[あんぐる] 夢は尽きぬ 牛乳、世界へ 「酪農家4代目」聖火リレーを走る(福島県葛尾村)

東京五輪の聖火リレーで、前走の男性から「トーチキス」で採火し、グータッチする佐久間亮次さん(右)。コースとなった村立葛尾小学校は、佐久間さん3代の母校でもある(福島県葛尾村で)

 点火されたトーチを掲げた少年は、阿武隈高地山間にある小学校の校庭を踏みしめるように走りだした。新型コロナウイルスの感染拡大に伴い、1年間延期された東京五輪。国が「復興五輪」と位置付けた「平和の祭典」の聖火リレーが3月25日、福島県の「Jヴィレッジ」から始まった。葛尾村で行われた初日7区間で第3走者に選ばれた高校1年生の佐久間亮次さん(16)は、笑顔でゆっくりと1周し、大役を果たした。

 葛尾村に丘を切り開いた約4ヘクタールの牧場が広がる。現在、子牛を含めた約180頭を育てる佐久間牧場だ。経営するのは亮次さんの父で45年続く3代目の哲次さん(45)。2009年から2年連続で生乳出荷量が県JAグループ1位になったこともある。だが11年3月、順調な経営を東日本大震災と東京電力福島第1原子力発電所事故が襲った。

 事故直後、全村に避難指示が発令。断腸の思いで牛を残す決断をした緊急避難と、それに続く避難生活。哲次さんは「牛を守るために」単身県内にとどまり、群馬県に逃れた家族とは1年間離れ離れに。牛たちに十分な餌や水が与えられず、力尽きていく姿をなすすべなく見届けたこともあった。さらに国の提示に従って95頭の牛を食肉処分し、残った25頭は北海道の牧場へ。「空っぽの牛舎に立ち尽くし『経済動物だから』と自分に言い訳するしかなかった」

 そんな哲次さんの気持ちを支えたのが長男・亮次さんの存在だ。

 

牛舎の床を整える作業を手伝う亮次さん。牛舎は幼い頃からの遊び場だった
 「ゆめ らくのうかになってやる」。亮次さんが小学5年の時、書道の授業で書いた将来の夢。半紙5枚に分けて記され、その写真を冷蔵庫に張っていた。「息子が酪農家を目指すなら、牧場を守るのが俺の使命」と、書を思い出して奮い立った。

 16年6月、村の避難指示が一部を除き解除されると、牛舎を建て直し、その2年後、村内の小中学校再開に合わせて一家6人で帰村。同年秋、8頭の乳牛から牧場を再始動。生乳から放射性物質が検出されないことを何度も検査し、19年1月から出荷を再開した。

 亮次さんは昨年4月、本格的に酪農家を目指すため、鏡石町の県立岩瀬農業高校生物生産科へと進学した。寮生活だが、週末に帰宅すると、朝5時起きで牛の世話をする。

 「葛尾村を支えるのは農業だと思う。いつか世界中の人たちに僕が育てた牛の牛乳を飲んでほしい」。傍らで哲次さんが目を細めた。(仙波理)

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