稲川淳二さん(怪談家) おばあちゃんの味忘れず 大きいおはぎが大好き

稲川淳二さん

 京都渋谷区の恵比寿で生まれ育ったんですよ。おばあちゃんが一緒だったせいですかねえ、素朴な物を食べてました。おばあちゃんの実家の方から、干し柿や高野豆腐とかを送ってもらってましたね。

 おばあちゃん、漬物にうるさくて。白菜漬けを作るときは庭にドーンと並べて、すごく迫力がありました。庭でミョウガを作っていましたし、鶏を飼っていて卵を産んでました。東京だけど、土に親しむ環境でしたね。

 今でも私はモダンな食べ物は苦手で、パーティーなどで出てくるデザートはほとんど食べずに周囲の人にあげちゃう。でもおはぎは食べるんですよ。おばあちゃんが作ってくれた小豆の載ったおはぎが大好きでした。

 うちは恵比寿の高台にあって、切り通しのようになった道路をはさんで向こうの高台に小学校があったんです。学校で叫ぶと家まで聞こえるんですよ。ある日学校で、おはぎが1個残っていたことを思い出したんです。弟に先に帰られると食べられてしまう。それはつらい。だから休み時間に家に向かって叫んだんです。「おばあちゃーん、おはぎ! おはぎ!」。それで食べたんです。今考えると、おはぎは大きかったから半分を弟にあげれば良かったんですけど(笑)。

 学校から帰ると、いつも仲間と冒険に行きました。給食を食べたばかりなのに、おふくろに弁当を作ってもらって。しょっぱいサケ、卵焼き、のりとかを詰めてもらって。それを持って都電に乗って、広尾の有栖川宮公園に行くんですよ。みんなで景色を眺めながら食べる弁当はおいしかったなあ。ハスの花がきれいで写生したり、ザリガニを捕ったりしました。

 そんな子ども時代、いつもちくわを食っている近所のガキが、ある日、桃色のちくわを食ってたんです。「何だそれは?」と聞いたら、「ソーセージ」って。近くの乾物屋で売っているというので見に行ったら、確かにあった。近所のあんちゃんに「ソーセージって何?」と聞いたら「やめとけ、ウサギの肉だぞ」と言われて。

 初めて飲んだコーラは「グリココーラ」でした。コーラなんてまだ珍しい時代ですよ。栓を開けたらプシュッという。だからこれは酒だと思い込んだんですね、私は。自分でこっそり買って人目を避けて飲んでは、「ああ酔っぱらったなあ」と思ってました(笑)。

 くに食堂があって、ラーメン、団子、まんじゅうを売ってました。私、そこのまんじゅうを食べたくって、仕事が終わって帰ってくるおやじを迎えに行きました。それで食堂に寄り道するようお願いしてね。

 あの頃の親はどこの家でも、子どもに無理してでもいいものを食べさせようとしてました。戦争で大事な人を失い、つらい思いをした人が、新たにもうけた子どもを大切に育てたかったんですよ。互いに助け合う気持ちも強かった。よその家のお年寄りや子どもの面倒を見たり。

 商店街で安い食材があると、みんなそれを買ってね。だからどこの家でも作る料理が同じなんてことも。友達の家で夕飯をごちそうになったら、おかずは家と同じだったものねえ。

 あの頃に食べた味が、忘れられないんです。ずいぶん前のことですけど、熊本にロケに行った時。空港のそばに「ずうとるび」の江藤(博利)ちゃんのおばあちゃんの家があって寄らせてもらったんです。そこで出してもらった漬物のうまいこと。夢中で食べていたら、飛行機が飛んでいっちゃった。大慌てで、車で福岡空港に向かったなんてこともありました(笑)。(聞き手・写真 菊地武顕)

<プロフィル> いながわ・じゅんじ

 1947年、東京都生まれ。テレビタレントとして活躍後、55歳で残りの人生は怪談ライブに没頭しようと決意。毎夏恒例、26年目を迎えた「稲川淳二の怪談ナイト」を開催。8月13、14日のメルパルクホール東京他、48会場54公演の全国ツアー中。

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