[未来人材] 34歳。 服飾業界から 「紅まどんな」栽培 愛媛県宇和島市 清家光平さん 豪雨の逆境 ばねに
2018年09月08日

豪雨被害にもめげず前を向く清家さん。「紅まどんな」の園地は2アールだけ残った(愛媛県宇和島市で)
愛媛県宇和島市吉田町のかんきつ農家、清家光平さん(34)はアパレル業界から転身した。農家手取りを底上げしようと、加工品を作る会社の立ち上げを計画していたが、西日本豪雨の影響で頓挫。これから産地を背負う若手農家として、甚大な被害が残った産地をけん引するためもがく。
東京の服飾関連の専門学校を卒業後、銀座の老舗アパレル店で修業を積み「ここで骨をうずめよう」と決意をした矢先、父が足を骨折。28歳で実家の農業を継いだ。三男なので「継ぐ気はなかった」が、妻の農業に対する理解に後押しされ、実家に戻ることを決めた。
「帰農するからにはミカン作りを極めよう」と、1年間県みかん研究所で学んだ。そこでほれ込んだのがかんきつ「紅まどんな(愛媛果試第28号)」。歳暮の贈答需要は底堅く、食味の良さで価格は安定している。
急傾斜地のミカンは雨が降れば収穫できないが、高品質生産のために取り組んでいる屋根掛けハウスがあれば収穫ができるため労力の分散にもつながる。アパレル業で培った“消費者目線”で導入を決めた。
夏ごろには、ジュースなどの6次産業化商品を作る若手農家を中心とした団体を創設する予定だった。事態が一転したのは7月。西日本豪雨で産地が甚大な被害を受け、保留している。
「紅まどんな」の園地は12アールのうち10アールが全滅、地元の復旧作業に追われ、被害を確認したのは1カ月以上たってからだった。今は自身の園地をどう復旧するかに頭を悩ませる。ただ、「これまで地域はかんきつで生活してきた。10年後を見据えて品種の植え付けを考えないと」と産地を背負う決意だ。(丸草慶人)
東京の服飾関連の専門学校を卒業後、銀座の老舗アパレル店で修業を積み「ここで骨をうずめよう」と決意をした矢先、父が足を骨折。28歳で実家の農業を継いだ。三男なので「継ぐ気はなかった」が、妻の農業に対する理解に後押しされ、実家に戻ることを決めた。
「帰農するからにはミカン作りを極めよう」と、1年間県みかん研究所で学んだ。そこでほれ込んだのがかんきつ「紅まどんな(愛媛果試第28号)」。歳暮の贈答需要は底堅く、食味の良さで価格は安定している。
急傾斜地のミカンは雨が降れば収穫できないが、高品質生産のために取り組んでいる屋根掛けハウスがあれば収穫ができるため労力の分散にもつながる。アパレル業で培った“消費者目線”で導入を決めた。
夏ごろには、ジュースなどの6次産業化商品を作る若手農家を中心とした団体を創設する予定だった。事態が一転したのは7月。西日本豪雨で産地が甚大な被害を受け、保留している。
「紅まどんな」の園地は12アールのうち10アールが全滅、地元の復旧作業に追われ、被害を確認したのは1カ月以上たってからだった。今は自身の園地をどう復旧するかに頭を悩ませる。ただ、「これまで地域はかんきつで生活してきた。10年後を見据えて品種の植え付けを考えないと」と産地を背負う決意だ。(丸草慶人)
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キャベツ低迷 2割安 日農平均 降雨で入荷増続く
キャベツ相場が低迷している。2月上旬の日農平均価格(各地区大手7卸のデータを集計)は過去5年平均(平年)を2割下回る1キロ81円。暖冬傾向に加え、適度な雨で生育が進み、潤沢な入荷が続く。業務筋の引き合いは弱く、スーパーの売り上げも前年を下回る。今後も安定した出荷が続く見込みで、卸売会社は「月後半も安値基調が続く」と見通す。
