[未来人材] 31歳。双子で養豚農場 力合わせブランド化 経営改善販売伸ばす 長野県上田市 小川哲生さん 木島源太さん
2020年11月29日

青年部の仲間や地域への感謝を胸に養豚に打ち込む小川さん(右)と木島さん(長野県上田市で)
長野県上田市の養豚農場「タローファーム」に、力を合わせて経営する双子の兄弟がいる。生産担当の兄、小川哲生さん(31)と、営業・販売担当の弟、木島源太さん(31)だ。就農時、父親から継いだ農場の経営は切迫していたが、JA信州うえだ青年部の仲間に支えられながら、生産効率の向上や自社ブランドの展開などで経営改善を進めている。現在、肉豚と子豚を合わせて年間6300頭を出荷。2人は青年部の仲間や地域への感謝を胸に、養豚に打ち込む。
小川さんは大学卒業後に大阪の保険会社に就職。その後、実家の経営危機を知り、2013年にUターンして就農した。就農前には、成功している養豚農家の経営を視察した。「当時は素人だったが、やり方次第では稼げる業界だと実感した」と振り返る。
就農後は餌のロスを少なくするなど基本的な経営の体質改善に着手。その後、4週間に1回のサイクルでまとめて交配や分娩(ぶんべん)を集中させる仕組みを導入して、生産効率の向上や豚舎の衛生環境の改善などに注力した。
木島さんは16年に就農。就農前は県内の食品卸売会社で食肉の営業・販売を担当し、食肉流通の世界の人脈とノウハウを築いた。
前職の経験から、長野県の養豚は複数の生産者でブランドを支えているケースが多いことに注目した。「県内の情勢を逆手に取り、農場単独で品質が安定したブランド豚を育てることができればチャンスはある」と考え、元々自社で販売していた豚を16年に「信州太郎ぽーく」として商標登録を取り、本格的に販売を始めた。
「信州太郎ぽーく」は地元飲食店や上田市のふるさと納税返礼品などに採用。商標登録前には年間100頭ほどだった自社販売の肉豚は、現在1700頭まで拡大した。
16年にはNHK大河ドラマ「真田丸」の放映に合わせて、JA青年部有志が「信州太郎ぽーく」を使った「信州おやき みそぽーくまん」を開発。1年間で約20万個が売れて、認知度向上などにつながった。
小川さんと木島さんは「経営的に一番しんどかった時に、JA青年部の仲間に支えてもらった。今後は青年部の仲間や地域への感謝を生産という形で返したい」と力を込める。
地域の催しなどで、豚の丸焼きを振る舞うことがある。今年は新型コロナウイルスの影響で実施回数は少ないが、丸焼きを見た消費者は驚きを含めてさまざまな感情を抱くようで、農や食、命について考えてもらう大切な機会だと思う。
小川さんは大学卒業後に大阪の保険会社に就職。その後、実家の経営危機を知り、2013年にUターンして就農した。就農前には、成功している養豚農家の経営を視察した。「当時は素人だったが、やり方次第では稼げる業界だと実感した」と振り返る。
就農後は餌のロスを少なくするなど基本的な経営の体質改善に着手。その後、4週間に1回のサイクルでまとめて交配や分娩(ぶんべん)を集中させる仕組みを導入して、生産効率の向上や豚舎の衛生環境の改善などに注力した。
木島さんは16年に就農。就農前は県内の食品卸売会社で食肉の営業・販売を担当し、食肉流通の世界の人脈とノウハウを築いた。
前職の経験から、長野県の養豚は複数の生産者でブランドを支えているケースが多いことに注目した。「県内の情勢を逆手に取り、農場単独で品質が安定したブランド豚を育てることができればチャンスはある」と考え、元々自社で販売していた豚を16年に「信州太郎ぽーく」として商標登録を取り、本格的に販売を始めた。
「信州太郎ぽーく」は地元飲食店や上田市のふるさと納税返礼品などに採用。商標登録前には年間100頭ほどだった自社販売の肉豚は、現在1700頭まで拡大した。
16年にはNHK大河ドラマ「真田丸」の放映に合わせて、JA青年部有志が「信州太郎ぽーく」を使った「信州おやき みそぽーくまん」を開発。1年間で約20万個が売れて、認知度向上などにつながった。
小川さんと木島さんは「経営的に一番しんどかった時に、JA青年部の仲間に支えてもらった。今後は青年部の仲間や地域への感謝を生産という形で返したい」と力を込める。
農のひととき
地域の催しなどで、豚の丸焼きを振る舞うことがある。今年は新型コロナウイルスの影響で実施回数は少ないが、丸焼きを見た消費者は驚きを含めてさまざまな感情を抱くようで、農や食、命について考えてもらう大切な機会だと思う。
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大雪で物流停滞 ジャガイモ6割高に 貨物列車運休
強い寒波による大雪で物流が乱れ、ジャガイモの供給が全国的に不足している。主産地の北海道産が、積雪の影響で鉄道の運行が止まり、道内に荷物が滞留。本格的な運行再開は週末にずれ込む見込みだ。緊急事態宣言を受けて小売りの仕入れが増える中、需給が逼迫(ひっぱく)し、相場は急騰している。
