石田衣良さん(作家) フレンチより家庭料理 質高く安全な国内青果物
2018年04月15日

石田衣良さん
小説の中では食べ物のシーンについてあれこれ細かく書いたりしますが、僕自身はそんなに食にうるさい方ではありません。ですから、担当の編集者が高級なレストランに連れて行ってくれるんですけど、その時はおいしいと思っても、すぐに忘れてしまうんですよね。
正直言うと、料理やワインにものすごく詳しい人のことはうらやましいと思いつつも、うさん臭く感じてしまうんです。3万円のフレンチとか言われると、ムカッとしちゃう感じ(笑)。自分の中に庶民派代表みたいな気分があるんでしょうね。
僕が好きなのは簡単な家庭料理。ご飯炊いて、野菜炒めとかおひたしを作って、みそ汁があって……というようなのが一番おいしいですね。
料理はよくするんですよ。家庭料理は一通り、自分で作れます。楽しいですよね、作ったものを家族が食べてくれるって。
最初に作ったのは、高校2年生の時。伊丹十三さんのエッセーを読んで、料理ができるというのは素晴らしいと思ったからです。パスタとミモザサラダを作りました。ゆで卵を細かく刻んで、サラダの上にかけるやつですね。最初に作ったカレーはタイかどこかのペーストだったんですけど、ショウガを使ったらおいしくなるだろうと思って入れたら、量を間違えて(苦笑)。
僕は辛い物がすごく好きなんですよ。ラー油はあれこれ試してみて、どれもそんなに変わらない、1瓶に500円出すなんてバカバカしいということが分かりました。ラー油と一味唐辛子は、スーパーに行って5本くらいずつまとめて買います。
年を取るにしたがって、野菜がおいしく感じられるようになってきました。サラダなんて若い頃はね、おまけみたいなものとしか思ってなかった(笑)。でも今は、おいしいサラダのために自分好みのドレッシングを作りますからね。オリーブオイルと酢と塩、それぞれの割合を変えたり、他の何かを加えたりして楽しんでいます。トウバンジャンを使ったり、ごま油を入れたり、ラー油だったり。
実家がスーパーをやっていたので、野菜と果物選びには自信がありますね。適当に4個選んで20グラムか30グラムの誤差で1キロにするなんていうのは得意でした。メロンを裏返してお尻を触って匂いを嗅げば、熟しているかどうかすぐに分かります。
そうした知識は、割と小説の中に生かせていると思います。『池袋ウエストゲートパーク』の主人公は実家の果物屋を手伝っていますし。
もちろんこの特技は、近所のスーパーで買う時にも生かしています。リンゴを切ってみたら、中が蜜で半透明になっていたりするとうれしいですね。
これはすごくぜいたくなことです。日本の野菜や果物は、ものすごくおいしい。その中からさらに選ぶわけですから。
簡単な家庭料理がおいしいというのも、食材の質が高いからなんです。特にこだわらずに普通に選んで買っても、安全な上においしい。すごく高レベルのものを食べられます。これが日本の素晴らしいところだと思いますね。
小説ですと、苦労して書き上げたものがいまひとつだったり、逆にすっと書いたものの出来が良いということがあります。この辺り農業は違うでしょう。農産物は、手をかけるほど良くなりますよね。日本の農業は、コツコツ勉強し努力した方々が支えているわけです。その人たちに続く若い力をいかに生かしていくか。今の高いレベルを保って、日本の食を守ってもらいたいと願っています。(聞き手・菊地武顕)
<プロフィル> いしだ・いら
1960年、東京都生まれ。97年に『池袋ウエストゲートパーク』でオール讀物推理小説新人賞受賞。同シリーズはドラマ化もされ、現在も続くヒット作だ。2003年『4TEEN』で直木賞受賞。代表作の一つ『娼年』が映画化され、現在公開中。
正直言うと、料理やワインにものすごく詳しい人のことはうらやましいと思いつつも、うさん臭く感じてしまうんです。3万円のフレンチとか言われると、ムカッとしちゃう感じ(笑)。自分の中に庶民派代表みたいな気分があるんでしょうね。
僕が好きなのは簡単な家庭料理。ご飯炊いて、野菜炒めとかおひたしを作って、みそ汁があって……というようなのが一番おいしいですね。
料理はよくするんですよ。家庭料理は一通り、自分で作れます。楽しいですよね、作ったものを家族が食べてくれるって。
最初に作ったのは、高校2年生の時。伊丹十三さんのエッセーを読んで、料理ができるというのは素晴らしいと思ったからです。パスタとミモザサラダを作りました。ゆで卵を細かく刻んで、サラダの上にかけるやつですね。最初に作ったカレーはタイかどこかのペーストだったんですけど、ショウガを使ったらおいしくなるだろうと思って入れたら、量を間違えて(苦笑)。
僕は辛い物がすごく好きなんですよ。ラー油はあれこれ試してみて、どれもそんなに変わらない、1瓶に500円出すなんてバカバカしいということが分かりました。ラー油と一味唐辛子は、スーパーに行って5本くらいずつまとめて買います。
年を取るにしたがって、野菜がおいしく感じられるようになってきました。サラダなんて若い頃はね、おまけみたいなものとしか思ってなかった(笑)。でも今は、おいしいサラダのために自分好みのドレッシングを作りますからね。オリーブオイルと酢と塩、それぞれの割合を変えたり、他の何かを加えたりして楽しんでいます。トウバンジャンを使ったり、ごま油を入れたり、ラー油だったり。
実家がスーパーをやっていたので、野菜と果物選びには自信がありますね。適当に4個選んで20グラムか30グラムの誤差で1キロにするなんていうのは得意でした。メロンを裏返してお尻を触って匂いを嗅げば、熟しているかどうかすぐに分かります。
そうした知識は、割と小説の中に生かせていると思います。『池袋ウエストゲートパーク』の主人公は実家の果物屋を手伝っていますし。
もちろんこの特技は、近所のスーパーで買う時にも生かしています。リンゴを切ってみたら、中が蜜で半透明になっていたりするとうれしいですね。
これはすごくぜいたくなことです。日本の野菜や果物は、ものすごくおいしい。その中からさらに選ぶわけですから。
簡単な家庭料理がおいしいというのも、食材の質が高いからなんです。特にこだわらずに普通に選んで買っても、安全な上においしい。すごく高レベルのものを食べられます。これが日本の素晴らしいところだと思いますね。
小説ですと、苦労して書き上げたものがいまひとつだったり、逆にすっと書いたものの出来が良いということがあります。この辺り農業は違うでしょう。農産物は、手をかけるほど良くなりますよね。日本の農業は、コツコツ勉強し努力した方々が支えているわけです。その人たちに続く若い力をいかに生かしていくか。今の高いレベルを保って、日本の食を守ってもらいたいと願っています。(聞き手・菊地武顕)
<プロフィル> いしだ・いら