2019年02月14日

[あんぐる] ぜーんぶ、泉州産 おむすびで地域おこし 義本紀子さん (大阪府泉佐野市)
大阪府泉佐野市でおむすび専門店「オトメゴコロ」を営む義本紀子さん(42)は米やのり、具材が全て同府泉州地域産の「泉州おむすび」で地元の食の魅力を発信している。特産の冬キャベツや伝統野菜の「難波葱(ねぎ)」などを具材に、これまで70種を超えるおむすびを考案。その味で地域農業と消費者を結び付ける。
泉州地域は同府南西部の13市町からなる。大阪湾に面して山地もあり、古くから農業や漁業が盛んだ。義本さんが使う米は、貝塚市で生産された「ヒノヒカリ」や「きぬむすめ」。農家から年間2・4トンを仕入れている。
「口の中でほぐれるように、やさしく握る」のが義本流。「一度に何種類も味わって」との思いから、1個に使うご飯は100グラムほどと小ぶりだ。
冬場のメニューは定番の塩むすびやのりに、地元の銘柄豚肉「犬鳴豚」のそぼろなどを加えた12種類。今が旬の「松波キャベツ」は、コンソメで炊いたご飯に食感が残るゆでキャベツを混ぜるなど、工夫を凝らしている。
泉佐野市内の主婦で常連客の大河内美緒さん(35)は「手作りの素朴な味わいがうれしい。知らない地元農産物も発見できる」と絶賛する。
義本さんが「泉州おむすび」での地域おこしを志したのは2009年。出身地の同市でデザイナーとして働く傍ら、ボランティアで田植え体験イベントを手伝った経験などを基に思いついた。12年には同店を開き、週3日営業する他、週末は各地のイベントにも出店する。
活動で知り合った農家は20人を超え、その度にメニューも増えた。芋がらやミツバを持ち込み、新メニューの開発を頼む農家もいた。キャベツを提供する同市の野菜農家、角谷裕生さん(38)は「特長の甘さが際立つおにぎりにしてくれた。キャベツのPRにつながるね」と歓迎する。
義本さんは「地域には関西国際空港もある。将来は泉州と世界をおむすびで結びたい」と目を輝かせる。(染谷臨太郎)
2019年02月10日

久住昌之さん(漫画家) 「普通」が一番のごちそう グルメのこだわりない
僕はよく「食べることが好きでしょう?」と言われるんです。漫画『孤独のグルメ』の作者だからでしょう。でもそれほどじゃないんです。食も細いし。
食べ物そのものよりも、人が食べる時に頭の中で考えていることが、滑稽で面白いと思うんです。『孤独のグルメ』も、タイトルに「グルメ」なんて入っていますが、おいしい料理を紹介する漫画ではありません。ほとんどが食べ物を前にしたときのモノローグですよね。
1981年、22歳の時に『かっこいいスキヤキ』という漫画でデビューしたんです。それも、一人の男が夜行列車で幕の内の駅弁を食べる順番を考えているというだけの話で。その駅弁の何がうまいとかは描いていない。
僕は、例えばカレーライスを食べる時、最後にルーだけ残るとか、逆にご飯だけ残るとかならないように、注意深く食べるんですよ。若い時からね。自分がやっていることが滑稽に思う。ばかだなあと思う。そういう心の中を、ただただ淡々と描いていくんです。
食べ物そのものに対するこだわりがないから、普段は仕事場の近くで、いつも行く店に入り、いつも同じようなものを頼んで食べています。
でも、旅行に行った時は、街を歩いていろいろ店を探します。
強いていえば、普通のものが好きなんです。普通のカレーとか普通のラーメン。今、そういうのってなかなかないでしょう。本格なんとかって感じで。街の食堂、街の中華屋がどんどんなくなっていると感じますね。そばでいえば、手打ちの本格派か立ち食いという両極端になって、出前をするような普通のそば屋がなくなってきましたね。
