、“隙間”が目立つようになった。
桜の名所である吉野町のように大淀町を梨の花で盛り上げようと、14年から梨の花を軸とした地域おこし活動に取り組んでいる。
同園は花の見頃が終わっても、ワークショップや音楽会、バーベキューなど、通年でイベントを積極的に開催。18年には梨スイーツを提供するカフェ「あだむる」を園内に開き、地域の交流拠点にもなっている。
同会代表で同町の梨農家の中元悦子さん(70)は「日本で伝統的に好まれる桜や梅、桃の花と同じように、梨の花を愛(め)でる文化を根付かせることが夢。町中を白い花でいっぱいにする」と笑顔を見せる。(釜江紗英)
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2021年04月19日

[あんぐる] 夢は尽きぬ 牛乳、世界へ 「酪農家4代目」聖火リレーを走る(福島県葛尾村)
点火されたトーチを掲げた少年は、阿武隈高地山間にある小学校の校庭を踏みしめるように走りだした。新型コロナウイルスの感染拡大に伴い、1年間延期された東京五輪。国が「復興五輪」と位置付けた「平和の祭典」の聖火リレーが3月25日、福島県の「Jヴィレッジ」から始まった。葛尾村で行われた初日7区間で第3走者に選ばれた高校1年生の佐久間亮次さん(16)は、笑顔でゆっくりと1周し、大役を果たした。
葛尾村に丘を切り開いた約4ヘクタールの牧場が広がる。現在、子牛を含めた約180頭を育てる佐久間牧場だ。経営するのは亮次さんの父で45年続く3代目の哲次さん(45)。2009年から2年連続で生乳出荷量が県JAグループ1位になったこともある。だが11年3月、順調な経営を東日本大震災と東京電力福島第1原子力発電所事故が襲った。
事故直後、全村に避難指示が発令。断腸の思いで牛を残す決断をした緊急避難と、それに続く避難生活。哲次さんは「牛を守るために」単身県内にとどまり、群馬県に逃れた家族とは1年間離れ離れに。牛たちに十分な餌や水が与えられず、力尽きていく姿をなすすべなく見届けたこともあった。さらに国の提示に従って95頭の牛を食肉処分し、残った25頭は北海道の牧場へ。「空っぽの牛舎に立ち尽くし『経済動物だから』と自分に言い訳するしかなかった」
そんな哲次さんの気持ちを支えたのが長男・亮次さんの存在だ。
牛舎の床を整える作業を手伝う亮次さん。牛舎は幼い頃からの遊び場だった
「ゆめ らくのうかになってやる」。亮次さんが小学5年の時、書道の授業で書いた将来の夢。半紙5枚に分けて記され、その写真を冷蔵庫に張っていた。「息子が酪農家を目指すなら、牧場を守るのが俺の使命」と、書を思い出して奮い立った。
16年6月、村の避難指示が一部を除き解除されると、牛舎を建て直し、その2年後、村内の小中学校再開に合わせて一家6人で帰村。同年秋、8頭の乳牛から牧場を再始動。生乳から放射性物質が検出されないことを何度も検査し、19年1月から出荷を再開した。
亮次さんは昨年4月、本格的に酪農家を目指すため、鏡石町の県立岩瀬農業高校生物生産科へと進学した。寮生活だが、週末に帰宅すると、朝5時起きで牛の世話をする。
「葛尾村を支えるのは農業だと思う。いつか世界中の人たちに僕が育てた牛の牛乳を飲んでほしい」。傍らで哲次さんが目を細めた。(仙波理)
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2021年04月05日