1960年、東京都生まれ。97年に『池袋ウエストゲートパーク』でオール讀物推理小説新人賞受賞。同シリーズはドラマ化もされ、現在も続くヒット作だ。2003年『4TEEN』で直木賞受賞。代表作の一つ『娼年』が映画化され、現在公開中。
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玉ねぎと鶏もも肉の黒カレー 北海道・JAきたみらい
北海道のJAきたみらいが開発・販売するレトルトカレー。全国一の生産量を誇るタマネギをふんだんに使って産地の特色を生かし、黒カレーに仕上げた。
「洋食屋のぜいたくなカレー」をコンセプトに試食を重ねて開発した。じっくり炒めたタマネギのうま味とこくが溶け込んだ濃厚な味わいが特徴。軟らかく煮込んだ鶏モモ肉もたっぷり入っており、スパイシーに仕上げたルーとの相性は抜群。デミグラスソースを使い黒カレーならではの色合いに仕上げた。
1箱180グラム入り。同JAのホームページから購入できる。価格は518円。問い合わせは同JA企画開発グループ、(電)0157(32)8790。
2018年04月19日
小回り利く加工で活路 女性起業の強み
若手女性農業者の起業が増えている。活動内容は食品加工が圧倒的に多い。拡大・新規展開したいことも食品加工がトップ。女性の強みは柔軟さだ。しなやかな発想で商品を作り、インターネットも利用したい。
地元の農産物を使った加工品作りは大きな投資が要らず、女性が取り組みやすい起業といえる。農水省の2016年度の「農村女性の起業活動実態調査」によると、活動内容は食品加工が71%と最も多かった。起業数は全国で9497件。個別経営が5178件と全体の55%を占め、14年度の前回調査に比べ5ポイント上昇した。個別経営は49歳以下の年齢層で増えている。
女性農業者の特徴の一つは、身近にある材料を使い、加工している点だ。自宅加工であれば、一つのものだけでなく、少量でもいろいろなものを作り、品ぞろえをよくすることができる。食品大手よりも、小回りが利くところが強みだ。売れる商品のトレンドやブームはさまざまで、一過性で終わってしまうものも多い。ころころ変わる客の心をつかむには、品ぞろえを増やし、バリエーションを豊かにすることが重要だ。
コミュニケーション力を生かして、客との何気ない会話からヒントを得て、素早く対応できるのも強みだ。
キウイフルーツ農家の女性は、規格外品を活用してコンポートを作った。しかし、それだけでは客に飽きられてしまうと考え、商品を次々と考案した。ジャム、ケーキ、アイスクリームなど、いつも新商品を用意することで売り上げを伸ばしている。
加工を手掛けるブドウ農家の女性は、日本ではあまり知られていないイタリアの伝統菓子をアレンジしたオリジナル商品を生み出した。ホームステイで受け入れたイタリア人留学生との交流から、加工品のヒントを得たもので、今では看板商品となっている。
もちろん、新しい商品を作ればいいというものではない。作った後のチェックも重要だ。売れ行きや客の反応を調査・研究し、変えるべきところは変える。そういう努力も必要だ。
干し柿農家の女性は、干し柿のドレッシングを作った。ドレッシングを置いてくれた店に足しげく通い、客の感想を聞き取った。「酸味が強い」と言われれば、マイルドな味に変えた。「量が多過ぎる」と聞けば、量を減らした。消費者視点で商品に手を加え、味や量などを改良することで、消費の裾野がぐっと広がるケースが多い。
今はインターネットを駆使してPRしたり、販売したりできる。以前は数量が少ないことや消費地から遠いことは大きな不利だったが、ネット社会の到来で食品加工分野で女性が活躍しやすい環境になっている。
規模が小さい、個人だからと最初から諦めるのはやめよう。過度の投資は禁物だが、いろいろなやり方を模索してほしい。
2018年04月22日

冷凍食品 利用率、初の8割 女性で「野菜」消費進む
食品メーカーなどでつくる日本冷凍食品協会がまとめた冷凍食品の利用実態調査(2018年)によると、冷凍食品を月1回以上使う人の割合は初めて8割に達した。共働き世帯が増え、手軽に調理できる冷凍食品の利用が広がっている。女性で「冷凍野菜」の消費が進み、同協会は「天候不順で高騰した生鮮野菜の代替で需要が伸びた」と指摘する。
調査はインターネット上で3月に実施。25歳以上が対象で、9967人が回答した。
冷凍食品を月1回以上使う人の割合は、前年比2ポイント増の80%となり、増加が続く。月1回以上使う人に利用頻度を尋ねたところ、「週2、3回」が31%で最多。「週1回」(25%)、「月2、3回」(22%)となった。利用頻度の平均は週1・9回で、前年と同じだった。
ギョーザやチャーハンなど全21品目で利用頻度が増えた品目(複数回答)を男女別に尋ねたところ、女性のトップは「冷凍野菜」で34%。男性でも22%と前年より3ポイント伸びている。
昨年10月の長雨や台風、同11月の低温などの天候不順を受け、生鮮野菜の価格は大きく値上がりした。同協会は「冷凍野菜の価格は比較的安定していたため、消費が進んだ」と分析する。
2018年04月24日

[ここに技あり] 除草剤散布用無線ボート自作 低コスト 30アール5分で 栃木県鹿沼市 渡邉宏幸さん
栃木県鹿沼市の米農家、渡邉宏幸さん(47)は、使わなくなった刈り払い機のエンジンや波乗り用の中古のボディーボード、リモコンの送受信機などを組み合わせて除草剤散布用の無線ボートを作った。30アールの散布にかかる時間は、従来の12分の1の約5分まで短縮できた。約80万円かかる除草剤散布用の市販の無人ボートと違い、約8万円ででき、改造できる楽しみもあって地域の農家に広がっている。
30ヘクタールで「コシヒカリ」など主食用米を栽培する渡邉さん。悩みの種は田植え後の除草剤散布だった。「暑い中、田んぼの中の散布作業は蒸れるし、体力はいるし、時間もかかる。どうにか省力化できないか」と思っていた。
そんな時、目に留まったのがインターネットの動画投稿サイト・ユーチューブにあった無人ボートで除草剤を散布する光景だった。「これだ」。動画を参考にしながらボートを自作、5年ほど前に完成させた。
作り方は、中古のボディーボードの上に刈り払い機のモーターにプロペラを付けた。ボートの進む方向を決めるかじは金属板を加工。除草剤を入れるタンクはL字金具やボルトなどで固定した。ボートはプロペラの風力で前進する仕組みだ。
モーターとかじ、除草剤の散布は、リモコンと連動する送受信機を取り付けることで速度や方向、薬剤を散布するタイミングを調整する。
送受信機は、模型店やインターネットなどで1万円ほどで購入できる。渡邉さんの場合、使わなくなった無人ヘリの部品があったため、計1万円ほどで作れたという。新品の材料を使っても8万円ほどで作れ、「市販品の10分の1くらいでできる」と見積もる。
ただ、注意が必要なのは田んぼの水の深さだ。渡邉さんは「稲の葉は頑丈なのでボートの胴体が当たっても大丈夫だが、水に漬かっている部分が傷付くと生育に影響が出る。水面から1センチほど苗の頭が出る程度までたっぷり水を張ってほしい」とアドバイスする。