地方でも、そういう普通の店は減っていますよ。郊外に大型店舗ができて、駅前がシャッター通りになっちゃってます。ほんとに寂しいですよね。そういう状況だから、逆に一生懸命歩いて普通の店を探すんです。
普通の店でも長く続いているとこは、何か理由があるんです。一度入っただけでは分からないけど、何度か通ううちに分かる何かが。そういうのを見つけることがうれしいんです。
一口食べただけで「うまい」っていうラーメンではなくて、食べ終わった後に「おいしいんじゃないかなあ」という思いが湧いてくる。帰ろうかというときに、「もう一回来たいなあ」と思わせる。それで3回、4回と通ううちに、「あそこ、絶対好き!」と。そういう店が一番です。「うちの近くにあったら、毎日通うなあ」という店を探すのがいいですよね。
仕事で地方に行き、夜に接待をしていただくことがあるじゃないですか。そうして連れていかれる店では、豪華な刺し身とかが出るんですよね。でもとても寂しいのが、おいしい野菜がごちそうとして出ないということ。市場に散歩に行くと、立派なダイコンだったり見たこともない野菜だったりが売っていますよね。それを使った料理こそが、ごちそうだと思うんです。
取れたての野菜は本当においしいのに、それが料理として出してもらえない。たぶん、その地方の人にとっては普段食べているものだから、ごちそうとして人に出すものじゃないという考えなんでしょう。
でもそういうおいしい野菜を使った普通のご飯こそ、一番のごちそうなんです。その土地の人が食べている煮物を食べたい。おしんこを、みそ汁を食べたい。普通ということは、とても素晴らしいと思うから。(聞き手・写真 菊地武顕)
くすみ・まさゆき
1958年、東京都生まれ。泉晴紀氏とコンビを組み「泉昌之」名で81年にデビュー。実弟・久住卓也氏とのコンビ「QBB」での作品も多数。谷口ジロー氏と組んで94年に連載開始された『孤独のグルメ』はドラマ化もされ、大ヒット。音楽活動も行い、昨年、CD「大根はエライ」を発売した。
2019年02月10日

気象データ活用 県域拠点 設置広がる 温暖化や被害対応 農家へ情報提供
地域ごとのより細かい気象データを蓄積することで、温暖化に対応した品種改良や気象災害などの被害軽減策の取りまとめを目指す「地域気候変動適応センター」の設置が各地で始まった。昨年12月に埼玉県が全国に先駆けて設置し、今年1月に滋賀県でも発足した。今後、長野県や静岡県でも設置が決まっており、取り組みが全国に広がる見通し。同センターは大学や地域の研究機関などと連携して情報収集や分析、適応策をまとめ、JAや農家、企業などに情報提供する。
埼玉県は、同センターの設置で県内各地の気象データを収集、分析したものを一元化する他、4月からインターネット上で公開する予定だ。同県は「農業分野では、水稲の白未熟粒の発生頻度や、予測される収量など、気象データを基に予測情報として提供できるのではないか」と話す。また、高温耐性品種の事例紹介などもしていく考えだ。
滋賀県では、気象データを生かし、高温に強い水稲「みずかがみ」の作付け拡大を推進していくことに加え、温暖化に一層適応した水稲の品種改良を進める。
この他、長野県では4月に「信州気候変動適応センター」(仮称)を設置。静岡県でも3月末に「静岡県気候変動適応センター」(仮称)の設置を予定する。同県は「県の研究所などから集めた情報を農業や漁業などの分野ごとに整理し発信していく」とする。
