[達人列伝 44] 木頭ゆず 徳島県那賀町・岡田宏さん 林業での知識を応用 毎年50本改植 GI銘柄維持
2018年04月02日

剪定作業をする岡田さん。労力の掛からない方法で品質を高める(徳島県那賀町で)
四国で初めて地理的表示(GI)保護制度で認証を受けた徳島県那賀町の「木頭ゆず」。岡田宏さん(59)の出荷量はJAアグリあなん木頭果樹研究会の青果出荷の2割を占める。毎年改植を進める他、樹高を高く保ち1樹当たりの収量を増やすなど「岡田さんにしかできない」(JA指導員)工夫を凝らす。出荷量を確保することで、ブランド力を維持し、産地を後世につなぐ。
岡田さんの園地には3メートルを超えるユズの木が並ぶ。同地域の他園地の樹高が約2メートル。あえて細長い樹形で上に伸びるように心掛けている。
剪定(せんてい)であまり手を入れず、徒長枝を切って、木の中の枯れ枝を落とすだけ。枝を多く残し、着果量を増やすと収量が約4割増えるからだ。玉を肥大させると傷果になるリスクが上がるため摘果もあまりしない。京都の市場が求める13玉の割合が高くなるなど、有利販売にもつながる。
香り高さと外観の良さが特徴。岡田さんは「田舎の懐かしい香りにほっとするんだろう」と、「木頭ゆず」にほれ込む。大学を卒業後、地元の林業に就いたが、材木の価格が落ち込み始め生計が立てられないと就農を決意。林業で使っていた重機を乗りこなし、山を切り開いて栽培面積を2ヘクタールに増やした。
品質の高さと省力化を両立する秘訣(ひけつ)は、毎年40~50本の改植だ。園地の9割を改植し、樹齢の平均は15年ほど。「若い木の方が、病害の発生が少なく、蛍光色の黄色でつるっとした木頭ならではのユズに仕上がる」と四半世紀の経験に頼る。
改植で収量も安定する。ヒントは木材の収量を毎年安定させるために、伐採する樹齢を均等に植える林業の「法正林」という考え方から得た。特にユズは隔年結果が激しく、収量の確保が経営の鍵を握る。合理的な栽培管理が、GIに選ばれた産地のブランドを支える。JAの担当者は「足りない等階級や量目があれば、まず相談する」と産地の大黒柱に信頼を寄せる。
「先輩が築いてきたブランドは輸出で世界に羽ばたいているが、作り手がいなくなっては意味がない」と後継者不足に表情を曇らせる。だからこそ、品質と収量を両立できる自身の経営方法に可能性を感じている。「ブランドを維持してもうかる経営モデルを提示すれば、いつかは若い担い手が戻ってくる」と強調する。(丸草慶人)
「木頭ゆず」を2ヘクタールで栽培し、年間約30トンを出荷する。労働力は自身と妻、母の3人。林業も行う。
「自身が作業しやすい園地環境をつくって、効率を良くする。品質と収穫量を維持する秘訣だ」
岡田さんの園地には3メートルを超えるユズの木が並ぶ。同地域の他園地の樹高が約2メートル。あえて細長い樹形で上に伸びるように心掛けている。
剪定(せんてい)であまり手を入れず、徒長枝を切って、木の中の枯れ枝を落とすだけ。枝を多く残し、着果量を増やすと収量が約4割増えるからだ。玉を肥大させると傷果になるリスクが上がるため摘果もあまりしない。京都の市場が求める13玉の割合が高くなるなど、有利販売にもつながる。
香り高さと外観の良さが特徴。岡田さんは「田舎の懐かしい香りにほっとするんだろう」と、「木頭ゆず」にほれ込む。大学を卒業後、地元の林業に就いたが、材木の価格が落ち込み始め生計が立てられないと就農を決意。林業で使っていた重機を乗りこなし、山を切り開いて栽培面積を2ヘクタールに増やした。
品質の高さと省力化を両立する秘訣(ひけつ)は、毎年40~50本の改植だ。園地の9割を改植し、樹齢の平均は15年ほど。「若い木の方が、病害の発生が少なく、蛍光色の黄色でつるっとした木頭ならではのユズに仕上がる」と四半世紀の経験に頼る。
改植で収量も安定する。ヒントは木材の収量を毎年安定させるために、伐採する樹齢を均等に植える林業の「法正林」という考え方から得た。特にユズは隔年結果が激しく、収量の確保が経営の鍵を握る。合理的な栽培管理が、GIに選ばれた産地のブランドを支える。JAの担当者は「足りない等階級や量目があれば、まず相談する」と産地の大黒柱に信頼を寄せる。
「先輩が築いてきたブランドは輸出で世界に羽ばたいているが、作り手がいなくなっては意味がない」と後継者不足に表情を曇らせる。だからこそ、品質と収量を両立できる自身の経営方法に可能性を感じている。「ブランドを維持してもうかる経営モデルを提示すれば、いつかは若い担い手が戻ってくる」と強調する。(丸草慶人)
経営メモ
「木頭ゆず」を2ヘクタールで栽培し、年間約30トンを出荷する。労働力は自身と妻、母の3人。林業も行う。
私のこだわり
「自身が作業しやすい園地環境をつくって、効率を良くする。品質と収穫量を維持する秘訣だ」
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2018年04月17日

食品ロス646万トン もったいない どう共有?