渡邉さんの自作ボートに刺激を受け、周辺の農家7人もボートを自作し除草剤を散布するようになった。同市の米農家、丸山信昭さん(72)は「農作業が楽になったことはもちろん、速度や旋回性能、機能の追加など自分だけのボートに育てる楽しみがある。仲間同士でレースをすることもあるよ」と笑顔で話す。
ボートは液剤用と粒剤散布用と2台作り、それぞれ人形を付け、レーサーの名前も付けた。今後は「ボートに小型カメラを取り付けて、遠方での操作性を高めたい」と渡邉さんは張り切っている。
動画が正しい表示でご覧になれない場合は下記をクリックしてください
https://www.youtube.com/watch?v=bYPtP5N4iZE
2018年04月24日

金本兼次郎さん(ウナギ料理人) 「焼き方」は一生の修業 ご飯の出来おいしさ左右
ウナギの世界では、さばくのに3年、串打ちに3年、焼くのは一生といわれています。焼くのは一生かけてやり続ける修業だという意味だと思います。私は今日も焼きましたが、本当に納得できたのは最後のウナギくらいですかねえ。
ウナギというのは同じように見えて、一匹一匹皆違います。脂がのってるのもあれば、のってないのもある。その都度その都度、焼き方を考えないといけない。一回一回が勝負です。
今年の1月1日で90歳になりました。本当は前の年の12月27日か28日に生まれたようです。たぶん親は、私が兵役に行くのを延ばそうと思って、翌年の生まれにしたんでしょう。それで満州への徴用を免れました。12月生まれならいや応なしに行かされていたと思います。
家は5月25日の空襲でやられました。いつも私は2階に寝ていたんですけど、親父がその日に限って「今日は防空壕に入れ」と言ったんです。おかげで助かったんです。後で家に帰ったら、屋根が吹っ飛んでいました。
私たちにとって命の次に大事なのは、たれでございます。親父は家の前に防空壕を掘ってたれなど一式入れておきましたので、江戸時代から継ぎ足しで使ってきたたれは無事でした。
長年続く店の5代目として、常によそ様と比較して、ウナギの焼き方や蒸し方を勉強しています。3週間前に福岡に、1週間前に小倉に食べに行きました。来週は大阪に行きます。
大阪ではウナギを蒸しません。たぶん東京の人は大阪でウナギを食べて「硬い! これは俺の食べるウナギではない」と思うでしょう。でも1週間ほど食い倒れの街でたこ焼きなどを満喫した上でウナギを食べたなら「あ、そうか」と理解できると思うんです。
福岡のたれはすごく甘い。それが苦手な東京の人は多いでしょうけど、1週間いた上で食べれば、納得すると思います。
その土地の気候や生活習慣で食べ方が変わります。こういう食文化の違いをどう考えるか。
うちはパリにも支店があります。元になるたれを日本から送り、まったく同じ味でウナギをお出ししています。パリのお客さんは、箸を使って食べてくださいます。ナイフとフォークをくれとは言いません。皆さん、日本の食文化に敬意を持っていて、和食というものに挑戦しているんだと思います。
そのようなフランス人の食文化の捉え方が好きですし、おいしいものがたくさんあるので、10年くらいかけて、レンタカーでフランス全土の食べ歩きをしたものです。
中で強く印象に残っているのが、モナコで食べた子牛。まだ胎内にあるものを引っ張り出して調理したそうで、柔らかい食感といい、ミルクっぽい香りといい、素晴らしかった。
国内でも海外でもいろんなものを食べました。その上で私は、ご飯ほどおいしいものはないと思っています。確かにステーキはおいしいですよ。ウナギもおいしいですよ。でも毎日は食べられないでしょう。ご飯は1日3食、365日食べても飽きません。それも毎回、おいしく食べられるんです。
店でお客さんに「今日はちょっとおいしくなかった」と言われることがあります。そんな日は、ご飯の炊き方が悪かったんですね。ご飯が良くないと、ウナギが良くてもおいしくない。
こんなことを言うと怒られちゃうでしょうけど、たぶん農家の方が思っている以上に、ご飯の味は大事。農家の皆さんは素晴らしいものを作っているんです。これからもよろしくお願いします、と言いたいですね。
(聞き手・写真 菊地武顕)
<プロフィル> かねもと・かねじろう
1928年、東京都生まれ。寛政年間(1789~1801年)に創業したウナギ店「野田岩」店主。ワインと合わせたり、志ら焼(白焼き)とキャビアを組み合わせるなど新しい試みも提唱。著書に『生涯うなぎ職人』。
2018年04月22日
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ウナギの世界では、さばくのに3年、串打ちに3年、焼くのは一生といわれています。焼くのは一生かけてやり続ける修業だという意味だと思います。私は今日も焼きましたが、本当に納得できたのは最後のウナギくらいですかねえ。
ウナギというのは同じように見えて、一匹一匹皆違います。脂がのってるのもあれば、のってないのもある。その都度その都度、焼き方を考えないといけない。一回一回が勝負です。
今年の1月1日で90歳になりました。本当は前の年の12月27日か28日に生まれたようです。たぶん親は、私が兵役に行くのを延ばそうと思って、翌年の生まれにしたんでしょう。それで満州への徴用を免れました。12月生まれならいや応なしに行かされていたと思います。
家は5月25日の空襲でやられました。いつも私は2階に寝ていたんですけど、親父がその日に限って「今日は防空壕に入れ」と言ったんです。おかげで助かったんです。後で家に帰ったら、屋根が吹っ飛んでいました。
私たちにとって命の次に大事なのは、たれでございます。親父は家の前に防空壕を掘ってたれなど一式入れておきましたので、江戸時代から継ぎ足しで使ってきたたれは無事でした。
長年続く店の5代目として、常によそ様と比較して、ウナギの焼き方や蒸し方を勉強しています。3週間前に福岡に、1週間前に小倉に食べに行きました。来週は大阪に行きます。
大阪ではウナギを蒸しません。たぶん東京の人は大阪でウナギを食べて「硬い! これは俺の食べるウナギではない」と思うでしょう。でも1週間ほど食い倒れの街でたこ焼きなどを満喫した上でウナギを食べたなら「あ、そうか」と理解できると思うんです。
福岡のたれはすごく甘い。それが苦手な東京の人は多いでしょうけど、1週間いた上で食べれば、納得すると思います。
その土地の気候や生活習慣で食べ方が変わります。こういう食文化の違いをどう考えるか。
うちはパリにも支店があります。元になるたれを日本から送り、まったく同じ味でウナギをお出ししています。パリのお客さんは、箸を使って食べてくださいます。ナイフとフォークをくれとは言いません。皆さん、日本の食文化に敬意を持っていて、和食というものに挑戦しているんだと思います。