昨年末に成立した気候変動適応法を受けた取り組み。同法は、地球温暖化による農作物の品質低下や洪水など将来予測される被害の軽減、防止する適応計画を推進するための法律。2018年12月1日に施行した。環境省は各地に同センターの設置を推奨し、高温耐性の農作物品種の開発や普及、ハザードマップ作成などで温暖化への適応を促す。同省が気候変動影響評価を5年ごとに行い、その結果を基に改定を行う。
県域のセンターが収集した気象データや被害状況などを国立環境研究所(茨城県つくば市)の気候変動適応センターに、を一元化。同研究所は、各分野の研究機関と協力態勢を構築し、各地の県域のセンターに技術指導をする仕組みも整える。
2019年02月10日

[一村逸品] 後期優秀賞3点 日本農業新聞
日本農業新聞は12日、各地の農産加工品を紹介するコーナー「一村逸品」から、優れた商品を表彰する「第15回日本農業新聞一村逸品大賞」の後期(7~12月掲載分)審査会を開き、次の3点を優秀賞に選んだ。
▽「JA小松市のとまとケチャップ」(石川)▽「五郎島金時いしやきいも」(石川・JA金沢市)▽「まんのうひまわりオイル」(香川・(株)グリーンパークまんのう)。
年間表彰は20日開催予定の中央審査会で、前期・後期の優秀賞から大賞1点と金賞2点を決める。
2019年02月13日
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[未来人材] 21歳。 内定断り、ハウス農家めざして修業 ミカン愛 人生開く 荻野藍さん 大分県杵築市
ミカンが好き過ぎて企業の採用内定を断り、新規就農を目指すミカン女子がいる。大分県杵築市に移住した荻野藍さん(21)だ。実家は農家ではないが県農業大学校でかんきつを学び、ハウスミカンの魅力を知った。「農家になりたい」。彼女の熱意を知ったJAおおいた柑橘(かんきつ)研究会ハウスみかん部会が行政と連携し、昨年設立した「杵築ファーマーズスクール」の1期生として栽培を学び、2年後の独立を目指す。
「日光が葉の下まで当たるようしっかりつってやる」。師匠である宮原宜太郎部会長の説明を聞く荻野さんのまなざしは真剣だ。ベテランは楽々こなす枝つり作業も荻野さんには専門的。「実習とは桁違い。現場は甘くない」という。
大分市出身。農大校で食べた「大分果研4号」のゼリーのような食感に体が震えた。実習で杵築市の農家に通ううちに、農業経営に興味が湧いた。就農を決意すると、企業にもらっていた内定を卒業前に断った。
新規参入でハウスミカンを始める場合、施設や資材などで初期投資は1000万円以上。未収益期間もあり、経営開始まで時間がかかる。杵築市は有数のハウスミカンの産地だが、高齢化が襲う。危機を感じたベテラン勢が荻野さんの情熱を受け止め、行政とJAが同スクールを立ち上げた。
2年間の実習後、すぐに経営できるよう後継者不在の園地をJAが確保した。JAは「果樹で女性の新規就農は初めて」と期待する。
農家以外の出身を理由に農大校を出ても就農を諦める人もいる。「農家を目指す後輩の目標になれれば」と荻野さん。「頑張れ、あおい!」。地域のみんなが応援する。(木原涼子)
2019年02月09日

[未来人材] 36歳。第三者継承で夢の酪農家 放牧は至福の風景 山田俊宏さん 岡山県真庭市
岡山県真庭市の百合原牧場代表の山田俊宏さん(36)は、雪深い同市で唯一、ジャージー牛約80頭の放牧酪農を行う。愛知県出身で、実家は農家ではない。苦手だった動物を克服するきっかけをくれた乳牛が伸び伸びと暮らせる放牧を志し、第三者経営継承で農家という夢を実現した。
高校生の時、両親と手掛けたプランター菜園で農業に興味を持った。憧れの北海道で農業を学ぼうと、国立の帯広畜産大学に進学した。
