[にぎわいの地] 原発事故 福島県郡山市(上) 信頼紡ぐ検査と発信 親とタッグ復興けん引

「エダマメにカメムシはつきものだから驚かないで」と、幼稚園教諭らに収穫指導をする藤田さん(中)(福島県郡山市で)

地元ブランドシンボルに


 エダマメ「グリーンスウィート」、ホウレンソウ「緑の王子」……。福島県郡山市のブランド野菜の名前だ。50、60代の農家が15年前に世に送り出し、地元に愛される宝に育った。後押しするのは、その子ども世代に当たる20、30代。産地を襲った東京電力福島第1原子力発電所事故の危機に真っ先に立ち上がったのも彼らだ。ブランド野菜を地域のシンボルにしよう。安全性を丁寧に発信しながら消費者とのつながりを広げ、復興をけん引する。

 8月上旬。農家の藤田浩志さん(38)は、40人を超す市内の幼稚園教諭に、エダマメの収穫やブランド野菜の成り立ちを教えていた。冗談を交えながら、分かりやすく。聴衆の笑い声、感心する声が畑に響く。「情報発信も放射能検査も営農の一部。野菜の風評被害は乗り越えた」。藤田さんは言い切る。

 直線距離で原発から約60キロ離れた同市。事故が発生した2011年3月11日以来、藤田さんは食育イベント、講演、販売促進に出掛け、数千の消費者に会った。100人を超える県内の農家や農学者に会い、ネットで思いや福島の現場のリポートもした。たくさんの政治家に陳情文を送った。インターネット交流サイト(SNS)で畑から情報発信もした。

 藤田さんだけではない。同市のブランド野菜協議会の農家34人は毎日、放射能検査、情報発信を続け、毎月のようにイベントに出掛ける。

 

産地化諦めぬ夢の続き誓う


 03年。郡山農業青年会議所の子育て世代だった農家たちが、地域に密着した特産化を目指し、ブランド野菜を発案した。新ブランドになる品種を決め、消費者に公募してネーミングする。毎年一つブランド野菜が誕生。施肥設計、収穫から販売までの時間まで綿密に決め、消費者に地道に売り込んでいた。

 そんな中で起きた原発事故。離農を考えた仲間もいた。藤田さんら若手と、ブランドを発足させた世代は議論を重ね、出た結論は「やるだけやる」。「ブランド野菜を諦めずに作ることは、いまを刻むこと。将来の地域の宝になる」と藤田さん。前を向こうと決めた。親世代が描いたブランド野菜の夢は、後継者たちの夢にもなった。

 事故から6年半。若手も親世代も一緒に勉強し、放射能検査をし、数値を発信し、販売促進を何百と繰り返した。ブランド野菜を作るリーダー、富塚弘二さん(53)は「後継者が前を向こうとする姿に、頑張ろうと思った」と振り返る。
 

「広報も農業」つながり新た


 栄養価や糖度やうま味の数値も一緒に情報発信する。フェイスブックやツイッター、ラジオや広報誌などあらゆる情報ツールを活用。愚直に続け、ファンをつかんだ。現在、ブランド野菜を扱う飲食店やシェフは30店舗以上。地元だけでなく、首都圏の高級スーパーからも注文が舞い込み、学校や消費者、商工会などから食育や販促のイベント依頼が来る。

 きのこを作る鈴木農園の後継者、鈴木清美さん(32)は協議会のフェイスブックの発信役。清美さんは13年、おがくずを肥料に、24ヘクタールでブランド野菜などを作る「まどか菜園」を設立した。農園の売り上げはいまだに戻らない。それでも「広報も農業。かわいそうな被災者ではなく、新しい農業をやる」と決めている。

 「消費者とのつながりが楽しい」。親世代のメンバーは口をそろえる。

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