食品ロス対策か、食品衛生を巡るトラブル回避か──。飲食店で食べ残した料理を客が持ち帰る運動が、少しずつ広がってきた。ただ、食中毒の恐れから「リスクが大きい」と敬遠する店も多い。農水省の17日の発表では、食品ロスは年間646万トンにも上る。政府や自治体は、持ち帰りに対し、自己責任を前提に進めていくことを呼び掛ける。(猪塚麻紀子、尾原浩子)
専用容器を普及 残したらお持ち帰り
横浜市のイタリア料理店「Pizzeria Passo(ピッツェリアパッソ)」。歓迎会で同店を訪れた近隣の会社員、吉村浩志さん(27)が笑顔で店から渡された「シェアバッグ」にピザを詰めて持ち帰った。同店はシェアバッグを紹介し、食べ残した料理を持って帰ってもらうよう客に呼び掛ける。
山口征二マネジャーによると特に団体客から好評で、食べ残しは半分に激減した。「パッケージもかわいく、喜んで持ち帰ってもらっている」と手応えを話す。
同市では、「食べ残しをする人が多く、作ったのにもったいない」という飲食店の声を受け、市と飲食店予約・グルメ情報サイトの「ホットペッパーグルメ」が協力。約100店舗の飲食店が中心となって、シェアバッグの普及を進める。持ち帰り用の紙箱と紙袋を配るキャンペーンを4月末まで開く。同店はキャンペーン終了後も続ける意向だ。
長野県は食品ロスの削減を目指し、飲食店や宿泊事業者の協力を得て食べ残しを減らす運動を展開する。
運動に呼応し、JA佐久浅間の多目的ホール「べルウィンこもろ」は2年前から、宴会時などに料理を持ち帰ることができる容器を準備している。当初、従業員が詰めていたが保健所の指導で、現在は客自身が詰めるように変更した。生ものは避けるなどの注意点も説明する。
「お客さんは、当たり前のように喜んで持ち帰ってくれるようになった。注意点をしっかり伝えれば、問題はない」と、宮下富雄支配人は実感する。容器代は店側の負担だが、大量発注しており大きな負担ではないという。
怖い食中毒 飲食店も客も… 広がらぬ“賛同”
客が、食べ残した料理を詰めて持ち帰るための袋や容器は「ドギーバッグ」と定義される。海外で広がり、客が恥ずかしくないよう「犬に食べさせる」名目で持ち帰るのが語源という。
ドギーバッグは、日本でも普及の機運が芽生える。消費者庁、農水省、環境省、厚生労働省は昨年5月、食べ残し対策への留意事項を発表。食べ切りを進めるとともに、料理の持ち帰りは自己責任の範囲で行うよう呼び掛けた。大津市など、積極的に取り組む自治体も出ており、外食チェーンにも広がる。
しかし、「リスクが大きい」と持ち帰り推奨をちゅうちょする飲食店も少なくない。中国地方で農家レストランを経営する女性は「自己判断といっても、万が一、食中毒になればイメージが悪くなる。農家が小規模零細でやっている店でトラブルが起きれば、経営できなくなる」と悩む。食品ロスは減らしたいが、持ち帰りを推奨する考えはないという。
JA宮崎中央会は全国のJAに先駆け2010年ごろ、宴会などで発生する大量の食べ残しを見かねた職員が呼び掛けて、持ち帰り運動を始めた。宮崎市内の飲食店にも賛同の輪を広げたものの、衛生面に不安を訴える飲食店も多いことに加え消費者の理解も進まず、なかなか広がらなかったという。
機運醸成こそ
研究者や飲食店などでつくるドギーバッグ普及委員会の小林富雄理事長(愛知工業大学教授)は「持ち帰りは環境対策だけでなく、売り手と買い手のコミュニケーションを育み、食文化の発展につながる」と意義を強調する。
ただトラブルが起きた場合の対処や、冷めた料理で味の評判を落とすなど懸念も多い。小林理事長は「食べるかの判断は自己責任。“もったいない”を皆で共有し、社会的な機運を高めていくことが大切だ」と指摘する。
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食品ロス推計646万トン 15年度外食など事業系増える
2018年04月18日
日米首脳会談 2国間協定を阻止せよ
日米首脳会談が終了した。焦点の通商問題は、貿易協定を巡る両国の立場の違いが埋まらない中、トランプ大統領が重視する貿易赤字削減に向け、新たな協議の枠組みを作ることで合意した。これが実質の2国間交渉と化し、日米自由貿易協定(FTA)の呼び水となることを危惧する。農業を“身売り”してはならない。貿易収支の改善にもつながらない。
2日間の首脳会談では、北朝鮮に対し非核化への具体的な行動を求めることで一致し、拉致被害者の救出にトランプ大統領が協力を約束した。安倍晋三首相にとっては、急展開する国際情勢の中で日本は取り残されていないことを示し、やれやれという思いだろう。だが、解決への道筋がついたわけではない。日米結束の政治的な演出を優先するあまり通商問題で譲歩しなかったか、舞台裏を含めて会談結果を注視する必要がある。
通商問題では、697億ドル(約7兆5000億円、2017年)に上る対日貿易赤字の是正に執念を燃やすトランプ大統領の姿勢が目立った。11月の中間選挙を控え、早期の目に見える成果づくりへ政権が前のめりになっている。この間、対日貿易戦略は2国間協定と環太平洋連携協定(TPP)復帰の二つの選択肢で揺れ動いているかに見えたが今回、大統領の意思が明確に示された。安倍首相に対して「2国間貿易協定の方が望ましい」と、直接に表明した政治的な意味は重い。