動物が苦手で、犬や猫も触れない。それでも、初めて身近で見る乳牛に「面白そう」と、分娩(ぶんべん)後や病気の乳牛を世話するサークルに参加した。ふん出しなど力作業も多く大変だったが、「牛は温厚で怖くない。好き」と、動物自体への苦手意識がなくなった。
サークルで放牧酪農を見学した。“絵になる風景”に感動を覚えた。いずれは牧場を経営することを夢見つつ、岡山県西粟倉村で経験のため、道の駅の運営などを1年間手伝った。紹介を受けた酪農ヘルパーでの3年間の働きが認められ、2011年に事業継承した。
冬季には雪が降るため、毎年5、11月に牛舎と放牧地の間4キロの引っ越し作業を行う。苦労も多いが、念願の放牧酪農。「牛がおいしそうに草をはむ姿を見るのが、至福の時」と山田さんはほほ笑む。
18年には研修に来ていた咲さん(22)と結婚。長男、時夢君にも恵まれた。咲さんは人工授精の受胎率向上と、性判別精液の活用で黒毛和種の受精卵移植にも意欲を示す。経営面でも頼れるパートナーと共に、放牧のある風景を描いていく。(柳沼志帆)
2019年02月02日

[未来人材] 35歳。 きのこ栽培、ジビエ販売、生態調査 里山の宝 フル活用 有本勲さん 石川県白山市
白山麓で暮らす石川県白山市の有本勲さん(35)は、きのこ栽培やジビエ(野生鳥獣の肉)の加工・販売、野生動物の生態調査など里山の資源をフルに生かし事業を展開する合同会社「山立会(やまだちかい)」の代表。地域では数少ないIターン移住者で「過疎化が進む地域の価値を創出したい」と張り切る。
山口県出身。6歳から12年間、関西圏で暮らした。進学した東京農工大学ではツキノワグマの研究に没頭。個体に衛星利用測位システム(GPS)の発信機を付け移動経路を追跡するため、学生時代の大半を東京の奥多摩や富山の北アルプスなどで過ごした。「周りは都会の暮らしを謳歌(おうか)していた頃、無我夢中で山中を駆け巡っていた」と笑顔で振り返る。
「学んだことを役立てたい」と博士課程を修了した28歳の時、就職先の石川県白山自然保護センターがある同市へ移住。地元の法人でイノシシなどの食肉処理や猟銃の手ほどきを受けた後、33歳で起業した。
独立し、収入が不安定な中、注目したのが廃棄されていたイノシシの腹部の脂だった。化粧品メーカーの協力でハンドクリームを商品化。地元マスコミが注目し、同会の認知度が一気に高まった。高齢化で事業継続を断念した地元のナメコ生産組合から昨年、栽培と販売を承継。年間35トン生産し、今ではこの事業が経営の柱だ。
従業員2人を雇用し、今年度の売上高は1600万円を見込む。「3年後には売上高を1億円に乗せ、10人程度雇用したい。いずれは白山麓で培ったノウハウを他地域でも生かし、全国の里山を元気にしたい」と夢が膨らむ。(前田大介)
2019年01月26日

[未来人材]35歳。醸造も栽培も、風土生かして “地ワイン” に情熱 中子具紀さん 三重県名張市
三重県名張市の中子具紀さん(35)は、同市産のワイン造りに挑戦している。2018年に稼働した同市初のワイナリーで醸造を担当しながら、ワイン向けブドウを生産。同市はブドウ産地だが、ワイン向け品種の栽培はほとんどなかった。中子さんは「名張の風土を生かした、この地ならではのワインを造りたい」と奮闘する。
中子さんは大学卒業後、酒販売業者でワイン販売を担当。仕事で海外の生産者と交流するうちにのめり込み、10年には仕事を辞めてフランス、スペインに渡りワイン造りを修業した。その後、国内のワイナリーで経験を積んだ。
同市でのワイン造りは、特産のブドウで地域おこしを目指していた名張商工会議所などから話を持ち掛けられ開始。同会議所や地元企業などが出資した「國津果實酒醸造所」で醸造を担当する。畑の野生酵母で醸造し、糖や酸を加えず酸化防止剤も極力控えるこだわりで、ブドウ本来の持ち味を引き出す。