北海道産のジャガイモやタマネギの輸送は、鉄道が約7割を占める。大雪で7日以降、輸送を担うJR貨物は、道内と本州を結ぶ路線の運行が停止。同社北海道支社によると、全面的な運行再開は、15日になる見通しだ。
同社によると「積雪の影響で1週間以上も運行が止まるのは近年ない」異例の状況。低温のコンテナ内で滞留するとジャガイモやタマネギは凍結する恐れがあり、発送した荷物を産地の倉庫に戻す動きもある。ホクレンが輸送で扱う農産物は、12日時点で3000コンテナ(1コンテナ約5トン)滞留しているとみられ、影響が懸念される。
物流の乱れを受け、産地も対策を講じている。道内のJAは、鉄道からフェリー輸送への切り替えを実施。ただ、「フェリーも先週は一時止まっていたし、港まで運ぶトラックの手配も十分ではない。荷物を出しきれず、選別・出荷作業を止めざるを得ない」という。
品薄の影響は、相場に表れてきた。13日の日農平均価格(各地区大手5卸のデータを集計)はジャガイモが1キロ173円と、過去5年平均比の57%高に高騰。卸売会社は「玉付きが少なく不足感がある中で物流も停滞し、逼迫の度合いは増した。日頃取引のないスーパーからも注文が入るほど小売りは荷動きが良く、当面は相場の反発が続く」とみる。タマネギは同11%安の76円だが、今後上昇が見込まれる。
果実は、寒波による供給の影響は限定的だ。青森のJAつがる弘前は、リンゴの出荷先の1割強を占める北海道と九州向けを貨物利用しているが、トラック輸送に切り替えて対応している。
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2021年01月14日

市来農芸(鹿児島)が連覇 和牛甲子園オンラインで最多33校
和牛生産に情熱を注ぐ全国の農業高校生“高校牛児”が集い、日頃の飼養管理の成果や肉質を競う「和牛甲子園」が15日、オンラインで開かれた。新型コロナウイルス禍による休校や活動制限を乗り越え、全国19県から過去最多の33校が出場した。頂点となる総合優勝には、昨年に続き、鹿児島県立市来農芸高校が輝き、2連覇を達成した。
JA全農の主催で、今回が4回目。……
2021年01月16日
鳥インフル 移動制限全て解除 厳重警戒続く 香川県三豊市
香川県は16日、三豊市で集中発生した今季12事例の高病原性鳥インフルエンザについて、発生農場から半径3キロ圏内で設けた鶏などの移動制限を全て解除した。通常は防疫措置完了後、最短21日の経過で解除できるが、狭い範囲で続発して埋却などの作業も難航。制限解除は昨年11月5日の初発生から約2カ月ぶりになる。今後は感染防止とともに、養鶏場の経営再建が課題となる。
今季の高病原性鳥インフルエンザは発生が15県に広がり、殺処分の羽数は36事例(48農場)で約600万羽となった。1シーズンの被害としては過去に例がない事態。直近でも全国屈指の養鶏産地、千葉県や鹿児島県で発生している。
香川県内の制限区域の解消により、今季発生した36事例のうち31例目まで(全体の86%)は鶏などの移動制限が全て解除された。現時点で制限区域が残るのは32~36事例の発生農場がある千葉、岐阜、宮崎、鹿児島の4県となる。
三豊市内では、県によると、12事例で約179万羽を殺処分した。鶏などの移動が制限された半径3キロ圏内では今も33農場が、約129万羽を飼養。制限が長期化したことで、県は「一部の農場では、ブロイラーが出荷できる日齢を超えたため処分された」と説明する。
移動制限の解除を受け県養鶏協会の志渡節雄会長は「(感染源とみられる)渡り鳥は、まだ周辺にいる。気を緩めず、感染防止に取り組む」と強調。その上で、「発生農場は、経営再開のめどが全く立っていない。国や県には支援や補償を早く示し、農家の不安を払拭(ふっしょく)してもらいたい」と要望している。
ため池が多い香川県では、渡り鳥が飛来する時季に発生が集中した。今後は春に渡り鳥が北へ移動する時季にウイルスが拡散する可能性がある。
北海道大学大学院獣医学研究院の迫田義博教授は「渡り鳥がシベリアに帰っていく、5月の大型連休ごろまでは厳重な警戒が必要。人、物の消毒や野鳥、野生動物の侵入防止など飼養衛生管理を徹底すべきだ」と話す。
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2021年01月17日

内閣支持急落44% 不支持が逆転 本紙モニター調査
日本農業新聞が昨年末に行った農政モニター調査で、菅義偉内閣の支持率が44%となり、発足直後の9月の前回調査から18ポイント下落した。不支持率は56%で同20ポイント増え、支持率を逆転。菅内閣の農業政策、新型コロナウイルスに関する政府の対応を評価する人はそれぞれ26%、27%にとどまり、これらが支持率の急落にも影響したとみられる。
