[未来人材] 34歳。 服飾業界から 「紅まどんな」栽培 愛媛県宇和島市 清家光平さん 豪雨の逆境 ばねに

豪雨被害にもめげず前を向く清家さん。「紅まどんな」の園地は2アールだけ残った(愛媛県宇和島市で)

 愛媛県宇和島市吉田町のかんきつ農家、清家光平さん(34)はアパレル業界から転身した。農家手取りを底上げしようと、加工品を作る会社の立ち上げを計画していたが、西日本豪雨の影響で頓挫。これから産地を背負う若手農家として、甚大な被害が残った産地をけん引するためもがく。

 東京の服飾関連の専門学校を卒業後、銀座の老舗アパレル店で修業を積み「ここで骨をうずめよう」と決意をした矢先、父が足を骨折。28歳で実家の農業を継いだ。三男なので「継ぐ気はなかった」が、妻の農業に対する理解に後押しされ、実家に戻ることを決めた。

 「帰農するからにはミカン作りを極めよう」と、1年間県みかん研究所で学んだ。そこでほれ込んだのがかんきつ「紅まどんな(愛媛果試第28号)」。歳暮の贈答需要は底堅く、食味の良さで価格は安定している。

 急傾斜地のミカンは雨が降れば収穫できないが、高品質生産のために取り組んでいる屋根掛けハウスがあれば収穫ができるため労力の分散にもつながる。アパレル業で培った“消費者目線”で導入を決めた。

 夏ごろには、ジュースなどの6次産業化商品を作る若手農家を中心とした団体を創設する予定だった。事態が一転したのは7月。西日本豪雨で産地が甚大な被害を受け、保留している。

 「紅まどんな」の園地は12アールのうち10アールが全滅、地元の復旧作業に追われ、被害を確認したのは1カ月以上たってからだった。今は自身の園地をどう復旧するかに頭を悩ませる。ただ、「これまで地域はかんきつで生活してきた。10年後を見据えて品種の植え付けを考えないと」と産地を背負う決意だ。(丸草慶人)

おすすめ記事

若者力の新着記事

検索

e農サーチ e農サーチとは