広島原爆の日 核廃絶の声を日本から
今年は核廃絶へ大きく動き出す年となるか。6月には、ウィーンで昨年発効した核兵器禁止条約の締約国会議が初めて開かれた。会議では、「核なき世界」の実現を国際社会に呼びかける「ウィーン宣言」と、核廃絶に向けた取り組みをまとめた「ウィーン行動計画」を採択した。
今月1日には、延期されていた核拡散防止条約(NPT)再検討会議がニューヨークの国連本部で始まった。日本の首相として初めて出席した岸田文雄首相は初日に演説し「核なき世界」に向けた行動計画「ヒロシマ・アクション・プラン」を示した。「核兵器のない世界に向けて、現実的な歩みを一歩ずつ進めていかなくてはならない」と訴えたが、核兵器禁止条約への言及がなく、被爆者らの失望が広がっている。
日本の役割は重要だ。原爆投下により広島で約14万人、長崎では約7万4000人が犠牲となった。広島市を流れる元安川沿いにはいくつもの慰霊碑が建つ。1971年に建立した農業関係者の慰霊碑にはJAグループの代表者らが集まり、毎年黙とうをささげる。市立小中学校などは登校日となり平和学習を行う。
戦争犠牲者の冥福を祈り、平和への思いを新たにする日だが、被爆者や戦争体験者の高齢化が進み、自らの言葉で戦争の記憶を伝えられる人が減っている。農業関係者の慰霊碑を訪れる親族も減った。体験に基づく平和を望む声をどう伝えていくか、考えなければならない。
国連本部での演説で岸田首相は、非核化に向けた次世代リーダーを育てるため、世界の若者に広島や長崎を訪問してもらう基金創設も表明した。放射能の影響で70年以上は「草木も生えない」と言われた広島と長崎だが、緑があふれ、農業が根付く。食糧難を生き抜いた農家は「広島菜」などの伝統野菜や在来種を守り、次世代につなごうとしている。農業がつなぐ食と農の歴史も、若者たちに伝えていくことも重要だ。
国連によると、世界では8億人超が栄養不足に陥っている。各地の紛争に異常気象が追い打ちをかけ、エネルギーと食料の争奪戦を引き起こし物価は高騰する。戦争は、もはや過去の出来事ではない。
来年5月には広島で先進7カ国首脳会議(G7サミット)がある。被爆国日本が、平和外交でリーダーシップを執る意義は大きい。