農政「評価」26%
他の報道機関の調査でも、発足当初に6、7割台だった菅内閣の支持率は直近で3、4割台に下落している。……
2021年01月12日

本紙モニター調査 米需給対策=4割「課題あり」 輸出5兆円=「対策次第」3割
日本農業新聞が12月中下旬に行った農政モニター調査で、主食用米の需給均衡に向けた農水省の対策について「課題がある」との回答が39%に達した。米政策の改善には「転作メリットの拡充」が必要との声が最多だった。農林水産物・食品の輸出額を2030年に5兆円にする政府目標の達成の成否は「対策次第」とみる回答が33%で最も多かった。
農水省は昨年12月、輸出・加工用米や麦・大豆などへの転換に10アール当たり4万円を助成する「水田リノベーション事業」をはじめ、転作支援の拡充や米の需要喚起に向けた対策を発表。調査では「評価している」は12%にとどまり、「課題があり見直しが必要」が39%、「どちらともいえない」が47%だった。
「米政策を改善するとしたら、どういった視点が必要になるか」との質問には、回答を二つまで選んでもらった。最も多かったのは「転作推進のメリット拡充」で36%、「生産費を補う所得政策の確立」が35%で続いた。「資材価格の引き下げ」と「米の消費喚起」も30%の人が選んだ。
売上高が最も多い品目に「水田農業」を選んだ人に限ると、米対策については「評価」が14%、「課題がある」が44%、「どちらともいえない」が42%だった。米政策の改善については、「所得政策」が42%、「転作メリット」が36%、「資材価格」が35%の順だった。
農水省は21年産の米生産を「正念場」(野上浩太郎農相)とし、需給均衡には過去最大規模となる前年産比6・7万ヘクタールの作付け転換が必要とみる。対策の実効性確保には、こうした農家の意見も踏まえ、理解を求める必要がありそうだ。
輸出5兆円目標の達成については「対策次第」が33%だった一方、「達成できない」が27%、「過大だ」が16%で、「達成できる」の6%を上回った。経営品目別に見ると、「達成できる」と考える割合が最も高かったのは肉用牛肥育で14%、低かったのは畑作物と養鶏でゼロだった。水田農業や花きは5%、施設園芸は3%にとどまった。
政府は昨年11月、輸出目標達成に向けた実行戦略を策定したが、輸出の拡大には同戦略に沿った十分な支援策とともに、農家の意欲喚起も求められそうだ。
調査は、農業者を中心とした本紙の農政モニター1133人を対象に昨年12月中下旬、郵送で実施。756人から回答を得た。
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2021年01月17日
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[未来人材] 26歳。大農家・父の背中追い若手6人で新会社設立 トマトの概念変える 滋賀県甲賀市 今井大智さん
滋賀県甲賀市の今井大智さん(26)は、同じ農業生産法人で働く20代の若者だけで会社を立ち上げ、先端技術を駆使した高糖度トマト栽培に取り組んでいる。“本業”の傍ら、早朝や夜などの勤務時間外を使って、仲間とトマト栽培に明け暮れる日々を送る。若手だけで何か新しいことに挑戦したい――。農業の魅力に取りつかれた若者が新たな一歩を踏み出した。
「これはもう、トマトの形をしたあめ玉だ」。“異次元”の甘さが特徴の自慢のトマトについて、今井さんは笑顔で話す。
実家は県内でも指折りの大農家だ。100ヘクタールを超える広大な農地で米や野菜を生産する他、市内で農産物直売所やレストランも経営する。ただ「元々農業にそれほど関心があるわけではなかった」と振り返る。
転機となったのは大学2年生の時。授業で訪れたインドだった。餓死した人の遺体が街中に横たわる光景が今でも脳裏に焼き付く。「がらりと世界観が変わった」。食のありがたみを実感した。食を供給する農業の大切さにも気付かされた。
大学卒業後は1年間、専門学校で農業の基礎を学んだ。23歳で実家の農業生産法人に就職した。
就職後は、法人の代表でもある父の背中を追うようになった。父は29歳の時には地域の後継者仲間をまとめ上げ、麦や大豆に特化した法人を立ち上げ、新たな事業を手掛けていた。「何か新しいことに挑戦したい」という思いが、常に頭の片隅にあった。
そんなとき、農産物の甘味を最大限引き出す「アイメック農法」に特化した高機能ハウスを、地域の事業者が手放すという話が舞い込んだ。
昨年10月、自身を含め法人で働く20代の若手6人で新会社「ROPPO(ロッポ)」を設立。各メンバーが踏み出す「1歩」を足した「6歩」にかけて名付けた。ハウス1棟で1200本のトマトを栽培。これまで通り法人で働きながら、勤務時間外をフル活用して運営する。