首相は会見で「米国が2国間交渉に関心を有していることは承知しているが、わが国はTPPが日米両国にとって最善と考えている」と述べた。要求に追随しなかったものの、単に日本の立ち位置を語ったようにも見える。地の利もあろうが、政治的意思の表明という点ではトランプ大統領の迫力に及ばない。
新たな協議は、茂木敏充経済再生相とライトハイザー米通商代表が責任者になる。日米経済対話に比べ、テーマを貿易分野に絞り込んで早期の解決を目指すと見られる。TPP離脱で得られるはずの「果実」を失った米農業団体が、日本市場の開放要求を強めている。トランプ大統領の支持母体だ。農業が標的にされる恐れが強い。
しかし、農業の市場開放が巨額の貿易赤字を解消する材料にならないことは明白だ。米国も交渉に参加した上で合意したTPP協定は自由化純度が極めて高く、日本農業への重大な脅威である。政治的にも収まっていない。その水準を超える譲歩をのめば、農業者への背信行為だ。所管する農水省がこの協議に権限を持って関与できる国内体制を作らなければならない。
気掛かりなのは、安倍政権が森友・加計問題や公文書隠蔽、財務省次官のセクハラ問題などで手いっぱいとなり、対米協議への備えがおろそかにならないかという点だ。総力を挙げ、日米FTA交渉への変質を止めなければならない。
2018年04月20日
消石灰 色で効果確認 畜舎消毒に最適 量産・商品化めど 北海道・室蘭工業大
北海道室蘭市の室蘭工業大学は、口蹄(こうてい)疫、高病原性鳥インフルエンザなど家畜の伝染病を防ぐ新素材「多機能粒状消石灰」の量産と事業化にめどを付けた。色の変化で消毒効力が分かる可視化を実現。効果の持続期間もこれまでの粉末に比べ2倍となり、用途に応じて粒状消石灰の硬さとサイズを最適化することも可能にした。特徴評価に関する意見やデータの蓄積を基に改良を加え、2020年までに普及と商品化を目指す。
防疫に使う粉末消石灰は散布しても風などで飛散したり、消毒効果がまだあるのか実感できなかったりする課題があった。
そこで、同大学応用理化学系学科の山中真也准教授らは粉末消石灰に改良を加え、①粒が青色から赤紫色に変化することで効力を「見える化」②効力を粉末の35日から75日に延長(実験室測定値)③粒状にすることで飛散しにくい──などを実現した。
効果を実証するため、3月から北海道白糠町の酪農家8戸と羊農家2戸にモニターを依頼した。1年間、週1回の間隔で畜舎出入り口などに散布。色の変化と専用のキットで水素イオン指数(pH)を測定するなど、資材の効力や使い勝手などを調査する。
生産体制を構築するため企業と連携し大学内にパイロットプラントを設置、日量2トン、年間400トンの量産化を可能にした。19年度はさらに対象を広げ、北海道450戸、宮崎県350戸の農家に配布して大規模な実証試験を行い、事業化を進める計画だ。
事業の研究総括を務める山中准教授は「今回の実証試験で試作品の課題を洗い出す。使いやすさを追求して、家畜防疫の徹底に寄与したい」と話す。
2018年04月16日
米中貿易紛争 WTOでの解決めざせ
米国の経済制裁に端を発した中国との貿易紛争は、にらみ合いが続いている。長引けば世界貿易が混乱し、日本などにも影響が及ぶ。経済大国同士の動向に目が離せない。
米フロリダで17、18日開催の日米首脳会談は、北朝鮮の非核化を巡る米朝首脳会談への調整が主議題とみられるが、通商問題にも及ぶ。安倍晋三首相は米中間で発生した貿易紛争について、世界貿易機関(WTO)での解決を主張すべきである。
WTOはこうした事態に備えて紛争処理機能がある。先の多角的貿易交渉で多大なエネルギーを投入して作り上げたものだ。こうした時こそWTOを利用すべきだ。
中国の習近平国家主席は、10日の「ボアオ・アジアフォーラム」で、輸入拡大による貿易黒字の削減を表明した。自動車やその他産品の輸入関税を削減し、外資企業の出資比率制限を緩和する。外資企業の知的財産権を保護する姿勢も示した。米国の要求を意識したような姿勢であり、貿易紛争の解決に前向きな意向を持っていることをうかがわせる。話し合いによる解決に応じる可能性を示すものだ。
習主席の発言に対しトランプ米大統領は、自身のツイッターで「思いやりのある言葉」として歓迎した。WTOで禁じている通商法301条による一方的措置に訴える構えだが、取り下げるべきだ。問題をこじらせるだけである。11月の中間選挙を意識しているのだろうが、国際経済の安定にはつながらない。
かつて農産物の輸出補助金を巡って米国と欧州が激しく対立した時にも、多国間交渉で話し合いで解決した。あの教訓を生かすべきである。
中国は2001年のWTO加盟を契機に急速に発展してきた。今では国内総生産(GDP)で世界第2位である。航空・宇宙、医薬品、通信などハイエンド製造業でも欧州連合(EU)を上回るほどの成長を見せている。
中国は、1人当たりのGDPが低いことを根拠にWTOで「途上国」扱いを受けているが、疑問の声が高まっている。途上国扱いすることの正当性を議論するタイミングでもある。「途上国」の定義をはっきりさせる必要がある。
米中貿易紛争の激化は日本にとっても歓迎すべきことではない。日本経済は、両国との関係に深く組み込まれており、紛争が長引いて農畜産物の国際価格が乱高下すれば、国内農業への打撃も考えられる。
日米首脳会談で米国は、自由貿易協定(FTA)を迫るか、環太平洋連携協定(TPP)の変更を条件にTPP復帰をほのめかす可能性がある。どちらも日本にとっては受け入れがたい。安倍首相は譲歩すべきではない。経済は国際的なつながりを強めており、「米国一国主義」に従ってはかえって問題を複雑にするだけだ。多国間による解決を主張すべきだ。