そのようなフランス人の食文化の捉え方が好きですし、おいしいものがたくさんあるので、10年くらいかけて、レンタカーでフランス全土の食べ歩きをしたものです。
中で強く印象に残っているのが、モナコで食べた子牛。まだ胎内にあるものを引っ張り出して調理したそうで、柔らかい食感といい、ミルクっぽい香りといい、素晴らしかった。
国内でも海外でもいろんなものを食べました。その上で私は、ご飯ほどおいしいものはないと思っています。確かにステーキはおいしいですよ。ウナギもおいしいですよ。でも毎日は食べられないでしょう。ご飯は1日3食、365日食べても飽きません。それも毎回、おいしく食べられるんです。
店でお客さんに「今日はちょっとおいしくなかった」と言われることがあります。そんな日は、ご飯の炊き方が悪かったんですね。ご飯が良くないと、ウナギが良くてもおいしくない。
こんなことを言うと怒られちゃうでしょうけど、たぶん農家の方が思っている以上に、ご飯の味は大事。農家の皆さんは素晴らしいものを作っているんです。これからもよろしくお願いします、と言いたいですね。
(聞き手・写真 菊地武顕)
<プロフィル> かねもと・かねじろう
1928年、東京都生まれ。寛政年間(1789~1801年)に創業したウナギ店「野田岩」店主。ワインと合わせたり、志ら焼(白焼き)とキャビアを組み合わせるなど新しい試みも提唱。著書に『生涯うなぎ職人』。
2018年04月22日

石田衣良さん(作家) フレンチより家庭料理 質高く安全な国内青果物
小説の中では食べ物のシーンについてあれこれ細かく書いたりしますが、僕自身はそんなに食にうるさい方ではありません。ですから、担当の編集者が高級なレストランに連れて行ってくれるんですけど、その時はおいしいと思っても、すぐに忘れてしまうんですよね。
正直言うと、料理やワインにものすごく詳しい人のことはうらやましいと思いつつも、うさん臭く感じてしまうんです。3万円のフレンチとか言われると、ムカッとしちゃう感じ(笑)。自分の中に庶民派代表みたいな気分があるんでしょうね。
僕が好きなのは簡単な家庭料理。ご飯炊いて、野菜炒めとかおひたしを作って、みそ汁があって……というようなのが一番おいしいですね。
料理はよくするんですよ。家庭料理は一通り、自分で作れます。楽しいですよね、作ったものを家族が食べてくれるって。
最初に作ったのは、高校2年生の時。伊丹十三さんのエッセーを読んで、料理ができるというのは素晴らしいと思ったからです。パスタとミモザサラダを作りました。ゆで卵を細かく刻んで、サラダの上にかけるやつですね。最初に作ったカレーはタイかどこかのペーストだったんですけど、ショウガを使ったらおいしくなるだろうと思って入れたら、量を間違えて(苦笑)。
僕は辛い物がすごく好きなんですよ。ラー油はあれこれ試してみて、どれもそんなに変わらない、1瓶に500円出すなんてバカバカしいということが分かりました。ラー油と一味唐辛子は、スーパーに行って5本くらいずつまとめて買います。
年を取るにしたがって、野菜がおいしく感じられるようになってきました。サラダなんて若い頃はね、おまけみたいなものとしか思ってなかった(笑)。でも今は、おいしいサラダのために自分好みのドレッシングを作りますからね。オリーブオイルと酢と塩、それぞれの割合を変えたり、他の何かを加えたりして楽しんでいます。トウバンジャンを使ったり、ごま油を入れたり、ラー油だったり。
実家がスーパーをやっていたので、野菜と果物選びには自信がありますね。適当に4個選んで20グラムか30グラムの誤差で1キロにするなんていうのは得意でした。メロンを裏返してお尻を触って匂いを嗅げば、熟しているかどうかすぐに分かります。
そうした知識は、割と小説の中に生かせていると思います。『池袋ウエストゲートパーク』の主人公は実家の果物屋を手伝っていますし。
もちろんこの特技は、近所のスーパーで買う時にも生かしています。リンゴを切ってみたら、中が蜜で半透明になっていたりするとうれしいですね。
これはすごくぜいたくなことです。日本の野菜や果物は、ものすごくおいしい。その中からさらに選ぶわけですから。
簡単な家庭料理がおいしいというのも、食材の質が高いからなんです。特にこだわらずに普通に選んで買っても、安全な上においしい。すごく高レベルのものを食べられます。これが日本の素晴らしいところだと思いますね。
小説ですと、苦労して書き上げたものがいまひとつだったり、逆にすっと書いたものの出来が良いということがあります。この辺り農業は違うでしょう。農産物は、手をかけるほど良くなりますよね。日本の農業は、コツコツ勉強し努力した方々が支えているわけです。その人たちに続く若い力をいかに生かしていくか。今の高いレベルを保って、日本の食を守ってもらいたいと願っています。(聞き手・菊地武顕)
<プロフィル> いしだ・いら
1960年、東京都生まれ。97年に『池袋ウエストゲートパーク』でオール讀物推理小説新人賞受賞。同シリーズはドラマ化もされ、現在も続くヒット作だ。2003年『4TEEN』で直木賞受賞。代表作の一つ『娼年』が映画化され、現在公開中。
2018年04月15日

真壁京子さん(気象予報士) 家訓「食べるものが大事」 習慣改善し病気克服
小さい頃から真壁家は、着るものよりも何よりも、食べるものが大事という考えでした。朝昼晩と全部、母の手作りの料理が並んでました。パンもお菓子も手作り。朝ご飯なんて、まるで旅館みたい(笑)。ちゃんと食べないと、出掛けさせてもらえませんでした。
そんな中で育ったので、野菜と発酵ものが大好きでした。小学生の頃、朝ご飯中に地震が発生した時には、テーブルの下に入りながらおみそ汁を飲んでいました。冬になると「こうじを買って」と母に頼んで、甘酒を作ってもらい飲んだものです。
実は私、2年前の秋に乳がんになったんです。初期ですけど。実家を出た後の食生活も良くなかったのでしょう。出来合いのものを買って食べたり。野菜は全然食べないで、肉ばかり。肉・ホルモン・肉・肉・ホルモンって感じで(笑)。
乳がんについていろんな本を読んで調べたら、野菜と果物を取りなさいと書いてあったんです。それで、がんだと分かったその日の帰りにスーパーで野菜を買って。もう徹底的に食生活を変えました。
本の中には、レモン、酵素、蜂蜜を取るようにとも書いてありました。これって実家でずっとやってきた食習慣なんです。早速、毎朝取るようにしました。まずレモンを1個絞って、そこにハトムギ酵素と抹茶、大さじ1杯半の蜂蜜を入れて飲むんです。
夜も絶対野菜! ニンジン、ダイコン、シイタケをごま油で炒めてから水を入れてだしのもとを加えて煮ます。簡単にスープを作れる機械というのを買って、カボチャとニンジンとタマネギをざく切りにしてコンソメを1個入れてスイッチを押すと、それだけでスープができちゃう(笑)。良い野菜だと、そんな簡単な手間で、とてもおいしい料理になるんです。