高級果実のようにトマトを箱詰めして贈答用に──。「“異次元”の甘さを武器にトマトの概念を変えたい」。販路開拓や会社運営など慣れないことばかりだが、夢に向かって突き進む。
農のひととき
新会社のインスタグラムアカウントは、ほぼ毎日更新。「消費者は生産者の顔を見て農産物を買う」との考えから、消費者への情報発信を重視する。投稿する写真は週末に撮りだめする。手描きのイラストなども織り交ぜ“映え”を意識する。
現在は、「3秒で友達になれる」といったキャッチコピーと共にメンバーを紹介、ファンづくりに取り組んでいる。
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2021年01月17日

[未来人材] 39歳。農家に引かれ脱サラSNSで情報発信 消費者との壁を壊す 三重県四日市市 阿部俊樹さん
三重県四日市市の阿部俊樹さん(39)はサラリーマン時代の経験から、食べ物を自分の手で作る農家の魅力に引かれ転身した。就農研修中から積極的にインターネット交流サイト(SNS)で発信。1年目には共感した人々を巻き込みイベントを主催。「生産者と消費者の壁を壊す」を合言葉に奮闘している。
親は休日に米作りをする兼業農家だった。ただ、泥くさい仕事ぶりを見て「絶対に農家にはなりたくないと思っていた」。転機は広告代理店に就職後、そのつながりでエステティックサロンの経営を任されたことだった。美しさを考える中で、食べ物の大切さにたどり着いた。そしてその食べ物を生産する農業について調べれば調べるほど、農家の魅力を感じるようになった。妻と3人の子どもがいて不安はあったが「農家なら人の役に立ち、家族も豊かにできる」と確信。35歳で仕事を辞め、実家のある四日市市に戻った。
品目は「主要な野菜なのに四日市で誰も作っておらず、一番になれる」キュウリを選んだ。知人の仕事を平日に手伝いながら、休日だけ岐阜県のキュウリ農家で研修を受けた。
研修中はその様子や農業を始めた時の思いをSNSのツイッターで発信した。発信して3カ月ほどたつと「阿部さんのキュウリが食べたい」とコメントが何十件も届いた。まだ研修中なことにもどかしさを感じつつ、自分を発信することで販売につながる面白さも感じた。
2017年7月、「しなやかファーム」を立ち上げた。1作目は病害が出るなど苦戦したが、初めて苦労して作ったキュウリを食べた時の味は、今でも忘れられないほどおいしかった。
その感動や生産への思いを伝え、消費者の農作物への捉え方を変えようと、同年10月に食と音楽の収穫祭「しなやかフェス」を開催。全国から70人が集まった。規模を広げその後も3回開き、延べ500人以上が参加した。今後は農家らを主役にした「夏祭り」へ発展させることも構想する。
常識にとらわれず、しなやかな生き方への思いを込めてツイッターでは「しなやん」と名乗る阿部さん。世界一有名なキュウリブランドを目指し、信じた道を突き進んでいる。
農のひととき
2019年から市内のナス農家、会社員の友人と3人で、インターネット上に音声を配信する「ポッドキャスト」を使い「おみそしるラジオ」を配信している。内容は農業に限らず、趣味や経歴、恋愛の話など多岐にわたる。「言葉にすることで頭の中を整理できて、人前に出る練習にもなっている」と言い、ライフワークの一つだ。週1回収録し、20年12月末時点で本編63本を公開している。
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2021年01月10日

[未来人材] 36歳。イタリア出身 夫と二人三脚 ブドウ園継ぎ就農 交流できる場もっと 島根県出雲市 原ジョバンナさん
島根県出雲市の原ジョバンナさん(36)は、故郷イタリアを離れ、2015年から夫の健人さん(31)と二人三脚でブドウ67アールを栽培する。「故郷のファーマーズマーケットのような、農家と消費者が交流できる場をつくりたい」と、ホームページ(HP)やインターネット交流サイト(SNS)、地元有志の直売イベントで、顔が見える関係づくりに力を入れる。
ジョバンナさんはイタリア北西部のトリノ市カルマニョーラ村の出身。村はパプリカの産地で知られ、毎年8、9月には収穫祭が盛大に開かれる。
米国に留学していた健人さんとSNSを通じて知り合い、13年に結婚。健人さんの実家がある出雲市に移住した。15年に実家のブドウ園を継ぎ、夫妻で就農した。
夫妻そろって農業経験はなく、1年目は散々な結果だった。10アールで「シャインマスカット」「デラウェア」を栽培したが、副梢(ふくしょう)を切り過ぎるなど失敗が続き、売り上げは80万円にも満たなかった。
落ち込む健人さんを見て「もっと栽培を勉強して夫を助け、自信をつけてもらいたい」と奮起。JAしまねや県の勉強会に健人さんと参加し、剪定(せんてい)、摘芯、ハウスの修復などに励んだ。
