ブル中野さん(タレント) 空腹と満腹の人生体験 孤独なレスラー頂点極め 

ブル中野さん

 役時代は、めちゃくちゃ食べてましたねえ。私はデビュー2年目にダンプ松本さんに悪役になれと誘われました。ダンプさんが体重100キロだったので、自分も100キロを目指して食べまくって練習してたんです。

 私は中学1年の時に全日本女子プロレスのオーディションに受かったので、2年間しっかり食べて、中学卒業後に入りました。その時の体重は65キロくらいでしたかね。

 ロテストに受かるまでは、練習生。とにかくお金がなくって。寮でご飯だけは出してくれて、おかずは自分で買うんです。練習生のみんなで、安くてご飯が進む味の濃いものを探して、一番良かったのが業務用のショウガ。梅干しは、高くて買えませんでした(苦笑)。今日はショウガにちょっとだけ「味の素」をかけよう、今日はしょうゆをかけようと。給料前の最後の1週間は、朝昼晩とそんな感じでした。

 ロデビューすると、ちょっと給料が上がるんですよ。それでツナの缶詰を買ってきてマヨネーズをかけて、「これ、おいしいね」って食べていました。

 先輩たちは、ファンから食べ物の差し入れをもらうんです。牛丼、フライドチキン、ハンバーガー・・・。事務所や巡業先に差し入れをするファンがたくさんいました。人気のある先輩はいろんな人からもらうから、食べきれないじゃないですか。だからちょっと口をつけただけで捨てるんですね、ごみ箱に。

 先輩たちが帰った後、私たちはごみ箱から取り出して食べていました。それが主食でした。

 私たちはみんな中卒で入ってきて、社会人という意識が強かったですね。今と違って、社会人が親から小遣いをもらうということは、恥ずかしいこと。お金がないなんて泣き言は言えません。楽しくて幸せでお金もいっぱい入ってきて、好きなことに打ち込んでいる。そういう姿を親に見せたかったです。

 試合は年間300試合くらい。ほとんど地方巡業でした。だいたい10~20日地方にいて、東京に帰ってきて、また地方という生活でした。強くなって人気が出てくると、試合後に巡業先のプロモーターの方が接待をしてくれるんです。悪役が好きだという方も多かったですね。

 プロモーターさんは街の顔役で、お金持ち。案内してくれる店は、その町の一番いい店。ですから私は連日、行く先々で最高級のすし屋や焼き肉屋、ステーキ屋で食事をしました。

 最初はうれしかったんですけど、そのうち「また今日も接待か。ご飯とみそ汁と納豆だけあればいいのになあ」と思うようになって(笑)。

 やがて私はトップになります。人気も一番。下積みの頃に望んでいた全てを手に入れました。もちろんお金もいっぱいもらえるようになりました。プロレスの世界はピラミッドです。頂点に立つのは、チャンピオンただ一人。そこに行きたいと思って頑張ってきたんですが、実際その座に就くと、つらかったですね。絶対に負けられないというプレッシャー。弱みを見せるのさえ許されない孤独感。

 年10カ月の後、アジャ・コングに負けてベルトを取られた時は、もう楽になれるという安堵の気持ち。やっと肩の荷が下りたと感じました。

 今思うと、頂点に立ちたくてごみ箱をあさりながら練習していた新人時代、一番苦しかったあの時が一番幸せだった。もう体が動かないので(笑)無理ですけど、体さえ動くのなら、あの時期に戻りたいと思います。(聞き手・写真 菊地武顕)

<プロフィル> ぶる・なかの

 1968年埼玉県生まれ。83年に全日本女子プロレスに入門。90年にWWWAチャンピオンとなり、「善対悪」という従来の構図を超越した絶対女王として君臨した。現在は東京・中野でバー「中野のぶるちゃん」を経営。28日、東京・水道橋の闘道館でトークショーを開催する。

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