[あんぐる] 家飲み思わず「もう一杯」 日本酒を楽しむ新アイデア
外食自粛の動きが長期化し、苦境に立つ日本酒業界。そんな中、在宅時間に着目したユニークなアイデアや取り組みで、新型コロナウイルス禍に立ち向かう酒造会社や企業が増えている。
物語
心温まる小説と音楽で家飲みを楽しんで──。
滋賀県湖南市の竹内酒造は、ラベルに小説を連載する日本酒「君が生まれて何日目」の販売を始めた。夫婦と子どもの成長の物語を描き、ほろ酔いでも楽しく読めるよう1話600字程度。ラベルの2次元コード(QRコード)を読み取ると、小説の世界観にぴったりのBGMが流れ出す。
月1本のペースで発売し、物語に連動して日本酒の味も変える予定だ。使用する酒造好適米は「玉栄」など、県産にこだわる。全30話が家に届く「定期購読コース」も用意する。
同社専務の松本太三さん(63)は、「子育て世代は物語と境遇が重なり感動するはず」と笑顔を見せる。
乾杯
黄金井酒造で開かれたオンライン酒蔵見学。利き酒セットで参加者と乾杯した(神奈川県厚木市で)
神奈川県厚木市の黄金井酒造では、ウェブ会議システム「Zoom(ズーム)」を活用したオンラインでの酒蔵見学を開いた。
同酒造の専務、黄金井陽介さん(41)が明治時代からの蔵などを案内した後、事前に参加者の自宅に届けていた「盛升」の利き酒セットで乾杯した。
神奈川県酒造組合と、旅行やイベントを手掛ける「小田急まなたび」が共催し、同組合に加盟する県内全13の酒蔵で順次オンラインイベントの開催を予定している。
応援
コロナ禍で苦境に立つ地元の酒米農家を応援しようと、埼玉県行田市のクレーンゲーム専門店「エブリデイ行田店」が、同県加須市産の酒造好適米「五百万石」が景品の「酒米キャッチャー」を設置した。
1袋2合のお手頃なサイズ感が人気で、若い男性が自炊用に挑戦することが多いという。4月ごろまでの設置を予定している。
和牛
神戸市の酒造会社安福又四郎商店は、和牛料理にマッチする日本酒「牛と鉄板」を売り出している。霜降りの肉ステーキなどにぴったりな「STEAK」と、焼き肉など味の濃い料理に合う「YAKINIKU」の2種類。JA全農兵庫直営レストラン「神戸プレジール」でも提供される。同社の安福愛さん(41)は「牛肉には赤ワインというイメージがきっと変わる。和牛と合わせて、ぜいたくなおうちディナーを楽しんで」と笑顔を見せる。(釜江紗英)
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2021年03月29日

[あんぐる] どこかに君の姿を 東日本大震災10年(福島県大熊町)
「ずっと汐凪(ゆうな)が呼んでいるような気がするんだよね……」。東日本大震災と東京電力福島第1原子力発電所事故から10年、ずっと娘の姿を捜し続ける男性がいる。木村紀夫さん(55)。第1原発から約4キロ南にあった福島県大熊町の自宅が津波に襲われ、父と妻、当時7歳の次女を失った。以来、木村さんは「(震災とは)毎日付き合っているようなもの」と話す。
2011年3月11日午後2時46分。木村さんは隣接する富岡町にある勤め先の養豚場で激しい揺れに襲われた。家族の姿が頭に浮かんだが、自宅に戻れたのはその日の夕方。津波で破壊された一帯で夜通し3人を捜したが、翌日には第1原発が水素爆発。全町に避難指示が発令され、家族の安否が不明のまま、住み慣れた町から引き離された。
放射線量が高く、今も帰還困難区域が大半の大熊町によると、12人が津波の犠牲に。父と妻の遺体は震災の年に見つかったが、汐凪さんだけが見つからなかった。木村さんは避難先の長野県白馬村から車で片道400キロ以上の距離を毎週のように通い、捜索を続けた。
木村さんが捜し出した汐凪さんの衣類や持ち物。帰還困難区域内の知人宅に預けているのは「汐凪が大好きな町から、よそに運び出す気持ちになれないから」
状況が動いたのは16年12月。自宅から数百メートル離れた海岸近くで、汐凪さんのマフラーが発見され、近くから小さな骨が見つかった。鑑定の結果、汐凪さんの顎と首の一部と判明。だが、それ以上は不明のままだ。
寂しがり屋だったという汐凪さん。木村さんは「体が見つからないのは、私への伝言だと思うんです。全てが見つかったら、もう誰も来なくなると思っているんでしょう。『私を捜して』『会いに来て』って……」。
木村さんの自宅や所有する農地は、放射性物質による汚染土などを集積する中間貯蔵施設の建設予定地に含まれる。だが「できれば公園などにして、訪れた人がここで何があったのかを感じられる場所に」と願う。
2年前、長女の進学を機に大熊町から南約50キロのいわき市に転居した。これをきっかけに今、震災を伝える活動に力を入れている。最近は自宅跡から各地を回線で結ぶリモート授業も始めた。この10年は「日々の積み重ねにすぎませんね。震災は永遠に終わらない」と語気を強めた。(仙波理)
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2021年03月08日