特にジョバンナさんが力を発揮したのが摘粒作業。健人さんが「手先が器用で美的センスがある。粒の張りが良くなり、買い手からも高く評価される」と褒めるほどだ。2年目の販売は約200万円と、前年の2倍以上。空きハウスを借りて面積を広げ、20年は1・7トンを出荷。売り上げは約550万円と、経営を軌道に乗せた。
販売では、故郷での経験を生かし、消費者との交流を大事にする。健人さんと、イタリア語で「自然の農場」を意味する「Fattoria Natura(ファットリア ナトゥーラ)」の名でHPとSNSアカウントを開設。8~10月の出荷期には、地域の有志が開く「サンデーマーケット チーボ」にも出店する。
「イタリアでは、スーパーよりもファーマーズマーケットで買い物することが多かった。甘いパプリカを教えてもらえたりしたからね」と、生産者と消費者の双方の顔が見える関係を楽しむジョバンナさん。「将来は農家カフェを開きたい」と夢が膨らむ。
農のひととき
「出雲は人が優しく、何より食べ物がおいしい」と力説するジョバンナさん。得意の料理は、特産のブロッコリーやホウレンソウを使ったパスタやグラタンを作る。イタリア料理教室や小・中学校の文化交流で地域と関わるのが大きな楽しみだ。1月半ばには子どもが生まれる予定。「夫婦共通の趣味のキャンプを子どもと一緒に楽しみたい」
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2020年12月27日

[未来人材] 26歳。父親倒れUターン 園芸、稲作複合経営 地域に恩返ししたい 山形県酒田市 早坂聖人さん
山形県酒田市の早坂聖人(なおと)さん(26)は5年前に首都圏からUターン就農し、花きやメロン、稲作など複合経営を展開している。地域での支え合いが強く残る風土で、農業について学び、経験を積んできた。現在は担い手として規模拡大にも意欲を燃やしており、今まで支えられた分を“支え返す”日々を送っている。
早坂さんは高校卒業後に企業に就職し、コンクリート関連の仕事をしてきた。だが5年前の冬、転勤で埼玉県内の事務所で働いていた時に、父親が倒れたとの連絡を受けた。長男ということもあり「いつかは帰らないといけない」と思っていたので、迷わず帰郷を決意した。
生まれ育った同市浜中地区は、地域全体で支え合いながら農作業や子育てをする暮らしが、今も息づく。必要な農機具を融通し合ったり、早坂さんも子どもの頃から近所の住民に面倒を見てもらったりしてきたという。
就農後は父親を助けながら、ストックやメロン、水稲を栽培していた。しかし当初は、農業の知識は少なかった。支えてくれたのは地域の仲間だった。
冬場はストックの栽培が盛んだが、消毒のタイミングなど、まだまだ分からないことの方が多い。疑問点があると、地区内の栽培農家と頻繁に連絡を取り合う。「上下関係が少ないこともあり、先輩農家にも連絡を取りやすい」(早坂さん)。協力しながら作る「庄内のストック」は、市場でも高い評価を得ている。
就農から5年、早坂さんは地区の若手農家で組織する「浜中青年の会」の一員として活動している。栽培に欠かせないビニールハウス設置や堆肥散布などを手伝い、「地域に少しでも貢献したい」と話す。
規模拡大にも意欲を燃やしている。夏場はメロンと水稲約11ヘクタールを栽培しているが、今後は稲作を増やす考えだ。
園芸とは違うスケール感の大きさに魅力を感じており、コンバインや田植え機といった稲作ならではの農機を操るのも楽しいという。「農地を頼まれることも増えるかもしれない。地域の人と協力しながら農業を守っていきたい」と話す。
農のひととき
「何時間運転しても苦にならない」ほどの車好き。自慢の車で東京都や埼玉県まで半日ほどかけて、かつての会社の仲間に会いに行き、思い出話に花を咲かせることも多かった。ただ、今年は新型コロナウイルスの影響もあり機会は減少。「気軽にお酒を酌み交わすことができないのは残念。状況が落ち着いたらまた出掛けたい」と話す。
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2020年12月20日

[未来人材] 39歳。元全中職員 地元農業守るため就農 若手とJA懸け橋に 千葉県野田市 荒木大輔さん
千葉県野田市の荒木大輔さん(39)は、2015年に実家で就農。JAちば東葛の青壮年部支部を立ち上げ、若手農家の思いをまとめてJAと話し合い、農産物の販路開拓に結び付けた。前職のJA全中時代の経験を生かし、他の農家から国の政策や補助事業の相談を受けるなど、地域で頼られる存在になっている。
幼少期、高齢農家の離農で耕作放棄地が増えていた。景観が荒れるだけでなく、地域の活力も薄れる状況を見ていられず、農家を志した。大学卒業後に就農することを家族に相談したが、規模拡大が難しく「家族農業では食べていけない」と反対された。
