桂由美さん(ファッションデザイナー) パリにいながら日本食 お汁粉控えダイエット

桂由美さん

 学時代も含めますと、パリとの関わりは50年以上。テレビ局から「いろんな所を知ってるでしょうから、パリで食べ歩きをしましょう」とお話をいただいたことがあります。

 でも、私はフランス料理は全然駄目。「パリのおいしい日本食レストランなら紹介できますけど」と答えました(笑)。海外のどの街に行くにしても、日本料理店の近くにあるホテルに泊まるようにしています。

 パリに1年間留学したんですけど、そのころは日本料理店が1軒しかなくて。洋裁学校の友達は「日本人って野蛮なんだよね。生の魚を食べるじゃない」と言っていました。おすしのことです。今では、パリでも日本食さまさまですからね。

 本当に困ったのは、「タカラ」というその日本食レストランのご主人が、お嫁さんもらうんで実家のある和歌山に帰ると言って、3カ月ほど店を閉めた時。私は週に2回くらいは通っていたのに、その間は日本食を食べられない。自炊するしかないと思いました。

 は寄宿舎に住んでいて、そこでは自炊はできません。自炊のできるホテルに移りました。でも日本食の食材は売っていませんでした。中国の食材ならあるので、外米(長粒米)を買って炊いていました。

 ある日、煮魚を作ったらにおいが他の部屋まで行ったらしく、「絶対やめてください」とマネジャーにものすごく怒られて。フランス人にとっては、食べ慣れない魚のにおいは独特で不快に感じたんでしょうね。

 人生で最も感動した食事というのは、留学中に母が送ってくれたマツタケです。マツタケは今のような高級品ではなく、秋になれば食べるという感覚だったんですね。私は洋裁学校の授業の後、夜はフランス語の学校に通っていました。そこには日本人もいて「ええっ、パリでマツタケ食べられるの!?」って。

 すき焼きにしようと思って、肉屋に買いに行ったんですね。薄く切ってほしいと頼んだんですけど、フランス人は薄く切ることなんてない。肉屋さんはしまいには怒りだして「自分で切れ」と言い、自宅で塊を薄く切りました。私の部屋に日本人が7人集まり、感動して泣きながら食べましたよ。

 マツタケといえば今、ある企業の社長さんが、自分の地元である丹波篠山のマツタケや黒豆を送ってくださいます。

 幸いなことに多くの方々が食べ物を送ってくれるんですが、医者からダイエットするように言われてますので、親しい人には「お菓子はやめてください」とお願いしたんです。それで各地の果物などが送られてきます。

 その社長さんは地元の名産だからと送ってくれるんです。自分の故郷の産物に誇りを持っているんです。私は東京生まれで故郷がないから、その社長さんの故郷への愛着・愛情をうらやましく感じます。

 はダイエットをしています。あんが大好きなので、本当はお汁粉をいっぱい食べたいのに、2日に1個くらい豆大福を食べることで我慢をしています。

 小さい時に見た漫画に、夢の公園が載ってました。入口はバナナでできたゲート。入るとお汁粉の池があって白玉が浮いている。おわんのようなボートに乗って、かいはスプーン(笑)。ケーキでできたお城や果物の畑、サイダーの滝があるんです。最近、その漫画にあった公園の夢をたまに見るんです。ダイエットをしているせいでしょうね。もう最後という日々になったら、お汁粉をいっぱい食べてやろうと思っています(笑)。(聞き手・菊地武顕)
 

<プロフィル> かつら・ゆみ


 東京都生まれ。共立女子大学卒業後、フランスへ留学。1964年、日本初のブライダルファッションデザイナーとして活動開始。国内だけでなく世界30都市以上でショーを開催。イベントを通じてウエディングに対する夢や感動を届けることから「ブライダルの伝道師」ともいわれている。 
 

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