[あんぐる] 湯にもまれ“一人前”に 「大和当帰」加工(奈良県明日香村)
漢方薬に使われる薬用作物「大和当帰(トウキ)」の生産が盛んな奈良県では、トウキを薬に加工するための伝統的な「湯もみ」作業が、真冬の風物詩となっている。約2年間育てたトウキを3カ月ほど乾燥させて湯に浸し、一つ一つ丁寧にもむこの作業は、漢方薬の品質を決める“要”の工程だ。
台の上で転がしながら手でもんで形を整える。加工場には湯気が充満した(奈良県下市町で)
トウキはセリ科の多年草。根は血の循環を活性化し、冷え性や更年期障害などに効果があるとされ、主に婦人薬の原料として利用される。収穫したトウキを薬に加工するために欠かせないのが、「湯もみ」と呼ばれる加工作業だ。
2月下旬の朝、キトラ古墳で有名な明日香村阿部山の集落営農組織「えいのうキトラ」のメンバー10人が生薬卸「前忠」(下市町)の一角にある加工場に集まった。大釜で沸かした約60度の湯をおけに張り、乾燥させたトウキを2分ほど浸すと、加工場内にはセロリのような香りが立ち込めた。特製の湯もみ機にも湯を張り、ローラーで1分優しくもみ洗う。台の上で手のひらを使って転がしながら馬のしっぽのような形に整え、さらに水で何度も洗って付着した泥を丁寧に落とした。県の果樹薬草研究センター指導研究員の米田健一さん(44)は、「湯もみはトウキの味や色、薬効などに影響を与える。品質を高めるための重要な工程だ」と力を込める。
大和当帰は17世紀中ごろからこの地域で薬草として盛んに栽培され、品質の高さで知られる。同地域では県、前忠、えいのうキトラが一体となって栽培と改良を続けてきた。
今季は8アールで栽培し、天候不順の影響で例年より少ない1000本ほどを収穫した。湯もみが終わると明日香村のハウス内の干し場にはさ掛けした。4月末ごろまで乾かした後、等級別に分け、前忠が加工して出荷する。薬の他にも美容液、ハンドクリーム、葉は入浴剤などにも使われ、外国人観光客からも人気を集めている。えいのうキトラ会長の山本雅義さん(73)は「メンバー一丸となっての大和当帰栽培は、地域活性化につながっている。集落を代表する作物として規模を拡大したい」と笑顔を見せる。(釜江紗英)
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2021年03月01日

[あんぐる] 今こそ冬の手仕事 豊穣祈る北欧の装飾「ヒンメリ」(山梨県北杜市)
長い冬が続く北欧フィンランドに伝わる、室内で光をめでる麦わらの装飾「ヒンメリ」が、近年日本でも注目を集めている。農閑期にヒンメリ作家として活動する山梨県北杜市の農家、佐藤享子さん(49)は、新型コロナウイルス禍でのおうち時間を楽しめるツールとして魅力を発信している。
ヒンメリという名前は、「天」を意味する単語に由来する。冬に夜が長いフィンランドでは、昔から冬至を「太陽が生まれる日」とし、麦わらでヒンメリを作って冬至から夏まで食卓の上につるして豊穣(ほうじょう)を祈った。
光が当たるとキラキラと反射し、室内に幾何学模様の影を描くヒンメリは、「麦わらのシャンデリア」とも呼ばれる。
12本の麦わらを組み合わせた正八面体が基本の形で、麦わらと糸さえあれば誰でも手軽に作れるのが特徴だ。近年日本でも子どもの知育教材やクリスマスの装飾として人気が高まっている。
ヒンメリ作家として活動する佐藤さん。古民家を改装した自宅のアトリエには、たくさんの作品が飾られている
佐藤さんは2010年に神奈川県から家族で移住し新規就農した。耕作放棄地だった棚田など約70アールを再生し、夏野菜を栽培している。16年に始めた小麦の出来が良く、麦わらを余すところなく使う方法を探し、ヒンメリと出合った。現在は棚田の約1アールで小麦を育て、わらを傷めないよう収穫などは手作業にこだわる。
麦わらは乾燥後に表皮をむき、節ごとにカット。脱色などせず、自然な風合いを生かして制作している。この麦わらの穴に糸を通して結び、立体に仕上げる。
以前は地元のマルシェなどでヒンメリのワークショップを開いていたが、新型コロナの感染拡大で全て中止に。インターネット上に活動の場を移し、動画での制作指導や、必要な材料をそろえた制作キットの販売を通じて魅力を全国に発信している。
佐藤さんは「フィンランドでは長く厳しい冬を楽しく過ごすために作られるヒンメリ。コロナ禍でおうち時間が増えた今こそぴったり」と話している。(釜江紗英)
動画が正しい表示でご覧になれない場合は下記をクリックしてください。
https://www.youtube.com/watch?v=fm3X3Gy242U
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2021年02月08日