「それなら農業に関わる仕事に就こう」と、04年に全中に入会。就農までの11年間、農業政策や農協組織運営などに携わった。全国のJAを回るうちに、農業に真剣に取り組む地域は景観が守られ、活力があると感じた。「実家の農地もあるし、地元で同じことができないはずがない」と決意し、祖父の下で就農した。
祖父が18年に亡くなるまでの3年間、経験と勘に基づく栽培管理を教えてもらった。離農する農家が増えて遊休農地を借りられるようになり、実家の80アールから2・4ヘクタールまで増やし、エダマメやネギなどを栽培する。
「地域の農業を盛り上げるには、チームの力が必要だ」と考え、地元の福田地区の若手農家ら11人と、17年にJA野田地区青壮年部の福田支部を発足。JA管内の若手農家と交流を深める足掛かりになった。
組合員とJAが、同じ方向を目指すことが重要──荒木さんが全中時代に得た持論だ。JAに若手農家全体の考えを伝えようと、19年に青壮年部の協議会が作るポリシーブック(政策集)の立案に関わり、販路拡大と資材コスト削減、人材確保・育成などを課題に掲げた。
協議会の要望を受けてJAは、柏市や流山市のスーパーなどを販路に加えた。JAが配送や精算を担うことで、スーパー向けに出す農家は手取りが増えた。
荒木さんが就農してから地域の担い手が増え、支部青壮年部の部員も14人になった。「青壮年部で話し合って提案すれば、JAが魅力的な存在になる。これから地域で就農を目指す人を応援したい」と力を込める。
農のひととき
青壮年部のインターネット交流サイト(SNS)で反応があるとうれしい。地場産の野菜に関心を持った飲食店などに野菜を送る代わりに、SNSへの投稿を求めている。SNSをきっかけに新たな販路につながることもあるという。
都心に近い場所で、農業ができる野田市の環境も魅力だ。農作業をすると、自分は田舎が好きだと感じる。
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2020年12月13日

[未来人材] 38歳。農業の祖父に憧れ ミニトマト栽培に挑戦 失敗乗り越え手応え 北海道岩見沢市 渡辺直人さん
北海道岩見沢市でミニトマトを栽培する渡辺直人さん(38)は6年前、住宅用建材メーカーを辞めて就農の道を選んだ。子どもの頃、東川町の農家だった祖父の所へ遊びに行くのを楽しみにしていたことが、農家になるきっかけだったという。これまでは収量が上がらず苦労の連続だったが、今年はやっと農家として満足のいく収量と品質を確保できた。
子どもの頃から「こういう生活もあるんだな」と祖父の仕事に憧れを感じていた渡辺さん。就職して会社で働く中で「自分のやりたい事を仕事にしてみたい」という気持ちが次第に強くなり、退職して「自分自身で生活をつくる」農家を志した。
富良野市での農業ヘルパー体験でさまざまな作業を経験。ニュージーランドでも1年間農業研修をして知見を広げた。
帰国後、岩見沢市の農業研修施設でミニトマトを中心に技術や経営を2年間学び、2014年に新規就農した。
就農時は経営面積約10アール、ハウス3棟でスタートした。最初は畑の整地や環境整備をして、実際の作付けは16年からだ。
当初は収穫量を増やそうと、ハウスの棟数を増やして妻と2人でコストをかけずに頑張ったものの、成果が出なかった。
当時は「生産面積を増やせば収穫量が増える」と思い込んでいたという。しかし、人件費をかけてパート従業員を雇うようになったことが、転機となった。必要な管理作業を的確にこなしてくれて、明らかに収穫量が上がった。
就農して7年目の今年は、やっと目標とする収穫量と品質を確保できた。渡辺さんは「最近は思うように作業ができるようになった。最初は必死過ぎて何も見えず、失敗し尽くした」と振り返る。
現在は借地だった農地を取得し、70アールでハウス6棟まで栽培規模を広げている。将来は作業に見合うパートを確保して、ブドウに挑戦するのが夢だ。
過去の苦い経験を教訓にした今、「農業に投資は必要」と考えている。
農のひととき
まきが好きで、冬に備えてまき割り機でまきを割っている。山間地域に住んでいるので、まきはいくらでも手に入る。「まきストーブの炎を見ているとボーッとでき、柔らかいぬくもりで体が芯から温まり、心が落ち着く」
今年は2歳になった子どもと、初めての雪遊びに挑戦する。家の周りはどこにでも滑り台を作れる環境だ。「公園遊びが好きな子なので楽しみ」という。
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2020年12月06日

[未来人材] 31歳。双子で養豚農場 力合わせブランド化 経営改善販売伸ばす 長野県上田市 小川哲生さん 木島源太さん