特にシイタケが良いと書いてあったので、質の良いシイタケを売っているスーパーにしか行かなくなりました。
お米も実家で食べていた茨城県産の「コシヒカリ」をしっかり食べています。最近、糖質オフのダイエットがはやっていますけど、エネルギーになるものはちゃんと食べた方がいいと思うんです。お餅も大好きなので、いつも家に置いて雑煮に入れて食べています。
食生活を徹底的に変えたら、すごく健康的になりました。がんだと分かって2カ月後に手術をしたんですが、術後は絶好調。以前は貧血気味でしたし、白血球が少なかったんですけど、それが解消されました。
人間の身体って、食べるものがそのまま反映されるんだなあと感じています。
ちゃんとした食生活を送って来たおかげなんでしょう。今、父は85歳、母は80歳ですけど、二人ともすごく元気です。
父は神奈川県で造園業をやっているんですけど、伊豆の山の方に土地を持っていて、昔からそこで野菜を作っています。無農薬で、ブロッコリー、カリフラワー、トマト、ミカンなどを。毎朝取っているレモンも、そこで作っているもの。春先に取って全部絞って、瓶詰めして冷凍しておくんです。
そればかりか、平塚の土地にオリーブを植えて小豆島からオリーブ博士を呼び、2年前からオリーブオイル作りを始めました。湘南オリーブと名付けて今年くらいから売り出そうかなんて言っているくらい元気。
真壁家の教え「身体の基本だから、ちゃんとしたものを食べないといけない」は正しかったと感じています。(聞き手・写真 菊地武顕)
<プロフィル> まかべ・きょうこ
1967年、神奈川県生まれ。日本航空客室乗務員などを経て、96年に「筑紫哲也NEWS23」でお天気キャスターとしてデビュー。翌年、気象予報士に合格。健康気象アドバイザーの資格も持ち、天気と健康、環境問題などにも取り組んでいる。
2018年04月08日

ガッツ石松さん(俳優・タレント) 出前取って食べたふり 世界チャンプ 減量と闘い
食という字は、人に良いと書くんだよね。食べることは、生きていく上での基本。食べたいものを食べると、精神的にも安定しますよね。
私の生まれ育ったのは、栃木県の農村地帯。右を見ても左を見ても、食べ物。でもそれはよその家の食べ物なんだ。
私の家は、からっ風が吹くと上から下から左右から風が吹き抜け、雨が降ればシトシトピッチャンと雨漏りがする。貧しかったんですよ。
子どもの頃は、カラスになりたいと思ってました。何でかというと、あいつらは人の田んぼや畑で作物を平気で食べちゃうでしょう。自分もカラスなら、よその米や野菜を自由に食べられるのになあと。
家ではブチって名前の猫を飼っていてね、これがホオジロとかスズメを獲ってくるんです。「ブチ、よくやった」ってその鳥を横取りして、羽をむしって焼いて食べて、残った骨をブチに与えた。猫の上前を取っていたんだなあ(笑)。
中学2年の時かな、進路について考えるでしょう。就職か進学かと。働くんだったら、ボクサーがいいと思ったんだよ。けんかばかりしてたから。
中学を卒業して東京に出ました。五反田にあるネジ屋さんに就職。社長さんの自宅が寮のようになっていて、そこで住むことになったんです。
東京はすごいなと思ったのは、寮の三度の飯が白米だったこと。家では割飯。麦7、米3の割合でしたから。白米というのはフワフワなんだよね。それにバターをのせてしょうゆをかけて食べた時のうまさといったら。ほっぺが落ちないように、抑えながら食べましたよ(笑)。
ボクサーになった頃の体重は57キロ。体格的にライト級(61・235キロ以下)がちょうといいクラスでした。でもね、いいものを食べてしっかりと練習すると、身体がどんどん大きくなります。パンチ力も出てくるしスタミナもつくから、身体が大きくなるのはいいんだけど、減量が大変になってくるんです。
私は8年かけて、世界チャンピオンになりました。やっぱりいいもんですよ、チャンピオンは。だからそれまで以上に練習をするんです。お金も入るのでおいしいものを食べられでしょう。つい、暴飲暴食になってしまって。晩年は80キロになってしまいました。試合のたびに、19キロも減量しないといけなくなったんです。
どうしたかというとね、お付きの者に食べてもらったんです。今日はラーメンを食べたいなあと思ったなら、出前を頼む。ラーメンが届いたら、お付きの者に食べさせ、私はそれを見てるだけ。「もっとうまそうに食べろ」とか言いながら。仕事が終われば食べられるんだと自分に言い聞かせて、食べたふりをするわけです(笑)。
試合に勝った後は、そばかラーメンを食べました。汁のある麺類を食べたかったんだね。それと果物。リンゴとかバナナとかミカンとか。あと、水ね。
試合の翌日に体重を測ったら、72キロでした。前の日にライト級の試合をやってるわけだから、1日で11キロ増えている。これにはコミッションドクターをしていた日大病院の先生も驚いて「医学的には分からない。化け物だ」と話していました。それだけ過酷な減量をしていたということなんでしょう。
いろんな経験をしたことで、食のありがたさを感じています。「人間万事塞翁(さいおう)が馬」というのかな。努力は必ず実ると信じて、一生懸命頑張りましょう。(聞き手・写真 菊地武顕)
<プロフィル> がっつ・いしまつ
1949年、栃木県生まれ。66年にプロボクサーとしてデビュー。74年にWBC世界ライト級王者に。5度の防衛を果たした。引退後は俳優・タレント活動を開始。ドラマ「おしん」「北の国から」などでの演技が高く評価される一方、バラエティーでも人気を博すようになった。
2018年04月01日

西靖さん(MBSアナウンサー) なじみの店一人飯手早く 「安全網」は農業の本質
高校を卒業するまで岡山にいました。実家は今も岡山にあります。両親は全くお酒を飲まないので、家での食事は大人も子どもも基本的に同じメニューでした。晩酌がないので、食事はすぐに終わります。大学生の頃、友人の家で夕食をごちそうになった時に、友人のお父さんがおかずをつまみながらお酒をちびちび飲んで、「もうご飯はいいや」と言うシーンに驚きました。「晩ご飯」と言いながら、米は食べずにおかずとビールだけという食事を初めて知りました。
そんなことがあったので、僕は今はほどほどにお酒を飲みますが、ちびちび飲みながら一人で長く過ごすというのは苦手なんです。原体験として食事は素早く済ますというのがあるんでしょうね。一人で外食する時は、かつ丼なんかをがっと食べて帰ります。3年前に結婚するまでは、99%外食でした。手早く済ませられるなじみの店が幾つかあって、そういうところで「いつものやつ」という感じで済ませます。ただ、店は厳選しているつもりです。
一人の食事に時間をかけるよりは、ぱっと済ませて映画のレイトショーを観に行くとか、そういう風に時間を使いたいと考える独身時代でした。今は結婚して、息子も1歳半になり、家で嫁さんと一杯やりながら、昼間の子どもの様子を聞くのが一番穏やかな時間です。妻は晩ご飯には一品ですぐに食べ終わる丼物やラーメンは、スタイルとして嫌いなようです。