[あんぐる] 農業もPRも任せろ 「農業男子×総選挙」3人の広報大使
「東京の農業は、オレに任せろ!」。JA東京グループは昨年10月から約2カ月にわたって、地元農業の魅力を伝える広報大使の募集企画「農業男子×総選挙」を実施、次世代を担う農業者14人から3人を年末に選出した。旬な発想は各種媒体を通じて全国に拡散。主催者側は「うれしい悲鳴」を上げる一方、これを好機として一般の人たちに東京の農業への関心を深めてもらいたいと期待を込める。
試合直前、バスケットコート中央に立つ農業男子の3人。鳴りやまない拍手が会場を包んだ(東京都立川市で)
昨年暮れ、東京都立川市。男子プロバスケットボールBリーグ公式戦のコート中央に岡田啓太さん(33)、金子倫康さん(36)、高橋徹さん(35)の姿があった。投票数13万8052票から選ばれた農業男子の初披露は、試合前に行われた撮影会や農産物無料配布なども奏功し、新型コロナウイルス対策で声援自粛が求められる中、満場の拍手が熱気となって会場を包んだ。
1位の岡田さんは農家出身の妻との結婚を機に2018年夏、会社員から転じた。「投票をきっかけに東京で農業を頑張る若手を知ってもらいたい」。元日本代表の現役アメリカンフットボール選手。ベンチプレス165キロを上げた体は、義父の源治さん(72)が例えて「農機具1台分」。大玉のキャベツもハクサイも片手でわしづかみだ。
企画したJA東京中央会の大島誠明広報課長は「東京には農地がない、後継者がいないといった印象を覆したかった」と語る。
農水省によると、東京都は耕地面積が全国最小の約6800ヘクタール(18年現在)で、46位の大阪府と比べてもその半分程度。戸数も10年からの5年間で1877戸減少し、1万1222戸に。もともと就業人口が道府県と比べて少ないだけに深刻な数字だ。
だが、大島さんは「視点を変えれば、都市農業は産地から顧客に届く距離が近い利点がある」と説明する。生産者の目が行き届く範囲の土地で作られた安全・安心に加え、鮮度も「売り」の一つ。東京農業の「顔」を決めるのが今回の試みだ。
コロナ下の今、農業男子は新聞やテレビ、ラジオなどへの出演を通して広報大使を務める。だが、何より収束に向かい、大勢の人たちと直接触れ合う日が訪れることを心待ちにしている。(仙波理)
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2021年02月01日

[あんぐる] 売り切れ御免秘伝の甘味 日本最北限のサトウキビ畑と「よこすかしろ」(静岡県掛川市)
日本最北限のサトウキビ栽培地とされる静岡県掛川市南部(旧大須賀町横須賀)で、地砂糖「よこすかしろ(横須賀白)」の製糖が続いている。11月下旬から2月までしか作られない希少品で、起源は江戸時代にさかのぼる。戦後になって衰退するが、「伝統産業をもう一度」と願う有志らが1989年に復活させ、今では毎年20トンの製造が見込めるようになった。
風力発電施設を臨む畑で刈り取られるサトウキビ。風が強い一帯で2メートルほどにまで育つため、農地の防風にも利用されていたという
よこすかしろは、高級砂糖「和三盆」の原料にもなる白下糖(しろしたとう)。横須賀藩の武士が18世紀末に身分を隠して四国へ渡り、秘伝とされていた製糖技術を習得するとともに、サトウキビの苗を持ち帰って広めたと伝えられる。以来、産業として地元に根差すが、1950年代半ばになると、安価な輸入砂糖に押され、庭先に残されたわずかなサトウキビが、各家庭で消費されるほどになってしまった。
有志たちはまず、地域に残ったわずかなサトウキビから苗を育てて7アールの畑に作付けし、辛うじて製法を知る高齢者から技術を学んだ。年々耕作地を拡張し、今では作付けを40アールにまで広げ、2013年には製法を伝承するための「よこすかしろ保存会」を発足させた。19年からは大須賀物産センター「サンサンファーム」の一角で製糖を続ける。
200グラム800円。サトウキビから取れる砂糖は約8%のため、10キロから800グラム程度しか取れない。しかも、よこすかしろの製糖は全て手作業のため、1回4時間をかけて作れるのは25キロ未満。だが、保存会の松本幹次さん(68)は「収益性を上げるより、地域の文化を後世に残すことこそが目的」と話す。
コーヒーや紅茶に入れても、煮物や菓子に使っても上質な甘さが好評だが、そのまま口に入れるのが一番のお勧め。試食すると、甘さの中にほんのりとした塩味や独特の風味が感じられ、素材の味が広がる。よこすかしろと、それを使った製品は「売り切れ御免」。サンサンファームの他、市内の道の駅や老舗菓子店でも販売される。(仙波理)
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2021年01月18日