2018年04月18日
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[達人列伝 45] 仙台牛 宮城県石巻市・川村ファーム 共励会史上初の連覇 全て手給餌 観察を徹底
日本一基準が厳しいといわれる宮城県ブランド和牛の「仙台牛」。日本最大の枝肉共励会で2016、17年度、史上初の連覇を果たしたのが、宮城県石巻市の「仙台牛」農家、川村ファームだ。優良な血統の牛の能力を最大限引き出すため毎日、手作業での餌やりや屋外での観察で、一頭一頭の牛の体調を管理。肉質を高めるため、長期肥育にもこだわる。
同ファームは、東京食肉市場協会と東京食肉市場が主催する日本最大の「全国肉用牛枝肉共励会」で最高位の名誉賞を2年連続で獲得。JA全農みやぎは「農家が一生に1回取るのも難しい賞」(生産販売課)と、驚く。ただ、同ファーム3代目で取締役の川村大樹さん(37)は「産地のレベルの高さがあるから、賞を取れた」と強調する。
レベルの高さとは「仙台牛」の厳しい基準だ。「仙台牛」は日本食肉格付協会の格付けで、A5とB5に評価されたもの。全国のブランド牛の中で唯一、5等級に限定したブランド牛で、その中で競い合ってきた。最上級の肉質は「もと牛で7割は決まる」と断言する。もと牛とは、市場で購入する子牛。血統、体型で子牛を見極める。残りの3割は、肥育技術でもと牛の能力を最大限引き出す。
同ファームの一日は、牛200頭に手作業で餌をやることから始まる。「鼻水やせきは出てないかな」「餌は残してないかな」。餌やり中に、牛の体調に目を光らせる。
餌やり後は牛を外に出す。牛舎を掃除するためだが、外に出すと牛の見え方が変わる。けがや足の腫れに気付き対応したこともある。牛に負担がかかるため、通常はあまり牛を移動させないが、築35年の牛舎の構造上、掃除のため毎日外に出さざるを得ない。「手間をかけた分だけいい牛が育つ」と自信を見せる。
さらに同ファームは、通常の和牛より2、3カ月長く、32、33カ月齢まで飼う。「生体で成熟させるイメージ」とこだわる。同ファームの肉を使う仙台市の焼き肉店「牛々」の松山勇龍オーナーは「肉の甘味が違う。しっとり口の中で溶ける」と絶賛する。
長期間、牛が餌を食べられるよう、子牛購入後の最初の3カ月間の前期肥育に一番気を使う。前期肥育では、繊維質を多く含む牧草などで丈夫な胃袋をつくることに専念。「前期肥育を制する者が肥育を制する。基本に忠実に肥育することが大切」と強調する。(塩崎恵)
経営メモ
石巻市の牧場で200頭を飼い、県内10農場に肥育を委託。労働力は大樹さんと父、弟、従業員3人。第56回仙台牛枝肉共進会チャンピオン賞など受賞歴多数。
私のこだわり
「仙台牛は5等級だけで競い合い、5等級でないと意味がない。“ナンバーワンの銘柄”がモチベーションに」
2018年04月16日

[達人列伝 44] 木頭ゆず 徳島県那賀町・岡田宏さん 林業での知識を応用 毎年50本改植 GI銘柄維持
四国で初めて地理的表示(GI)保護制度で認証を受けた徳島県那賀町の「木頭ゆず」。岡田宏さん(59)の出荷量はJAアグリあなん木頭果樹研究会の青果出荷の2割を占める。毎年改植を進める他、樹高を高く保ち1樹当たりの収量を増やすなど「岡田さんにしかできない」(JA指導員)工夫を凝らす。出荷量を確保することで、ブランド力を維持し、産地を後世につなぐ。
岡田さんの園地には3メートルを超えるユズの木が並ぶ。同地域の他園地の樹高が約2メートル。あえて細長い樹形で上に伸びるように心掛けている。
剪定(せんてい)であまり手を入れず、徒長枝を切って、木の中の枯れ枝を落とすだけ。枝を多く残し、着果量を増やすと収量が約4割増えるからだ。玉を肥大させると傷果になるリスクが上がるため摘果もあまりしない。京都の市場が求める13玉の割合が高くなるなど、有利販売にもつながる。
香り高さと外観の良さが特徴。岡田さんは「田舎の懐かしい香りにほっとするんだろう」と、「木頭ゆず」にほれ込む。大学を卒業後、地元の林業に就いたが、材木の価格が落ち込み始め生計が立てられないと就農を決意。林業で使っていた重機を乗りこなし、山を切り開いて栽培面積を2ヘクタールに増やした。
品質の高さと省力化を両立する秘訣(ひけつ)は、毎年40~50本の改植だ。園地の9割を改植し、樹齢の平均は15年ほど。「若い木の方が、病害の発生が少なく、蛍光色の黄色でつるっとした木頭ならではのユズに仕上がる」と四半世紀の経験に頼る。
改植で収量も安定する。ヒントは木材の収量を毎年安定させるために、伐採する樹齢を均等に植える林業の「法正林」という考え方から得た。特にユズは隔年結果が激しく、収量の確保が経営の鍵を握る。合理的な栽培管理が、GIに選ばれた産地のブランドを支える。JAの担当者は「足りない等階級や量目があれば、まず相談する」と産地の大黒柱に信頼を寄せる。
「先輩が築いてきたブランドは輸出で世界に羽ばたいているが、作り手がいなくなっては意味がない」と後継者不足に表情を曇らせる。だからこそ、品質と収量を両立できる自身の経営方法に可能性を感じている。「ブランドを維持してもうかる経営モデルを提示すれば、いつかは若い担い手が戻ってくる」と強調する。(丸草慶人)
経営メモ
「木頭ゆず」を2ヘクタールで栽培し、年間約30トンを出荷する。労働力は自身と妻、母の3人。林業も行う。
私のこだわり