お酒を飲まない家庭に育ったせいかもしれませんが、お米は好きなんですよ。母方の実家や父方の親戚が兼業農家で、米を作っていて、できた米を親戚に配ってくれます。「新米、とれたよ」と。そのおかげで、米はお店で買うのではなくて親族に分けてもらってありがたく頂くもの、という感覚があります。
もちろん消費社会ですから、都会に住んでいる限り、野菜はスーパーに行って買うし、外食もしますが、親族に農家がいることで、基本的には「飢えない」サブチャンネルがある、という安心感みたいなものはあります。もし何か生活に困るような事態になっても、米は日本の食の根幹にあるものですが、こういう形で流通していることは他でもあるでしょう。田舎に戻れば何とか生きていけるという可能性もあります。
農業にはそんな「セーフティーネット」としての役割もあるように思います。日本の農業を強くするためには、どうしても商品性、流通性、付加価値ということがいわれますが、「セーフティーネット」としての農業の方が僕にはしっくりくるんです。命を支える、というのは農業の本質的な部分です。
うちの田舎では次世代の農業の担い手が少なくて、不安に思っているのですが、一方で僕の周囲には、都会から田舎へ移住して農業や林業に従事する道を進もうとしている人は結構います。都市で給料をもらいながらの暮らしではなく、豊かな人生を送るための手段として何がいいのかを模索している若者たちに、農業が魅力的に映り始めているのかもしれません。
趣味が渓流釣りなので、地方に出かけることがよくあります。そこにいる友人や知り合いと話す中で、都会での生活では見えない部分が見えてくることがあります。仕事以外の仲間が増えることで、視座が増えたように思います。遊びであっても土を触り、田舎の風景を目にし、地元の友人と交流することで、農業について感じることはたくさんありますね。(聞き手・ジャーナリスト 古谷千絵)
<プロフィル> にし・やすし
大阪大学法学部卒業後、株式会社毎日放送にアナウンサーとして入社。報道取材、ラジオDJ、ナレーションなどを担当。2011年からは長寿番組「ちちんぷいぷい」のメインパーソナリティーに。現在はニュース番組「VOICE」のメインキャスターを務める。46歳。
2018年03月25日

宮崎美子さん(女優) 映画ロケで農校生と交流 生徒自作の昼食に感銘
私の出身地・熊本は果物王国なんですよ。スイカ、ミカン、デコポン、メロン・・・。お礼の品を送る時には、熊本の果物を利用することが多いですね。
「晩白柚」を送って、驚かれたこともあります。北海道の羅臼の方は、種を植えて室内で育てていると話していました。羅臼はとても寒く、果実が木になっている風景を見たことがない。「晩白柚」がなっているのを想像するとドキドキするって。
実家ではネギ、トマト、ブルーベリー、キンカン、デコポンを植えてますし、子どもの頃には庭にある桃の木に登って桃をちぎって食べていました。
ですから東京でキンカンを売っているのを見て、「えっ、キンカンって買うんだ?」って(笑)。今、宮崎ではすごく糖度の高いキンカンが作られていて、確かにおいしい。生えているのをちぎって食べる醍醐味も、品種改良してすごくおいしいものを食べるのも、どちらもいいと思います。
品種改良といえば、静岡県の清水で「はるみ」というミカンを作っている方がいらっしゃいます。ドキュメンタリー番組のナレーションをした関係で、「はるみ」を送っていただきました。これがまた、今まで味わったことのないミカンでした。ネーブルみたいに真ん丸の形をしてるんです。大きさは野球のボールくらい。でも皮をむくと、ミカンなんです。食べると甘味のキレがいい。
もちろんデコポンが一番なんですけど(笑)、「はるみ」も負けていないな。これはいいライバルが現れたと思いました(笑)。
そのドキュメンタリー番組は、作物を手塩にかけ、大事に育てている様子を伝えたものです。「はるみ」を実際に食べてみて、その愛情が味にこもっていた、結実していたと実感しました。
熊本で赤牛を育てている農家を取材した時にも、牛への愛情を感じました。
赤牛は、広々とした牧草地を好き放題に歩きながら草だけを食べ、ストレスを感じることなく育ちます。でも地震で山が崩れたり地割れが起きました。地割れの部分、幅は数十センチくらいですけど、深さは私の足が届かないくらい。安全を考えて、放牧する土地を制限しているんです。牛のために少しでも早く牧草地を元に戻そうと、重機の入らないところでは手作業で埋めるなど頑張っています。
最近は赤身肉のおいしさが見直され、赤牛の人気も高まっています。ちょうど今、牧草地は野焼きの時期ですね。土地の再生をお祈りします。
私はこのたび「野球部員、演劇の舞台に立つ!」という映画に出演させていただきました。舞台は福岡県の八女。方言指導をしてくださった方がお茶農家をされていたこともあり、おいしいお茶を頂きました。
私はお茶が大好きで、普段から「八女茶」を飲んでいます。時間がないのでティーバッグが多いんですが、それでもペットボトルで飲むお茶とは違います。お湯を沸かし、冷まし・・・という手間をかける。その時間がホッとさせてくれるんですよね。
今回の撮影では、八女農業高校に全面協力をしていただきました。演劇部員役やエキストラとして出演した子もいます。
うれしかったのはケータリング。お昼ご飯を、生徒たちが作って運んでくれたんです。授業の一環として学んでいるから食材の切り方も丁寧だし、味付けも良くって。掛け値なしにおいしかった。現場での食事であれだけ素晴らしいのは、なかなかない。食材作りも料理も、手間暇と情熱が大事なんですよね。そのように感じています。(聞き手・写真 菊地武顕)
<プロフィル> みやざき・よしこ
1958年、熊本県生まれ。80年に「元気です!」で女優デビュー。2000年の「雨あがる」で、ブルーリボン賞助演女優賞を受賞した。公開中の映画「野球部員、演劇の舞台に立つ!」に、演劇部顧問の教師役として出演。
2018年03月18日

安田大サーカス HIROさん(お笑い芸人) 病から復活 野菜の助け 健康大事も伝える芸人に
今は完全に健康です。40歳なんですが、血管年齢は27歳です。めちゃくちゃ健康になりました。体重は91・7キロ。これまでで最高記録、中3の時の198キロの半分以下です。
昨年の6月16日に左脳室内出血という病気で倒れました。前日から頭痛があったのですが、嘔吐したので、これはヤバイと思って近くの病院に行ったら、そこからすぐに救急車で別の病院に運ばれました。そこからは記憶がありません。一時は命を取り留める確率は20%と言われたのですが、昨年12月20日、188日後に復帰することができました。人前に出るのは久しぶりで、緊張しました。
