森永卓郎さん(経済アナリスト) 幼少期はウィーン暮らし 母親の握りずし忘れず

森永卓郎さん

 れまでいろんな物を食べてきた中で一番強く印象に残っているのは、うちの母親がウィーンで作った握りずしですね。うちの父親は毎日新聞で働いていて、52年前にウィーン支局長になったんです。その時、私は9歳でした。

 今とは全然時代が違って、グローバル化はしていません。ウィーンにいる日本人は、オペラを学ぶ音楽留学生と新聞とNHKの特派員ぐらい。日本の食材なんか一切ないし、日本食レストランもない。辛うじて大きなスーパーに行くと、米が手に入るという時代だったんです。

 母親はほんとに語学ができない人で、しゃべれたドイツ語は二つだけ。一つはダス、これは英語でディス(これ)ですね。それとダンケ。サンキューです。

 その母親が、何を思ったのか突然、すしを作ると言い出して、市場に買い出しに行ったんです。もちろん日本みたいにきれいにさばいて柵になっているすしだねなんてないから、魚は1尾丸ごと買わないといけない。小さいマグロ、なにか白身魚、イカにタコ・・・。言葉が話せないのにどうやって手に入れたのか分からないけど、大量の魚を買って帰ってきたんです。

 それをさばいて、卵を焼き、酢飯を作るなど、ひとりすし屋状態になっていました(笑)。

 結局、大量にできてしまったんですよ。すし屋をやるようなもんですからね。そこで、音楽留学生を呼んで食べさせてあげたわけです。みんな貧乏学生ですし、もちろん日本食なんて食べていないから。

 思えば、決して握り方が上手なわけではないけど、本当にうまかった。うちでは船便で日本からインスタントラーメンを送ってもらっていましたけど、レベルが違う! とてつもなくうまかったんです。

 うちでは、基本的に日本風の食事をしていました。朝はパンでしたけど、夜はご飯とみそ汁。みそとしょうゆは送ってもらっていましたから。

 問題はおかずです。ウィーンに行く前はアメリカにいたんですけど、アメリカでもヨーロッパでも、肉はすごく安いんですよ。現地で食材を買って普通に料理しようとすると、どうしても洋食に傾くんですね。手間を考えても、コストを考えても。ですからウィンナーシュニッツェル(仔牛の肉に粉をまぶし、油かラードで揚げる)とかを食べることになるんです。

 お菓子にしてもね、ウィーンの名物にザッハトルテというのがあります。ザッハはシュガーでトルテはケーキという意味。甘いケーキにチョコレートがかかっている。たまに食べるとおいしいんですが、毎日食べたら吐いちゃう(笑)。

 食ばかり食べていると、私も飽きたし、たぶん母親も飽きたんでしょう。それで「これじゃまずい。一発ぶちかますぞ」って思ったんでしょう。

 最近ではウィーンでも日本食が食べられるようになったようですね。この間、ハンガリーのブダペストの企業の人と話をしましたら、「どうしてもミョウガを食べたくなったら、車を飛ばしてウィーンに買いに行く」と言ってました。ついにウィーンではミョウガまで調達できるようになったのかと、ちょっと感動しましたね。

 でもウィーンで日本料理を始めたのは、うちの母親かもしれません(笑)。学生たちから金を取らなかっただけで。

 母親は調子に乗って、日本に帰ってきても同じようにすしを作っていましたが、どうも面白くなかったみたいで(笑)やめました。ウィーンだからこその思い出なんですよね。(聞き手・菊地武顕)


<プロフィル> もりなが・たくろう


 1957年東京都生まれ。日本専売公社(現・日本たばこ産業)、三和総合研究所(現・三菱UFJリサーチ&コンサルティング)を経て独立。獨協大学経済学部教授も務める。著書、メディア出演多数。近著に『森卓77言―超格差社会を生き抜くための経済の見方』(プレジデント社)。

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