「自身が作業しやすい園地環境をつくって、効率を良くする。品質と収穫量を維持する秘訣だ」
2018年04月02日

[達人列伝 43] 八尾若ごぼう 大阪府八尾市・竹田春治さん 独自の矢形束ね評判 都市化負けず 代々の地守る
大阪府八尾市の特産「八尾若ごぼう」。根の部分だけ食べる一般的なゴボウとは違い、葉や軸も食べることができる。煮物や天ぷらなどとしてよく食べられ、特に同市では春を告げる野菜として親しまれている。周辺の都市化が進む中、伝統の味を守ろうと50年以上栽培を続けるのが竹田春治さん(75)。行政やJA主催の八尾若ごぼう品評会で、最高位の知事賞を受賞するなど、地域では一目置かれる存在だ。
「八尾若ごぼう」は、葉ゴボウのことで、同市は府内一の葉ゴボウの生産量を誇る。1~4月に出回り、地元では春の食材として人気がある。大阪市に隣接し、都市化が進む同市には、住宅街に「八尾若ごぼう」の畑が点在する。100戸ほどの農家が約9ヘクタールで栽培し、年間の出荷量は約200トン(2012年度)。
竹田さんは高校卒業後、「八尾若ごぼう」を栽培している実家を継いだ。周辺の都市化が進む中、「先祖代々続く農地を守りたい」と思い農業を継いでから50年以上になるベテランだ。
「安全・安心で、おいしいものを食べてもらいたい」と、栽培方法を工夫。農薬の使用は極力抑え、菜種油のかすを肥料に、化成肥料は使わない。土に乾燥牛ふんを混ぜ込む。「こうすると、茎、葉の緑色の出方や張りが良くなる」(竹田さん)という。
「八尾若ごぼう」で特に重視されるのが束ね方。伝統的に矢形に束ね出荷する。軸の長さが50センチ前後のものを9本か11本程度束ね、長いものを真ん中に、外側に向かって短いものを置き、根元の部分を矢尻に見立てる。矢形がきれいなほど良いとされ、各農家が取引する仲卸やスーパーの評価に直結する。
竹田さんは、代々伝わる束ね方を父親らから学んだ。「束ね方がとてもきれい」(JAの営農指導員)と評判。茎の角の部分を外側に向ける独特の束ね方にこだわる。竹田さんは「少しの衝撃では崩れない頑丈な束で見た目もきれいになる。プロとして、見た目の良いものを出すのは当たり前」と自信を見せる。
妻の加代子さん(72)と2人で1日当たり220束ほどを出荷。「二人でこの数を出荷できる農家は少ない」(JAの営農指導員)という。
竹田さんは「今では市外でも認知されるようになってきて、うれしい。今後も出荷を続けていきたい」と話す。(藤田一樹)
経営メモ
「八尾若ごぼう」を露地、ハウス合わせて20アールで栽培。
私のこだわり
「『八尾若ごぼう』の見た目を良くするには、矢形の束ね方が大切。50年以上、束ねる技術を追求している。プロとして見た目の良いものを出すのは当たり前」
2018年03月26日

[達人列伝 42] ウド 栃木県大田原市・助川悦夫さん 生野菜文化広げたい 絶妙の白と緑 市場でも調査
ウドの全国トップクラスの産地、栃木県のJAなすの。管内産は「那須の春香うど」のブランドで流通している。大田原市で栽培するJAなすのうど部会副会長の助川悦夫さん(64)は、40年前から作るベテラン農家で、「消費者が求めるウドとは何か」を探求。ハウスの光をコントロールすることで先端だけ緑色にし、見た目が美しいウドを作る。ウド作りを地域に根付かせたパイオニアだ。
「那須の春香うど」の特徴は、特有のあくやえぐ味、苦味がなく生で食べられる。山菜としてではなく、野菜として食べやすいものに変えた。先端部だけ光を当てて光合成を促すことで鮮やかな緑色が入る“山うど”にする。
助川さんは「白いウドにどのくらい緑色のコントラストをつけるかが腕の見せどころ。購入する消費者のことを考えれば見た目が美しい方が喜んでもらえる」と説明する。
おいしくて見た目の良いものを作りたいと市場も調査した。ピーク時は月3回ほど、生産者の仲間と共に東京都中央卸売市場大田市場など都内の市場に出向き、引き合いが強いウドの品質を徹底的に調べた。
都内のスーパーも幾つか回り、ウドを購入している消費者がどんな色を求めているか観察。緑の部分と白い部分の割合を確認し、栽培に取り入れた。
那須の春香うどは1980年ごろから水稲の転作作物として栽培をスタートした。だが、当初は失敗もあった。助川さんは「作り始めた時は右も左も分からないからね。ハウスに植え替える前の株の管理が甘く、腐らせてしまったこともあった」と打ち明ける。
産地全体が危機に陥ったこともあった。1998年8月に発生した那須豪雨だ。平地で栽培していた株のほとんどが水に漬かり、出荷できなくなった。助川さんは、部会の中心メンバーとして水害の難を逃れた株のかき集めに奔走。被災した仲間に株を配り、産地復興に尽力した。2年後には平年並みの作付面積を確保した。
JA園芸課の関敏弘課長も「ウドへの思いは人一倍。後継者の育成や他産地との交流にも力を入れており、まさに産地のリーダーだ」と評価する。助川さんは「今後は他の産地とも協力して、ウドを野菜として食べる文化を広げ、消費を拡大したい」と先を見据える。(藤川千尋)
経営メモ
ウドを70アール、水稲4ヘクタール、麦1.5ヘクタール、大豆2.2ヘクタール。本人、妻、息子の3人で栽培する。
私のこだわり
「消費者に受け入れてもらえるようなウド作りがモットー。特有のあくやえぐ味、苦味がなく生で食べられるウドを、野菜として食べる文化を広げたい」
2018年03月19日

[達人列伝 41] 春レタス 北海道むかわ町・馬場信悦さん 産地化の立て役者 技術も販路も30年間けん引