入院中に10キロぐらい、退院後に30キロぐらい痩せました。健康のためのダイエットです。病院食のメニューを覚えていて、それを家でも実践しました。月に1回ぐらいはぜいたくをしますが、焼き肉でもこれまでは2キロ、3キロと食べていたのが、今は2、3枚です。今までは不健康でしたから、これからは皆さんに健康の大切さを知ってもらって、心配をかけた皆さんにお返ししていきたいと思っています。
昔は唐揚げ、とんかつなどの揚げ物が好きで、食卓は全部茶色でした。野菜は一切なくて、それを毎日お腹いっぱい食べていました。実家は当時、すし屋だったので、おすしもいっぱい食べていました。釜揚げしらすもよく食べました。味付けはしょうゆだけの丼です。
中学時代に相撲で全国大会に出場して、中村部屋の富士桜親方からスカウトされました。学校を卒業して中村部屋に入ったのですが、1年ぐらいで病気をして、相撲を辞めました。その後は漁師やトラックの運転手をしていましたが、23歳の時に芸人になりました。
ずっと「デブ芸人」でしたが、これからは健康をPRしていきたいと思っています。今回、病気で倒れて最初に目覚めた時、母が泣いているのを見ました。もう一回泣かしてはいけないと思いましたね。芸人としてはデブであることも大事でしたが、一番は家族のために長生きしようと、本気で健康ということを意識するようになりました。これまでは仕事でダイエットもしたけれど、本気ではなかった。今は一生ダイエットです。
時々は料理もします。塩分控えめで、1食2グラム、1日6グラムに抑えます。最近は「ワンプレート」に習って、「ワン丼」にしています。ご飯は150グラム。その上に野菜と肉。野菜もちゃんと食べています。でも誘惑は本当に多いです。新幹線に乗っても、大阪から乗る時は、551蓬莱(ほうらい)の豚まんの匂いがすごいですから。(相方の)クロちゃんと一緒の時は、弁当をガツガツ食べられるのでつらいですね。
痩せてからの皆さんからの反応はいろいろです。ツイッターでは「気持ち悪い」とよく言われます。目を見開き過ぎとも言われるんですが、僕としては普通なんです。これまで目が細くなっていただけなんで。
ニラが大好きなんですが、値段は結構高いですね。いろいろ事情もあるでしょうが、もう少し野菜が安くなってほしいですね。そう思うのは、これまでは一切食べていなかった野菜を、それだけ食べるようになってきた証拠なんですよ。野菜を食べてこれだけ健康になれたので、今はいっぱい食べています。ファストフードはおいしいけれど、絶対野菜の方がいいですよ。美容にもいいし(笑)。こんなに変わるとは、自分でも思いませんでしたね。(写真・聞き手 ジャーナリスト・古谷千絵)
<プロフィル> ひろ
2001年に団長安田、クロちゃんの3人でお笑いグループ「安田大サーカス」を結成。和歌山県出身で、和歌山の特産品をアピールし、地元の産業を盛り上げたいと活動中。一般社団法人和歌山市観光協会の「和歌山市観光発信人」も務める。
2018年03月11日

内藤理沙さん(女優) ご飯大好き1日1回必ず ふるさと群馬の応援団
群馬県で生まれ育ち、昨年1月から「ぐんま観光特使」を務めさせていただいています。
群馬県の食といえば、私は絶対「焼きまんじゅう」。まんじゅうを串に刺して、甘いみそだれをつけて焼いたものです。中には何も入っていなくて、ふわっとしたそのものを食べるんです。軽いからいくらでも入っていっちゃうという感じです。
お店によってみその味が違うし、バーナーで焼いてるところ、炭で焼いているところといろいろあって。うちの家族は、好きな店が決まっていますね。全国的な知名度がないのはどうしてなのかなあ?地味すぎるからでしょうか。
実家は住宅街にありましたが、ちょっと行くと畑と田んぼが広がり、近くには農業系の高校もあります。
農業ではないんですけど、祖父は庭いじりが好きでした。梅の木やザクロ、イチジクもあって。ホームセンターで木を買う時に私も一緒について行き、私が「あれがいい」と指さした木を買ったそうです。今でも祖父は「あの木は理沙が選んだんだ」と言うんですよ。私は覚えてないんですけど。(笑)。
庭になった梅を使って、祖父は梅干しを作っています。私、東京で梅干しは買わないですね。高級な梅干しをいただいたこともありますが、おいしいんですけど、ちょっと・・・。ご飯を食べる時の梅干しは、祖父が漬けたものがいいなと感じています。
ザクロやイチジクも、庭で育ったのを採って食べていました。祖母と母が鳥と戦いながら(笑)実らせて。ですから東京に出て、イチジクが高級品だというのを知ってびっくりしました(笑)。レストランで添えとしてちょっとだけ出たのを食べて、丸ごと食べたいと思って買いにいったら、何千円もしたりして。
東京に出て初めて分かった、ふるさとの良さやありがたさというのがあるんですね。反対に家族が東京に出てきた時は、東京の良さを味わってもらえればと。うちは全員、牛肉が大好きなので、おいしい焼き肉屋さんやステーキ屋さんに行きます。
私も「何が好き?」と聞かれたら「肉と白いご飯!」。おしゃれなお店に行って肉料理を頼んだ時に、パンしかないと言われたら、悲し過ぎ。なんか食べた気がしないんです。
1日1回は白米を食べないと、気持ち悪いというか、モヤモヤします。
好きなお米は、「つや姫」です。1粒1粒しっかりとした味があるし、冷めてもおいしいんです。おにぎりにして時間がたっても、お米の甘味を感じられます。
私は時間がある時は、つや姫を土鍋で炊くようにしています。最初のうちは失敗もしました。大丈夫かなと心配して火を弱めたりして、芯が残ってしまったり。怖くても我慢して待つしかないと分かってからは、最高においしいご飯を炊けるようになりました。
東京には、おいしい肉料理を出すお店がたくさんあります。中華でもフレンチでもどんなレストランに行っても、一皿は肉を食べています(笑)。
自分だけ東京に出してもらっておいしい料理をいただいてますから、実家に帰る時には肉を買っていきます。「すき焼きにしようよ。野菜とか他のものを用意してて。肉は私が持っていくから」と。
すき焼きを「おいしい」と喜んでくれるのを見ると、うれしい。一人っ子なので、できることはしたいと思っています。(聞き手・菊地武顕)
<プロフィル> ないとう・りさ
1989年、群馬県生まれ。2012年にドラマ「37歳で医者になった僕~研修医純情物語~」で女優デビュー。昨年は「忠臣蔵の恋~四十八人目の忠臣~」「女囚セブン」「黒革の手帖」「今からあなたを脅迫します」と四期すべてでドラマにレギュラー出演。
2018年03月04日

円広志さん(歌手・作曲家) アドリブで自分を表現 料理と絵画、作曲に共通
高知にあった実家は兼業農家で、おやじは学校の先生をしながら、米を作っていました。稲刈りとかを手伝っていましたね。小学2年生で大阪に移りましたが、春休みと夏休みは皆で高知に帰るんです。高知では8月ぐらいから稲刈りが始まるので、夏休みは田舎に帰ってずっと稲刈りです。
