[にぎわいの地] 出産ラッシュ 鹿児島県十島村(上) 子どもの声 島に畑に 移住支援で秘境に239人

出産ラッシュの宝島。新設された保育園の畑では、子どもたちが島の農家と夏野菜を栽培する(鹿児島県十島村で)

7年で141世帯人口回復へ


 鹿児島県の南海に浮かぶトカラ列島、十島村。七つの有人島から成る。南北160キロの日本一長い村だ。人口が600人を割り、消滅が危惧された離島に、若者たちが“にぎわい”の奇跡を生み出した。この7年間で141世帯、239人が移住。保育園ができ、分校が本校になり、出荷組合も立ち上がった。

 鹿児島港から船で12時間以上かかる宝島。東京からロサンゼルスに行くより遠い。鹿児島市からの船便は週2便。病院も駐在もない人口130人の島が今、出産ラッシュを迎えた。

 「島の誰もが子どもを育てる先生。こんな子育て環境、他にない」と保育施設で働く大薗佳奈さん(30)。鹿児島県本土から、宝島の保育士になるために移り住んだ。

 村内の他の三つの島でも保育施設が造られ、さらに年度内に二つの島でも保育園が開園する予定だ。人口は700人を超え、4割が30代以下。未就学児は50人にも上る。

 宝島では移住者14世帯が子育て中だ。無農薬でバナナを栽培する埼玉県飯能市出身の舩水礼さん(26)。「オーガニックで島を有名にしたい」と未来を描く。妻は妊娠中だ。広島県大竹市出身の本名一竹さん(34)は2人の子育て真っ盛り。ジャムなど農産加工を手掛け、地元の人と水産加工の法人も経営する。「6次化で多様な人を宝島に呼び込む」と明るい。

 元村長の農家、松下伝男さん(85)が畑の子どもを眺める。「十数年前の島がうそのよう。奇跡が起きている」。以前は出生数ゼロが当たり前。中学を卒業すると誰もが島を離れていった。
 

無人化の危機生き残り懸け


 村はかつて八つの有人島だった。畜産、漁業が主力産業で、ピークの1950年の人口は3000人。しかし、若者の流出で加速度的に減少し、70年「臥蛇(がじゃ)島」は生活が維持できなくなった島民13人が本土に移住した。涙を流し古里に別れを告げた人々。それから40年後の2010年、七つの島の総人口は600人を切った。無人化した島を知る村民ほど、忍び寄る危機を感じ取った。

 11年、村は生き残りを懸けた定住支援策を打ち出す。過疎債を財源に、農林水産業に従事した56歳以下には5年間、1日最大1万円を支給し始めた。出産や子育て、農林漁業にも手厚い補助金を用意。移住者への支援を村おこしの柱の一つにする抜本的な支援を講じた。
 

共同作業に汗砂糖と塩復活


 島の手付かずの自然や独自の文化、暮らし。「宝島にときめいた」。大阪府出身の高木義浩さん(33)は、11年に妻と一緒に移住した。

 島の営みはきれいごとでは語れない。島民は自力で家屋を建てるなど、自給自足を軸に子どもを育て必死に生きてきた。一方、若者は補助金をもらい新築の村営住宅に暮らす。移住者を手放しで歓迎できない島民の心情も、時に見え隠れする。

 島民の気持ちが分かる高木さんは、サトウキビなど懸命に農業に励み、共同作業に汗をかいた。島で途絶えた砂糖と塩作りを復活させた。

 「助け合いの連鎖で成り立つ島で、子どもを育てる」。高木さんの本気度は島民の心をほぐす。Iターン者では初めて、船の荷物の積荷を担う「荷役組合」の組合長になった。島民の命綱を守るリーダーだ。今は補助金なしで生活する。

 この島で、10月には高木さんの3人目の子どもが産声を上げる。
 ◇  ◇    
 20、30代が農業、農村ににぎわいをもたらしている。夢とチャレンジ精神を持って新天地に飛び込み、共同で支え合う地域への敬意も忘れない。そんな若者たちを受け入れ、共に生きる覚悟を決めた地域に、未来の可能性が見える。若者力により、再生していく地域の変革に迫る。(7回連載)

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