北海道むかわ町で越冬させて春に収穫する「春レタス」。春先の貴重な道産野菜として、市場の評価も高い。先駆者として産地をリードするのが馬場信悦さん(67)。先進地での学びや仲間の協力で、約30年で同町を道内一の春レタス産地に育てた。
同町の春レタスは、葉は厚いが柔らかく、寒い中で育てるため甘味も強い。11月末~2月末に種をまき、1カ月、JAむかわの施設で育苗。ビニールハウスに苗を植えて、4、5月に出荷。厳しい自然条件での栽培は、馬場さんが培ったノウハウが随所に生きる。
育苗温度は18~20度。水は多過ぎると病害虫が発生しやすいため与え過ぎない。苗をハウスに植えた後は暖房ではなく、ビニールの被覆や開閉などで小まめに温度調整する。換気も十分に行う。研究を重ねる中で、最適な苗の植え付け間隔をつかみ、メーカーと産地独自のマルチを開発した。
馬場さんが30代のころ、産地は米からの転作を余儀なくされ、施設野菜の栽培を始めた。年間を通じてハウスを活用したいと、冬に栽培できる品目を模索した。JA企画の視察に参加し、春レタスに着目。約5年、産地に通い栽培技術を学んだ。
仲間と春レタスの栽培を始め、少しでも所得を得るため、自ら育苗も手掛けた。露地栽培や他産地で学んだ技術を生かし、品質の良い苗作りを追求し続けた。「冬は寒さが厳しい。温度管理などが難しく、試行錯誤の連続」と振り返る。技術は惜しみなく伝え、産地づくりに賛同する30~50代の約20人と、JAの育苗施設を使って、生産者やJAが協力して育苗する体制をつくり上げた。
販路拡大にも力を入れた。産地化に取り組む時期が、レタスの需要拡大と重なり、「市場関係者から運が良いと言われた」という。野菜産地としての知名度がなかった同町産を自ら、苫小牧市の卸売市場に売り込んだ。札幌市や釧路市などにも販路を広げ、産地としての基盤を固めた。
JAは「栽培技術確立への努力が、大産地にすることに貢献した」と評価する。同町の春レタスは現在、JA蔬菜(そさい)園芸振興会レタス部会で、生産者約90人が30ヘクタール栽培する。
10年ほど前から、小カブの栽培にも乗り出した。次のブランド化に向け、再び試行錯誤を続ける日々だ。(望月悠希)
経営メモ
経営主である息子と妻と大豆などの輪作で5ヘクタール、トマトやレタスなどの施設野菜を2ヘクタール栽培する。
私のこだわり
「病害虫を防ぐため、土壌と水の管理を重視する。栽培技術は惜しみなく地域の仲間に教え、生産者、栽培面積ともに拡大させる」
2018年03月12日

[達人列伝 40] 養豚 岐阜県高山市・吉野毅さん 地場栗与え銘柄販売 無薬こだわり 地域盛り上げ
岐阜県高山市の吉野毅さん(57)は、抗生物質や合成抗菌剤を一切使わない「無薬飼料」を使った養豚一貫経営に取り組む。「健康に育った豚は絶対においしい」という信念の下、衛生管理を徹底した生産を貫く。肉質を重視した四元豚は、しっかりとしたうま味が好評だ。岐阜県特産の栗を餌とした豚の飼育も手掛けるなど、安全・安心という基盤に立ち、さらに付加価値を高めた豚の生産にも力を入れている。
吉野さんは同市の養鶏農家出身。高山市農協(当時)職員を経て、1989年に就農した。「やるなら一貫経営。生産を短いサイクルで回せることに魅力を感じた」(吉野さん)として養豚の道を選んだ。当初は特定病原菌不在豚(SPF豚)、2003年に無薬での生産に切り替えた。
今でこそ無薬生産も増えてきたが、当時はまだ一般的でなく、そもそも無薬飼料がなかった。JA全農岐阜などと協力して、JA東日本くみあい飼料に製造を依頼。オリジナル飼料を作り上げた。
外部からのウイルスの流入、病気の予防には細心の注意を払う。畜舎ごとに用意した専用の長靴に履き替えないと出入りできない。分娩(ぶんべん)室は床暖房を導入し、子豚がくしゃみやせきをすることはほとんどない。
肉のうま味を引き出す餌や交配にもこだわる。餌は肥育段階の飼料に玄米を20%、麦を30%以上混ぜて与えてオレイン酸を高める。試行錯誤の末にたどり着いた交配は「WLDB」の四元豚。肥育日数は一般的な三元豚より延びるが、黒豚のバークシャー種が入ることで良食味でこくのある味わいに仕上がる。「飛騨旨豚(うまぶた)」のブランド名で、大手スーパーのイオンや東京の高級スーパーに流通している。
14年から、新たなブランド豚として、餌に栗を与える「栗旨豚」の飼育を中津川農場で始めた。原料となる栗は、傷があるといった規格外品を活用。原料調達にはJAひがしみのが全面協力する。むき栗と甘味の強い蒸し栗を、仕上げの30日間以上食べさせる。まだ年間生産は250頭ほどで、地元でしか流通しないものの、昨年度から通年出荷にも取り組む。
現在、世界遺産のある白川村に最新設備を備えた農場を建設中。吉野さんは「おいしい豚肉をつくることで地域に貢献したい」と力を込める。(岐阜県JAひがしみの=纐纈由衣特別通信員)
経営メモ
妻の聡子さん(56)と2人で就農。2人の他に高山農場で6人、中津川農場で5人を雇用する。高山農場で母豚285頭、中津川農場は母豚245頭を飼育。両農場合わせて年間1万1000頭を出荷している。
私のこだわり
「健康に育てた豚はおいしい」
2018年03月05日

[達人列伝 39] スイカ 熊本市・高木實さん 先陣切って大玉出荷 質重視を徹底 市場で高評価