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木島さんは16年に就農。就農前は県内の食品卸売会社で食肉の営業・販売を担当し、食肉流通の世界の人脈とノウハウを築いた。
前職の経験から、長野県の養豚は複数の生産者でブランドを支えているケースが多いことに注目した。「県内の情勢を逆手に取り、農場単独で品質が安定したブランド豚を育てることができればチャンスはある」と考え、元々自社で販売していた豚を16年に「信州太郎ぽーく」として商標登録を取り、本格的に販売を始めた。
「信州太郎ぽーく」は地元飲食店や上田市のふるさと納税返礼品などに採用。商標登録前には年間100頭ほどだった自社販売の肉豚は、現在1700頭まで拡大した。
16年にはNHK大河ドラマ「真田丸」の放映に合わせて、JA青年部有志が「信州太郎ぽーく」を使った「信州おやき みそぽーくまん」を開発。1年間で約20万個が売れて、認知度向上などにつながった。
小川さんと木島さんは「経営的に一番しんどかった時に、JA青年部の仲間に支えてもらった。今後は青年部の仲間や地域への感謝を生産という形で返したい」と力を込める。
農のひととき
地域の催しなどで、豚の丸焼きを振る舞うことがある。今年は新型コロナウイルスの影響で実施回数は少ないが、丸焼きを見た消費者は驚きを含めてさまざまな感情を抱くようで、農や食、命について考えてもらう大切な機会だと思う。
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2020年11月29日

[未来人材] 37歳。ユズ「鬼北の香里」苗木 県内で唯一栽培 供給担い産地支える 愛媛県松野町 毛利憲幸さん
愛媛県松野町の毛利憲幸さん(37)は、高齢化が進むユズ産地を苗木栽培で支える。中でも、在来種に比べてとげが少なく収穫しやすい品種「鬼北の香里(かおり)」を県内で唯一生産する。就農前の研修で農業に対する姿勢を学んだ「原点」の苗木生産に打ち込む。
宮崎県の大学を卒業後、父の花木栽培を継ぐため、福岡県の苗木業者で1年3カ月の研修をした。
研修は接ぎ木用の刃物研ぎから始まった。「農業に関係のあることなのか」と疑問に思ったが、言われるがままに刃物を毎日研ぎ続けた。「刃物研ぎも、一人前になるには10年かかる」。ある時、先輩に言われた職人気質の言葉に引かれた。「今思えば、基礎を大切にする姿勢を学んだ」と振り返る。
その後、親元で就農。加工品などが増えて注目が集まっていたユズは、経営の柱になると感じた。ただ、父は花木の生産に力を入れており、ユズの栽培面積は50アールほどだった。2人目の子どもが生まれた当時、30歳を過ぎていたが、自身の農業収入は200万円に届かなかった。将来の不安もあって「農業をやめて働きに出ようか」と悩んだ。
研修で世話になった苗木業者の社長に電話で悩みを打ち明けた。「そういう時期もあったよ。最後に決めるのは自分自身だけど」。その言葉に肩の荷が下りたような気がした。改めて農業と向き合うため「自分の責任で農業をやろう」と決めた。
電話をした直後からユズの栽培面積を広げ、研修で学んだ技術を生かすため、苗木作りにも本腰を入れた。当初は花木生産を継いでほしかった父と衝突することもあったが、県の普及員らの後押しもあり、今では加工用を含めユズは2ヘクタール超まで広がった。
収益の半分を占めるのは年間8000本を定植する苗木の販売。他の農家の経営を左右するため妥協は許されない。プレッシャーはあるが、地域のために広げたいのが、とげが少なく収穫しやすい「鬼北の香里」だ。
今でも接ぎ木シーズンの4月中旬には、苗木作りを始めた頃に買った刃物を研ぐ。「苗木作りが自身の原点。満足できる商品だけを作り続けたい」
農のひととき
週に2回、公民館で空手をしている。収穫繁忙期で疲れている時もなるべく通う。妻、長男、次男の4人で参加。自宅の母屋を改装し、パンチングマシンを設置した。
ユズ、花木の他、ナバナなども栽培。作業に追われるので「体を動かすとリフレッシュになる」。
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2020年11月22日

[未来人材] 29歳。大学卒業と同時に移住 若き果樹部会長 縁に恵まれ農地継承 鹿児島県南さつま市 風間大地さん
新潟県出身の風間大地さん(29)は、大学卒業と同時に、東京から鹿児島県南さつま市に移り住んだ。住居も働き口も当てがなく、裸一貫のスタートだったが、地域住民と交流を深めながら、生活基盤を築いた。今では、JA南さつま坊津果樹部会で若き部会長として活躍するまでになった。
玉川大学の農学部に通い、企業に内定をもらっていた風間さんだったが、卒業が迫るにつれ、就職する以外にも生きる道があるのではないかと思うようになった。
