河内家菊水丸さん (伝統河内音頭継承者) ヨード駄目で甘い物に 伝統の河内音頭を万博で

河内家菊水丸さん

 どもの頃から今日まで甘い物が大好きで、成人してからも酒、たばこ、勝負事は一切しませんので、唯一の趣味がお菓子を食べることです。一番好きなのはチョコレートです。

 河内音頭ですから、働くのは7月と8月だけで、残りの10カ月は冬眠するという特殊な季節労働者です。シーズンオフは夜が明ける頃に寝て、夕方起きてくるという生活です。ですから食事は一日一食というか、夕食に一日分まとめて食べるという感じです。深夜0時を回る頃からお菓子をむしゃむしゃ食べて、本読んで、ブルーレイ見て、という生活のペースです。

 2012年にステージ4の甲状腺がんが発覚しました。セカンドオピニオンで名医と出会って、術後5年を迎えました。現在は、ヨード(ヨウ素)を控えています。これは海草類に多いんですが、関西では必ず昆布だしを使うでしょう。ですから、ヨードが駄目となると、食べるものがないんです。山でとれるものは大丈夫ですが、海でとれるものは随分気を遣いますね。海草類がわが家の食卓に並ぶことは、100%ありません。もともと海草類は大好物だったんで、それはつらいです。

 くから伝わる河内音頭のネタを現代調にアレンジしたりしますが、河内音頭には農業との関わりが随分あります。河内平野に限らず、北は北海道から南は九州まで、豊年満作を祈り、喜ぶ民謡や作業歌は多いです。河内音頭も同じで、元々念仏踊りだったんでしょうが、収穫の前祝いとして、先祖供養の盆踊りの場で派手に踊って歌ったというものです。

 河内音頭のお囃子は、「イヤコラセー、ドッコイセー」。重い物を持ち上げる時の掛け声で、畑仕事、田んぼ仕事をしながら伝播してきた作業歌の名残があります。明治期の文献を読むと、音頭が終わると、ご祝儀の代わりに、御柱や御幣や俵が出されたという記録があります。農家の人が主催する地域の盆踊りに呼ばれ、終わると俵を担いで帰ったのでしょうね。

 阪で2025年にもう一度万博が開かれたら、そこでも河内音頭を歌いたいですね。70年の大阪万博の時は、三波春夫先生が「こんにちは~」でしたでしょう。次の万博では「お久しぶり~」かなと。

 前の大阪万博の時、僕は小学校1年生。これはもうカルチャーショックでしたね。あの万博での体験が今の私のベースであり、物差しになっています。

 グラタンを初めて食べたのは、イタリア館。母に連れて行ってもらって、当てずっぽうで注文して、出てきたのがナポリタンとグラタン。長いこと待って出てきたら、どうやって食べたらいいのかわからない。けど、あのおいしさはたまらなかった。もう一回食べたいけど、イタリアまで行かないと食べられないと思っていました。メイプルシロップを初めてなめたのも、万博のカナダ館。びっくりするぐらい、おいしかった。

 おいしいラーメン屋さんに長い行列ができたと聞いても、「俺らは月の石を見るのに4時間並んだんやで」という具合に、いつも万博を基準に比べてしまいます。やっぱり万博が物差しです。それほど当時の少年には影響が大きかったんです。

 趣味になっている物集めの原点は、パビリオンで押したスタンプです。どんどん集まっていく愉しみを知って、コレクターになりました。牛乳瓶のふたや切手という定番のコレクションへの入り口も、万博です。(聞き手 ジャーナリスト・古谷千絵)

<プロフィル> かわちや・きくすいまる

 河内音頭発祥の地、大阪府八尾市生まれ。9歳で父・河内家菊水に入門し、17歳でプロデビュー。大阪芸術大学教養科客員教授も務める。大阪万博のシンボル「太陽の塔」の「太陽の塔内部再生事業」(大阪府)の広報担当アンバサダーを務める。京都府南山城村在住。54歳。

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