夏の手伝いはとにかく嫌でしたね。朝の4時ごろに起きて、夜が明ける頃から稲刈りを始めます。10時ごろになるといったん作業を終えて、昼ご飯を食べてからは川で遊んだりするんですが、夕方からまた稲刈りです。当時は鎌を使っていましたから、足も手も指も傷だらけ。痛くてひりひりして、つらい思い出です。でもご飯だけはおいしかったですね。ごちそうでした。
趣味は絵を描くことで、感じたことを絵にします。色やバランスを考えて、キャンバスを埋めていくのが好きなんです。音楽も同じです。譜面通りではなく、アドリブを入れながら、それぞれの瞬間で感じたことをメロディーにしていくのが一番楽しいです。
料理もしますが、これも同じで、すべてアドリブです。だから面白い。プロの料理人はレシピを持っていて、いつでも同じ味が作れます。万人に愛される味ですが、僕は自分だけのための、自分に合った料理を作ります。
調味料の分量を量ることも、一切しません。今日食べたものと明日の味が同じだと、面白くない。調味料を使って、その場でアドリブを入れて作っていく。その日の天気や自分の体調や気分に合わせて作る、そこに料理の醍醐味(だいごみ)があります。
女房の料理はいつも同じ味で、食べる前から味が分かってしまいます。「おふくろの味」みたいに、あの味が食べたい、ということもあるでしょうが。また余った食材を使って料理を作るような時には、答えのない楽しさ、音楽や絵を描くことと共通した楽しさがありますね。
その代わり、失敗もものすごく多いです。先日は残ったすき焼きの上にとろけるチーズを載せてみましたが、失敗でしたね。でも、失敗もそれはそれで楽しい。大事なことは、おいしいものを作ることではなくて、楽しむっていうことじゃないかな。それに「おいしい」と食べてくれる人の存在も大事ですね。
高知に別荘があって、毎週末に帰っています。そこでは海を見ながら朝食を食べます。海が本当に好きです。大阪から高知までは車で4時間かかりますが、長いようで、すごく短く感じます。
寝る時に聞こえる波の音が何とも心地よくて、嫌なことがあったり、ストレスを感じた時には、ボーっとしたりして、体と精神を休めます。それで随分助けられています。週末に2泊だけの滞在ですが、大阪に戻る時には本当にスキッとします。
先月、森昌子さんとの新曲「好きかもしれない 大阪物語」をリリースしました。デュエット曲を作ったのは久しぶりで、メロディーの細かい直しは、全部高知でやりました。向こうにいる時の方が、脳が解放されているような感覚で、発想も変わります。わずか4時間のタイムトンネルを抜けると、海があって、田んぼやあぜ道があり、山や花がある。夜には星がいっぱい。大阪にはない面白いものがいっぱいあって、退屈しないですよ。(聞き手・ジャーナリスト 古谷千絵)
<プロフィル> まどか・ひろし
1978年にヤマハ主催の「ポプコン」に出場し、自作の「夢想花」でグランプリを獲得。このデビュー曲が大ヒットとなる。その後は作曲家としても活躍し、現在はタレントとしても人気を誇る。代表作は森昌子の「越冬つばめ」や川中美幸の「ちょうちんの花」。今年がデビュー40周年。65歳。
2018年02月25日

土屋守さん(ウイスキー評論家) 新潟の魚で育った幼少期 渡英して知る「酒文化」
生まれも育ちも新潟の佐渡。おふくろが魚屋の娘で、僕は魚屋の裏の2階で生まれたらしい。だから、佐渡の魚で育ったようなもんですよ。
正月には嫌になるくらい寒ブリを食べたし、冠婚葬祭の時には、煮付けた棒ダラが必ず出ました。近海のタラを1回干し、それを戻してコンニャクや野菜と一緒に煮たものですね。
そんな僕がロンドンに渡ったのが1987年。結婚して子どももいたから、いきなり一家で住んじゃったんです。ちまたで言われるように、イギリスにうまいものなし!どこに行ってもまずい。諦めて食材を買い、家でいろんな料理を作って楽しみました。
そんな中、取材でスコットランドに行きました。イギリスは、イングランド、スコットランド、ウェールズ、アイルランドという四つの「国」から成り立っています。イングランドとスコットランドは全然違うんです。イングランド人はドイツから来たゲルマン民族、スコットランド人はケルト民族。両者は絶対に相いれない。
「敵の敵は味方」の言葉通り、スコットランド人とフランス人はお互い大好き。イングランドと敵対している仲間として。この関係はオールド・アライアンス、古き同盟と言われています。なので、スコットランド人は食への意識が高い。
スープの国と言えるほどいろんな種類があります。チキンとポロネギが入ったコッカリキスープ、大麦などが入ったスコッチブロス。北海に面した漁港のカレンで生まれたカレンスキンク。近海のタラをスモークさせ、ミルクとジャガイモと一緒に煮込む。僕にとっての棒ダラの煮付けと同じで、彼らのソウルフードですね。
そしてウイスキー!スコットランド人にとってウイスキーは生活の一部で人生に欠かせない。葬式の時は1週間ほど飲みっぱなしじゃないですか。でも食事の時には決して飲みません。食中酒はワインです。
スコットランドには、イングランドにはない新年の祝い方があります。ホグマニーといい、年が明けるとウイスキーを持って親しい人を訪ね歩く。元日は飲み続けます。イングランドの新年の休日は元日だけですがスコットランドは2日まで休み。元日にしこたま飲むので2日は誰も仕事ができないのです。
第2次世界大戦中の1941年、スコットランドのエリスケイ島の沖で海難事故がありました。リバプールからアメリカに向けて出港したSSポリティシャン号という貨物船が、濃霧の夜に座礁したんです。
船には、2000万ポンド相当のジャマイカ紙幣が積まれていました。ドイツが侵攻してきたら、王室をジャマイカに避難させる計画があったからとささやかれています。他に積み荷として、ウイスキーが約26万本ありました。戦時中のためエリスケイ島では配給が途絶えていたので、島民は大喜びで座礁船から運び出しました。
この事故のことを、イギリスの国民的作家のコンプトン・マッケンジーが小説にしました。島の人のウイスキーへの愛情がユーモラスに描かれています。49年には映画化された上、このたび約70年ぶりに映画がリメーク(『ウイスキーと2人の花嫁』=公開中)されました。ウイスキー好きにも、そうでない人にも絶対に見てほしいですね。
こうした作品と接すると、酒が人々の暮らしにどれだけ深く関わっているのか、酒は文化だと改めて感じています。(聞き手・写真 菊地武顕)
<プロフィル> つちや・まもる
1954年新潟県生まれ。5年間の英国生活でウイスキーに魅了される。「Whisky Galore」編集長、ウイスキー文化研究所代表。98年にスコッチウイスキーのハイランド・ディスティラーズ社より「世界のウイスキーライター5人」に選ばれた。NHKドラマ「マッサン」で監修を担当した。
2018年02月18日