「自分は安定志向」という風間さん。「いったん会社員になったら、もう挑戦できない」と考え、卒業間際に内定を辞退した。
それまでも農業に関心はあった。思い浮かんだのが学生時代に訪れた坊津町。同町にある同大南さつまキャンパスと連絡を取り、アパートを引き払って現地に向かった。
営農技術も貯金もなく、住居も働き口も未定──。そんな状況だったが、出会った人に助けられた。移住したばかりの風間さんを支えたのは、同キャンパス技術指導員の清川一真さん(51)。収入と技術が両方得られるパート従業員としての職と、住まいとして大学施設の一部を提供してもらった。
地域になじむきっかけをつくってくれたのも清川さんだ。バレーボール大会に顔を出した時に、住民に紹介してくれた。「今日から仲間だ」と掛けてくれる言葉がうれしかった。1年後には、引退する農家からタンカン園を借りることができた。
就農後は清川さんの父でタンカン栽培の達人、清川満洲男さん(76)に師事した。現在風間さんが部会長を務めているのも、前部会長だった満洲男さんが「他産地を見て成長してほしい」との思いで立場を譲ってくれたから。「新参者の自分に務まるのか」と思ったが、他の部会員の後押しもあって引き受けた。
就農7年目の現在は、地域で引退する農家から次々と農地を引き継ぎ、現在はタンカン、キンカン、マンゴー、パッションフルーツを作る。今は自分と同じように、地域に移住者が来ることを待ち望む。
「どげんかなっとだい(どうにかなるよ)」。自然に身に付いた鹿児島弁で、移住を目指す人にエールを送る。
農のひととき
農作業をする時に、スマートフォンでよく音楽をかけている。果樹と向き合いながら、気分に合わせて好きな旋律を聞く。会社に就職していたら、できなかったことだろうと、よく思う。
畑には時々近所の人が遊びに来る。「大声で歌っていて、呼んでも全然気が付かなかったぞ」。そんなふうにからかわれるやりとりも、穏やかで居心地が良い。
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2020年11月15日

[未来人材] 35歳。乳牛育成牧場引き継ぎ 農業体験施設を運営 牛から癒やし感じて 千葉市 川上鉄太郎さん
千葉市が若葉区で52年間運営してきた乳牛育成牧場を引き継ぎ、観光牧場として10月下旬に生まれ変わらせたのが、千葉牧場の社長、川上鉄太郎さん(35)だ。子牛を預かって乳牛に育てる機能は残しつつ、地域農家と連携した収穫体験などを加え、都市住民が気軽に農業に触れられる施設に再生する。
横浜市で生まれ、東京都内で育った川上さんは、これまで農業とは無縁だった。英国のビジネススクールでの3年間の留学を経て、2011年から4年間、経営コンサルタントとして、主に飲食店やJAなど第1次産業に関わる企業の相談業務に携わった。
起業後、いくつもの業務をこなす中で、東京の一極集中に疑問を抱くようになった。
東京はビジネスには便利だが、行き過ぎた競争・消費社会が生まれていると感じた。そうした企業の競争原理に合わずに苦しむ人を何人も見てきた。「東京に住む人が“心のスイッチ”をオフにできる場所をつくりたい」と思っていた時、千葉市が乳牛育成牧場を民営化し、観光牧場として運営する業者を公募しているのを知った。
知らせてくれたのは、今は牧場の共同出資者となっている「成田ゆめ牧場」(成田市)の秋葉秀威代表だ。秋葉代表とは、英国のビジネススクールで学んでいた時に同じ寮で暮らし、ほぼ同じ授業に出席していた。帰国後は別々の道を進んだが、連絡は取り合っていた。
秋葉代表は牧場の情報だけでなく、酪農のことを何も知らなかった川上さんに、ノウハウを伝授してくれた。川上さんは「偶然出会った2人が、まさか同じ仕事をするとは」と驚く。
新たな牛舎は神社の境内をイメージした。参道から本殿を見上げるような形で運動場と牛舎を配置した。新しい牧場は、キャンプやバーベキューなどが楽しめる観光エリアのほぼ全ての場所で、牛を眺められる。近隣農家と連携した収穫体験も視野に入れる。
「東京から車で1時間で来られるなら、週末に牧場に来て牛を眺めて、また明日から頑張ろう、と日常に戻れる。乳牛の育成機能は続けながら、都市に住む人の考えが変わる場所にもしていきたい」と展望する。
農のひととき
牧場を始めてから、牛が同じ場所でのんびり過ごしていることに気付いた。競争社会の東京の暮らしとはまるで反対だ。神社の社殿をイメージして建てた牛舎では、牛が「神様」のような存在に感じられる。
老朽化した牛舎にはおがくずもなかった。おがくずを敷いた新しい牛舎で牛が穏やかな表情をしているのを見ると、農業に関わっていることに喜びを感じる。心がオフになる瞬間だ。
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2020年11月08日