熊本市の農家、高木實さん(68)はJA鹿本の大玉スイカで先陣を切って出荷を始める農家の一人だ。出回るのが小玉ばかりの時期に、高木さんは露地物に劣らない大きなスイカを出荷して市場を沸かせる。出荷時期は2月下旬。冷え込みが続いた今年も、今週から大玉のスイカを送り出す。
JAはスイカ生産量が全国一を誇る大産地。初出荷に合わせて東京青果、大果大阪青果など、各地の主要な青果卸がトップセールスを開き、スイカシーズンの幕開けを市場関係者に伝える。共同選果であるため、出荷後は誰が作ったスイカであるのか分からないが、「どのトップセールスでも、高木さんのスイカが並んでいるのは間違いない」とJAの担当者は言い切る。市場で好まれる大玉規格の出荷割合が抜きんでているからだ。
栽培時期は11~2月の真冬。出始めからS級を超える大きさのスイカを作るのは至難の業だが、高木さんのスイカはM・L級の比率が圧倒的に多い。SとLで階級が2段階変わると、重量では約1・5倍の差が出る。2月上旬にハウス内を訪れたJAの営農指導員は「初出荷まで2週間あったが、既にS級ぐらいのスイカがごろごろあった」と驚嘆する。
高木さんが栽培を始めて今年で半世紀。長年、畑で磨いてきた観察眼はスイカのどんな変化も見逃さない。葉柄や節間、なり口の長さ、葉色の色合いなど、刻々と成長するつるや葉の状態を見ながら、ハウス内の温度設定を微妙に調整する。「いかに光合成しやすい状況を作るか。玉肥大も味もそれが全てだ」と高木さんは力を込める。
「冬でもハウス内は真夏にする」(高木さん)ため、高いときには35度に設定することもある。毎年、加温にかかる重油代は膨大だ。今シーズンは重油価格高騰に加え、長期の低温で使用量も増えているが、コスト削減策はとらない。高品質なものを作ることで収益を上げ続けると固く決めている。そこには自身の腕前への自負と、先陣を切って出荷することへの責任感がある。
「初出荷のスイカで今シーズン全体の販売が決まる。妥協はできない」。“トップバッター”を自称する高木さんのこだわりが、JAが統一して出荷しているスイカブランド「夢大地かもと」を支えている。(金子祥也)
経営メモ
熊本市の旧植木町で、大玉スイカと小玉スイカの栽培を手掛ける。栽培面積は大玉157アール、小玉104アール。JAで最も早い作型で大玉スイカを作る。
私のこだわり
「産地のためにどんな状況でも、コストは惜しまない。覚悟を決めて生産に臨む」
2018年02月26日

[達人列伝 38] シイタケ 秋田県横手市・藤原信博さん 菌床見抜く経験と勘 適度な刺激鍵 厚みと質維持
かさが張り出したシイタケ。ひときわ大きなサイズは口に入れた時、ジューシーな食感を生み出す。秋田県横手市の藤原信博さん(52)が作る菌床シイタケだ。
裏側までかさが詰まり、厚みも十分なシイタケは火を通しても、しっかりとした歯応えを保つ。藤原さんが所属するJA秋田ふるさと菌床椎茸(しいたけ)部会では優れた形状をA、B品として扱う。藤原さんの菌床シイタケの7割以上はA、B品となり、部会の平均を上回る。
質の高いシイタケを生産するため、藤原さんが徹底するのは菌床の管理だ。シイタケを発生させるには菌床に刺激を与える。菌床の中に、しっかり菌糸が張った状態で刺激を与えないと、大きなシイタケは出ない。いろいろな要素から菌床の中を想像し、タイミングを見極める。
栽培歴25年の中で培った眼力で適期を見抜く。おがくずで作られた菌床の色は基本的に茶色。「明るい色になった時が頃合い。こればかりは自分で養った勘が頼り」と藤原さんは打ち明ける。
大ぶりのシイタケを作り続けるため、刺激の与え方にも細心の注意を払う。菌床はたたかず、水を吹き掛けるだけ。刺激が強過ぎると菌床に負荷がかかり、2回目以降の収穫ではサイズの小さく、ジューシーさに乏しいシイタケが多くなる可能性がある。
藤原さんは「1回の発生を8割程度に抑えることで、常にボリューム感のあるシイタケが取れる」と強調する。
失敗も経験してきた。菌床をフィルムで包み、下部に水を入れて上部からシイタケを出す上面栽培を採用しているが、15年前の導入当初は水を入れるタイミングを誤り、雑菌が多発したこともあった。
シイタケの菌が、おがくずの中の栄養体を食べ切っていない状態のまま水を入れたことが原因だった。その後も栽培を続ける中、栄養体を食い切ると、わずかだが菌床が縮み、ぴんと張っていたフィルムが緩むことに気付いた。以来、水を入れる時期はフィルムを確認してから決める。
「自分の目を信じていなかった。見据えるべきだったのは菌床の状態だった」と振り返る。
JAの部会では指導役を務める。「自ら考え、失敗を恐れず、忘れずに細かく覚えておくことで次の気付きにつながる」と説く。部会員は100人を超え20、30代の若手も多い。「栽培技術を語り合える仲間がどんどん増えてほしい」と願う。(柘植昌行)
経営メモ
年間菌床4万6000個でシイタケを栽培。他に水稲2.9ヘクタール、リンゴ20アール。労働力は自身と妻、従業員3人。
私のこだわり
うまいシイタケを作り続けるにはマニュアルだけでは不可能。失敗を含め経験を重ね、引き出しを多くつくることが大事。
2018年02月19日

[達人列伝 37] ミカン「小原紅早生」 香川県坂出市・小原幸晴さん 偶然の紅 GI飛躍へ 食味常に意識 アジアに輸出
2017年に地理的表示(GI)保護制度に登録されたミカン「小原紅早生」。香川県坂出市の園地で枝変わりを発見した小原幸晴さん(80)は半世紀かけて成長を見守り、知名度向上に尽力した。国内の品種で最も濃いといわれる紅色の外皮と高い糖度を誇る品種だ。出始め当初は見慣れない色が「気持ち悪い」と受け入れられなかったが、今ではアジア圏にまで販路が広がっている。