一方で生産者として、80アールでワイン用ブドウを栽培し同社に出荷する。「ビジュノワール」「アルモノワール」など日本品種が中心。ワイン向け品種の栽培ノウハウが蓄積されていないため、県の普及指導員ら、周囲の助言も受けながら地域に合ったやり方を探る。「ワインの出来の半分以上は、ブドウの力。技術を磨き、質も量も納得できる栽培法を確立したい」と話す。
現在、醸造所の原料は多くが県外産。自身のブドウの生産量を増やしながら、名張市産の割合を増やすのが目標だ。中子さんは「地元の人たちと共に名張をブドウで盛り上げたい」と意気込む。(吉本理子)
2019年01月19日

[未来人材] 34歳。英―東京―古里。ゲストハウスに夢 地物でもてなしを 殿倉由起子さん 長野県飯田市
長野県飯田市の殿倉由起子さん(34)は、両親や弟と共に、リンゴやアスパラガス、ブナシメジを生産する「太陽農場」を経営しながら、ゲストハウス開設の夢に向かってまい進する。英国留学とホテル勤務で培った語学力やホスピタリティー(もてなしの心)と、野菜ソムリエプロなどの資格を生かして、着実に歩を進めている。
専業農家の長女で、「もともとは飯田が嫌で、外に出たかった」と明かす。高校卒業後、日本を飛び出し、英国の大学に進学。観光学を専攻し、卒業後は東京・銀座の外資系ホテルに就職した。転機は、2011年の東日本大震災。災害に弱い都会を離れ、実家の農業経営を支えようと、ホテルの同期入社だった夫の健一さん(35)と共に同年5月末、帰郷した。
農場では、リンゴとアスパラガスを中心に経営に携わる。地元産果実や野菜を使うカフェの開設を目指し、野菜ソムリエの資格を取得。シードル(発泡性りんご酒)の伝道者「ポム・ド・リエゾン」の認定も得て、料理教室や講演などの活動を展開してきた。消費者や若手農業者との交流に喜びを感じ、「自分の好きなことを追求できる。戻ってきてよかった」と言い切る。
夢はカフェ併設のゲストハウスに発展。20年の開業を目指している。思い描くのは、援農や農業体験に訪れた人、インバウンド(訪日外国人)ら、さまざまな人たちが集まり、地元食材の料理とシードルなどを楽しみながら交流する姿だ。
「多くの人に、農業と南信州の魅力を知ってほしい。農業で多くの人に笑顔になってもらい、笑顔と笑顔をつなぎたい」と声を弾ませる。(飯島有三)
2019年01月12日

[未来人材]29歳。「アレルギーでも…」 加工販売に力 牛の尊さ伝えたい 高橋温香さん 千葉県いすみ市
千葉県いすみ市の高秀牧場の高橋温香さん(29)は牛の魅力を発信する空間をつくり、消費者に伝えている。牛アレルギーで、現場に出ることは難しい分、牧場内にある「高秀牧場ミルク工房」で新鮮な牛乳を使ったジェラートやチーズの販売に力を注ぐ。
魅力を伝えようと思ったきっかけは、2013年に酪農教育ファームの授業を見学したことだった。そこで牛が牛乳を生み出すだけではないことに気付いた。
牛はビールかすなどの食品の製造過程で出たものを食べ、牛ふんは堆肥として使われる。生きている時はもちろん、肉になった後も、革製品として利用される。高橋さんは「当たり前のようにいた牛の見方が変わった。人のために一生を尽くしてくれる牛の尊さや命の循環に心揺さぶられた」と振り返る。
「アレルギーで現場に出るのが難しくても、牛や酪農、牧場の魅力を伝えることはできる」と、16年には、ミルク工房を開店した。店内には牛の一生や酪農家の仕事を解説する手作りのポスターを掲示。牛のモニュメントや雑貨も配置した。写真を撮り、インターネット交流サイト(SNS)で発信する人も多い。投稿を見て来る人もいて、ピーク時には1カ月で3500人が来店する。
