江戸末期の“侍ジャパン”はどんな気持ちで米大陸を目指したのだろう

 江戸末期の“侍ジャパン”はどんな気持ちで米大陸を目指したのだろう▼安政7(1860)年1月、勝海舟らを乗せた初の軍艦咸臨丸(かんりんまる)が品川沖を出帆した。日米修好通商条約の批准書を交換する使節団の護衛である。洋上は悪天が続き、40日余りの船旅は困難を極めた。艦長役の勝は自室にこもったまま。同乗した福沢諭吉の『福翁自伝』には「毎日嵐で始終船中に波を打ち上げる」とある▼やっと上陸した使節団を待ち受けていたのは異文化の洗礼。「口吸い」(キス)に閉口し、ナイフとフォークという「野蛮な箸」での食事に戸惑う。初めて見たダンスは「こま鼠(ねずみ)の廻るが如く、女のすそには風をふくみ、いよいよひろがりてめぐるさまいとおかし」(副使・村垣範正の『遣米使節日記』)。おかしかったのはちょんまげ姿の方だったろう。それでも彼らは、近代日本の礎となった▼人生には人それぞれの試練がある。しかし、ひるんではならない。希代の冒険家が残した語録『植村直己さんがイノチかけてつかんだコトバ』から引く。「必ず壁はある。それを乗り越えたとき、パッとまた新しい世界がある」。諦めないことの大切さを伝える▼きょうとあすは大学センター試験。上空に寒気が居座り、日本海側はふぶくところも。受験生の健闘を祈る。

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