「小原紅早生」は1973年に「宮川早生」の枝変わりとして小原さんが園地で発見。濃い紅色と12を上回る高い糖度、骨を作る働きに作用する●クリプトキサンチンの含有量も多い。
世に出るまでには偶然が重なった。小原さんは果実を見つけた枝を接ぎ木しようとしたが、父親は「切ってしまえ」と言った。翌シーズンに向けた剪定(せんてい)時にはどの枝に紅色の果実がなっていたか忘れてしまったが、切り落とさずに済んだ。「偶然の産物だ」と笑う。
ただ、農業試験場に持ち込み、検査や栽培実験を繰り返して、20年後の93年にようやく品種登録につながった。小原さんは「いろいろな人の協力がなければ、今の知名度はない」と強調する。
販路開拓も苦労が多かった。「紅色のかんきつはまだなかった」と小原さんは振り返る。なじみのない色になかなか客が付かなかったが、高松市内の百貨店が食味の良さにひかれ販売を始めた。「売り場で色が目を引いたのだろう。この売り込みがなければ広がるのはもっと遅かった」
世に出るきっかけにつながった食味には今もこだわる。15年前に導入したマルドリ栽培(マルチ・点滴かん水同時施肥法)のおかげで平均糖度は12を上回る。糖と酸のバランスが良く、味や香りも濃厚で高い満足感が得られると評価が高い。
JA香川県坂出みかん共選場の担当者は「毎年品質の高い果実を出荷している。3、4割が最上級品になる」と強調する。周りに広めてきただけに、品質を維持する熱意はピカイチだと評価する。台湾やシンガポール、マレーシアにも輸出し、現地では縁起物としての需要があるという。
毎年、小原さんからミカンを買う客からは「子どもは黄色いミカンは食べないが、紅色のミカンは進んで食べる」といったうれしい声もある。「自然に出てきたものだから、他の産地にまねはできない。後に継ぐことを今は考えている」
昨年、自宅で転んだ際に足を骨折してしまい、今はほとんど園地に出ていない。ただ、妻の盛子さん(77)や息子らの支えもあって、園地はきれいに整備されている。盛子さんは「この品種の第一人者の園地。家族や親類も絶やすわけにはいかないと思っている」と話す。
これからの目標は後継者づくりだ。他の園地でも後継ぎは退職後の就農が多く、若手が戻ってきていない。仏壇や神棚に「小原紅早生」を置く小原さんは「面白い品種だからこそ絶やしたくない。産地全体に若い人が戻ってきてほしい」と願う。(丸草慶人)
経営メモ
「小原紅早生」の他に、「宮川早生」、「石地」を1・3ヘクタールで栽培。剪定などの管理は妻が、収穫期は親戚らが手伝う。
私のこだわり
食味が良ければお客は付いてくる。分かりやすいのは糖度を高くすることだ。
編注=●はギリシャ文字のベータ。
2018年02月12日

[達人列伝 36] マスクメロン 静岡県袋井市・中條友貴さん 一木一果で甘味凝縮 かん水手作業 高品質を維持
全国に数あるメロンの中でも抜群の知名度を誇るのが、静岡県のマスクメロン「クラウンメロン」だ。1本の木に着ける果実は一つだけ。栄養を集中させて、香り高く仕上げる。生産する静岡県温室農業協同組合クラウンメロン支所の中條友貴さん(33)は、父の栽培技術を受け継ぎ、若手として産地をけん引。消費者に指名買いされる商品を作り上げる。
クラウンメロンは、通常は1本の木から2、3個収穫する果実を、1個に絞る「一木一果」で栽培する。収穫量は少なくなるが、甘味や香りが濃厚になるという。品種は同支所で改良し、季節や条件によって複数を使い分ける。
中條さんの栽培のこだわりは、木の状態に合わせた管理だ。メロンではネットの張りが品質の指標となる。肥大が急に進めば果実が大きく割れ、肥大が遅いとネットがうまく出ない。かん水での肥大スピードを一定に保つことが求められる。
中條さんが大切にするのは観察力。葉のしおれなどの植物の変化を見逃さないよう、小まめに見回る。生育に影響する日照やハウス内の温度と照らし合わせて最適な水の量を予想する。株ごとに最適な量を与えるため全て手作業でかん水し、太さが一定で、目の細かいネットを果実表面に浮かび上がらせる。「すぐ近くにある株同士でも、生育に違いは出てくる。それをいかに把握するかが、農家の腕の見せ所」と話す。
果肉のみずみずしさと、爽やかな甘味と香りは目の肥えた小売業者もとりこにする。「支所の中でもトップレベルの果実。上品な甘味は、一度食べたら誰でも分かる」とほれ込むのが、名古屋市の果実店、トップフルーツ八百文の鈴木和子社長だ。一度食べた味を忘れられず、中條さんの果実を指名して買い求めにくる人もいるほどだという。
都市圏では数万円で販売されることもあるクラウンメロン。鈴木社長は「生産者の努力と品質を考えれば、決して高くない。どんな人にも自信を持ってお勧めできる」と太鼓判を押す。
目標は、数十年後も高い品質を維持し続けること。父から受け継いだ技術をさらに磨き、季節や天候に左右されない、安定した生産体制確立を目指す。「どんなにおいしくても、奇跡の一玉では意味がない。いつ、どれを食べても満足できるメロンを作りたい」と意気込む。(吉本理子)
経営メモ
ハウス11棟で、同支所独自品種を生産。年間3000ケース(1ケース6個)を同支所に出荷。両親、妻、従業員2人、パートタイマー2人で作業する。
私のこだわり
「株の日々の変化を把握すること。メロンの何を求めているのか見極め管理できてこそ、いい果実が作れる」
2018年01月29日