人気商品は牧場の牛乳を使ったミルクジェラートだ。この他にも、市内産の柿や地元の酒蔵「木戸泉」の甘酒を使った味もあり、常時12種類ほどの品ぞろえがある。
今後は牧場内に宿泊施設をつくることを構想している。高橋さんは「農の魅力、地域の良さを牛や牧場を通して発信したい」と夢を描く。(藤川千尋)
2019年01月05日

[未来人材]29歳。 ホワイトアスパラガス産地化へ 若手流出 歯止めを 馬場淳さん 岩手県二戸市
岩手県二戸市の馬場淳さん(29)は、全国でも珍しい冬取りホワイトアスパラガスの産地化を目指している。自ら手本を示すことで、加速する若者の流出を食い止める狙いだ。10年後を目途にしたイベントの開催など地域の活性化を目指す。
2018年4月に設立した(株)馬場園芸の代表を務める馬場さんは、地元の浄法寺地区で200年以上農業を営む農家の9代目。日長を調整できる遮光施設で約60品種の菊を生産する。
しかし、地区は高齢化が進み、「進学や就職などで若者の半分が地域の外に出ていく」という。地区に魅力ある通年で働ける職場を作ることを目指し、菊栽培に使う遮光施設を生かした冬取りホワイトアスパラガスの生産に取り組み始めた。栽培開始は14年から。馬場さんのホワイトアスパラガスの糖度は8と一般的なアスパラガスを上回り、生でも食べられる。「白い果実」という商品名で販売する。
17年産はグリーンアスパラガスも含めて3トンのアスパラガスを栽培していたが、需要は高く、18年産は計画生産量5トン全てをホワイトアスパラガスに切り替えた。7、8割は地元や東京都内のレストランへ直接販売するという。
馬場さんは地元をホワイトアスパラガスの産地にすることを目標にする。通常、北半球の出荷は春ごろだが、12月から出荷できる産地にすることを目指す。
馬場さんは、ドイツで開かれるホワイトアスパラガス祭りに肩を並べるイベントを開くのが目標で、「10万人の集客を目指したい」という。「ホワイトアスパラガスをきっかけに地元の食や文化を感じてほしい」と、地域の活性化を見据える。(川崎学)
2018年12月29日

[未来人材]38歳。ブドウ栽培、醸造に前職生かす 個性あるワインを 高木浩史さん 北海道弟子屈町
「ここでしかできないワインを造りたい」。北海道弟子屈町の高木浩史さん(38)は、町の特産である醸造用ブドウ栽培やワイン造りを支える。地域おこし協力隊としてこの地に来て4年目、今年独立し、自身の手で栽培を始めた。ワインを軸とした地域活性化に奮闘している。
同町では新たな特産品にしようと、2009年から醸造用ブドウの試験栽培を始めた。栽培やワイン生産の中心となる人材を募集。東京都内の香料会社に勤めていた高木さんが、15年から協力隊として参画した。「北海道で農業に携わりたかった。自分の経験を生かせると感じた」と振り返る。
醸造用ブドウは同じ品種でも栽培する土地の気候や土壌によって、風味や味わいが変わるとされる。高木さんは母校の東京農業大学オホーツクキャンパスと連携して香気成分を分析し、町産の特徴を研究中だ。「ブドウの力を100%引き出せるような栽培ノウハウや醸造方法を確立したい」と、ワインの付加価値向上に期待をかける。
今年から土地を借りて栽培も始めた。18年は町内の農家や町有地でも栽培するブドウを含めて2500本ほどの管理を一手に引き受ける。ワインは池田町で醸造する。10月の収穫後、1週間ほど仕込みに行くという。今後はブドウの作付けを増やし、将来は町内に醸造所を設けたい考えだ。