[あんぐる] 今年の顔です 嶺岡牧の白牛(千葉県南房総市)
今年は丑(うし)年。千葉県南房総市は、日本酪農発祥の地として知られる。同地にある県の酪農の歴史を伝える施設「酪農のさと」では、国内で初めて乳製品の加工を目的に飼育されたと伝わるゼブー種の牛「白牛(はくぎゅう)」がのんびりと過ごしている。
白牛は、白い毛と長く垂れた耳の愛らしい見た目。暑さに強く、あごの下の胸垂のたるみや、背中のこぶといった特徴がある。海外では乳肉兼用の牛で、ホルスタインのような大きな乳房はない。
江戸時代の1728年に、将軍の徳川吉宗がインド産の白牛3頭を輸入。軍馬を育成していた同地の「嶺岡牧」で飼い、とれた乳を砂糖と煮詰め薬用の乳製品「白牛酪」を作ったことが記されている文献が残る。その後、白牛は70頭まで増加し、乳製品が献上品から庶民への販売品になった記録もある。しかし、明治期に発生した牛疫で同地から白牛は姿を消した。
施設には乳牛や地域の酪農の歴史を学べる資料館がある
嶺岡牧はその後も、牛の改良や繁殖を研究する場として牛が飼われ続け、現在の酪農の基盤をつくった。県は同地を「日本酪農発祥地」として1963年に史跡に指定。現在も「酪農のさと」の隣に、約30ヘクタールの放牧地と県の嶺岡乳牛研究所があり、乳牛受精卵の供給や放牧技術の研究を進めている。
「酪農のさと」では、95年のオープン以降、同地のシンボルである白牛を国内で唯一、継続的に飼育。現在は、雌3頭が飼われ、そのうち2歳の2頭は、2019年にオーストラリアから導入した“新人”だ。3頭とも性格は穏やかで、日中は屋外で日なたぼっこをしたり、干し草を食べたりして、過ごしている。
同施設の押本敏治所長は「今は冬毛でグレーになっているのが見どころ。インドでは神の使いといわれ、縁起が良い牛です」と話す。(染谷臨太郎)
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2021年01月11日

[あんぐる] お給料は The草 七面鳥農法(熊本県水俣市)
熊本県水俣市の果樹農園「Mr.Orange(ミスターオレンジ)」では、一風変わった“従業員”が働いている。海外ではクリスマスのごちそうとして親しまれる七面鳥だ。同園で農地を自由に歩き回り、雑草や害虫を食べるので、除草剤の散布が不要。「七面鳥農法」と名付け、人にも環境にも優しい循環型農業を実践する。
八代海を望む広さ1棟3アールのビニールハウスに、甲高い「ケロケロケロ」という独特な鳴き声が響く。レモンがたわわに実った木の下を、七面鳥がマイペースに歩き回る。
「雑草食べ放題がお給料」と笑顔を見せるのは代表の安田昌一さん(65)。現在レモンと「不知火」の2品目で七面鳥農法を実践。雄3羽、雌6羽をハウス3棟で放し飼いにする。
レモンの成長を確認する安田さん
安田さんは20年ほど前、農薬を散布した後に体調が悪くなったことをきっかけに「消費者にも生産者にも体に良い作物を作ろう」と、減農薬栽培を決心。アイガモ農法を参考に、鹿児島県の養鶏農家から七面鳥を仕入れた。
「七面鳥は性格が臆病で常に歩き回っているので、雑草の発生を抑えられる」とメリットを話す。導入前は月2回行っていた草刈りが、年に2回だけと大幅に減少。ふんは栄養豊富な土壌づくりに役立つ。七面鳥は年に3回ハウス内で自然に産卵。回収してふ化器でかえした後、約半年ほどハウスを仕切った一角で育ててからハウスに放す。寿命は8年ほどで食用には出荷しない。
安田さんは環境と健康に配慮する生産者を登録する同市の制度「環境マイスター」の認定者。園内の16種の果実はほぼ無農薬で、年30トンをインターネットなどで販売している。フルーツソースやジュースなどの加工品も健康志向の消費者に人気が高い。安田さんは「もっと七面鳥農法の規模を拡大して循環型農業を知ってもらいたい」と展望を語る。(釜江紗英)
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2020年12月21日