町内の12の飲食店で、町産ワインと地場産食材を使った料理を、2週間にわたって提供するイベントも手掛ける。高木さんは「ワインは主役にもなれるし、いろいろな食材とのつなぎ役にもなれる。ワインを軸に地域を盛り上げたい」と展望する。(川崎勇)
2018年12月22日

[未来人材] 22歳。“師匠”から牛舎、乳牛を第三者継承 「酪農家に」夢実現 別府秀都さん 宮崎県都城市
酪農家になる──。鹿児島県曽於市末吉町出身の別府秀都さん(22)は宮崎県都城市内で後継者不在の農場を引き継ぎ、幼少時からの夢をかなえた。酪農を新規で始めると初期投資が膨らむが、別府さんは国の青年等就農資金の利用や既存農家から牛舎や乳牛を譲り受けることで負担を抑えた。「実家が農家でなくても農業を諦めてほしくない」。県南部酪農協やJA都城のサポートを受けながら、5年間で経営を軌道に乗せる計画だ。
「CEO(最高経営責任者)兼、平社員」という別府さんの朝は早い。午前5時前には牛舎にいる。育成・搾乳牛41頭を飼う。今年4月に経営を継いでから餌やり、掃除、搾乳と作業は全て1人でこなす。
小学生から夢は一度も変わらない。都城農業高校を卒業後、岡山県の酪農大学校で家畜人工授精師の免許を取得。就職先を探す中で偶然、酪農の後継者を探していた都城市の小野田勉さん・洋子さん夫妻に出会った。技術や経営を学ぶため、従業員として働き始めた。
働き始めて約8カ月。昨年秋、勉さんの体調が急変。別府さんの意志を確認した南部酪農協が2人の間に入り、経営移譲を支援した。牛は1頭ずつ査定、中古農機はJAに頼み、買い取り価格を算出した。市認定の新規就農者として借りた就農資金を使い、牛と牛舎を譲り受けた。
“先生”を亡くしたことで「覚悟していたが、夏は大変だった」と別府さん。だが、酪農への情熱は人一倍だ。牛舎を清潔に保ち、毎日ブラッシングは欠かさない。組合唯一の20代。「まずは経営を軌道に乗せること」が目標だ。一歩ずつ夢を実現する。(木原涼子)
2018年12月15日

[未来人材] 30代夫婦。 脱「働き過ぎ」へ品目構成を工夫 家族の時間大切に 組橋 聖司・愛子さん 香川県三豊市
香川県三豊市仁尾町にある「まるく農園」の組橋聖司さん(38)、愛子さん(35)夫妻は、子育てと農業の両立を図るための経営を模索している。子どもが生まれたことをきっかけに、作業労力の掛かるミカンの作付けを減らし、管理時期がずれるキウイフルーツなどの規模を拡大して労力を分散させた。さらに自宅にドライフルーツの加工場を設けるなど、二人三脚で新しい果樹の経営スタイルを追い求める。
「仕事命だった」と、5年ほど前の聖司さんを愛子さんは振り返る。ミカンのシーズンが始まると、朝早くから園地で収穫作業を始め、夜は箱詰め作業後、販路開拓のため、車で1時間ほどかかる高松市内のスーパーに自ら売り込んだ。
聖司さんの考えが徐々に変わってきたのは、子どもが生まれた5年前。「家族のために」と、作業負担があまり大きくないキウイフルーツの作付けを増やし、ミカンを減らした。また、「まるく農園」ブランドが浸透し、販路開拓に必要な時間が減った。今では午後6時ごろには家に帰れるようになった。
今年7月から、キウイフルーツでドライフルーツの加工に取り組み始めた。追熟が進み青果で販売できない商品を加工に回す。15を超える糖度が特徴で、販売は年明けから。愛子さんが加工や販売の全てを担う。加工場は自宅に設ける予定で、今後は輸出も視野に入れる。
他の果樹産地と同様、同町も高齢化が進む。聖司さんは「まず自分がしっかりとした経営モデルをつくって、地域を盛り上げた結果、若手が就農してくれる産地にしたい」と産地を支える覚悟だ。(丸草慶人)
2018年12月08日